44・恋の予感
物心ついた時からずっと父親に聞かされてきた。
水車小屋の仕事のすばらしさと特権。先祖たちの知恵と技術。そして長男として産まれた彼には家をつぐ重大な使命があるということを。
そんな役目がはたして自分につとまるのか。天井を走るネズミの足音にもおびえる弱虫なのに。ケンカになるのがイヤでいつもほかの子に食べものやオモチャをゆずっている意気地なしなのに。
でもそれで家族がよろこんでくれるのなら。
家業をつぐ役目を頑張ってみようと思えた。
幸か不幸か。
男の子はとっても優秀な歯車だった。
内気な子どもは成長して、黙っていても周囲を威圧する風格をそなえた青年となった。立派に成長した我が子の出来ばえに父親は満足そうだ。
水車小屋での生き方をきびしく叩きこまれた。
水の量や速度を計算したり、より効率的な水車の構造について水車大工と意見をかわす。そんな仕事は面白い。
粉の袋がずっしり肩にくいこむ。若く健康な体がそのしんどさを強さに変えていくのには、そう時間はかからなかった。
一方で気の滅入る仕事もあった。水車を使う村人たちから領主におさめる税を徴収するのも仕事の内だ。とれた小麦を加工してもらいにやってきた村人から、水車の利用賃として規定量の小麦の粒をいただく決まりだ。
生活が苦しい村人がいても特別あつかいはゆるされない。青年の一存で取り立てる税を増減することはできないのだ。
多くの恨みと不信をあびせられる。連中に憎まれてこそ一人前だなんて、父は気にもせずに笑っていたけれど。
父は粉ひきの仕事にプライドを持っているが水車小屋は彼の所有物ではない。村の共有財産というわけでもない。領主のものだ。
水車の設備の費用を出しているのも領主である。なので利用料の徴収自体は領主が当然得るべき権利ともいえる。だが村人が手回しの石臼を所有することを重く禁じたり、見せしめにひどい刑罰を村人に与えたり、直接の執行をする役目ではないものの道具の準備は手伝わされたりと、本当に憂鬱だった。
実りの少ない年であっても容赦なく税をとらねばならないことでも、青年は役割と良心の板ばさみになっていた。
水車の作業効率が上がれば、利用料を軽減してもらえるよう領主との交渉に持ちこめる。
今使っている上掛け水車に水をみちびく樋はあと数年で新調が必要になるだろう。この機会により効率的な水車を設置したい。青年は図面をひいて旧式の水車の改良にのりだした。これはやりがいのある仕事だった。
水の勢いと重さのどちらを利用するのが効率的か。川を流れてくる小枝などのゴミの影響を受けにくい構造は。水車の羽根板の最適な枚数は。入りこんだ空気を抜くための穴を羽根板に開けるとして、その最適な位置と大きさは。水を受け止める桶の形状にも工夫の余地がある。
この村の条件にそった最高効率の水車を追求するうちに、下掛け式でも上掛け式でもない奇抜なものにたどりついてしまった。
考案したものを現実的に作れるかどうかが一番重要な課題だ。理論上は優れていてもコストがかかりすぎたり材料や技術の面で実現不可能では話にならない。
水車大工の老人と相談を重ね、多くの図面を引いて、たくさんの模型を作った。
樋の代わりに落差が確保できる水路を作ることになる。費用はかかるが、木製の樋よりも傷みにくいのが水路のメリットだ。
領主が建築費を気前良く出してくれるようにこの改良で予想される収益も計算しておく。
変わり者の老人から、焼き払われたはずの古い技術の本を見せてもらったのもこの時だ。遠い昔の人間たちは、鉄の水車をあらゆる流体で回転させて膨大なエネルギーを得ていたらしい。
興味深いとは思ったものの感覚としてはピンとこない青年だった。無責任な憧憬と理想で加工されたこの世界でなじみある動力といったら、水車や風車に家畜の力、それから微生物エンジンや生物発電機くらいだ。
「若造。お前に一つだけいっておきたいことがある」
「何か」
「ワシの作る水車は……最高にセクシーだろう?」
青年は目をそらした。口数少なく威厳のあるキャラ作りを徹底しているのに、そういう反応に困るネタをふらないでほしい。狼狽をさとられぬようにと願いながら、近寄りがたい無表情と冷ややかな声をキープする。
「……わからない」
「ワシ、がっくし……。いつの日か同好の士があらわれるって信じておるんだからっ」
「……」
ものごとをきわめすぎると人間の感性はおかしくなってしまうのかもしれない。
ある年。川の流れも凍てつくほどの寒い寒い冬が、賢く優しい母の命を前触れなくうばっていった。もともとだらしない一面があった父はますます仕事をしなくなり、本格的に青年が水車小屋の仕事をになうようになる。
父は片時たりとも酒を手放さず、その顔はつねに赤らんでいる。大声で酒を欲する父の望みを青年は無言でひたすらかなえてやった。怒声や拳が飛んでくることもめずらしくはない。青年はほかの人間を巻きこむのを避けた。弟妹たちや家を手伝う雇われ人たちが殴られることがないように、父という濁流を自分だけでせき止めようとした。
粉ひきの一家の雰囲気はどんどん荒んでいく。
次男は問題ばかりの暴れん坊。村人にケンカを吹っかけ殴りあい。
長女は息をひそめる。石のように。口を閉ざして壁や床の一部になりたいと願っている。
三男は命しらずのお調子者。とっても陽気で哀れなやけっぱち。
かみあわず。からまわり。ギクシャクと。バラバラに。
家族が壊れていくのを感じながら、自分が正しく回転していればいつかは歪みも傷も修復できると夢見て。青年は孤独で静かな奮闘を続けた。
そうこうするうちに次男が死んだ。
ケンカに明け暮れ、ふらりふらつき転んだひょうしに頭を打って。
長女が死んだ。
具合が悪いのにだれにもいわず普段どおりにすごそうとして、倒れた時にはもう手遅れ。
三男が死んだ。
大雨の日に屋根の上。デンデン虫とダンスしてたら足を踏み外し真っ逆さま。
家族をあいついでうしなった父の嘆きは深まるばかり。
どうか安心させてくれ、と勝手なことを父がいう。孫の顔を見ることができたら自分だって荒れた生活を改めるのに、なんて白々しい約束をちらつかせる。
――新しい命は希望だ。我々に残された逆転の手段。優秀な跡取りを育てるのだ。
そんなことを父は熱弁する。
賛同できるわけがない。鉛よりも重たい気分で首を横にふる。
酒の悪魔に頭の芯までとりつかれた男の目が攻撃的に細められた。
――お前がこれほど薄情な裏切り者だとは思わなかったぞ。育ててやった恩を忘れたのか?
――先祖から受けついだものがお前の代ですべて途絶える。その重圧に耐えられるのか? どうやって責任を負う?
――頑固者め。残ったお前がそんなことでは、子をなさずに死んでいった弟妹たちにどう申し開きをするつもりだ? 母さんだって天国で泣いているさ。
父と話しているだけで心に泥のようなものが沈殿していく。
席から立ち上がって、目もくれずに背を向ける。ドアにかけた手を父親につかまれた。
振りほどこうとしたその腕のあまりの弱々しさに青年は息をのむ。
これが、気に入らないことがあるたびに酒をあおって八つ当たりをしていたあの粗暴な腕なのか。いつの間にこんなにも細く貧弱になっていたのだろう。
長年心の距離をおいていた父の顔をひさびさにまともに見る。
そこにいたのはもう記憶の中の父ではない。やつれた老人だ。
――お前はムダに考えすぎるんだ。その命にかせられた義務を果たせ。どうせ物語からは逃れられない。……たのむ。
あろうことか年老いた父はすすり泣いて青年に懇願する。
最後まで家に君臨する暴君をつらぬきとおしていれば良いものを。
青年の花嫁探しがはじまった。
「クルガフィカー!!」
両手をメガホンにして川べで大きく名前をよんだ。
「お土産にいろいろおいしいもの持ってきたんだ。みんなで食べようぜ!」
「……いいの?」
とぷりと水音。川の中から頭を出して、こちらをうかがう水の乙女の姿があった。初対面の人物がいることに気づくと、クルガフィカは困り眉をいっそうひそめて小声でたずねる。
「……その人は?」
「ダイナってんだ。オレとセティノアの友だち! めっちゃ音楽が好きで演奏が上手なんだぜ」
紹介されたダイナは普段とまったくようすがちがっていた。
薄氷を思わせる儚くも美しい無表情。それが少しゆるんで、笑顔を覚えたばかりの人形みたいなささやかなほほ笑みを浮かべる。口から出る言葉は優雅で丁寧。
「ご紹介にあずかりましたダイナです。どうぞお見知りおきを」
神秘的な片目隠れお姉さんぶっているダイナに、マカディオスがあきれてうめく。セティノアも冷ややかな目線で小さく首を横にふる。
「そうやってだまそうとするのは良くねえぞ……。ごめんな、クルガフィカ。ダイナはいつもテキトーなノリでよくふざけるんだ。まあ悪い人じゃあねえんだ……うん」
「大人しくしているとミステリアス美人っぽく見えますが、中身はわりとダメで残念な感じの大人なのでぃす。早い段階で本性がバレたのはある意味良かったのではねーでぃしょうか」
クルガフィカの視線が落ち着きなくさまよう。
「フフ、私にだってお上品にあいさつしたい気分の時ぐらいあるもんね。よろしくー」
「……よろしくね」
ちょっとムリをしてるような笑顔でクルガフィカはぎこちなく頷いた。
川のすぐそばに倒木や石を持ってきてイス代わりにする。
クルガフィカも浅瀬でくつろいでいる。
「水の中じゃ手に入りにくそうな食べものをいろいろ持ってきたぜ」
野菜と七面鳥のハムをはさんだバゲットに、ハチミツとチーズ入りの丸パン。つみとった果物。妖精市場で買ってきた動物型の棒つきチョコや甘酸っぱいグミもある。
「グミなんてわざわざ買わなくても、私とセティノアにかかればいくらでも緑のヤツを量産できるのに」
「……それを人様にオヤツとして出すつもりでぃすか」
セティノアの呪いについてしらないクルガフィカは、どういう意味かわからないまま愛想笑いを浮かべて場になじもうとしているようだった。マカディオスと視線があうと、困ったような弱々しい笑顔を見せた後にそそくさと目をそらす。話しかけられるのを避けるかのようにクルガフィカはプラムを一つ手に取った。
人づきあいの間合いやペースはそれぞれ自由だ。引っこみ思案だったり慎重な人に友だちだと思ってもらうのはなかなか難しいことはマカディオスも承知している。マカディオスはというと、一度楽しくおしゃべりした相手はもうオレたち友だちだよな、のスタンスである。
「……いやっ!」
悲鳴をあげたクルガフィカが果実を遠くに放り投げる。小さな水しぶきの後、ぷかっと浮かんで流れていった。
みんなの注目をあびていることに気づいたクルガフィカはあわてふためき弁解する。
「……ごめんなさいっ。親切をムダにするつもりじゃなくてっ。ゆるして。おどろいただけなの。果物の中に……ちょっと、もぞもぞした生きものが……」
「虫いたのか! そいつはびっくりしただろ。こっちこそごめんな。野生の果物だからそういうのも混ざってたんだ」
「……怒ってない、のね?」
「怒ることでもねえだろ」
びっくりさせてしまったおわびに別の食べものをオススメしたい。人間だったころにつらい思いをしてきたであろうクルガフィカには、おいしいものをいっぱい食べてもらいたい。
「あ、チョコ! チョコならぜったい大丈夫だ。これ、めっちゃおいしいヤツだぜ!」
マカディオスはリスの形のチョコをクルガフィカに手わたす。
「……ありがとう」
水の乙女は愛想笑いではない素朴なほほ笑みを見せてくれた。
いつしかおしゃべりの内容は恋愛関係へとうつりかわる。
「やはりいっしょにいて落ち着く人でぃしょうか。もっと理想をいうなら、趣味や感性が近い人でぃすの! 完全に同じでなくても良いでぃすけれど、セティが好きなものを頭ごなしに否定しないのが最低限のラインでぃすわ」
「そうね……。ことあるたびに否定されたりバカにされるのってイヤよね」
あまりたくさんはしゃべらないがクルガフィカも会話にまざるようになってきた。この手の話題が好きなのかもしれない。
ダイナはたいして興味のなさそうな顔で聞き手に回る。それでもセティノアに話をふられ、こう答えた。
「さぁ? 特に決まった好みのタイプなんてないからなぁ。んー、ふとした瞬間のしぐさで意識したりはあるよね。ちょっとゴツめの手とか腕が好き」
「あ、うん。そういうの……私もちょっとわかる、かも」
「そうそう。べつに顔には出さないけど心の中では、うひょーこのぷりっぷりな血管、健康的で色っぽいですなぁって考えてたりするよね」
「考えねーでぃすよ。そんなのダイナだけでぃす」
「頭ごなしに否定してくるやん!」
マカディオスは三人の話の輪から離れて一人で気ままにすごしていた。三人の話についていけない。バッタやトンボが遊び相手になってくれるからべつにいいのだ。
「私は……相手の見た目はどんな風でもかまわなくて、性格が一番大事……。強くて優しい人が、好き」
なんとなく視線を感じてふり返る。クルガフィカがそっと視線をそらすのが見えた。
マカディオスは恋愛について考えてみる。
なんとなくステキなものなんだろうなーくらいには思う。
でも面白おかしいお話を読んだり、自由に絵をかいたり、生きものをつかまえて世話したり、飛んだり跳ねたり筋トレしたり、プロテインの粉でお菓子作りをする方がずっと魅力的だとも思っている。
けっきょくのところ、よくわかっていない。未知のものだ。
ただ、もしも。
だれかに「好き」っていわれたら、きっと自分も即座に「超大好き」って返すのだ。




