41・世界は回る
もはや自分の存在価値はもうズタボロだ。
正答の教導者に所属していた術部員はかつての同胞たちの追跡から必死に逃げる。
小型の浮遊板にセットされた魔封器を肉付きの良い色白の手でペチンと叩く。
「もっと速く!」
もしもつかまってしまったら。そう思うと恐ろしくてたまらない。マントにくるんだかけがえのない存在を右手で強く抱きしめる。
背後から飛んできたゴム弾。
本来は一人用の小型機種にムリやり二人乗りをしてたツケが回ってきた。バランスが崩れる。運動不足の小柄な体では立て直しがきかない。
マアヤの細く淡い金髪がぶわりと逆立つ。
地面に派手に転がる。
すり傷から雑菌が入る脳内イメージが広がって、実際の痛みよりもぞわぞわした不快感がまさる。いつものマアヤならささくれや紙で切った傷もすぐさまきちんと消毒するのに、それができない状況なのがもどかしい。
それでも必死にぶざまに体を動かし、マントに包まれた最愛の存在を保護する。その手をにぎる。
土と雑草にまみれたマアヤを教導者たちが取り囲む。
「信仰は人々を幸せに導くためのものです」
電気鞭の閃光の威圧。
「技術は社会を豊かにするために発展します」
少し遠くにいる教導者がマアヤに銃口をむけている。
「愛情はそれを受ける価値のある存在に注がれるべきリソースです。くだらないオモチャにではありません」
マントのはしをつかむマアヤの手に力が入る。
どれだけいきどおったところで、この逆境を打開できるだけの筋肉はマアヤにはないのに。か弱いゆるぽちゃ皮下脂肪ボディだ。
「マアヤ博士。あなたは人間としての義務を果たしていますか?」
あびせられるのは、冷ややかで礼儀正しい失笑。
「あなたにはなけなしの存在価値が残されています。矯正教育を受けて有益な研究に専念していただくか。魔物化処置をへてその命をあますことなく社会の利益にささげるか。どうぞお選びください」
マアヤを包囲していた六名も。
距離をとり銃口を向けていた一名も。
教導者たちの浮遊板近くで待機していた二名も。
予期せぬ事態にそなえて潜伏していた一名も。
みな一様に。
その頭上に楕円の球体が出現した。
薄皮と卵白をしたたらせたそれが、ゆっくりと裏返り。
ぎこちなく抵抗する胴体がコキコキしゅるしゅるトロトロたぷたぷ球体に収納されていく。
追手の存在はすっかりなくなって、満たされた球体がころりん地面に転がった。
マアヤはホーッと息をつく。
安心したあとは、ちょっと助けにきてくれるのが遅かったな、とじゃっかんの不満をいだいた。
まあ、いい。自分と我が子が無事だったのならそれで良いじゃないか。元同胞たちの身に起きた現象だって興味深い。とても不思議で好奇心を刺激される。
正答の教導者にはない技術だ。
あたりをキョロキョロ見回すが、親御さんの方は直接この場にいらしてないらしい。
ご両親のどちらも大物すぎるので仕方がないだろう。
「えっと……お使いがんばってえらいですねぇ! 私とこの子をあなたたちのお父さんお母さんのところに案内してもらえませんか?」
地面に転がった球体がカタコト動いて浮かび上がる。
完全な球形ではない、ちょっと歪な楕円。
――卵形の。
魔女の屋敷で留守番をしてくれているフィーヘンは、ヨトゥクルやダイナに特に関心をしめさなかった。拒絶することもなく、ふーんと低いテンションでただただその存在を受け入れている。魔物ではないダイナに対してもなんとも思ってないようだ。
壁の上をちょこちょこ跳ねるハエトリグモだとか、夜に窓べに出没するヤモリだとかと同じあつかいだ。クモやヤモリに対するフィーヘンの反応は平和でおだやかな無関心。
ヨトゥクルは部屋で静かにすごすことを望んでいる。まだ気持ちが落ちこんでいるようだが、もう眠りに落ちても他者と勝手に入れかわることはない。
「これでもうぐっすり眠れるな! オレはおいしい味の歯みがき粉をコレクションしてるんだ。ヨトゥクルも使うか? オススメはな、ジェルタイプのバナナ味」
「……いや、いいです」
「ちゃんとフッ素も入ってるんだぜ? ……まさか歯みがきしねえで寝る気じゃねえだろうな!?」
驚愕してわななくマカディオスに、そうじゃなくて、と力ないツッコミが入る。
「一時的に居場所を提供してもらっているだけでも充分ありがたいのに、そんなぜいたくなんてできるわけがないです……。僕がここにいても、あなたたちにはなんの利益も与えられないのに……。意味のあることは何もできない無価値な存在……」
ヨトゥクルはすごくきびしい。マカディオスがしない考え方をする人だ。他の人に利益を与えるとか与えないとか。存在の価値があるとかないとか。そういう視点でものごとを見ているらしい。
太い指で大頬骨筋をかいてから、ちょっと気まずそうに切り出す。
「言いにくいんだけど……。前にわたしてくれたあのビーズ、広場のオブジェじゃなくてまだオレのポケットの中にあんの。大事なことだったのに。ごめんな」
それならば重要な頼まれごとを遂行できなかったマカディオスをめちゃくちゃこき下ろしても当然である。マカディオスはヨトゥクルの反応をビクビクしながらまった。
「……オ、オレのこと無価値って思う……?」
「そんなわけない! ……あれは本当にぜんぶ僕が悪くて……。あんな状況じゃそもそもムリですし」
意外ときびしくなかった。
「オレが上手くできなかったことをそんな風に思えんならさ。ヨトゥクルが今何かが上手くできなかったとしても、そこまで自分をボロカスにけなさなくてもいいのかもな」
口をつぐんでうつむくヨトゥクルにマカディオスは青いビーズを返す。
ヨトゥクルはしばらくその青を見つめていた。どうしたものかと迷うように。何かを決意して小さく息をつくと、彼はそれを自分の胸ポケットへ大切そうにしまいこんだ。
ダイナはというと、ウラ側にきてからはずっとバンドネオンをひいて一日中遊んでいる。街のしがらみから解放されて、心から好きなことを楽しんでいる。
さすがに直接たのめば屋敷内の用事をこなしてはくれるが、それ以外は本当に楽器だけひいてすごしている。ヨトゥクルとちがって、そんな暮らしに一切の引け目を感じていない。
ダイナの演奏を聞いているマカディオスのところに、セティノアが一つ忠告しにやってきた。
「ずっとここですごす気なら、この屋敷の主の機嫌をそこねないようくれぐれも注意することでぃすね。めちゃ強な魔女でぃすの」
「安心して。肩もみなら上手いよ」
ダイナはお婆さん魔女の姿でも想像したのだろう。
セティノアが首を横にふる。
「好感が得られるように、ウィッテンペン好みの演奏ができるよう練習してはいかがでぃす?」
「好みってどんな?」
マカディオスが手を挙げた。
「はいっ、オレわかる! 血わき肉おどる疾走感でかっこいいヤツ! ホウキで夜空を爆走するイメージ!!」
「よしきた。最高に気分がぶちあがる曲を聴かせてしんぜよー」
「わかってねーでぃすね」
たまにセティノアは自分だけはわかってます感を出すことがある。特にウィッテンペンの気持ちだとか、シボッツとの関係についてとか。
「とにかく恋の曲を練習しておくのでぃす! そうすれば遊んでばかりの演奏家にも魔女はそれなりに目をかけてくれることでぃしょう」
「ウラ人の恋は、きっとオモテ人よりも自由なんだろうね」
バンドネオンの蛇腹がゆっくりと伸びた。
繊細な力加減で小刻みに縮めて。
悪魔的に複雑な配置のボタンにダイナはすずしい顔で的確に触れていく。
「オモテにだって恋の歌は存在するけどね。物語からみとめられていない相手を好きになるのは、なんていうか……ダメなんだよ」
ダイナの演奏に見入っていたマカディオスが驚いて顔を上げる。
いったいどういうことだろう。
「そんなのってないぜ! 好きな人と仲良くすごすのって、いいことだろ?」
「……お子ちゃま。それだけとは限りませんけどね」
なぜかセティノアにバカにされた。心外である。
家柄。容姿。評判。財力。そういった釣りあいがとれた相手でないと、二人の関係がまわりから承認されることはない。分不相応な恋慕は性別を問わず批判と嫌悪の対象となる。
なので、もし結婚を望む相手がいたなら、おたがいの理解を深めたり楽しい思い出を作ったり好きな気持ちを高めることよりも、お似合いの二人だと周囲から認識されることの方がはるかに重要なのである。
「白き災厄の竜の手を取ったアイウェン王子の選択は本当にオモテのみんなを驚かせたよ。王家の人間ってのは神の代行者として民を守るもんだと思ってたから。……そんな風に生きるのがイヤになっちゃったのかなぁ。ま、本当の気持ちは王子さまにしかわからないけどね」
白い竜。
正答の教導者にマカディオスがつかまっていた時に矯正学舎を破壊しにきたあの竜のことだろうか。
アイウェン王子はそんな乱暴者の竜をえらんだらしい。
「王子さまはワルなドラゴンが好きだったのか? やっぱり恋ってのはよくわかんねえな……」
ノックの音がして、フィーヘンがのそりと顔を見せる。いつも部屋で本ばかり読んでいる彼女がわざわざ出むいてまで話しかけにくるなんてめずらしい。
フィーヘンは手にした便せんをマカディオスたちにひらりと見せながらすぐに用件へとうつった。
「こんな報せが届いたんだけど」
オモテ側で活動していたある魔物が、ウィッテンペンに似た雰囲気の魔物を見かけたらしい。
妖姫の半分をになうウィッテンペンはやきもきしていた。あの白いネコがずっとついてくる。一番小柄で弱々しく臆病なネコだ。たしかフラウアとか名づけられていたはず。
飼いネコたちに関する記憶は封じてあるのに、シボッツはフラウアの耳がほとんど聞こえてないのに気づいていて何かと心配している。ネコが苦手……とウソをついたウィッテンペンのことを配慮してフラウワをなでたり膝に乗せたりはしないのだが、目の届く範囲で危険がないか気にかけている。
オモテを放浪していると、とんでもなく理不尽な破壊の爪痕を目の当たりにすることも少なくない。
これだけ好きに暴れられたら、どれだけ気分が高揚することだろうか。なんてことを考えているのは魔女だけで、小鬼は沈痛な面持ちで焼け跡を見つめる。
一度、襲撃者が去ったばかりでまだ生々しいうめき声が聞こえる村のそばを通りかかったことがあった。被害の大きさに対して人手も物資も足りていないようすだった。
闇夜の中、だれからも助けの手がさし伸べられることもなく、ぐったりと地にふすだけの人影がちらりほらり。
いたるところで一つの命を構成する欠けらたちが悲しくこぼれ落ちていた。
よせば良いのにシボッツはうめき声の一つ一つに近づいていく。
――放っておきな、何やっても助からないよ。
シボッツは痛覚をやわらげる魔法をかけて死にゆく者たちの苦しみを少しでも減らそうとした。
魔物によって使う魔法はさまざまだが、ケガや病気を治す魔法だけは見たことも聞いたこともない。あれだけ魔法の研究に熱心なシボッツでさえあつかえないのだから、原理的に存在しないんじゃないかと魔女は疑っている。
――ほら、満足した? ……うん。もういこう。この場にずっと留まってたら、まぁた私たちが元凶だって勘ちがいされるよ。……うん、わかってる……。
シボッツの注意はケガ人や死者にむけられていて、何者がこの惨劇を引き起こしたのか冷淡に観察する余裕はないようだ。ウィッテンペンは妖姫の体の中で破壊の痕跡をしげしげとながめた。
魔女にはわかる。
これはきっと、あの白い竜の戯れ跡。
竜の災いにより親を亡くした子どもが増えている。
そういった孤児を保護するのも、社会の秩序の守り手たる正答の教導者の仕事の一つだ。
心身の損耗具合に応じて、あつめた子どもたちをより分ける。
まだ世の中の役に立つ見こみのある者は、学舎での矯正や負傷部位の補填をほどこし回復をまってから適性のある役割へと導く。
再利用が困難だったり修復にかかるコストの方が上回る者は、魔物化の処置をとり魔封器に格納。エネルギーとして活用する。
これらのしくみによって社会への悪影響は最小限におさえられ、オモテの世界の歯車は今日も変わらずに回っている。




