4・できる、できない
小鬼の家の材料は小麦ふすまに砂糖にキノコ。これらの材料にお月さまの光をあててぐるぐるぐるりとまぜこんだら――ウラ世界で普及している安価な建材、菌糸体レンガができあがる。軽く丈夫で水に強い、こわす時も楽。多少の傷なら自己修復だってできちゃうすぐれもの。
マカディオスの部屋を増築する時も役に立った。
ほかの部屋はちょっとばかりマカディオスにはきゅうくつだけど、まあ入れないってことはない。
キノコの家の一室でマカディオスはまどろみの中にいた。ベッドの上の体は豪快な大の字。寝室にさしこむ朝日が夢の薄皮をはがしていく。
マカディオスの両目がばちりと開く。目ざめた瞬間から調子は最高。今日の朝食を楽しみにベッドからおき上がる。ちゃんとマカディオスにあったサイズの家具だ。
床に作った布製の巣でも快眠できていたのだが、シボッツはマカディオスの寝床をずっとその状態にしておくつもりはなかった。
彼はしずかにねばり強く熱弁した。寝床は少し高い方がよい、夜中にホコリが床の近くにたまる、それをすうのは肺にわるい、と。このままではマカディオスがホコリのせいで息ができなくなるとでも思っているかのような深刻さで。
頑丈な体を生まれ持ったマカディオスはどっちでもいいやと思っていたが、こうしてベッドで寝るようになってから目に見える変化があった。
朝一番にとれる鼻くその量がへっている。
たしかにシボッツのいうことは一理あるようだ。
てきとうな鼻歌とともに朝の身じたくをすませ、食堂をかねた台所に顔を出す。
「おはよう。朝からにぎやかだな」
「おはよう! 今日も今日とて絶好調だぜ」
食卓にはずらりと料理の皿がならぶ。ほとんどマカディオスのために用意されたものだ。バゲットとゆで卵。それから鶏ハムの野菜サラダ。常備食にしている魚のテリーヌをたっぷりカットしたもの。オートミールとヨーグルトを混ぜてバナナをトッピングした食後のデザートもある。
最初のころのぬるいミルク粥だけの日々がおわっても、出される朝食はほんのちょびっとしかなかった。ジャムつきのバゲット少しと牛乳だけの食事。それっぽっちでシボッツは充分なようだった。シボッツは自分が食べる分よりはるかに多い食事をマカディオスに提供してはくれたが、それでも竜の子の胃袋は悲痛な咆哮を上げた。
そもそもシボッツは朝はそんなに食べられないものだと思っているらしかった。この考えにマカディオスは衝撃を受けた。とんでもない理屈だ。眠っている間はずっと何も口にしていないのだから、一日で一番空腹なのは朝のはず。
朝こそお腹いっぱい食べられる時間だというマカディオスの熱烈な主張にシボッツは一かけらも共感できていないようすだったが、要望に理解はしめした。マカディオスが食べる量の見直しをしてくれた。おかげでマカディオスは朝からハッピーでいられる。
「ありがとう!!」
大胸筋に熱くこみ上げる感謝の気持ちはしっかりと言葉とポージングでつたえておく。
朝食をぺろりとたいらげ、いざ遊びに出かける。
シボッツはマカディオスを外に出すのを心配していたが、心配だけではどうにもならない。部屋の中ではエネルギーを持てあましてしまうことも、部屋に閉じこめようと思っても突破されてしまうことも理解しつつあった。
「お昼には一度家に帰っておいで。何か困ったことがおきたら助けを求めるように。それじゃいってらっしゃい」
ムリにマカディオスをおさえつけるよりも、注意をつげて送り出す方をシボッツはえらんだ。
葉っぱつきの枝を手に一人山賊団ごっこをしていたら、ひそやかな少女の声が耳にとどいた。
脳裏にかわいらしい顔がぽわーんと浮かぶ。この前森で出会った名前もわからないあの子。
山賊遊びはもうやめた。枝をほっぽり出して声の聞こえた先へとぬき足さし足いそぎ足。
「やっぱり一番はやいのはこの私」
「私なら重い石でも浮かせられる」
「ねらいの正確さなら負けてない」
近づいてわかった。ここにあの子はいない。トゲのするどいサンザシの樹下で背中に虫の羽をはやした少女が三人、小枝や石や花を宙に浮かして何かをきそいあっている。俊敏な小鳥の魂をやどした小枝は風をきり、虚空にゆるぎなくとどまる石の表面をスイセンの花が精緻な軌道でたどる。
なんだか楽しそうに見えた。いっしょに遊んでみたい。自分もこの空中サーカス団にまざりたい。
マカディオスは地面に落ちていた一番かっこいい葉っぱをひろい上げ、力まかせにぶん投げる。
つかの間の飛翔。
あっという間の墜落。
剛腕をもってしても葉っぱをずっと空中に飛ばしておくのはムリだった。
パッとふりむいた三人の視線がいっせいにマカディオスをつきさす。歓迎されてないのはわかった。
「誰のしわざなの」
「ジャマしないで」
「あっちにいって」
トゲトゲしい態度にひるむことなくマカディオスはあらためてお願いしてみる。
「その遊びをオレもしてみたい」
妖精たちは顔を見あわせヒソヒソ話で相談をはじめた。
「どうしてもっていうんなら、テストに合格すれば仲間に入れてあげる」
「ヘッ! おもしれえ。シャトルランでも上体起こしでも望むところだぜ」
その後、魔法で葉っぱ一枚を浮かせてみせるというごく簡単な課題に撃沈したマカディオスはすごすごと家に帰ることになった。
「おかえり。早かったな」
「シボッツ、助けて! オレは不合格になっちまった! 再挑戦したいから力を貸してくれよお!」
台所仕事をしているシボッツが料理の手を止めた。長い髪は今は一つにゆわれ清潔にまとめられている。使いこまれた大きなナベからは、豆と肉のトマト煮こみの食欲をそそる香りが立ち上っていた。
「あー……わるいが俺に何をしてほしいのかわからない。いろんな情報がすっぽぬけている。いっしょに整理していこうか」
シボッツは忍耐強く話を聞きだし、マカディオスにこんがらがった言葉をときほぐして順序よくならべることを教えた。こうして時間はかかったもののマカディオスがつたえたかった内容は理解してもらえた。
「ふむ。魔法の基礎を教えてほしいと。こういうのか」
シボッツはこともなげに実演してみせてくれた。ちょちょいと指先を動かす。それと連動してホーロー製の塩の保存容器がふわりと浮き上がる。
「そう! それをオレもやってみたい!」
マカディオスはそばにあったコショウの容器を手にすると、一切のためらいなく天井めがけて爆速で放り投げた。
台所の窓はかつてない勢いで開け放たれ、洗面所のまわりはビショビショになった。涙とセキとクシャミのオンパレードが多少おさまったところで二人はおそるおそる台所に近づいていく。中をそーっとのぞきこむ。
大惨事だ。洗いおえた食器。たたまれた布巾。飲みかけのお茶。どれ一つとして、コショウの粉の魔の手からまぬがれたものはない。
「あぁ……。お徳用サイズをつめたのがアダとなったか……」
「ごめん」
「考えようによってはいい機会だ。失敗から立ち直るのは、成功に負けないぐらい大事な経験だといえる。この惨状をなんとかしよう」
「よしきた!」
ひととおり掃除道具の使い方や布巾と雑巾の使い分けなどをレクチャーしたところで、マカディオスは掃除をつづけ、シボッツはコショウがかかった料理の状況をたしかめることにした。
ナベの中身を味見したシボッツはなんともいえない虚無の表情になる。このままではとてもじゃないが食べられない。
マカディオスは台ふきとモップをかまえ、一面に飛びちったコショウの粉の片づけに追われていた。
「簡単そうに見えて魔法ってのは意外と思ったようにいかねえもんだな」
「人にはむき不むきがある。それでも練習すればだんだん上手くなっていくだろう」
シボッツはむずかしい顔をしてナベと対峙している。注意深く少量の水や調味料をくわえては味見をくり返す。
「そうだマカディオス。俺の部屋に、円筒形の小さな柱みたいな道具がある。それを台所まで持ってきてほしい」
「時間をまき戻すとかできる、すげえ魔法の道具?」
「空気中の小さなゴミをすいとってくれる道具だ」
風が強くてたくさんチリがまう日なんかには、シボッツはそういう道具がないとセキがとまらなくてまともに眠れないらしい。
たのまれたものはすぐに見つかった。シボッツの部屋で、小さなベッドの足側の床におかれていたそれをマカディオスはひょいと持ち上げる。
「持ってきた!」
「ありがとう。じゃあ魔力を送って起動させてくれ」
うまくできるか、ちょっと心配になったマカディオス。それに気づいたシボッツが声をかける。
「大丈夫。そういう道具はだれにでも操作しやすいように作られているから、コショウ入れを浮かすよりもずっと簡単だ。一番最初の練習にはうってつけだろう」
「そういうもんか」
せっかくなのでマカディオスはかっこうつけながらナゾの柱を指さしてみた。動かない。
力こぶを作り充分気合をこめてからビシィッと指をつきつける。うんともすんともいわない。
「むずかしければ動くように念じて指で直接ふれてみろ。それで動く」
マカディオスはシボッツの言葉にしたがった。
「どうにもならねえぞ」
「……? おかしいな」
シボッツはそこそこ食べられる味になってきたトマト煮との格闘をやめ、いぶかしげに道具を確認する。小鬼の薄荷色の細い人さし指がそっとふれただけで柱の表面に光の線が走る。低いうなりを立てて部屋の空気をすいこみはじめた。
「へー、こうなんのか」
シボッツは道具の方なんて見ていなかった。うつむいてだまって考えこんでいる。その眉間にじょじょに深い深いシワがよっていったことに、マカディオスは気づかなかった。
「少ししらべさせてくれ」
てっきり道具の調子を見るのだろうと思っていたのに。マカディオスはシボッツに手をとられる。指先も手の平も入念に観察された。
マカディオスはくすぐったくて笑ってしまったのに、シボッツときたら心配そうなけわしい顔のままだった。
次に台所のイスにすわるようにうながされ目の奥をじっとのぞきこまれる。ひとしきりマカディオスの体をしらべおえた後もシボッツは浮かない顔をしていた。
意味がわからなかった。
これではまるで、道具ではなくマカディオスの方がおかしいみたいだ。
「オレってなんかマズいの?」
「いや」
シボッツがいいよどむ。
「本当ならこんな不自然な力は使えない方がずっといい。ただ、魔法がありふれた世界で魔力を持たないものがくらしていくのは……不便な思いをすることが多いだろうな」
その表情から、言葉の一つ一つをものすごく慎重にえらんでいるのがつたわってきた。自分が不用意に口にした言葉が、マカディオスに一生の傷をつけるとでも思っているかのようだった。
「マカディオス……。なにも心配することはないからな」
悲しみといたわりを声にのせてシボッツがつぶやく。元気づけるように体をおだやかにトントンされる。落ち着かせようとしてくれている。べつにマカディオスはとり乱してもいないのに。
どうやらこんな風になぐさめられるほどの不幸が自分におきているらしい。そう理解したマカディオスはなんだか心と筋肉がションボリしてしまった。何も見なくてすむようにしずかに目を閉ざす。そうしてしばらくの間、薄荷色の細い指が僧帽筋をやさしく叩くリズムだけを感じていた。
コショウ事件から数日。あれからウィッテンペンにもくわしく見てもらったが、やはりマカディオスに魔法の素質はなし。
ウィッテンペンの反応はシボッツとは全然ちがっていた。深刻な表情のシボッツから話を聞いた後、彼女は能天気に笑った。
「へー、マカくんそうなんだねー。ま、なんとかなるでしょ。りっぱな筋肉もあることだし」
それはデリカシーがない発言なのでは、マカディオスがショックを受けるのでは、とシボッツはうろたえていた。
マカディオスにしてみれば、むしろウィッテンペンみたいに軽く笑い飛ばしてくれる方がずっと気が楽なのに。
「しーちゃ……シボッツってば過保護だねー」
ウィッテンペンはケタケタ笑っていた。マカディオスも楽しくなってきて、いっしょになってガハハと笑う。
シボッツが不服そうにぷいっと顔をそむけると、魔女の笑いはいっそうご機嫌なものになった。
たしかにシボッツのいったこともあながちウソではなかった。不便なことはいろいろある。居心地のよい家の中でもマカディオスの指先では魔力式ランプの灯り一つつけることができない。
ただ、水道の蛇口やトイレの水洗レバーが魔法を使わないしくみなのは大きな救いだったと思っている。
気晴らしに森を散歩しながらマカディオスはシボッツが口にした言葉の意味を考えていた。
――本当ならこんな不自然な力は使えない方がずっといい。
「そんなわけあるかい」
とてもそんな風には思えない。
と、またあの三人組の声が聞こえてきた。あのサンザシの木の下が彼女たちのお決まりの遊び場のようだ。きびきびしたかけ声とともにリズミカルに手足を動かしている。
あの動き。
まちがいない。
筋トレだ。
「バランス感覚よ。体幹のバランスこそが肝心だわ」
「よいダンスのためには足指と足裏もきたえるのよ」
「ずっと踊りつづけられる基礎体力もつけなくちゃ」
なんと妖精たちが己が肉体をきたえているではないか! 魔法も使わず堅実に。華やかな舞踏のための練習はひらすらに地道で、泥臭く汗臭い努力あるのみ。マカディオスの大胸筋に情熱がほとばしる。
「おもしろそうなことやってんな」
腰に両手を当て雄大な蒼穹を思わせる広背筋を見せつける。
「オレも」
腕をくんで横むきの姿勢。太くぶ厚い上腕二頭筋と大腿四頭筋はさながら千年以上の時をへた巨木である。
「ごいっしょ」
両腕を頭の後ろへ。渓谷のように隆起した腹直筋と腹斜筋がおりなす肉体の絶景がそこにある。
「させてもらうぜ」
華麗なポージングを決めながらにじりよってきた巨漢。
見上げる妖精たちの額にだらりと脂汗がにじむ。
最初に口を開いたのは小枝使いの妖精だった。
「な、なんて安定した体幹なの」
「足さばきにも隙がないわ!」
「持久力はどれだけかしら」
妖精たちは視線をかわしながらうなづきあっている。
「いいでしょう。その筋肉を見こんでトレーニングの仲間に入れてあげる」
幻想的な森の中、己の肉体を追いこむ四人の声がストイックにひびきわたるのだった。