39・目蓋を閉ざせ
「こんなことをお願いして良いのかわかりませんが……。僕が街から離れるのを助けてくれますか」
人目につかずに移動するのはセティノアの得意技だ。ヨトゥクルを連れていくのは簡単だ。
ウラの世界になら、理想の音楽家へといたらなかったこの魔物を受け入れる場所はたくさんある。
「よっしゃ! 荷造りとか片づけとか、旅立ち前の準備があんなら手伝うぜ」
ヨトゥクルはのっそりと立ち上がり、棚の引き出しから小箱を取り出した。白い紙製の箱の角はすり切れている。だいぶ前から用意してあったものなのだろう。
「……広場にあるオブジェにむすんでほしいんです」
箱の中身はマカディオスに手わたされた。ガラス磁器の青いビーズ。深い湖の底で眠っていた濃藍が一滴、マカディオスの掌で物憂げなため息をついているようだ。
音楽家という役割を目指したヨトゥクルの努力、葛藤、歓喜、苦難の象徴。それらすべてを諦念のオブジェにくくりつけて、心に区切りをつける。ヨトゥクルはそう望んだ。
「わかった。任せときな」
オモテの人間にとって役割を果たすのは人生における使命。どうしてそうなっているのかわからない不明瞭なルールをみんな死ぬ気で守っている。そのあいまいなルールから外れることはオモテにおいて明確な悪とされる。
目指す役割の難易度から挫折者も織りこみ済みの760aでは、努力しても夢に届かなかった者には特に処罰はされない。罰はなくとも敗北感からはまぬがれない。
「……よろしくお願いします」
マカディオスとダイナで広場へ通じる道を行く。セティノアは鳥笛の中だ。
そしてすぐに気づいた。いつもと街の雰囲気が違う。
明るい石造りの家の玄関に不穏な人だかり。
路上にひびく抗議の声。
お父さんを返してと泣く、まだ舌足らずな幼児の叫び。
正答の教導者があちらこちらで聞き取りをしている。というか、うたがわしい者をかたっぱしから連れていってくる。名目上は、くわしく話を聞くため、という理由で。
目立たないよう路地裏へと引っこむ。せまい道のわきには大小様々な植木鉢が置かれ、街の不穏な空気など素知らぬ顔でキレイな花々が咲きほこっていた。マカディオスはブキリのジョウロを蹴飛ばしてしまわないようにさけた。八重咲きのインパチェンスのよせ植えの横には空っぽの麻袋がつまれている。
路地裏から教導者たちをざっと眺める。マカディオスが知る顔はいない。ジュリやエマの姿はなかった。どこか別の場所でほかの仕事をしているのだろう。
「これは旅芸人の作り話でごり押しできそうにないね。マカディオス、君はセティノアみたいに上手く隠れられないの?」
「オレの体よりもデカい隠れ場所がねえとムリ!」
薄暗い路地に放置されたへこんだゴミ缶や朽ちかけた木箱は、マカディオスが隠れるには小さすぎた。
「見つかっても捕まらなけりゃいいんだろ? 遠くまで全力で走ればこんなの簡単に突破できるぜ。ダイナもオレがかついでやるよ」
ほかにもセティノアの転移陣で助けてもらう手もあると説明しようと自分のポケットに手を伸ばしかけ……。
正答の教導者と対面しているメロが視界に入った。
「どしたの? あの子、君の知り合い?」
「いや」
メロと教導者から視線をそらさず短く答える。
「友だちだ」
{その節はお世話になりました}
不慣れな感じのこわばった敬語でメロが教導者にお礼をしている。
「お久しぶりです。人工声帯は問題なく機能しているようですね。とはいえ肉声を失って、さぞおつらいでしょう」
背の高い男性教導者の顔には白々しい作り笑いが浮かんでいた。
「そのうえ、双子のお姉さまだけが脚光を浴びることになって……。街の異変についてお話をお聞きしたいので同行願えますか?」
{あの、いえ、でも……。新しい声をつけてもらった時に、テストしましたよね? 私に魔物化の兆候がないって}
「べつにあなたが張本人だというわけではありません。760aの色んな方からお話を聞いているだけです。……連帯責任でしょう? それに、姉さまもお待ちですよ」
教導者がメロの腕をつかんだ。
そこにほとんど突進する勢いでダイナがやってくる。教導者の腕にしがみついた。
「お願い、助けてっ。あっちの路地にこわい人が!」
暗い路地裏を指さし、おびえた顔と息遣いで教導者に助けを求める。
「気味の悪い痩せた小柄なおじいさんですっ、いきなり物陰から手をつかんできて! すぐにふり払えるくらいの力だったんですけど。その人、なんだか気味の悪いことをずっとブツブツ言ってました……」
教導者にウソの説明をする横で、ごく自然にダイナはメロに視線を投げかけた。目があっていたのはほんの一瞬。初対面の二人は、その一瞬で正確な意思疎通を果たす。
ダイナはさりげなくメロの方へとよりそった。
「私たちは人目のある場所で待ってますね。お気をつけて」
ダイナは教導者に命令などしない。そんなことをすれば無用な反感を買うだけだ。あくまで従順で協力的な住人としてふるまう。その演技をしたまま、教導者が一人で路地裏を確認する前提で話を進める。
路地裏を進む教導者は物陰の老人を探していた。湿った石畳に置かれたへこんだゴミ缶や朽ちかけた木箱の陰に用心深く目をむける。だから、建物の屋根からほとんど音を立てずにおりたったマッチョに抵抗する間もなく自由をうばわれる。
マカディオスの行動はほぼ一瞬で完了した。
姿を見せる気はない。背後から麻袋をかぶせて視界をおおう。
反撃されては厄介だ。教導者の両手をまとめてとらえる。片手だけで充分だった。
逃げられないようにその手を持ち上げて壁際へと追いやる。
教導者の口をふさぐ。ぶ厚い大胸筋で。
「ワリいな」
ウィンクしながら小声で謝る。
「フンッ!!」
マカディオスが大胸筋に力をこめると、教導者の体がだらりと脱力した。軽い気絶だ。
相手をなるべく傷つけずに無力化したい時、クールな武術家は首をトンッと手刀で打つ。武骨な戦士なら腹部に重いパンチを放つ。筋肉のない者は怪しい薬を嗅がせて眠らせる。マカディオスは大胸筋でギュムッとはさむ。
強靭な大胸筋に顔面をおさえこまれ、さらに筋収縮による圧迫が加えられた場合、それは健康な成人男性を一時的に昏倒させるだけの充分な威力を持つことは常識であろう。
マカディオスは倒れた教導者をそっと横たわらせて、だれも見ていやしないのに自慢の筋肉をアピールした。
おそらくこの教導者は筋肉質な悪夢にうなされるはめになるだろう。
満足すると、ほかの教導者の目をかいくぐりモニクの店を目指す。ダイナとはそこで合流する手はずだ。
喫茶店のドアには閉店を知らせる札がかかっていた。マカディオスはそちらには近よらず、店の裏口にまわった。店の小窓におろされたカーテンの端がわずかにゆれる。カギが開く音。ホッとした顔のダイナが出迎えてくれた。
すらりと長いダイナの指で、きゅっと手をにぎられる。神々しい音色をかなでるパイプオルガンから悪魔謹製の逸話を持つバンドネオンまでたくみに楽器を弾く彼女の手は、華奢に見えて意外と力強い。
「無事で良かった、マカディオス。君の友だちもあっちで休んでるよ」
そう言ってダイナの手はパッと離れていく。メロのようすを見にむかう。
マカディオスは無意識に自分の手を軽くにぎりしめていた。
カーテンを閉め切った店内。テーブルでうつむくメロの前では、冷たいミックスジュースがグラスに水滴を作っていた。コルク製のコースターにも水たまり。
{……悪いのは魔物でしょ? 正答の教導者はなんて街のみんなまで困らせるわけ?}
泣いても笑っても声色が変化しない機械のノドからもれたつぶやきは、どこか滑稽で痛々しい。
「今から特定の団体とは無関係なグチをこぼしますね。アイツらはほんの少しでも落ち度を見せれば嬉々として噛みついてくるんですよ」
こだわりのコーヒーを飲みながらモニクがさらりと毒を吐く。
「正しい答えを知っているという自惚れ。人々を教え導くのだという傲慢。間違った、失敗した、悪だと見なした相手にはアイツらはとことん残酷になれるんです」
オレもココアがほしい! とモニクに頼もうと思っていたのにそんな雰囲気ではない。マカディオスは黙りこんでしまう。ヨトゥクルやほかのすべての魔物たちは選択を間違ったのだろうか、失敗したのか、悪なのか、と。
隠しポケットに大事にしまってある、ヨトゥクルからあずかった青いビーズの手触りを確かめた。
しょんぼり顔で突っ立っていると、モニクにテーブル席をすすめられる。
「いやはや、大変なことになりましたね。これではとてもとてもジャンボパフェどころでは……。そうだ、パフェの代わりに生クリームを乗せたコーヒーなんていかがです?」
「ううん! ココアでお願いします!」
マカディオスは満面の笑顔で明るく礼儀正しく断った。
「マスター。可愛い従業員にもレスカをめぐんでほしーでーす」
ダイナの追い打ちにモニクはため息をつく。
「……当店のオススメはこだわりぬいたコーヒーなんですけどね」
ぼやきながらも、子ども舌のお客たちの要望にちゃんと応えてくれる。
ヨトゥクルは外から聞こえてくる口論の声に耳をかたむけていた。名前は知らないが顔と声はなんとなく覚えている近所の住人と、正答の教導者の押し問答。760aの異変を聞きつけて魔物狩りにやってきたのだろう。
魔物になった者はちっぽけな容器に封じられ、その命が尽きるまで動力源として酷使されると聞いている。
ウラ側へと逃げるチャンスはあったのに。自分のつまらない感傷のせいで出発を遅らせた結果、このありさまだ。魔物ならだれでもオモテとウラを行き来できるものなのだろうか。部屋の中であれこれ試してみたものの、イメージさえ上手くつかめない。そもそも魔法が暴走している。そんな自分に、自分自身を助ける力などあるものか。
どうせムダ。
今まで取り組んできた多くのことがそうであったように。
ヴァイオリンケースは長らく開けていない。
練習も先生も大嫌いでよく泣いていた子供時代だった。思い出がよみがえってくる。
弓の持ち方を矯正するため腕を縄で縛られたこと。
体勢維持の練習では手やヴァイオリンの上にコインを乗せられる。落とした回数はカウントされ、両親は誕生日プレゼントを買い与えない理由に使った。
感情の起伏が激しい指導者の顔色をうかがうのにも疲れていた。先生は、一見上品そうな色白でふくよかな中年男性だ。張りついた笑顔のまま陰険な皮肉を吹きつけ、一切の抑制をかけない感情のまま大声で罵倒する。三歳の子ども相手に。
小さい生徒たちからはとても恐れられていたが、十代のお兄さんお姉さんたちからは陰で笑われていた先生だった。不名誉なあだ名をつけられ、みんなが笑う冗談のネタ。
どれだけ歯を喰いしばって努力しても一番に届かない。両親の落胆。比較。叱責。自分は一度だって彼らを心から喜ばせたことがなかった。
魔物になり果て、眠りを介して他者に乗りうつる。自分以外の優れただれかに。
体をうばっている間はその才能を完全に我がものにできる。ヨトゥクルがそれまで触ったことのない楽器だろうと、特殊な発生方法を用いる歌でも。
それらを身に着けるまで、体の持ち主がどれだけの練習をつんだのかといつも思いをはせていた。頑張って築いてきた立場を自分のミスで壊さないよう最大限の注意を払った。緊張感で精神が削り取られる。こんなことは望んでいない。早く魔法の暴走を止めたい。
けれども、こうも思うのだ。
制御不能におちいったこの魔法の力は、やはり自分の願いから生じたものではないのかと。
ずっとずっと願っていたのだ。幼い時からずっと。
こんな自分ではダメだ。テストの結果が。友だちとの階級が。先生の態度が。両親のため息が。まわりのすべてがヨトゥクルを指さしてそう告げている。
自分なんかじゃなくて、発表会で万雷の拍手をもらったあの子が我が子だったら母さんも父さんも、あんなに毎日イライラしなくてすんだだろうに。
仲良しだったはずの男の子から泣きべそでタンポポの花束と絶交状を差し出された。ごめんね、とその子は何度も謝ってくれた。グズな子とは遊んじゃダメ、できる子たちと友だちになりなさい、とお母さんから言われたそうだ。しかたがないと思った。その子がうらやましかった。
こんなにも期待外れな自分と、手紙一つで縁が切れるのだから。
ヨトゥクルにはそれができないのに。いくら自分と絶交したくても。絶対にできないのに。
自分という器を抜け出したい。
優秀で輝いて見える人たちがねたましい。
そんな気持ちが熟成されてヨトゥクルの魔法になった。
ドアがノックされた。
ヨトゥクルは無気力な視線をドアにむける。
自分だけの世界と自分の居場所のない世界とをへだてる、薄っぺらい板に。
だれにも吐き出さないで自分の中に抱えていた気持ちはほかにもあることを思い出す。
ベッドに入るたびに考える。明日、目が覚めなければ良いのに、と――。
マカディオスの耳が奇妙な音をとらえた。
地の底から伝わってくるようでもあり、空の上からふり注いでくるようにも聞こえる。キレイだが単調。ワクワクするところが一つもない。あくびをさそうような面白みのない音楽だ。マカディオスは不思議だな、と思っただけで済んだ。
ダイナやモニクもケロッとしている。
{すみません。コーヒーをください……}
「喜んで」
モニクはご機嫌だが、メロの声は消え入りそうなくらいか細かった。もともとうつむきがちに座っていたが、今はなんだかちょっと頭が不安定にゆれている。
「どうした?」
{……なんかすんごく眠い……。急にきた}
だから眠気覚ましにコーヒーを頼んだ。
カーテンの隙間から外を観察していたダイナが、店内の仲間たちにふり返る。
「外で人がどんどん倒れてってる。平気っぽい人もいるんだけど……」
あくび涙目。横になれる場所を探して道端にうずくまり。眠気にあらがえずに目を閉じる。
絶対に何かがおかしい。
なんらかの条件に引っかかった者が深い眠りに落ちているようだ。
「メロ! 寝るなよ、耐えろ!」
眠気を吹っ飛ばしてやろうと、マカディオスはメロの肩に手を置いて励ました。ツインテールの頭がブンブンゆれる。それだけやっても、メロの目蓋は今にもくっつきそうだ。
「正答の教導者にとっつかまったお姉さんはどうすんだよ!」
{んぁ……}
まだちょっと眠そうにしているが、メロの意識が夢から現実に戻りつつある。背筋を伸ばしてイスに腰かけ、モニクが入れたコーヒーを飲めるくらいにはちゃんと行動できるようになった。
その間も奇妙な音楽は鳴りやまない。
笛にひそんでいるセティノアにもこの音楽は聞こえているのだろうか。無事か確かめたいけれどモニクやメロのいる前ではできない。
「音の出所を探ってくる」
外に出たマカディオスにダイナが続く。
「街の一大事だしね。私もお供するよ」




