35・壁と天井
外ではヒールの高い靴でバッチリ決めているダイナだが、家の中では楽な靴に履きかえている。
パスタに市販のペーストをあえた手料理とマカディオス用に肉を追加した夕食をとった後、ウラとオモテの情報交換。セティノアがいるので、だれかがウソをつけばすぐにわかる。
ダイナはいつも正直に話していた。どこで買い物をしてどんな生活をしているか。本物の肉や果物は高くてなかなか手が出ないので、自炊用に買うのはもっぱら3D出力された調整肉や栄養と香料を添加したクラゲだとか。左隣には植物が好きなおじいさんが一人暮らしをしていたが半年ほど前に自室で寿命が尽きてしまい大騒動になったとか。右隣の青年はゴミ出しのルールをきちんと守り、ひかえめにあいさつを返す人だったが、ここ数ヶ月ほどようすが変わったとか。何かに追いつめられているような暗い顔をして、話し声がうるさいと壁を叩くようになった。
セティノアもお返しに妖精市場の話をする。ウソをつかずに肝心な部分をはぐらかしている。色んな魔物があつまって市場を開いている、くらいにざっくりとした話しか伝えず、そこで売られている魔法の道具や文化の多様さについては少しも触れない。
魔女の屋敷の家具や建築の豪華さは熱弁するが、そこに住むウィッテンペンの存在についてはまったく言及しない。
セティノアはダイナを完全には信用していないらしい。心配性で慎重に立ち回ろうとする。そういうところがシボッツに近いと思う。まったく同じではないけれど。
マカディオスはそんな二人がぜったいに選ばないであろう行動をとる。
「みんなでジャンボパフェが食べたい!」
マカディオスの声が安普請にひびきわたる。
セティノアがあわてて指をしーっと立てた。壁をドンと叩かれたのをずっと気にしている。
「かせいだお金でモニクの店で予約ってのをしてきたんだぜ」
「セティが魔物だってこと忘れちゃーいませんか? ……二人で行ってくればいーでぃしょう……」
少し不満そうなセティノアをダイナはほほ笑みながら観察している。
「セティノアの耳はちょっととがってるね。髪飾りで隠すのは? ほら、フリフリのついた大きなボンネットとかで」
「……見た目だけ取りつくろったところで、セティにはウソつきにカエルのグミを吐かせる呪いだってあるんでぃすよ」
マカディオスは腕組みをして考えた。セティノアともいっしょにパフェが食べたい。というか、あの日ものすごい悪意によって無残にくだかれた家族の幸せの象徴をセティノアにも食べてほしいのだ。
「視界に入んなきゃあ呪いは発動しねえんだろ? だったら……ずっと目を閉じてる! それか目隠しして連れていく! いかついいサングラスをかける!」
こりゃあダメだ、とばかりにセティノアとダイナがそろって苦笑した。
「どうします? 視線をさえぎるヴェールをたらしておこうかとも思いましたが、食べる時につけっぱなしなのは不自然でぃすよね」
「少し発想を変えてみる? マカディオスの旅芸人って設定を活かして、セティノアは人形のフリが得意な芸人ってことにするの。移動中はマカディオスが抱えてて目も閉じてる。喫茶店の中ではパフェにしか目をくれない。食べ終えたら即人形のフリ。フフ……完璧な作戦でしょう?」
「それじゃセティがすんごい不思議ちゃんになるじゃねーでぃすか」
なんてあきれ気味に反論しながらもセティノアは楽しそうだ。
東地区の空き地にあつまって音をならすのがマカディオスの新しい日常になりつつあった。
廃材や古い楽器を探してきて色んな打楽器を試したが、納得のいく脱力がつかめない。
「おしい。マカディオス、リズム感はすごくいいのに」
「普通に力を抜くだけならできんだよ」
そう言いながら、完全に気のぬけたクマのようにだらける。
「でも楽器を叩く時って手を動かしてるじゃねえか。体を動かすには力を入れるだろ? そもそも矛盾してんだっての! 難しい!」
「俺が手を取って教えれば……コツを伝えやすいけど」
マカディオスの手は重く大きい。その手をイズムが片手だけで動かすのはムリだ。両手を使えば動かせるが、演奏時の自然な動きとはかけ離れてしまう。
二人の練習風景をじーっと見ていたメロがゆっくりとマカディオスの背後に近づいてきた。
{ふーん。アンタも体に機械が入ってるんだ。骨とか関節が痛むの?}
「え? ……まあそんなところだな!」
てきとうにごまかしておく。
{あっそ。あんまし負担かけないようにね。キツイこととか、できないことがあったら言いなよ。体が大きくて強そうだからって他の人を頼っちゃいけないってことはないんだから}
淡々とした声だが、そこにこめられた優しさは伝わってきた。その身に機械を組みこんだ者への共感からくる気遣いなのだろうか。
{……ケガするのは一瞬の出来事なのに大変さはずっと続くのって、しんどいよね}
メロの声をうばったのは雨でぬれた階段だ。傘と荷物を手にして階段を登る途中、つるりと足をすべらせた。ふさがった両手のせいでまともに受け身もとれずに首を打ちつけてしまった。その結果が、咽頭が傷ついて歌うどころか声も出せない状態。
正答の教導者は人間の体の機能をおぎなう便利な発明もしている。眼鏡。義手や義足。入歯。代用皮膚。外部臓器。あえて脳を寄生虫に感染させて、最低限の生命維持活動をさせる技術も開発中だ。
{まだ事故のこと吹っ切れてはないけど、声が変わってもまたこうしてしゃべれて歌えるのはありがたいなって。正答の教導者のおかげだよ}
「……」
メロと違って、マカディオスの背中にある機械は傷ついた体をサポートするためのものではない。それはウソだ。支配の名残りでしかない。忌々しく苦々しい記憶と結びついている。
正答の教導者の関係者全員と問答無用で敵対しようとは思わないが、あまり手放しで称賛したい組織でもない。態度にボロが出てしまう前に話題を変えてみる。
「ケガの話じゃねえけど……夢遊病ってなんなんだろうな。この街じゃ最近、夢遊病みたいになる人が増えてるんだって?」
メロの顔がとたんに険しくなる。
「ああ、それ。俺の知りあいもなった」
「マジ!? 気になる! その人に話を聞いてみてえんだが、どうだ?」
「マカディオスは、夢遊病事件に興味あるのか? 話聞くのは大丈夫……だと思う。手土産とか持っていくといい。ほかに何か事件のことわかったら、マカディオスに教えてやる。俺、あんましドラム以外に興味ないけど、俺の友だちは情報通多い」
{くだらない。寝ぼけただけでしょ? みんな疲れてストレスでもたまってるんじゃない?}
メロの剣幕にイズムは少しひるんだが、夢遊病事件の被害者ディゴロとマカディオスが話をできるよう取りついでくれるとうけおった。
「なんかあった時……連絡できるよう俺の家教えとく。ここからあそこの道を進んで、庭先に小さい紫の花がわんさか生えてる小さい家。じいちゃんとばあちゃんと、姉ちゃんと弟二人と妹と住んでる。たいてい家にだれかいるから」
「オレは友だちの家に泊ってるんだ。箱みたいな変わった楽器を弾ける人で、ダイナっていう……」
イズムもメロもその名前にピクリと反応した。
やはり何かありそうだ。思いきって聞いてみる。
「ダイナって何かしたのか?」
「ううん……その人、べつに悪いことしたわけじゃない……。ただ……ちょっと、びみょうな立場で」
{この街のだれもがうらやむ才能を持ちながら、それをドブにすてた女}
憮然とした顔でメロがいう。
ダイナが産まれたのはこの街のだれもが知る名家。760aの稼働目的である優れた音楽家を何名も輩出している家系である。
「あの……こういう話、俺らが勝手に話していい話? やめとこ?」
{勝手に話すも何も街のみんながしってることでしょ。っていうか、マカディオス。友だちなのに本人から何も聞かされてないわけ? この街に友だちを滞在させてるのに自分がどういう立場か何も伝えていないのは、あの人の落ち度だと思うけど}
メロはダイナにずいぶんと手厳しい。
事故で肉声を失ったメロは、みすみす才能を放棄したダイナに思うところがあるのかもしれない。
「メロの言いたいこともちょっとはわかる……けど、ダイナが言えなかった気持ちもわかる。……それよりも俺、べつのことが気になる」
イズムはマカディオスに視線をむけた。
「……なんで……。大人のお姉さんといっしょに寝泊りって……。それで友だちって……。ふざけてんのか……」
「イズムの家にだってお姉さんがいんだろ?」
「それとこれとは違うッ!!!」
「うわっ! なんで怒るんだよ!?」
普段はモソモソとたどたどしくしゃべるイズムが、この時ばかりは流暢にキレた。圧倒的な体格差にも怖気づくことなくマカディオスに絡んでいくイズムをメロが冷ややかにいさめる。
それからしばらくして、東地区の若者たちのたまり場に使われているほったて小屋でイズムと落ちあう。壁にうっすらとヒビの入ったあばら屋に、すてられたソファやテーブルをかつぎこんだ憩いの場だ。
陰のある端正な顔立ちに長い髪。筋肉の厚みが感じられないペラッペラなその体。楽器を抱えたり長時間立って歌えるのが不思議に思うほどに、ディゴロは不健康な美をそなえた男だった。
事前にイズムからディゴロの好きなものは教わっている。マカディオスは話を聞かせてもらうお礼として缶入りのシュワシュワ飲料のセットを手わたす。カフェインと炭酸と糖質たっぷり。たまに飲むくらいなら良いけれど、しょっちゅう飲むのはどうなのだろう。少し心配になってしまう。
ディゴロが口を開く。お秀麗なおフェイスからダウナー系イケメンボイスが放たれる。
「寝ている間、妙な夢を見てたんだ。金縛りみたいな」
ファンといっしょにいたはずが、気づけば見知らぬ部屋にいて体はまったく動かせない。そんな夢を見た記憶が鮮明にあるのだという。
天井のクロスが木目柄で、最初は床と見間違えて天地の感覚がわからなくなり軽く混乱した。壁紙はあわく落ち着いた青灰色。寝具やカーテンの色は位置的に見えづらく印象に残っていない。
そこは過去に泊ったどの部屋でもなかったとディゴロが断言する。
その後、目を覚ますとまた知らない場所にいた。街のベンチで頭を抱える姿勢で固まっていたようだ。だが今度は夢ではなく現実。ディゴロはひどく混乱するはめになった。ファンの女性の家へと戻り、お互いの話を統合し、きっとディゴロは変な寝ぼけ方をしたのだとその日は結論付けた。
同様の奇妙な体験をする者が日に日に増えてから、あれは個人的な夢遊病ではないと確信する。自分の身に起きた奇妙な体験は、ただの夢ではないのかもしれない。
「そういえば外から酔っ払いか何かの声が聞こえたな。どうでもいいことだけど印象に残ってる。それがソイツ、酔ってるのにムダに歌が上手いんだよ」
ディゴロとの話を終えイズムともわかれ、マカディオスは考えを整理しながら散歩する。
視界の端をネコがかけぬける。
すぐにせまい路地の奥に消えてしまったそのネコが、シボッツの飼いネコなのかほかのネコなのかとっさに見分けがつかなかったが、追いかけようと足を速める。
「おっと、ごめんよ!」
「ひっ……」
曲がり角で危うくぶつかりそうになった人が小さく悲鳴を上げる。穏やかそうな風貌の中年男性だ。後ろから声が聞こえた。
「こわっ」
「何、揉め事?」
「違うっぽいよ」
「なんだー、すごい事件が起きるかと思ったよねー」
友だち同士でキャッキャと笑っている。そこまで深い悪意も思慮もない、たわいない談笑だ。
ぶつかりそうになった相手はすでに足早に立ち去っている。
マカディオスはただ黙ってその背中に軽く頭を下げた。
そうこうしている間にネコを見失ってしまった。
大事なものをつかみそこねてしまったようで、気分がズンとくもる。
街をおおう雲だってだんだんと色濃く厚みを増していき、吹く風からは雨の前触れの匂いがした。
小雨が霧のように広がって体をぬらす。マカディオスはダイナの家を目指していた。
ドアを開けてもらおうと呼び鈴をならすが、いくら待てどもドアは固く閉ざされたまま。合鍵などはもらってないのでダイナが入れてくれなければお手上げである。
喫茶店の仕事からはもう帰ってきているはずだ。店がいそがしくてまだ働いているのだろうか、仕事帰りに買い物か何かの用事を済ませているのだろうか。
雨だけれど仕方がない、どこかで時間をつぶそうとマカディオスがドアの前から立ち去ろうとしたその時だ。
部屋の中から物音がした。人の気配。ドアのすぐむこうから。覗き穴から視線を感じる。
こちらの存在を認識しているはずなのにドアを開けてくれない。
「ダイナ……?」
普段は元気なマカディオスだが、さっきの出来事がまだ心に引っかかっていた。
ウラ側からやってきた、奇妙で物騒な巨体の子どもを置いておくのがイヤになったのだろうか。
だから、シボッツとウィッテンペンも帰ってきてくれないのか。
思いつめた気持ちで立ち尽くしていたら、ふいにほかのドアが開いてダイナがひょっこりと顔を出した。
「どしたの、マカディオス。そこはお隣だよ。ほれ、こっちにおいで」
「えっ!? あっ、マジ!?」
マカディオスが呼び鈴をならしたのはそもそもべつの部屋。
迷惑をかけてしまった隣人に、ドア越しに声をかけてしどろもどろで謝っておく。きっと怖い思いもさせてしまったはずだ。
「あ、あの! お騒がせしました! オレ、部屋の番号を間違えちゃって。わー! ごめんなさい!」
間違えたのが恥ずかしくて、謝罪が済むとぴゅーっとダイナの部屋にかけこんだ。
部屋に入ると、部屋着姿のダイナがタオルを持って待ちかまえていた。
まるで水たまりに突っこんだやんちゃ坊主か大きな犬でもふくように、わしわしっとタオルに包まれる。
ふわふわのタオルは、ほんのかすかにシャボンとオレンジの香りがした。
「いやー、雨の中大変だったね」
「雨っても小雨だけどな」
「何か手がかりはあった?」
「……あったような、ないような」
ダイナの部屋をそろりと見回す。壁は青灰色で、天井は木目の柄だった。
「……まあ、地道に頑張るぜ」
「ううん。そんなに頑張らなくたっていいよ」
雨の音がする。雨脚が強まったようだ。




