29・人をかたる獣
マカディオスがユーゴに伝えた場所に、もちろん魔物の心臓は隠されていない。建物の突き当りに位置する部屋を教えただけだ。逃げ道が限られている方が対応しやすい、とセティノアがいっていた。
ユーゴがこじ開けたドアのむこう。時間の流れがそのまま蓄積したようなうっすらとしたホコリを見て、ユーゴは察した。この部屋には最近立ち入った者はいない。忘れ去られたような物置部屋だ。ここに心臓が隠されているとは思えない。
「……」
マカディオスは心臓を確保してはいないだろう。とユーゴは推測する。
根拠は二つ。ヤツの行動範囲に制限があり、墓地に行けるはずがないこと。もう一つはそのぬるい甘さだ。自分がヤツの立場で心臓を手に入れていたら、もっと別の手段をとる。おどして要求をのませるなり、それすらせずに苦痛と恐怖を与えて恨みを晴らすなり。それをしないということは、そういうことなのだ。ヤツは心臓を持っていない。
おそらく心臓はまだ墓地だ。それを体に取り戻せば、まだ逆転の目はある。
己の誤解にも気づけぬままユーゴはニヤリと笑った。
安っぽい金属の棚を引き倒す。箱に詰められていた書類が散乱。小さな生き物の飼育に使う、空っぽのカゴやケースが転がり落ちる。乱雑に部屋を荒らして自分の痕跡をあやふやにしていく。
ドアの前に即席のバリケードを作ってさも部屋に立てこもっていると思わせておきながら、奥の窓からさっさと逃げることにした。
ユーゴは背をかがめてこっそり外のようすをうかがう。監視や追手の姿はない。いてもいなくてもどうでもいいような人間が一人、飲みものか何かを手にしてベンチに座っている。うっすらと顔に見覚えがあるような気がするが名前はしらない。服装からして食堂かどこかに従事している労働者だろう。しみったれた風貌の小柄な中年男性だ。
ユーゴは躊躇せず四階から飛びおりた。人間離れした身軽さでベンチで休む男の背後に着地。
ひそかにクツにしこんでおいた装具を起動。中身の魔物の命を燃やしていく。この魔封器の中に閉じこめてある魔物は、イヤなことからすぐに逃げ出す若者だった。ほこり高いオモテの人間としてかせられた役目も義務も投げ出して、ありもしない自由を夢見て周りに迷惑をかけ続けた。魔物化した彼は機動力関係の適正をしめしたので、こうしてユーゴが道具として活用してやっている。
人間に擬態するために心臓を抜いた体は、身体機能が大幅に落ちている。だが教導者の技術部員という立場は実に便利だ。魔封器に閉じこめたほかの魔物の命を消費して、低下した能力をおぎなうことができるのだから。
魔物の正体を隠しながら正答の教導者に所属し、他の魔物をさげすみ葬り利用する。ユーゴはそんな自分の行動に疑問を持たない。それどころか至極正当なものだと思っていた。自分は大いなる努力と苦労をしているのだからその権利があるのだ、と。
ベンチの男は状況がわからないままおどろいて飲みものをこぼす。香ばしく甘ったるい匂い。疲れた体にしみわたるミルクと砂糖がたっぷりのコーヒーと、もう片方の手には完全栄養食パーフェクト餡と書かれた包み紙。
人々を導く教導者に支給されている小型ムチをひゅっと伸ばして展開する。すばやく電撃を放って昏倒させた。
こんな短絡的なやり方はユーゴの好みではないが緊急時なので仕方がない。本当なら自分から攻撃などしたくない。家族同士で傷つけあうのを観察するのが好きだ。
この前の木こりの家でもじっくり楽しんだ。ジワジワ苦しむか一息に終わらせるかを選ばせて、最初に一家の父親が子どもたちをあの世に送った。その父親も母親の手で息絶えた。そうして残った一人をケモノの牙でむさぼり喰う。
こうして定期的に自分の心臓をあやしてやらねばならない。人狼の生活は大変だ。人にむいていないのに人として産まれてしまったユーゴは人の皮をかぶって人の世になじんでいる。それを維持するのは並大抵のことではない。
あの後、いつもの墓石に心臓を戻したのを覚えている。
なぜマカディオスが隠し場所をしっていたのかはわからないが、今は考えるより安全に逃げおおせるのが先だ。ユーゴは倒れた男へと視線を落とす。
コイツは魔物ではないが、教導者の施設で働いている者なんていつ魔物になってもおかしくはない。監視の意味もかねてわざわざ雇用してやっているのだ。努力している自分が利用して何が悪い。
もっと非力で軽量で命のスコアが高い肉の盾がほしかったが、この際贅沢はいってられない。意識のない中年男性を無造作に背中にかつぐとユーゴは研究所を抜け出し墓地へとむかう。
鈍い頭痛と痺れの中でジョージが目を覚ます。
ゆれる視界。すぎゆく地面。
後ろむきに抱えられているのだと理解するまで時間を要した。
状況を把握したところで混乱はおさまらない。
自分をかついでいる者はだれか。
木々に囲まれたここはどこか。
何が目的でこんなことになっているのか。
それから……猛スピードでせまりくるあの影はいったいなんなのか、とか。
イノシシではない。
クマでもなさそうだ。
ヘラジカとも違う。
デカい。アイツだ。マカディオスだ。
あの巨体と体重でポンポンと跳ねるように軽快に走っている。足がバネでできているみたいだ。上半身のブレがほとんどない。
野太い腕を動かして、何やらこちらに合図を送っている。
人さし指を立て口の前へ。しばらく黙っててくれよな、そんな感じのポーズだった。これからイタズラでもしかける子どもみたいな無邪気さで。ジョージは無心でその顔を見つめる。大きくなる前にうしなった最愛の息子の幻影がふっと重なった。
ターゲットを見つけた。ジョギング感覚の走りからマカディオスが加速する。
一息でユーゴを追いこし、くるりと回りこみ、正面から足をガッと引っかける。
ユーゴはすっ飛んだ。いけ好かない陰険メカ眼鏡青年と、ぶっきらぼうだけどおいしいご飯をくれるおじさんが華麗な空中浮遊。マカディオスはすかさずジョージをキャッチした。
「あーっ、良かった、おっちゃん!!! オレが来たからにはもう安心だぜ! ケガしてねえか?」
「ったりめぇよ、ピンピンしてらぁ」
武骨な言葉遣いでかわされる二人の会話は、どことなく似た者親子のような雰囲気をかもしだしていた。
エマとジュリが追いついてくると、ジョージの護衛を任せた。マカディオスはユーゴに視線をむける。
「やるじゃあねえか」
ギリッと表情を引き締める。油断ならない相手だ。
(あれだけ派手に転んだってのにベソ一つかいてねえとはな。ガマン強いヤツだぜ)
座ったままユーゴがサッと何かを取り出し構える。パァンと、破裂音にも似た乾いた音が鼓膜を激しく震わせた。
「とんでもねえ野郎だな」
撃ち出された鉛弾を指先でもてあそびながら、マカディオスは低い声でユーゴにすごむ。
「クラッカーは人にむけて使っちゃいけねえんだぜ」
「……エインセル! 何をやっている。僕を守れ!」
その命令が実行されることはもはやない。
ユーゴは地面に座りこんだままだ。転倒時に足かどこかを痛めたのかもしれないし、マカディオスの速さを目の当たりにして逃走をあきらめたのかもしれない。
「エマとジュリはアンタをつかまえて色々聞きたいことがあるみてえだが、その前にオレはアンタと話がしたくてよお」
最優先で確認したかったのはシボッツたちのゆくえ。だがユーゴは何もしらないらしい。ウソではないのは明白だ。
マカディオスは別の質問にうつる。ユーゴが小鬼の家を襲った理由。シボッツをいたぶるよう命じた理由。
なぜ自分たちはあんな理不尽な目にあったのか。その理由がしりたい。しったところで許しはしないし、怒りも癒えないのだが。
「僕は研究員だ。正答の教導者の理念にもとづき、特殊個体であるお前の秘密を解き明かす義務がある……」
ウソつきの口からカエルのグミが顔を出す。
ユーゴはあっけにとられた顔でエマとジュリを見た。
「……お前たちのしわざか? だれが開発したんだこんな道具……」
ジュリは当惑気味の無反応をしめし、エマはキッパリと答える。
「しりません」
「理由はともかく、ここでウソをつけばバレちまうぜ。心しとくんだな。それじゃあ、あらためて正直に答えてもらおうか」
ユーゴは顔をこわばらせ沈黙をたもっていたが、やがて失笑と共に口を開いた。
「魔封器で捕獲できない特殊個体。肉体と魔力の関係。そのしくみを解明して自分の安全な暮らしのために役立てたかったんだよ。お前もしってのとおり、僕はほら、魔物だしね? 擬態精度を向上させたかった」
開き直ってペラペラと。
「あのチビの妖精のこと? あつかえる魔法がなかなか便利そうだったからついでにほしくなっただけだよ。痛めつけた理由なんて……抵抗する魔物より意識のない魔物をつかまえる方が楽で確実だからね。ただ単にそれだけのことだよ」
グミがポロリとこぼれ出す。
ユーゴは一瞬おどろいた顔になったが、すぐに浅ましい笑顔に変わった。
「……ま、それ以外にも理由はあるけど。……ダメなヤツらが苦しんでる姿が好きなんだ」
ゆがんだ笑みが深まる。
「魔物として生きているヤツらはさ、ズルいんだよ。僕はこんなにもつらいオモテの世の中で頑張って人のフリして生きてるってのに、アイツらはそういう努力を放棄した。だから……僕はヤツらに何をしてもいいってわけ。たくさん努力をした人はなまけ者より優遇されるべきだよね?」
ユーゴが何を言っているのかマカディオスは理解できなかった。
「僕は頑張ったさ。したくもない挨拶をして。興味もない話に参加して。殺したい相手だって波風立てずにやりすごして。まっとうな人間の皮をかぶった。世の中が望む自分であろうと努力し続けた」
マカディオスは怒りのあまり足をふみ鳴らした。
森に響く轟音。
巻き上がる土くれ。
出来立てのクレーター。
そんなに人といっしょに生きてくのがイヤなら、一人静かに山や森の奥で暮らすことはできなかったのか。そんな思いが腹の中で煮えたぎる。身勝手な言い分だ。
「産まれ落ちた時からずっと、環境のルールが僕たちに変化を強いてきた。生きるってそういうことだと叩きこまれてきた。ここでは騒いじゃいけません。好き嫌いはいけません。こういう話で笑いましょう。こういう時に泣きましょう」
ユーゴは何か大きなものに抑圧され続けた苦しみを訴えているようなのだが、そんな気持ちはマカディオスにはわからない。困って大人たちの方を見た。
ジョージはユーゴの言葉に耳をかたむける以前の問題で、人のフリをしていた魔物への嫌悪で顔をしかめている。
ジュリはというと、思うところのあるような苦い顔をしていた。ユーゴの悪行は認められないし主張に賛同もできないが、抑圧の息苦しさについてはわかるところもある、というかのように。
エマの表情からは内心が読みとけない。
「すみません、この情報に価値はありますか? 捕獲対象の心情には関心がありません。マカディオス、もう話は終わりで良いですね? 正答の教導者にもぐりこんでいたその魔物を早くつかまえてしまいたいのですが」
「ねぇ、君。人間の擬態が足りないんじゃないか?」
「私は人間なので擬態は必要ありません。あなたと違って」
憎悪とあざけりのこもったユーゴの言葉をエマは淡々と正面から打ち返す。皮肉、というつもりさえなくエマにしてみればただ事実を述べたまでなのだろう。
ユーゴの殺意がふくらんだのをマカディオスは感じ取った。
「時間のムダです。それに追いつめられた者に時間の猶予を与えるのは……」
悪手である。
それの言葉を証明するかのようにユーゴが動く。
心臓がない魔物の魔力はたかがしれている。だがそれを爪一本に集約させていれば? ねらう部位が眼球なら?
トレーニングでは鍛えられない無防備な目に、一切の躊躇なくユーゴは魔力を貯めた爪をふるう。
理にかなった作戦ではあった。
だがユーゴがひそかに魔力をためて隙をうかがう間に、マカディオスもまたあるものをためていた。
唾液である。途中からおしゃべりしないで、ためていたのだ。
せまりくる凶爪を毒霧のスプラッシュがむかえ撃つ。
猛烈な勢いで放たれた微細なツバがユーゴの顔に、鼻の中に、そしてメカニカル眼鏡で防ぎきれなかった片目に噴きかかる!
「ンギャアア!!!」
卑劣な憎き敵がさらした大きな隙。こんなチャンスを見逃す理由はない。
マカディオスは片手でユーゴの足首をむんずとつかみ豪快にふり回す。
遠心力。頭に上る血。三半規管のかく乱。平衡感覚の欠如。
ひときわグルリと力強く回してからマカディオスはユーゴを空高く放り投げた。遠ざかる悲鳴のドップラー効果。
そしてユーゴが落ちてくる。重たい頭を下にして。
「よっ、と」
地面に激突する寸前に、マカディオスがユーゴの体をひょいと両手でキャッチした。
グッと持ち上げてから、ユーゴの頭を内転筋の力でガッチリ挟む。地われにのまれた哀れなケモノを無情に締め上げる岩肌のごとく。
マカディオスは跳ねた。わざと尻もちをつくように。
「せいやぁああああ!!!」
屈強な脚に頭をはさまれたユーゴはなすすべもない。地面に叩きつけられる。
衝撃で土煙が巻き上がる。その破壊力のすさまじさを物語るかのように、地面にはマカディオスのお尻の形のへこみが残された。
「待たせたな。話は済んだぜ」
空の魔封器を手にしたジュリは複雑な顔をして、うめき声をあげるユーゴに近づく。
「……やめろ……っ! そんなものに閉じこめられるぐらいなら。……んだ方がマシ、マシだっ」
ジュリが魔封器をガチャリと押しつける。
「イヤだぁあ!!」
偽りの体は真鍮のケースの中にするんと吸いこまれていった。




