25・災厄は竜の姿をしていた 前編
*建物の倒壊、瓦礫の下敷きとなる人物のシーンあり
矯正学舎のあちこちで上がる悲鳴と怒号。
その中で聞き覚えのある声に気づいた。
「空を見上げちゃダメッ、破片で目をやられる!」
普段ののんびりした調子とは雰囲気が違うが、あれはジュリの声だ。
ふっと地面に大きな影がよぎる。
つい上空を確認したくなる気持ちをおさえる。見上げるな、とジュリがさっき叫んでいたばかりだ。
影の後を追うように礫まじりの突風が吹きつける。
歳月と労働で衰えた小さな体が転ばないようマカディオスはジョージの手をしっかりにぎってささえた。
「おーい! 何が起きてんだー!?」
ジョージを守りながらジュリのところに連れていこうとしたが、彼はこわばった顔で首をふって物陰に隠れた。
あの木箱の陰はそれほど安全な場所には思えなかったがジョージは大人だ。ここは本人の意思ってものを尊重しておこう。
マカディオスはジョージとわかれて、のっしのっしとした足どりでジュリの声の方へと近づく。
整然とした日々が動いていた矯正学舎の秩序はなりをひそめている。かわりに、あらゆるところで破壊がもたらされ混沌が吹き荒れていた。
ジュリは髪も服もホコリだらけにしてガレキを凝視している。その険しい顔からはジリジリとした焦燥感が伝わってきた。
「ねー!! なんか大変そうだけどオレ手伝うー!?」
「……ここに人が」
「人がいんの?」
どこからともなく焦げ臭さがただよい、ひらひらとした灰と煤が舞い落ちてきた。
何かが燃えている。今はまだ火の手はすぐ近くまで迫ってはいないが。
「おおよその位置は特定済みれす。即死もまぬがれてます。ただ上に乗ってるものが重く、安易に手が出せない状況れす。専門チームによる救助態勢が整うまで、部外者はよけいな手出しはしないように」
「う、うん……、そういうことなら。専門チームってのはいつ到着するんだ? オレ、呼んでこようか?」
ジュリは大きな声でガレキの下に呼びかける。
「すぐ助けがきますからね! それまでなんとしても持ちこたえてください!!」
そう励ました後で、マカディオスに向かって首を横にふる。
その仕草でマカディオスはさとる。たぶん、救助班がすぐにかけつけられる状況ではない。
下敷きなった仲間にジュリがかけた言葉は命をもたせるための優しく過酷なウソ。
「この機械さえなけりゃあ、オレならこんなもん余裕でどけられんだよ! さっさと外せ!」
「き、緊急時であるとは思いますがそれを取り外すわけには……。大人には背負う責任がたくさんあって、めんどうな決まり事とかもたくさんあるんれすってば」
助けを待つ人の耳に入らないよう、マカディオスは声を低くしてささやいた。
「大人は助かる仲間を見捨てた時の気持ちもずっと背負わなくちゃいけねえのか?」
「……」
ジュリはマカディオスの背中に取り付けられた装置を見つめ、選択を下した。
「非常事態における特例措置、限定的な制限解除。倒壊した建物の下から逃げ出せなくなっている一名を救助するよう命じます。……これが私にできる精いっぱいれす」
正答の教導者が出した命令の遂行。その時マカディオスは本来の力を取り戻せる。
「よしきたっ!」
「そーっと慎重にれすよ! どこからどかせば良いかは私が指示します」
ジュリが示したガレキをマカディオスはゆっくりと持ち上げていく。
ほどなくして顔色が悪く息遣いの荒い若者がガレキの下から姿を見せた。運よく建物や家具で隙間が作られたらしく、大きなケガはないもののそこから脱出できず憔悴していたようだ。
助け出された仲間に肩をかしながらジュリがマカディオスにも避難をうながす。
その声をかき消すかのように空から轟雷にも似た竜の咆哮がとどろいた。
「ひえぇ……。対竜準備はまだ整わないんれすかぁ? に、逃げましょう。一時的に学舎の外に出る許可をあげるのでぇ」
「これ全部竜のしわざか! なんて迷惑なヤツ! やっつけなくていいのか?」
こんなめちゃくちゃなことをして、じつに許せん魔物である。こういう無法を働く悪い魔物がいるから、ウラで平穏に暮らしているシボッツのところにまで教導者が出しゃばってきたに違いない。マカディオスはそう解釈して、自分の想像に自分で腹を立てている。
「めちゃくちゃしやがって! オレがどついて空から叩き落としてやる!」
「いくらなんでもムリれすって。イフィディアナはただの魔物っていうより災害なんれすから。でも対処方法は確立されてます」
「そうなんだ、イフィディアナってあの竜の名前? さっき言ってた対竜準備ってどんなの? すっげえ武器とか魔法とか?」
マカディオスの質問をジュリははぐらかした。
「……倒す方法がわからなくても、竜を鎮める方法なら判明しているんれす」
ジュリの言葉どおり、しばらくするとあれだけ暴れまわった白い竜は不思議なほどすんなりと帰っていった。
竜は去ったものの残された爪痕は大きかった。学舎の建物のいくつかは壊れた。消し止められたが小規模な火災も発生。すぐには直せそうにない。多くのケガ人と死者、そして行方不明者が一人。
無事だった建物の一角に不安げな顔の人々があつまる。そこにジョージの姿を見つけてホッとする。むこうもホッとした表情でマカディオスに笑顔を見せた。元気そうだ。竜の襲撃があった時にあんな風に怯えていたのはどういうわけなのだろう。竜そのものではなく、ほかの何かを警戒していたような素振りだったのが引っかかる。不思議に思ったがなんとなく聞きにくかった。
大きな体で座っていると死角からボソリと不機嫌なささやきが聞こえてくる。
ジャマだな。ただでさえせまいのに。周りに気を使えないんでしょ。低スコア。
ねちゃつく唾液がからんだ舌打ちの音。
最初、みんな大変そうだなあ、そりゃあ不安だよなあ、などとのんきに心配していたマカディオスだがしばらくしてそれらの声がすべて自分にむけられた不満だと気づく。
体が大きいのは仕方がねえだろ。小声で文句を垂れてないで、礼儀正しく直接言ってくれりゃあオレだってすぐ動いたのに。ヤな人たちだな! なんて心の声がうずまいた。
立ち上がってそこから離れれば、移動する先の人々に迷惑そうな顔で見上げられる。
なんとか壁際にたどりつくとマカディオスはずっと立っていることにした。ただ大人しく座るだけでも、他の人より多くのスペースを占有してしまう。
理不尽な文句にさらされて腹を立てながらも、暴れることも声を荒げることもない。そんな自分を大人になったとほこれば良いのか、情けないとカツを入れれば良いのか。マカディオスはすぐに答えが出せなかった。
窮屈な空間での待機時間は十日にも十年にも感じられたが、実際のところはせいぜい数時間といったところだろう。
ついに教導者から通達があった。明日の夜明けに、ここから最も近い別の施設に移動するのだそうだ。
ジュリがエマにむかってぼやいた。
「一番近いとこっていうと技術部の研究所じゃないれすかぁ。まぁたユーゴさんと揉めるのはイヤれすからねぇ」
「諍いの主な要因として、ユーゴさんの言葉の矛盾の多さがあげられます。優秀な方のはずなのにどうしてあんなに間違いだらけなんでしょう。私も困っています」
「だからそれは建前ってやつなんれすぅ……」
ポケットの中の鳥笛から、小さくノックするような振動が伝わってきた。セティノアが何かを言いたいようだ。
周囲を見渡す。まるで話すことで災いを遠くに追いやれると信じているかのように、あちこちから静かな恐怖にをはらんだささやきが聞こえてくる。広い室内は風の強い日の林のように、止むことのないざわめきで満ちていた。
マカディオスはこの場でセティノアと話そうと腹をくくる。
頭をおさえてうつむく人々にいたたまれない視線を向けてから、マカディオスは自分もそんな風にうなだれているかのように演技することにした。ポケットの鳥笛をにぎりこんで耳に押し当て、沈痛な面持ちでただ黙って声を待つ。
「……ここから別の場所にいくのなら、出発前に転移陣をしこんでおくのはどうでぃす?」
セティノアがこんなことをいうなんてめずらしい。いざという時の避難先として、すでに魔女の屋敷行きの陣が確保されている。敵地に転移陣を残すのは簡単でもないし、見つかるリスクもある。普段のセティノアなら選ばないであろう手段だ。
「その……救援を求めにいった時のウィッテンペンのようすが……。逃げ道は複数あった方が便利でぃすからね」
セティノアはウソをついていない。でも言葉はにごした。
エマとジュリをふくむ教導者たちは別施設への移動の準備で慌ただしく、マカディオスへの監視の目はゆるんだ。
書類の上ではマカディオスは人間だ。魔物のせいで学ぶ機会を奪われた人間としての正しい在り方を習得中の。囚人や捕虜ではなく、矯正を受けている生徒というあつかいだ。
また人間であろうとなかろうとエインセルによって力を制御されている。
この非常時においてまで、いちいち厳重に監視する対象からは外れていた。
人は同じところにずっといるわけにもいかない。食事や水分補給は必要だし、トイレにいくのだって止められない。
マカディオスにも若干の自由はあった。転移陣がかけるように、焼けた建物のそばで炭のかけらを調達しておく。
人目につかない場所でセティノアは鳥笛の中からするりと抜け出す。そして半壊した矯正学舎に転移陣を残すことに成功した。
「教導者の警戒もだいぶゆるんでいるようでぃす。この隙にマカディオスにこれを……」
転移陣が描かれたスカーフをわたされる。
「セティが別行動するチャンスでぃす。これで魔女の屋敷に助けを求めたり、ウラ側から矯正学舎の跡地やマカディオスのところに一っとびというわけでぃす。……セティ、ちょっとウィッテンペンとシボッツが大丈夫かどうか、確認しておきたくて……」
「そうか。オレは尻尾のせいでまだ会えねえけど、セティノアが二人に会ってくれるんなら助かるぜ」
「……」
セティノアは少し浮かない顔をして、微妙な沈黙を返すだけだった。




