21・特別な夜ふかし
ふだんよりも満月が大きく見える夜だった。
小鬼の家には泊りがけのお客さま。セティノアが宝箱ごとやってきた。
仲よしの友だちと夜ふかしできて、明日の朝食もいっしょに食べられる。これはもう最高に決まってる。
マカディオスは浮かれているのに、どうもセティノアは気もそぞろ。
よその家で一晩すごすのが落ち着かなくなってきたのだろうか。セティノアは繊細なところがある。マカディオスが小鬼と離れていた時に感じたように、いっしょの家で暮らしていた魔女が恋しいのかも。
「どうする? ウィッテンペンのところに戻るか?」
そうたずねても言葉はかえってこない。セティノアはびみょうな面持ちで首を横にふるだけだった。
今日はみんなで一晩中リビングで遊んでいい。口うるさい保護者公認の夜ふかしだ。
もちろん眠たくなったらリビングに広げたソファーベッドで眠れる。宝箱の中に引きこもってもかまわない。シボッツはずっと起きているつもりのようだが。
ただし眠る時でもパジャマではなく、動きやすい昼間の服を着てすごすようにといわれた。ほかの人と離れて長時間別の部屋ですごさないようにとも。
夜もふけてきた。
さっきまでゲームで使っていた、写実的でキレイな野鳥のカードを箱にしまいながらマカディオスはシボッツに提案する。
「頭を使うと甘いもんがほしくなるのが道理だぜ。夜中のオヤツタイムが必要じゃねえの?」
ふだんは歯をみがいた後の夜中の飲食はもってのほか、というのが家のルールだ。でもここは一つ家のルールをゆるめてくれないかとねだる。なにせ特別な夜ふかしの日なのだから。
「食べた後に歯みがきをするならいいぞ。気晴らしにもなるし」
「気晴らし?」
保護者のお墨つきがでたのはけっこうだが、どうして気晴らしが必要なのか。何か心が曇ることでもあったのか。
「あー……」
シボッツがセティノアに目くばせをしたように見えた。
そそーっとぎこちなく、セティノアの視線が床にむけられる。きっと今その視界に映っているのはセティノア自身の爪先だけだ。
セティノアが視線を外してから、シボッツが理由をしゃべりだした。
「大したことじゃない。じつはさっきのゲームで選択ミスをしたのに今さら気づいて。自分のバカさ加減にちょっと嫌気がさしていたんだ」
「たまにあるよなー、そういうのって! 後になってああすりゃあよかったのかーって気づくこと」
マカディオスはうんうんとうなずいた。
台所のテーブルにパフェ作りの材料がならぶ。
カットしたバナナとキウイフルーツ、シロップ漬けのミカンとパイン、冷凍のブルーベリーとラズベリー。バニラ味とイチゴ味のアイスクリーム。コーンフレークとミニクッキーに、一口サイズにした食パン。
「ありあわせのものしかないけど、これでよければ……」
「いえっ! とんでもねーでぃすの!! すんごく豪勢でございます」
これでも充分子どもがキラキラ目を輝かせるパフェができそうだが、シボッツはオーバーキル気味の一手間をくわえる。小鍋を持ってきて、ココアパウダーからチョコレートソースを、ジャムからはフルーツソースを作り出していた。
パフェは器にもこだわりたい。ちょうどおあつらえ向きのオシャレな器が三つある。
マカディオスとセティノアは食器棚から口の広いガラスの器を取りだして、一度洗って布巾で拭いて……。
「ヌァッ!?」
セティノアの手がつるりとすべり。
引力に導かれ無情に落下。
パリンと硬質な音を立て。
大小の欠片となって割れてしまった。
三個しかないパフェに似合うガラスの器。その一つだったのに。
「アッ、ヴァ、ヴァ、ヴァ……ッ! わ、わざとではねーのでぃすよ!?」
真っ青な顔でうろたえるセティノア。ノドからはいつにも増して変な声がしぼりだされる。
「ケガはねえか? なかなか芸術的にくだけたな」
「……び、びっくりした。食器が割れただけでよかった。ここは俺が片づけておくから、二人はあっちの方に行きなさい。ついでに、いらない紙と粘着テープを持ってきてくれ」
「いいぜ。ホウキとチリトリは?」
「いらない、ありがとう。ホウキに破片が入りこむのがイヤなんだ」
廊下にでて片づけ道具をとりにいきながら、マカディオスは楽しげにつぶやいた。
「『ここは俺が片づけておく! 行け!』ってセリフ、なんか戦う人のセリフみたいでおもしろかったな!」
実際の発言とはだいぶニュアンスが違う声マネをマカディオスは得意げに披露した。
セティノアはもんにょりと憂鬱そうな顔だ。
「……セティ、今ちょっとそういう話で笑える気分じゃねーのでぃす……」
「そっかー……」
友だちがこんな調子では、マカディオスだっていつもの元気がでない。
片づけの最中はびみょうにギクシャクした空気が残っていたが、仕切りなおしてパフェを作る段階になればマカディオスのやるせなさは吹き飛んでいた。
無事に残った二つの器はマカディオスとセティノアが使うことになった。こういう時、大人はガマンしなくちゃいけなくて損だなあ、子どもは得だなぁとマカディオスは思った。
セティノアがカラフルなフルーツパフェを器用に作っていく横で、マカディオスは食パンやバナナに一つ一つチョコソースをからませながら器につめていく。
方向性はちがうけれど、どちらも丁寧に作られたおいしそうなパフェになった。
「好きなスプーンをどうぞ」
「このネコちゃんのにしますの!」
テーブルの上にいつも出ているカトラリースタンドからセティノアがえらんだのは陶器のネコスプーン。色んな毛色のネコのシリーズなのだが、その中でもマカディオスお気に入りの白ネコを先にとられてしまった。ちょっとガッカリしつつ、ここはお客さんのおもてなしを優先しておく。
夢みたいにステキなパフェがテテーンと二つならんだところで。
凝縮された悪意のおでまし。
真鍮色の甲殻を鈍く光らせたカラクリ仕掛けの多脚の虫の軍勢が音もなく顔をのぞかせる。床や壁の低い場所を食い破って現れる。何かを探すように触覚が動く。
「ギャ……ッ」
スプーンを手にしたまま悲鳴を上げるセティノアをマカディオスが片腕でサッとかかえ上げた。
これ以上騒いでしまわないようセティノアは両手で口をおさえてこらえている。
「攻撃はするな。しゃべっても動いても問題ない。すでに三つの魔法を俺たちにかけてある。さっきの悲鳴も感知されなかったはずだ」
ウラの魔物をかきあつめても、ここまで迅速かつ手厚い対応ができる魔物はまず存在しない。やってることはすごいのに、当の本人が今にも卒倒しそうな顔でビクビク話すものだからどうにも頼りない。
「助かったぜ。よくわかんねえけど」
「お、おかげで命拾いしましたの。ありがたや、ありがたや……」
多彩な魔法に精通したシボッツが最も得意とするのが、姿を見えなくする魔法である。人間相手はもちろん、他の魔物や教導者が使う機械に対してもこの隠ぺいは有効だ。ただし敵を攻撃するなどで干渉すると術が破れてしまう。
「俺たちがお互いを認識できなくなると危険なので、面識のある相手には姿がわかるように調整してある」
それから術者を中心とした一定空間内の音を外部にもらさなくする魔法。
「これはあまり細かい調整が効かなくて……。俺から離れないように。それと、あのうっすら見える結界の内側に敵が入ってきたら息をひそめていた方がいい」
魔法の有効範囲を示す結界は内側からしか視認できないようになっている。
「三つめは? めちゃくちゃ筋肉をパワーアップさせる術とか?」
「それ以上強くなってどうするのでぃす」
「三つめは……」
ちょっとうつむき加減になってシボッツが小声で答える。
「痛覚を鈍麻させるなぐさめの術だ。これで死ぬほど痛い目にあっても、あるていどは絶望をやわらげることができる」
「戦う前から負ける前提じゃねえか!?」
「すっごく後ろ向きな魔法でぃすね!?」
二人で同時にツッコミを入れていた。
「……まぁ、あれだ。俺の魔法なんてその場しのぎにしかならない。ここでジッとしていても直接触れられれば姿を隠す術だって見破られる。状況を打開する行動をとらなければ……」
「なあ。べつに姿が見えてもいいからオレが金属の虫軍団を蹴散らしちゃダメか? あと、記念に一匹飼いたい」
「今必死に考えてるから静かにしてほしい。あの虫にどんな性質があるのか、ヤツらが現れたことにどんな意図があるのか。打開は必須だが不用意な行動もリスクが大きい……」
わからないからといっておびえてばかりでは前に進めないではないか。
シボッツのことは信頼しているが、こういう慎重すぎる態度には辟易する。
「ちゃんと責任持ってお世話するから!」
機械の虫のペットほしさに食い下がろうとしたマカディオスだが、ふと制するように指をつかまれる。反抗心から、手加減して振り払ってしまおうかとも思った。
ただ小鬼の指先がとても冷たくてかすかに震えているのに気づいたものだから。
「ダメだ」
「……わかったってば。勝手な行動はしねえよ」
そうなると、とれる手段としては逃げる一択だ。
ドアにしても窓にしても、三人がいるテーブル付近から台所の外に脱出するには、鉄の虫がウジャウジャいる場所を通り抜けねばならない。
セティノアがハッとして声をあげた。
「あっ、あのっ! こーいう時のためにセティはここにいるのでぃすわ! さぁ、これで……」
そういうが早いが隠し持っていたスカーフをしゅるりと取り出す。転移の力を持つ魔法陣がかかれた布だ。
「準備いいな! ……いや、ちょっとよすぎじゃねえの?」
シボッツは何かいいかけて沈黙し、セティノアはぎこちない無言のまま床に布をサッと広げて三人で手をつなぐよう急かした。この魔法はセティノア自身と彼女と同行するものにしか作用しない。シボッツの準備はできている。あとは……。
「何してるのでぃす? 早くセティの手を! マカディオス!」
何かが秘密にされている。
シボッツとセティノアに対して、わずかによぎった不信感。
二人ともマカディオスにとって大切な人たちで、きっとすべてを話さないのも悪意からではないと頭のどこかではわかっていた。
少しの不満はあるが、ここで動くのをしぶっていても収穫はない。
「……おう」
マカディオスがセティノアの手をとり、セティノアが魔法陣へ踏みこもうと足を出した、まさにその瞬間に。
ボトリと。天井から。
体を丸めて落ちてきた虫はその長い体を伸ばすと着地した肌の上で無遠慮に多脚をうごめかせる。
偶然落ちてきただけとは思えない、狙いすましたかかのような精確さ。
マカディオスの背中で、不気味な金属の虫が這いまわる。
「!!」
災いはこちらの都合など一切考慮してくれない。
姿を消している安心感からか、三人はあまりにも悠長にかまえすぎていた。
それも仕方のないことだ。彼らは本当の意味での戦士ではない。
いくら力がデタラメに強かろうが、魔法のあつかいにたけていようが、空間を跳躍する術を持っていようが、その精神は平和を愛する無辜の人々でしかなかった。
血なまぐさい邪悪な力に一方的にズタズタにされるだけの。
血なまぐさい邪悪な力を思うがままに魔女が振るう。
いい。じつにいい。最高な気持ち。地べたを這う人間たちが苦しむ声が空にも届く。
どうしようもない外道の渇きをホッと癒してくれる。
ウィッテンペンは目を細めた。
「いーねー。こーいうの久々だねー」
悪辣も。冷酷も。暴虐も。
今宵はいっさいお咎めなし。
戦う術も覚悟も持たない人間を蹂躙するのも一興だが、懸命に抗おうとする非力なものを仕留めていくのも趣とやりがいがある。
ウィッテンペンと愉快な仲間たちは正答の教導者の支部をパーティ会場にしていた。
気を抜いていたら心臓を撃ち抜かれてしまう刺激的レクリエーション。
鉛や銀の弾丸を飛ばして、教導者も魔物たちと遊びたがっている。
「ま、撃墜比は魔物側が圧倒的に優勢だけど」
正答の教導者を完全に根絶やしにするのはいくらなんでも現実的ではない。本部の警備は厳重で地形的にも攻めづらい。ただ、守りの薄い施設の一つに壊滅的な大損害を与えるくらいであればお茶の子さいさい。
満月のパーティにあつまったのは二十二人の魔物たち。
機動力と隠密性にひいでた二人体制の斥候班。
空を飛びながら魔法による掃射や爆撃をおこなう、五人組の攻撃班が四つ。
カッチリと統制がとれているわけではないので、だいぶ大ざっぱな構成だ。斥候役と攻撃担当という大まかな役割分担はあるものの、まともな指揮系統はない。
「けっきょく最後らへんは各自好きに暴れるようになってくんだから」
個人主義者の多いウラの住人たちをまとめ上げるのは難しい。気のあうもの同士のグループや共通の目的を持つ小規模な集団なら存在するが、組織力ではとうていオモテ側にはかなわないのが魔物の悲しいところ。
地上で孤立している教導者がいた。巨大なコウモリの翼を持つ魔物の一人が急降下からの接近戦をしかけてからかいにいった。
わざわざ敵に近づいてやる必要はないのに。効率を無視している。自己顕示欲からくる衝動だろう。
「もー、勝手なことして……。それでよし!!」
ウィッテンペンが襲撃メンバーを選んだ基準の一つが、目立ちたがりなことだった。
教導者側に襲撃者を印象づけるのも目的の一つだ。
この襲撃だけで、教導者という組織全体を完全に滅ぼすことはできない。一時的な混乱を与えられるだけだ。組織は存続していく。
こうすれば教導者はマカディオスという無害な巨漢の捕縛などよりも、優先すべき課題をいくつも抱えることになる。
ふと、ウィッテンペンに疑問が頭によぎる。
「バカだなー、正答の教導者って。そもそもなんでさー……」
マカディオスを手中に入れようなどと思ったのだろうか。
マカディオスはオモテに顔を出さない。つかまえたければ教導者がウラに乗りこむ必要がある。
時間。人員。資金。正答の教導者が使えるリソースとて無限ではない。
限られたリソースの中、大きなリスクをおかしてまで、あの体ばかりが大きな小僧をとらえる理由があるというのか。
マカディオスは背に張りついたムカデを引きはがせずにいた。
動かせないのだ。腕や脚が。
「エインセル。接合した対象を統制しろ」
硬直した状況を動かしたのは、冷ややかな男の声。
聞いたことのない知らない人の声だ。
「伏せ」
それはマカディオスへの命令だった。
意思とは無関係に体が動いている。
無敗をほこるその巨体は平伏した。
マカディオスの頭は混乱しながらも急速度で思考をめぐらせている。
――面識のある相手には姿がわかるように調整してある。
ほかの虫には有効だったシボッツの隠ぺい魔法が、天井から降ってきたこの一匹の虫にはつうじていないようだった。もしかすると魔法の条件からはずれる、マカディオスと面識がある相手なのか。
――魔物をつかまえて閉じこめてダサい武装にセットして使い捨ての動力源にするんだよー。
だとすれば、マカディオスと面識のある魔物が教導者につかまってこの忌々しい背中の機械に封じこめられているのだろうか。
どうも虫の機械はマカディオスの分しか魔法を見破れなかったようだ。それならウィッテンペンでもないし、いつか月夜に遭遇したおじいさんでもない。
――俺のことは見えてないし聞こえない。この子がしる必要はないからな。
マカディオスのことををしっていて、けれどもシボッツやセティノアとは面識のない者の心当たりが浮かび上がってきた。
でも、その子はオモテ側の人間だったのに。無事にもとの世界に戻っていったはず。
――物語にさだめられた役割から外れると、オモテの人々の世界から仲間外れにされて魔物に変身する一大イベントが低確率で発生するよ。
「……エセル、じゃなくて……セシル? お前、魔物になって機械の中にいんのか?」
その問いかけに答える声はない。
代わりに土足で背中を踏まれ、うつ伏せの後頭部に金属でできた何かをグッと押しこまれそうになった。
ギュッと目を閉じ、しばらく経過。
特に何も起こらない。
男はマカディオスの頭にナゾの機械を押し当てるのをやめた。でも背中を踏んだクツはどけようとしなかった。
「報告書にあったとおりだ。魔封器が反応しない。すばらしい完成度だ。これがいかれた魔物が作り出したまがいものの肉体だとは、とうてい思えないよ」
わからないことをゴチャゴチャいっている。
ただ男の機嫌がよさそうなのはわかった。
団らんの場をぶち壊したあげく人を踏みつけておきながら上機嫌でいられるとは。
そうとうなゲスでクズ。
「おや……」
テーブルの上に出ている器に男が目をとめた。パフェのアイスは少しとろけはじめている。
「ああ……。二匹いたのか」
マカディオスはこっそりせせら笑った。
本当は全員で三人だ。あの男はこっちの数を勘ちがいしていやがる。
それに人の数え方だってまちがっている。匹じゃなくて人なのに!
あんなにえらそうにしているくせに、けっこうなおバカさんだ。
シボッツの頭からサッと血の気が引く。
数の正確さはそこまで重要ではない。マカディオスのほかに姿が見えない魔物がこの家の中にいると侵入者が確信を持ったことが問題だった。




