20・短母指伸筋の筋言葉
マカディオスは小鬼の家の暮らしに戻った。
セティノアといっしょに遊ぶために、前よりもひんぱんに魔女の屋敷をたずねるようになった。
元気になったシボッツもすでにセティノアと顔を合わせている。ファンシー志向の服装の小柄なゴブリンがマカディオスの保護者だと理解するのに、セティノアは戸惑ったようすを見せた。なぜかセティノアは、ものすごく厳つくて渋いオッサンがくるものと覚悟していたらしい。
ガーデンパーティの当日。
魔女の屋敷のドアが開くと同時に、ビックリ箱よろしくセティノアがマカディオスに突撃してくる。
「マカディオス! この間、セティの本にイタズラしてったでぃしょう!」
「ドゥハハハハ! なかなか粋なもんだったろ?」
圧倒的な悪にふみにじられて全滅エンド。
卑劣な敵の策謀で殺しあわされるエンド。
仲間を守れず主人公だけが生き残ってしまうエンド。
だれからも理解されずに主人公が迫害されるエンド。
主人公が憎しみにそまって世界を滅亡させるエンド。
大切な人たちが病んだ愛情をこじらせて主人公の手で葬るしかなくなるエンド。
判明したあまりにも残酷な真実に主人公の心が耐えられずに世捨て人化エンド。
そういう救いのないバッドエンドのお話の最後のページに、マカディオスは手作りの栞をはさみこんだ。栞にかいた絵と短い文章で、ラストの展開をなんか力業でいい感じにするというイタズラをした。
「まーったくこのハッピーエンド至上主義者は……」
「オレがいるかぎり! 悲しい結末にはさせねえ!」
マカディオスはビシッと元気よく親指を立てる。
「いいこと教えてやる。短母指伸筋の筋言葉は、未来をつかみとる、だぜ」
「すんげーデタラメをいってるのにカエルを吐き出さねー!? 自分のてきとーな言葉を信じきっているのでぃすか!?」
栞のイタズラの追及がすんだら、ガーデンパーティの準備の最終段階にとりかかった。
庭にテーブルやイスを出すのは筋肉自慢のマカディオスの仕事。
セティノアはこまごまとした飾りつけでセンスを発揮した。
シボッツは魔女の屋敷の台所を借りて料理を作っているところ。
ウィッテンペンは買いものを担当した。ヒマつぶしをかねて料理の支度も手伝っている模様。
花で飾られたテーブルにならんだごちそうの数々。
夏至の食べものとしてはずせないのが、みずみずしいゆでた新ジャガイモ。ハーブのディルの葉をちらしてある。
こじゃれた魚料理も出したいのでメインディッシュはサケのコンフィ。オイルにひたしてじっくり火をとおした。
ボイルしたソーセージ。つけあわせの紫キャベツの塩漬けはウィッテンペンがビンに詰めておいた常備菜だ。
花ズッキーニのサラダ。季節感を出しつつ見栄えのよい一品をと、シボッツが作った。彩りと盛りつけの美しさに反応したのはセティノアだけで、あとの二人にとっては野菜がキレイがどうかよりもサラダに入っている生ハムの量の方がはるかに重要だった。
妖精市場で美味しいと評判のパン。新鮮なイチゴたくさん。リンゴジュースの炭酸水割り。
「いっぱい食べたら眠くなってきたのでぃす……」
「まだ寝るな! セティノアが抜けたらさびしい! ほらっ、この後はゲーム大会やるぞ! とうぜん夜まで遊ぶだろ?」
「暗くなったらド派手な火も燃やして盛り上がろうねー」
「夏至のたき火……。あなたがいいならかまわないけど、よく炎が苦手にならないな」
本格的な夏をむかえる少し前の爽快なそよ風。
青い空の下にいるだけで、なんでもうまくいくような気分になれた。
夏至は一番太陽の力が強くなる日。
あとは弱まり衰えるだけ。
パーティから二日後の朝。
オモテ側への偵察から帰ってきた黒ネコのフローをシボッツはねぎらいながら出迎えた。
放浪癖のあるフローと家の近くにいるのが好きなローテ。太ったミルに白く小さなフラウワ。
亡くなったかつての飼いネコたちだ。水の魔物のせいで命を落としてからもこうしてシボッツのそばで暮らしている。
オバケキャッツは気がむいた時にシボッツを手伝ったり着替え中にちょっかいを出したり食べる必要はないけどおいしいエサをねだってみたり読書中の本の上に寝そべったり魔法式洗濯機のスイッチをいつの間にかオフにしたりと献身的にネコの手を貸した。
情報収集もネコたちの重要なお仕事だ。
黒ネコの足跡がおぼろげに光って秘密の文章をつむぎだす。かわいらしい肉球の暗号が告げるのは、避けがたい不吉な報せ。
急遽、シボッツは何もしらないマカディオスをつれて魔女の屋敷へと出むく。
せっかくの豪華な玄関ホールには無数の荷物が乱雑に置かれカオスを作り出している。この前のガーデンパーティで使ったテーブルの上には、まだ布や空のボトルが放置されたままだ。
片づけたい。洗濯をしてゴミの分別をしたい。そんな衝動にシボッツはかられる。やっぱりパーティの後始末まで手伝えばよかった。
いや、さすがに今はそれどころではないのだ。
屋敷の別の部屋でマカディオスとセティノアが遊んでいる。その気配をとがった大きな耳で感じながら、テーブルをはさんで魔女とむかいあう。
頭にマスクをかぶっているのにマカディオスは目や耳がいい。離れていても用心にこしたことはない。聞かれたくない話をする時にはナイショ話の魔法を使う。音を遮断する結界で部屋がおおわれたのを確認してから、シボッツは口を開いた。
「正答の教導者に動きがあった」
「どしたのー? まーた不安のタネでも見つけてきちゃった?」
「不安ですめばどれだけよかったか……」
マカディオスを生け捕りにする計画が進められている。
黒ネコがもたらした報せを魔女にも共有する。
「よし! こっちから出むいてかたっぱしから殺しまくろっ! それっきゃないでしょ!」
ウィッテンペンは張りきっている。
「あー……。俺はマカディオスの安全を確保できそうな場所に逃げようかと……」
非力な臆病者の提案を魔女はせせら笑う。
「安全な場所ってどこ? イフィディアナのお腹の下とか?」
「ダメ。あの竜は信用ならない」
ジョークなのはわかっていたが、不愉快なその名前に大人げなく反応してしまう。
イフィディアナにはガマンがならない。マカディオスの成長のようすを手紙にしたため何度も送った。なのに返事は一度もこない。
正確な居場所をしらなくても手紙を送るだけならできる。妖精市場で買った特別な便せんセットを使えばよい。縁の魔法がかけられていて、強く願いさえすれば手紙は確実に相手のもとへたどりつく。
さすがに見知らぬ相手には送れない。面識があることが重要だ。
「いけ好かないがマカディオスの実の親でアイウェンが選んだ相手でもある。これでもあの竜と決定的にもめないように、俺はいろいろと気を使ってるんだ」
「うーん。苦労性!」
愛用のホウキの点検をはじめたウィッテンペンはシボッツに視線をむけない。柄のゆるみがないか、ホウキ草の補充が必要か。そういったことをしらべるのにいそがしそうだ。
「逃げるって案にはあんまりメリットがないよ。根本的な解決にならないし。襲撃を警戒しつづけてなきゃなんないのは、しーちゃんの負担が大変すぎじゃない?」
「それはそうだけど……。二人でオモテの敵地に乗りこむのも、そうとうムチャなんじゃ……」
「ん? 二人って?」
ウィッテンペンが作業の手を一瞬とめる。
「だから、俺とあなたで……」
いっしょに戦うんじゃないのか。マカディオスを守るために。
口に出そうとした言葉は音になる前に消えていった。
すっかりあっけにとられた魔女の顔が視界に映ったから。
極限まで目を見開いた後、魔女は盛大に哄笑する。
「ハハッ! 何それー。なんのために私がわざわざ人づきあいをしてると思ってるのかな? こういう時に駆り出せる人手を確保するためだよ。相手が教導者なら恨みを持ってる魔物も多いし、問題ないよ。大丈夫」
頭がぐちゃぐちゃとして考えがまとまらない。
「……マカディオスの意見も聞いてみよう」
自分の声がカチカチにこわばっている。
ウィッテンペンといる時は少しばかり子どもっぽい言葉遣いになりがちだったのだが。
「必要ある?」
どのメンバーに正答の教導者襲撃の誘いをかけるか、ウィッテンペンはメモに書き出して計画を練っている。ペンを素早く走らせながら。
「そりゃマカくんはよい子だけどさー、甘すぎるんだよ。余計なことはしらせずにウラで待機してもらお。それがいーよ」
たしかにマカディオスは命を奪いあうような熾烈な戦いは好まない。
ふりかかる火の粉をはらうために力をふるうこともあるだろう。
だが、自分から積極的に相手を害する姿が想像できなかった。
まだこの世の残酷な景色をマカディオスから遠ざけていたい。
「そうだな。それについては同意する。協力者をつのるのも現実的な対応だと思う。では俺は魔法での戦闘支援を……」
「は? いらない」
思いがけない拒絶。
「俺が、不要……。そうか……。いや、これでも役に立つ場面もあるはずだ」
ものは使いようだ。
隠ぺい術は自分だけでなくほかの人にもかけられるし、一定範囲内の音を消す魔法もある。建物や地形を魔法のイバラでおおって敵を分断し移動に制限をかけることもできる。
ウィッテンペンほどの殺しにたけたものが、戦場で使われるこれらの魔法の厄介さをわからないわけがない。彼女なら、術を編み出したシボッツ本人でさえ気づいていない悪用方法をいくらでも思いついてくれるはずだ。
「うん、魔法が得意なのはよくしってるけどさー。しーちゃんもマカくんと同じで人を傷つけるのヤなんでしょ? だったらいいよ、こなくて」
血の気が引く感じがする。
充分に回っていない頭と舌でなんとか言葉を吐き出す。
「あなたにだけ重荷を背負わせるわけには」
「ハハッ、声が上ずってるの笑えるね。ダッサ。あのさー、教えてくれる? たったこれしきのやりとりで動揺しちゃうような人が危険な場所に出ていって、いったい私の何の助けになるっていうのかな」
露悪的な笑顔と口調。
だんだんとウィッテンペンの意図がつかめてきた。
わざと憎まれ役を買って出ている。
危険な場所にシボッツが出むかなくてもいいように。
シボッツが意地を張って食い下がれば食い下がるだけ、ウィッテンペンは辛辣に突き放すだろう。自分を悪役におとしめてでも、小鬼を安全な場所にとどめようとするだろう。
ここで小鬼が口にするべきセリフはわかっていたが、実際にそれを口に出すには時間がかかった。乱れた気持ちを整えてから、小さな声で吐き出した。
「……わかった。俺は大人しくマカディオスのそばにいよう」
「! わかってくれてうれしいよ! やったね、これで万事OK!」
あれだけ張りつめていた空気がガラリとかわる。ウィッテンペンは、シボッツの選択を心からよろこんで安堵していた。
「あのさ! ……さっきはひどいこといってごめんね」
「ううん。気にしてない」
事実なのだし。
「それじゃ仲間に手紙出してくるねー!」
問題はすべて解決した、とばかりのハツラツとしたテンションでウィッテンペンが部屋から立ち去る。
「うん。役に立てなくてごめん」
平常心の表情をたもったまま、かわいた声をしぼり出す。
小鬼が作り出した消音の結界のせいで、その謝罪は魔女の耳には届くことはなかった。
一人残された部屋で考える。
魔女がこんな行動をとった理由は愛でしかない。
でもそれをよろこんで受け止めるだけの能天気さは小鬼にはなかった。
そもそもシボッツがまっとうに強くて非情さを持ちあわせた魔物であれば、ウィッテンペンを矢面に立たせることなく自力で教導者の襲撃に対処できたはずだ。
でもそれは願望でしかない。
実際はそうじゃない。
「……しっかりしろ、ガラクタ」
大きらいな自分を罵倒してからナイショ話の結界を解く。
立ち上がってドアを開けたシボッツはもういつもどおりの落ち着いた顔をしていた。
集団の空気は構成メンバーの心境に影響される。
不機嫌さをあらわにすれば、この居心地のよいあたたかな空気に亀裂を入れてしまう。
家の中がジメジメと陰鬱な雰囲気ではいけない。ギスギス険悪なんてもってのほか。
自分は家庭を快適な空間にするために存在しているのだから。
もともと陽気な性質ではないが、それでも穏やかに朗らかに、何も問題ないようにはふるまえる。
これまでもそうしてきた。
これからもつづけていく。
廊下を歩く気配に反射的にすみによける。
マカディオスとセティノアだ。少人数でも遊べるボードゲームの箱をいくつか運んでいるところだった。箱のタイトルをチラリと見れば、プレイヤーの口八丁が勝負を左右しない内容のゲームばかりがえらばれている。セティノアの呪いを加味してのことだろう。
「あ、いいところにいてくれましたの! いっしょに遊んでくださいな」
初対面では人見知りに感じたセティノアも、今ではシボッツと打ち解けている。多分、内向的なもの同士のシンパシーがあるのだろう。
「あー……今はちょっと……。ほかにする用事ができてしまって」
人懐っこいお願いを断るのは心苦しい。こんなたわいなく無邪気なたのみごとにさえ応じられない自分の役立たず加減にうんざりする。
「あわわっ! 忙しいところに声かけちゃってごめんなさいでぃすの」
「いや、気にしないでほしい。本当にこちらこそ申し訳ない」
シボッツにはわかる。セティノアがこの一分にも満たないやりとりを自分の中で何度かふり返って、ああすればよかったとかこんなことしなければよかったとしばらくモヤモヤ悩むことが。
謝りあう二人の横で、マカディオスは異文化の風習をながめる観光客のように突っ立っている。
セティノアが気まずそうに立ち去った後もマカディオスはそこにとどまっていた。二人で遊ぶはずなのに。
「やることがあるんだってな。その前にオレの筋肉を見ろ」
シボッツの返事を待たずにマカディオスはさっそく流れるようなポージングを披露してきた。
暑苦しい筋肉がせまる。
態度に出さないものの小鬼はうんざりした。
セティノアのように人の気持ちを考えて行動するのは、マカディオスにはまだ難しいのかもしれない。
「よくわからねえが、これだけはいっておく。大丈夫だ。困ったらオレを頼れ」
すぐにシボッツは自分の浅はかな勘ちがいをさとった。
マカディオスはこれ以上ないほど小鬼を思いやって行動している。
精いっぱい普段どおりの顔をとりつくろったつもりだが、元気がないのを見すかされてしまったのだろう。理由も聞かず、マカディオスは自分は味方だと伝えてくれている。
「ぜったい、ぜったい、どれだけ大変な遠まわりになっても必ずオレが助けになる」
そう宣言しながらマカディオスは太い親指を突き立てた。
短母指伸筋を働かせて。
親指を動かす筋肉は複数ありますが、短母指伸筋はヒトだけが持っているとされる筋肉です。(諸説あり)




