2・妖精市場にようこそ
人間の赤んぼうはたよりない姿で産まれてくる。手厚く世話をしないと生きていけない。
しかし生きものの種類によっては産まれてすぐに自分の足で歩いたり、親や群れにたよらずに自分だけで生きていけるものもいる。竜の子でもあるマカディオスは、きっと一人だけでたくましく生きる力をそなえて誕生したのだろう。だが持ち前の本能と才能だけでなく、こまやかな生きる知恵だって楽しく暮らすには大切だ。
充実した暮らしのために重要なのは健康と生活力と好きなものを楽しむ余裕、というのが長く生きてきた間にようやくシボッツが見つけた一つの結論だ。
「さて、服を着る目的はオシャレのためだけではない。暑さ寒さから体を守り、清潔をたもつ意味もある。だから……」
小鬼の家の素朴かわいいリビングで、シボッツは沈痛な表情でたのみこんだ。
「だから服を着てみないか、マカディオス……」
なお下着ははいている。ありあわせの布でできた簡素なフンドシである。
「わるいがそりゃあできない相談だ」
窓からの春風がカーテンをひるがえす。なびくカーテンはまるでマカディオスの筋肉におしみない賞賛をおくっているかのようで、なんともびみょうな気持ちにさせられる。
「服がダサい。シボッツが作る服はちっっっッともオレの好みじゃない」
「ダメか? そんなにイヤか? 先のとがった帽子や大きなかざりボタンがついたスモックは」
「イヤだ。ぜってえ着たくない。もっとべつの服がいい」
シボッツは歩みよりの道をさぐった。ここで話しあいを投げ出せば半裸の巨漢がずっと家をうろつくことになってしまう。それはさけなくては。わるい運命にあらがうのはムダではない。過去にそう学んだではないか。
「気に入る服がないかさがしに、店に出かけようか?」
「いいな! 絵本に出てきたお買いものってやつだろう? 卵の中でもきいてたぜ。この世界に出てきたからには、いちどやってみたかったんだ」
その気になったようだ。
「だが問題がある」
シボッツは顔をしかめる。服を買いにいくためのマカディオスの服がない。
その時、またふわりとカーテンが風でふくらんだ。灰色がかったひかえめな水色で、光の加減によって白っぽくも見える繊細なあわさ。主張しすぎないシンプルなデザインで生地の質もよい。どれにしようか悩みながらシボッツがえらびぬいたものだった。
「お、こりゃあいい。これでもまきつけとくか」
名案をひらめいたとばかりにマカディオスが力まかせにカーテンを引っぱる。カーテンのフックが無残に外れた。
「ア゜」
シボッツは声にならない声を上げて頭をかかえた。
それでも最終的にはマカディオスがカーテンを体に上手くまきつけるのを手伝うしかなかった。家にある布でマカディオスの体をおおえるサイズのものはかぎられている。このカーテン以外の大きな布となると、特別な日用の上等なテーブルクロスしかなかった。
ちょっとリビングに魔法のじゅうたんでもしきたいなと思った時。
おバカさんには見えない最高級オートクチュールがほしい時。
利口なネコのための気どった長靴がほしい時。
そんな時は妖精市場にいけばいい。ここではありとあらゆるものが売られている。場所はひみつの地下大空洞。岩盤の屋根つきの天然の大広間にはところせましと露店がならぶ。いたるところで光虫の巣箱ランプがあやしく灯る。
マグザス地方のピクシーがキノコバターの計り売りをやっている。ウンタラタ出身の多腕のヤシャは炎や雷から作り出したアクセサリーショップの店主だ。ニハロイからきた尻尾の大きな珍獣はお茶関係の古道具をあつかっていて、自らも茶釜に化けて宣伝する徹底ぶり。そしてトムテルトで人気のポップコーン屋台からただよう、ほのかに甘味をともなうしょっぱい香りがゆきかうものたちの財布のヒモをゆるませようとねらっている。
「もし迷子になったらこのあたりをまちあわせ場所にしよう。しらない相手のさそいにはのらないように」
「わかった。そんなことよりもシボッツ。あれ買ってくれ。チョコソースとピーナッツバターとトウガラシパウダーがかかったスペシャルポップコーンってヤツをよお」
マカディオスの熱い視線がポップコーンの屋台にそそがれていた。
「生後二日目で食べるものじゃない」
とうてい生後二日目とは思えない相手に、まじめな顔で注意する。
「とくにはじめてピーナッツを食べる時は慎重にいくべきだ。ここで食べものは買わない。家にかえったらまたミルク粥を食べればいいだろう。たくさんある」
絵本の中ではいろんなごちそうが登場していたのに、卵から出て以来ぬるいミルク粥しか食べていない、とマカディオスはぼやく。
「あれじゃちっとも食べた気がしない。すぐに腹ペコになっちまう」
「大釜いっぱい分をぜんぶたいらげてもまだたりないのか……。わかった。本人がたりないというのならミルク粥ばかりの食事はもうやめよう」
シボッツは心配性で神経質で口うるさい面もあるが、話しあいに応じる柔軟さも持っているのがよいところだ。
「おお! ありがてえ。話がわかるじゃねえか」
「どういう食べものなら満足するんだ?」
歩きながら話を進める。
「ちゃんと食べたって感じがするものがいい。かみごたえがあって、腹にずっしりたまるもの」
「それなら赤身肉の料理がよさそうだな」
会話の内容で注意をひいて、シボッツは妖精市場にちりばめられた数々の誘惑がマカディオスをからめとろうとするのをかわしている。ほしがるものをぜんぶ買っていたら、お金がいくらあってもたりやしない。
どうにかこうにかムダ遣いをせずに衣類をあつかうエリアまでたどりつく。
ウラの住民の姿形は多種多様だ。一くくりに服屋といってもそれこそ千差万別の品ぞろえ。
尻尾や翼を出すのに便利な穴つきの服をあつかう店があれば、着用者が放つ熱や毒にたえる素材の服をそろえた店もある。どんな体形のものなら着られるのか、一見しただけではまったく想像のつかない服もある。
「ここならお前にあう服がおいてそうだな」
ある店先。戦化粧をほどこしたオーガや牛頭人身の大男といった筋肉自慢の客層を見て、シボッツはそう判断する。
「これだっ! これがいい! これを買ってくれよ!!」
まっ先にマカディオスが指さしたのは銀色のトゲの主張が激しい肩パッドつきの鎧だった。金属と革がくみあわさった丈夫な生地が胴体部分をばっちり守っている。お金で買える安心感。
シボッツは淡々とした表情で肩パッド鎧を手にとりじっと検分して一言。
「これはダメだ。ヒモやベルトで固定するところがやたら多いだろう? 普段着にするには着る手間がかかりすぎる。オススメできない」
「それもそうか」
マカディオスは納得してほかの服をえらぶことにした。
「じゃあこれはどうだ? これならただかぶるだけだ。オレ一人で毎朝着られるぜ」
ジャガーらしき作りものの毛皮衣装。手足や尻尾の形を残したままのデザインだ。毛皮の頭部分は帽子のようにかぶることができて、くちることのない黒いビーズの目玉がぬいつけられている。
となりには似たような作りの白い犬の衣装もあった。
シボッツはジャガーのニセ毛皮をひっくり返してしげしげとながめた。
「これはダメだ。このタグを見てみろ。手入れの方法が書いてある。これをキレイにするには、紫のチューリップにたまった雨のしずくだけをあつめて汚れを洗い、ほす時はエルフが守る古の森のヤドリギにひっかけて、虹の魂を持つ七人の乙女にたたんでもらわないと生地が傷んでしまう、とある。こんな手間がかかるんじゃ家で洗濯できない」
「そりゃあ困る」
マカディオスは納得してほかの服をえらぶことにした。
「ならこれは?」
パッとはおれるフードつきのマント。それから勇ましい腰まきがついたハーフパンツ。オシャレのアクセントにはトゲ腕輪。いそがしい朝に着るのが苦にならず、家庭で気軽に洗濯できる。生地や縫製も問題なさそうだ。価格も予算の範囲内。
「文句のつけようがない」
しいてあげるとすれば少しばかり薄着なのが気になるが、子どもは風の子。大丈夫だろう。どこかの貧弱なゴブリンおじさんとは代謝の活発さがちがう。
おたがいの平和のために、センスについてはいっさい口だししない方針だった。
これ以上服をえらぶのにあきてきたマカディオスはほかの客とおしゃべりをはじめ、筋肉をよりかっこうよく見せることのできるポージングを教えてもらっていた。
その間にシボッツが安売りワゴンからマカディオスにサイズがあう肌着類やパジャマを見つくろう。
こうして二人は買いものをおえて、家にかえった。
ワゴンセールのパジャマはマカディオスの美的センスを直撃するすばらしいものだった。全身をすっぽりおおう怪獣パジャマ。
「最高!」
寝ころんだ時に背中のトゲや尻尾がちょっと気になるが、そんなことはささいな問題だ。
「それはよかった」
丈の長いボタンつきのパジャマに、とんがったナイトキャップとふかふかスリッパをあわせるのがシボッツの流儀であった。生地の触感や通気性にもこだわりがある。
マカディオスはみちたりた気分で即席の寝床にすべりこむ。あらかじめシボッツが用意していたベビーベッドは小さすぎて使えない。間にあわせで床にラグやクッションをしきつめてベッドの代わりにしているが、これはこれで動物の巣みたいでおもしろくて気に入っている。マカディオスはクッションの配置をあれこれいじり快適な巣を追求した。
「絵本はどれにする?」
本棚からえらんだ三冊を手にシボッツがたずねる。動物の親子の本。いろんな表情の子どもをえがいた本。おはようからおやすみまでの日常のあいさつが出てくる本。けっきょく三冊ぜんぶの絵本を読んだ。
「それじゃ灯りを消す。怖くなったり困ったことがあれば遠慮なくおこしてくれ」
ドアのそばに立つシボッツが人さし指を軽く動かす。部屋を明るくてらしていたランプの光がすうっとかき消える。
「それオレにもできる?」
「コツをつかめば簡単だ。いつか教えよう。おやすみ」
妖精市場での出費を家計簿につけおえると、シボッツは机の上のカップへ手を伸ばす。中身はカモミールがメインのハーブティー。マカディオスの名づけ親でもある魔女が調合してくれたもので、これがあるとシボッツの不眠はいくらかやわらぐ。
寝つきが悪かったり、冷え性だったり、疲れやすかったり、ちょっとしたストレスですぐにお腹が悲鳴を上げたりと、シボッツは元気ハツラツとはほど遠いタイプだ。そのうえいらぬ気苦労を自分からかかえこむ悪癖がなおらない。
カップにおとしていた視線を窓の方へとむける。
「ああ、戻ったか。よしよし」
夜のとばりと透明な虫殻ガラスの窓をぬるりとすりぬけ、おとずれたのは一匹のネコ。つややかな黒い毛なみで手足の先だけが小麦粉をふんずけたように白い。
「では報告をたのむ」
ネコがゆっくり歩きだす。にくきゅう型の足跡が床の上でほのかに光る。足跡の一つ一つにひみつの情報が圧縮されていた。
「人気吟遊詩人のスキャンダル……どうでもいいかな。これから流行りそうなグルメ……一応チェック。特売情報……よくやった!」
情報収集は大切だ。悪いニュースにふれれば悩みのタネがまた増える。それはわかっているが、しらないうちに手づまりになる方がずっと恐ろしかった。不安にあらがうために不安にさらされる。
「ほかには……。アイウェンとイフィディアナの動向……、正答の教導者が……。そうか。この件は引きつづきしらべてくれ」
白靴下の黒ネコは一声鳴いて夜の闇へとさっていく。それを見送った後シボッツは机につっぷした。
「また面倒なことになった。あの竜め」