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19・うたかた幸福感

 陽光さす明るい森の中をマカディオスの巨体が爆速のスキップでかけていく。その後をウィッテンペンがホウキでのんびり追う。セティノアは魔女の屋敷で留守番中だ。


 家の近くのミモザの大木が見えてきた。春にあれだけ咲き誇っていた黄色い花も今はとっくに散っていて、しげっているのは葉っぱだけ。


 マカディオスが小鬼の家から離れていた数週間、ずっと笑ってここに帰れる日を待ち望んでいた。


 木々の合間に見なれた小さな家が見えてくる。

 そのとたん、ホウキを急加速させて魔女は大人げなくマカディオスの前に回りこんできた。


「なんだよ。危ねえなあ」


「ひっひっひ。あらそうなの? ごめーん。先に着いたのは、この私ー」


 ウィッテンペンはドアをノックしようとしたが、マカディオスはかまわずに開けた。自分の家だから何も問題ないと思って。

 ウィッテンペンのあっけにとられた表情はすぐに納得へとかわる。

 いつもの笑顔をうかべたまま、少しうつむき加減でつぶやいた。


「そっか、君にはそうやって入る資格があるのか。ここはマカくんのお家だもんね」


 魔女は伏せていた目をカッと元気よく開眼した。


「私だってノックなしで入ろうと思えば入れるんだよ! 偽造した合カギぐらい持ってるし!」


「いきなり犯罪自慢すんのやめろ」




 甘いクッキーの香りがただよう台所にあの人が立っていた。

 ふわふわとした白い髪。幻想的でキレイだけれど、儚くて生命力が希薄な雰囲気もある。

 やせっぽちの小柄な体。何かのひょうしにパチンと消えてしまいそうな淡い存在感。


挿絵(By みてみん)


「おかえり、マカディオス」


 返事をしようとしたが、すぐに声が出てこなかった。

 かわりにかがみこんで両手を伸ばす。ビックリさせないようにゆっくりと。

 ゆるく広げたマカディオスの手。その人さし指と中指をそっと包まれる。骨っぽく細長い指と柔軟な皮膜が、武骨な手の甲をやわやわとすべっていく。


「不安にさせてごめんな」


「まったくだぜ! オレはもう二度とあんな光景を見るのはごめんだからな」


「うん。気をつけよう」


 マカディオスの肩にシボッツの手が乗せられる。肩をつかむように手の平をきゅっと押し当て、並んだ指の腹でしみじみとなでさする。


 信頼している人になでてもらうのはどうしてこんなにホッとするのだろう。

 自分よりもずっと小さくて非力な手だというのに。

 全部大丈夫だって思えてくる。


「元気になってよかったぜ。これでもう何もかも元どおりなんだよな?」


「……帰ってきてくれてうれしい。お前がいない間、家の中がすごく静かで悲しくなるくらいだった」


 シボッツの体調はよくなった。セティノアという新しい友だちもできたし、ウィッテンペンとも前より親しくなれた。

 大好きな人たちとずっといっしょ。そんな日々がこれからも続いていくはずだ。しあわせな絵本の結末と同じように。


 しめくくりの言葉は決まっている。

 それから毎日みんなで楽しくすごしましたとさ。

 めでたしめでたし!




 クッキーは二種類。ココア味の生地にナッツを混ぜこんだものと、丁寧にすりつぶした紅茶の茶葉を入れたもの。

 魔女の屋敷とくらべるとだいぶこじんまりと感じられるリビングでテーブルをかこむ。


 シボッツの席には、あのおしり見せつけキャットのカップが置かれている。やはりお気に入りらしい。

 みんなの飲みものにそえられた陶器製の長めのスプーンもネコのデザインだ。持ち手の先にちょこんと鎮座するネコはそれぞれ表情や毛の色もちがう。


 テーブルの上に置かれたカトラリースタンドからはいつもこのネコたちが顔をのぞかせていて、マカディオスは食事のたびにそれをながめていた。

 とりわけマカディオスは白いネコのスプーンに愛着を持っている。上等の小麦粉みたいに白い毛並み。目を閉じていて瞳の色はわからない。

 でも、根拠はないが、なんとなく。そのネコの瞳はスミレ色だと確信めいた幻想がある。


 こういった雑貨ばかりでなく、この家にはシボッツがお世話をしている本物のネコも何匹かいるはずだがどうもその気配はあやふやだ。ネコなのかオバケなのかわかりゃしない。




「で、セティノアと楽器を作ったりして遊んだんだ」


 クッキーをつまみながらの歓談。

 隠しポケットから小さな笛を出して披露する。あの鳥笛はいつもここに入れている。


 魔女の屋敷でどんな風にすごしたのかマカディオスはしゃべりつづけた。離れ離れだった時間をあふれる言葉でうめようとでもするかのように。


 ひかえめな相づちをうってシボッツは自然体かつ熱心に話に耳を傾ける。マカディオスの表情、仕草、声の調子。それらすべてにあたたかな注意をはらっている。


 そんな二人のようすを満足そうに見守るのはウィッテンペン。わずかばかりのさみしさを巧妙に隠しながら紅茶味のクッキーに手を伸ばす。


「そうだ。夏祭りにきてくれよ」


 不思議そうな顔をするシボッツを見て、ウィッテンペンがもう少しくわしい情報を補足する。


「夏至にあわせてガーデンパーティするんだよー」


 最低な舞踏会のやりなおしだった。今回はセティノアもくつろげるような催しにする。参加者は今のところ三人だけだがシボッツにもぜひ参加してほしい。セティノアにも話をとおしてある。


「あの庭で?」


 シボッツはマカディオスが整えた後の庭をしらない。彼の記憶にあるのは、かつてのうっそうとした庭なのだろう。


「オレがキレイにしたんだぜ!」


 それだけじゃない。

 魔女の屋敷にいる間にできるようになったことはたくさんある。


「オレは料理だって作れるようになったぞ。サラダとかプロテインとか。掃除もめっちゃ頑張ったし、ナイフで木を彫れるんだ」


 自分の成長を報告する時、マカディオスはちょっとだけドキドキしていた。

 愛情深いが過保護な一面もあるこの人は、よろこんでくれるだろうかと。

 ナイフを使っての工作なんてまだ早いと怒られやしないかと。


「お、たくましくなったな」


 案外けろりとした反応だった。


「……うん。そうなんだよ」


 拍子ぬけをくらってしまった。身がまえていたのがバカみたいだ。


「それじゃ、毎晩寝る前の読み聞かせも子どもっぽくなってきたんじゃないか。卒業にするか?」


 なぜそうなるのか。

 できることが増えたからって夜の絵本タイムをやめるなんて筋がとおらない。マカディオスは理不尽さに憤った。


 ふと、セティノアの顔がうかぶ。セティノアは挿絵のないぶ厚い本だって一人で黙々と読んでいる。


 絵本の読み聞かせは……わるくない。最高の習慣だ。でも今は絵本を読んでもらうよりも、絵の少ない本を声を出さずに一人で読めるようになるのがかっこいいと感じる。


「ああ、いいぜ。読み聞かせ卒業っていっても、完全に永久にもう二度と読んでもらえない、ってわけじゃねえよな? 特別な日にはねだっていいんだろ?」


「うん」


 そうこなくては!

 マカディオスはガッツポーズした。

 成長しようが、大きかろうが、親しい人に甘える時間は必要なのだ。


「いーねー、マカくんは。私は永久に読み聞かせ禁止の刑をくらっちゃったんだよー。ひどいと思わない?」


 以前なら、かわいそー! と同情していただろう。

 だがマカディオスは以前よりもウィッテンペンの人柄をよくしっている。


「何やらかしたんだ?」


「マカディオス。聞かなくていいから」


「それがさー。これ読んで、って渡したシチュエーション台本の中身をチラッと見るなり、いっさい弁解のチャンスを与えずに無言で部屋から出ていってさー。その後も三日くらいそっけなくされて、私すごく悲しかったんだからー」


「気まずくなるだろうと想像できるのに、なんでその話を自分から持ち出すのかがわからない……。また一週間くらいそっけなくすればいい?」


 二人のやりとりをながめていたマカディオスは、ばくぜんといだいていた疑問をひょいっと口に出してみた。


「なあ。二人って……」


 関係性をしめすのに使われるいくつかの単語がマカディオスの頭の中で飛びかう。

 だがどれか一つの言葉を選び取ることはできなかった。

 かわりにこう尋ねてみる。


「ウィッテンペンもオレらの家族、だよな?」


 シボッツは少し動揺したみたいだった。

 ウィッテンペンはそんな小鬼をせせら笑うような顔をする。


「私はマカくんの名づけ親だよ。牙の魔女のウィッテンペン。君の後見人。ただそれだけ」


 名づけ親。後見人。

 返ってきたのはマカディオスが想像していたのとはちがう言葉だった。


「そうなのか。オレはてっきりウィッテンペンはもっとこう……」


 絵本に出てくるお母さんのようには密接な関係とはいえない。

 かといって、ただのご近所さんよりもずっと心の距離が近い存在だ。

 コーケンニンみたいな堅苦しいひびきはしっくりこない。

 いつもいっしょにいるわけじゃなくて、別々に生活している時間も長いけれど。


「うまく言葉が見つからねえけど家族なんだよな?」


「ははっ! いやいや、私はただの友人だよー。君たちの用心棒、あるいは番犬かもしれない。それ以上でも以下でもない存在」


「マカディオス」


 シボッツの声が割り入ってきた。

 おだやかでやさしいけれど、毅然とした声で。


「ウィッテンと二人で話がしたい。すまないけど、お前の部屋で遊んでおいで」


「わかった」


 大人だけで話をつづけるなんてズルい、と思わなかったといえばウソになる。

 がウィッテンペンの屋敷に持っていけず部屋に置いていった本やオモチャやトレーニング器具のことも気になっていた。マカディオスはココアクッキーをもう一枚食べてから席を立つ。




「はー、これはヤバい、ヤバいよ。美女とゴブリンが二人っきりだ。ふひひっ!」


「茶化さないでほしい。あなたと話がしたいのに」


 肩を落としてため息をつく。


「カギをウィッテンにも持ってもらえたら、と思ってる。家のカギを……。あなたさえイヤでなければ」


 ぼうぜんとしていた魔女の顔に、じょじょに深い笑みが浮かんでくる。

 美貌をもってしても隠しきれない凶悪な本性がにじみ出た表情で。

 この顔をしている時の魔女の瞳に貧弱な自分の姿が映っているのを見るたびに、小鬼はなんだかとても怖いような充足したような気持ちになってしまう。


「えー? 今さらー?」


「うん。本当はもっと早くわたせればよかったんだけど」


 めずらしく強気に魔女を見つめ返す。


「ウィッテンには必要ないみたいだったから」


「……」


 ウィッテンペンはわざとらしく目をそらす。


「勝手に作ったカギがあるだろう。出しなさい」


 魔女は右手に生成した口からペッと合カギを吐き出させ、そのまま地獄の入口を思わせる凶悪な牙ではさみくわえた。わざわざ豪華な装飾をほどこした銀色に光り輝くカギだ。

 態度のわるさにちょっと顔をしかめながらも、小鬼はおびえない。命をたやすくかみ砕く太く鋭い牙を指先でくすぐった。地獄の口からぬっと突き出た偽物のカギをやさしく取り上げる。


「許可もなくこんなもの作って。わるいことなんだからな」


 ちょっとえらそうな声を出し、至極まっとうな言葉で要点をおさえて手短に責めるのがコツだ。


 この人は自分の悪事を見ぬかれてシボッツに叱られるのが、たいそう好きである。怒られればなんでもいいというわけではなく、かなり好みがうるさい。


 叱責の主旨はあくまでも問題行動でなくてはならない。性格をけなすような言葉をぶつけようものなら、すっかり興がそがれた顔で期待外れだと低い声でささやかれる。

 おどおどとした煮えきらない態度で下手に出ながら指摘しても、ため息をつかれる。

 感情的に声を荒げてもダメ。それじゃ小物の癇癪(かんしゃく)だよ、人を叱る態度じゃないね、と嘲笑される。

 悪事に気づかなくても不機嫌になる。


「うーん、ごめんよー。ちょっとした出来心だったんだよー。本当になんでこんなことしちゃうんだろうねー。ダメなのにねー」


 他人ごと100%の口調でウィッテンペンが形ばかりにもならない謝罪の言葉を口にする。

 これもお決まりの反応だ。


 こんなふざけた謝罪は相手の怒りを逆なでするだけだろうが、シボッツは怒っていないので問題ない。甘えの発露(はつろ)だとわかっている。時々こうして感情をすっきりさせてやらないといけない。


 ウィッテンペンが叱られたがっている相手は、品性と善性をやどした人格の持ち主で、彼女を気にかけている人物でなければならない。

 本来なら幼いころに父親か母親にこんな風に叱られたかったのだろう。

 大人になってから、こうして歪な形で満たそうとしている。


 それが意識的であれ無意識であれ、家族がかかえる要求をかなえる。それがシボッツの生きがいだ。

 親しい人が望むままに演じて、成果を出し、よろこばせる。いつの間にやら、そういう生きものになった。

 人間時代の最初の家族が全員死に絶えて多くの時が流れたが、いまだにこのクセからぬけ出せていない。


 魔女と小鬼は同じような茶番を気が遠くなるくらいくり返してきた。

 よくない気がする。精神的に不健全だ。

 わかっていながら代償行為につきあっている。


「ねー。このとーりあやまるからゆるしてよー」


 魔女の一連の甘え行動は、叱られてゆるされるまでがセットである。


「……仕方のない人だな。それじゃ反省してくれたところで、これをどうぞ」


 ポケットから、輪っかと短い鎖がついた質素な鉄色のカギをとり出した。親指と人さし指で輪っかをつまみ、ぶら下げて持つ。繊細な鎖がゆれた。金属同士がやわくふれあう音が鳴る。


 魔女の指が近づいてくる。興味津々なようすをかくす気もない。伸ばした爪は四角く整えられている。人さし指よりも薬指の方が長い手が、好きだ。


 その手で、つまんだ輪に軽くふれられた。吊り下がったカギが心もとなくゆれる。


「本当にいいのー? 悪い魔女にお家のカギをわたすなんて不用心(ぶようじーん)。考え直すなら今のうちだよー?」


「承知の上だ。あなたが悪い人だって、よくわかってる」


 いちいちいわせないでほしい。

 でもきっと魔女はいわせたいのだ。


「きひひっ!! ……えー? ふーん。そっかー。それじゃ遠慮なくいただいちゃおうね。どうなったってしらないよー」


 魔女の人さし指が金属の輪の中にするりと入りこみ、くっと指の第一と第二の関節を折り曲げて、そのままかっさらわれるようにカギを持っていかれる。


 ウィッテンペンは手にしたカギをあらゆる角度から観察していた。

 なめまわすような視線で。

 穴が開くんじゃないかと思うほど。


「ふーん。まぁくれるってんならありがたくちょうだいしとこう。君からもらったものだ。なくさないよう大事にしまっておくね」


 そういうなり魔女はとうぜんのようにカギをペロリと飲みこんだ。


「わぁ……」


 長い歳月をともにすごしても魔女の奇行にはなかなか慣れない。ちょっと引く。

 それでもカギを返してほしいだとか距離を置こうという思考はわいてこない小鬼も、そうとう手遅れなのだろう。

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