15・魔女先生の特別授業
マカディオスは動じなかった。
髪をお団子にひっつめた伊達メガネ姿のウィッテンペンがリビングにいても。
「はぁい、席についてー」
タイトスカートから伸びるのはストッキングに包まれた二本の脚。
白いブラウスの教師は赤茶色が美しいマホガニー製のテーブルにしなだれかかり、生徒役に着席をうながす。手にした教鞭は革張りのソファーにピッとむけられている。
マカディオスはすなおにすわった。こういうサプライズはおもしろい。
マカディオスが席につくと、ウィッテンペンも背すじを伸ばし脚をそろえキッチリとすわりなおした。テーブルの上に。
「先生が未熟な君を一刻も早く大人に近づけてあげましょうね。荒れ狂う世間の波へレッツゴー!」
「レッツゴー!」
マカディオスも腕をグッと突き上げる。
「この授業で先生が叩きこんであげるのは、この世界で生きのびる術について」
かつて世界は一つきりだった。
「今ではオモテと呼ばれている部分が先にあったんだよ。ここはウラ側。後から作られたゴミすて場ー」
「マジか! オレたちゴミすて場にすんでたのか!? ってことは……」
マカディオスは腕を組んでしみじみとうなずきはじめた。
「ゴミだらけの荒れた土地を住みやすい環境に変えるために奮闘した人がいるんだろうなあ。ありがてえ」
「うーん! ゴミすて場っていうのは比喩だよ! もののたとえってヤツ! 世の中にとって有害や不要だと見なされた人をポイッと追いやっておくところだった、ってこと」
臭いものにはフタ。
まともな人々の目の届かない場所に一生閉じこめておけば、いないと同じ。
「人をゴミにたとえんのはどうよ?」
「まぁこの世界ってそういうもんなの。廃棄するかの基準となるのが、与えられた物語の役割をこなせているか。これにしくじるとまわりからの風当たりが一気に強くなって、あーっ、めんどうくさいったらありゃしない!」
マホガニーのテーブルの上でウィッテンペンが背中をそらして天井をあおいだ。
「物語にさだめられた役割から外れると、オモテの人々の世界から仲間外れにされて魔物に変身する一大イベントが低確率で発生するよ」
どんな巨大なバーベルよりも重たい感情がマカディオスの心にのしかかる。
ウラにいる人たちにそんな過去があるなんて想像すらしなかった。
彼らは本当にそこまで手ひどく排除されるだけの罪をおかしたのだろうか。
細いペンを使って生活感のある室内の絵を緻密に執拗にかきこみまくるのが好きなセティノアが。
妖精市場でタマネギを少しオマケしてもらったというささやかな幸運だけで、小声で無自覚にハミングしているようなシボッツが。
森で死んだシカがたくさんの小動物や虫に食べられて白骨化していく過程を毎日ルンルンとした足どりで観察しにいくウィッテンペンが……。いや……べつに罪だとは思わないが、この人の一部の行動についてはマカディオスも引く時がある。
それでも理解や共感ができないのと悪であることはイコールじゃない。
「物語を与えられるってだれからだ? オレはそんなのもらった覚えがねえんだが」
「無貌の作家サマから」
大きな侮蔑がこめられたサマだった。
無貌の作家。オモテで生まれたすべての人間に対し、人生ではたすべき役割をしるした物語を与えるとされている人物だ。無貌の名がしめすとおり、だれもその顔や人となりをしらない。
物語は書物の形をとっていない。パピルスでもなければ石板でもない。実体はなくとも、だれにどんな物語がたくされたのかはだれもがそれとなくわかる。そういうものだ。
もっとも、自分の物語さえ満足に読みとけずにウラに落ちてくるドンくさい魔物もたまにはいるが。
「なんだあそりゃ。あ、これも比喩ってヤツか」
「残念ながら比喩じゃなーい。理不尽だよねー。でもそれが無貌の作家の物語でーす」
「あやしさマックスだろ。そんなヤツが勝手に送ってきた物語なんてロクなもんじゃねえよ。オモテの生活も楽じゃねえんだな……」
以前会った少女たちを思い出す。
エセルというニセものの名前をつげた、マカディオスのはじめての友だち。セシル。
意にそわないマカディオスを役立たずと罵って去っていった三人の妖精。
「……つまり魔物ってのは全員、オモテで物語ってのがうまくできなくて……。うまく生きられなくてウラにきたのか?」
「うん、だいたいそう。何ごとにもちょびっとの例外はつきものだけどね」
ウィッテンペンの瞳は野生のケモノに似た鋭さでマカディオスをとらえている。
「マカくん。君はその例外に属するんだよ」
マカディオスはウラの世界で暮らしているし人間離れした巨体と膂力の持ち主だ。けれどもその肉体の本質が魔物であるか人間なのか、だれも正確にはわかっていない。
ウィッテンペンはそう話してくれた。
「どうしてマカくんがそんな特別な事情を背負ってるのか。それは聞かれても答えられないよ」
「なんだよ、ウィッテンペンもしらねえのか? でもシボッツならきっと……」
「ごめんね、答えられないんだ。シボッツもそうだよ。マカくんが気になるのはとうぜんだけど、あんまり強く問い詰めないであげてね」
そんな風にいわれると不平を口に出しづらくなる。マカディオスはわきおこる疑問を封印しておいた。仕方がなく、ほかの質問をでっち上げて尋ねる。
「見た目以外で魔物と人間はどうちがうんだ?」
「うーん! じつによい質問ですね、マカくん! 魔物の最大の特徴は、個人の精神を基盤とする疑似生命である点といえましょう」
得意げにメガネをくいっと上げるウィッテンペン。
マカディオスは頭を抱えた。
「疑似生命ってなんだよ……。みんなニセモノなのか? だったらオレも……」
ニセモノがいい。
一人だけちがうくらいなら同じがいい。
「えー? 何しょげてんのさー?」
ウィッテンペンの右手が目の前まで伸びてくる。掌にまたたく間に作り出されたのは、新たな牙の口。長い舌にベロリと鼻の頭を舐められそうになり、マカディオスはすばやく顔を引っこめる。
抗議の意思をこめてマカディオスが睨みつけても魔女は愉快そうに笑うだけだった。
「体はイメージで作られてて、こんな風に融通がきくんだ。さわれる幻みたいなものだよ」
魔女の先生はキッチリとお団子に結い上げた髪をはらりと解く。
自由を取り戻した黒髪が、伸びをする人のようにうーんと高く持ち上がった。
マカディオスはハッとなった。
「シボッツのアホ毛がよくピョンピョコしてんのも、そういうカラクリだったのか」
「かわいらしくも神秘的な器官だよね! いつかかじりたい!」
この魔女とは時々、致命的な話のズレを感じる。マカディオスはしばらく口をつぐんだ。
「そうそう、大事な器官があるんだ。心臓。普通の生きものにとっても重要ではあるけれど、これこそが魔物の本体にして魔力の根源だよ」
白いブラウスの上からウィッテンペンが自分の胸のあたりを指さした。
あれは大胸筋とはべつのふくらみだ。最初はよくわかってなかったが今では正しい知識がある。
カンちがいをしていたマカディオスにシボッツがそっと訂正して教えたのだった。その後、小鬼の家の本棚に新たな数冊が追加された。どれも子どものために書かれた本で、新しく赤ちゃんをむかえる家庭の期待に満ちたようすだとか、はじめて人を好きになった若者のドギマギした気持ちだとか、人体の構造としくみだとかを伝える内容だ。
いつも以上にシボッツが厳選した本なのだろう。どれもほっこりとしあわせな気持ちになれる絵本だった。
人が生きている。それはステキな奇跡だって。そう思えるような本。
シボッツのことを考えているとウィッテンペンの低く静かな声が耳に入った。
「……魔物の体は心臓が残っている限り、満月の光で再生する」
「すげえな。じゃあ満月の晩なら不死身みてえなもんか」
答えはない。ウィッテンペンは黙りこむ。その顔からいつもの笑みは消えうせていた。
何かひどくマズいことをいったのではないかとマカディオスが不安になってきたころに、ようやく魔女の回答。
「うん。そうだよ」
そう答えた時には、魔女の顔に空っぽの笑顔が戻っていた。
「心臓の秘密をしらないと、マカくんほどの怪力でも魔物を殺しきれないからねー。覚えておくといいよ!」
「ああ? なんだよ、そりゃあ……」
ウィッテンペンは何をいっているのだろう。マカディオスが魔物を殺すだなんて、ありえないことだ。
体を動かすのも勝ち負けのある遊びで競い合うのも大好きだ。でも力をふるってだれかの命を奪うとなると話はべつだ。
不注意でチョウを死なせただけであれだけ暗い気持ちでしずみこんだというのに、血と肉のぬくもりを持つ命を絶つなんて想像もしたくない。
そもそも人を傷つけて動揺すらしない神経が理解できない。命のやりとりなんてしたがるのは、よっぽど危ない人くらいのものだろう。月夜の森をさまよい歩く樹木の老人だとか。
「ぶっそうな冗談だぜ。やめてくれよな」
「つべこべいわない。ここテストに出しちゃうよ」
ウラの住民にとって忘れてならない敵が正答の教導者だ。
「基本はオモテで活動してる連中だね。たまに少人数でウラにまで乗りこんでくるよ。身のほどしらずは蹴散らしてあげようね」
「正答の教導者……」
その名前はマカディオスもすでに聞いている。
エマとジュリ。わるい人だとは思わなかったしイヤなこともされなかったが、本当はどういうつもりでマカディオスにかかわっていたのだろうか。
「コイツらは武装が厄介! オモテの人間は魔法が使えないザコのくせに、魔物をつかまえて閉じこめてダサい武装にセットして使い捨ての動力源にするんだよー。ひどいヤツらなんだ。生かしておく理由なんてないよねー?」
ウィッテンペンはどうあってもマカディオスに色んな敵の倒し方を教えこみたいらしい。
興味が持てない内容にマカディオスはだんだん飽きてきた。
「はぁ……。授業態度がわるいね。マカくん、起きな」
いつの間にかうたた寝していたらしい。
心底軽蔑した顔のウィッテンペンに見下ろされていた。
「話を聞いてるだけじゃ集中力が持たねえよ」
「うーん、それもそっか。じゃ今度の授業では習ったことを実践できるように、心臓をぶちぬいてOKな魔物と武装を引っぺがした教導者を用意しておくね」
「やめろ。そんな血なまぐさい授業があってたまるか」
ウラの世界が存在する理由や、魔物の正体、マカディオスが例外的な存在だといった知識を教えてくれるのはありがたかった。
でも魔物や教導者の仕留め方を聞かせたがるのはウィッテンペンの悪ノリなんじゃないかと思う。一度ハッキリいっておいた方がよいのかもしれない。
「あのさ、ウィッテンペン。オレ、人をケガさせたり泣かせるのって好きじゃねえ。イヤなんだよ。ケンカぐらいならするけど、生き死ににかかわるようなのはちょっと……。ってかオレはそういうガチで殺伐とした世界とは無関係でいてえんだけど!」
魔女は肩をすくめる。
「なるほどー。それもいいんじゃないかな。戦いたくないってふざけた主張をつらぬけるのは強者の特権だもんねー? 同じセリフを弱者がいっても、それはぶざまな命乞いでしかないんだし」
こちらをぶちのめそうと息まく相手と対峙して、それでもなお戦いたくないという強烈なワガママを押しとおせるものは、それはたしかに圧倒的な強者だけだ。
マカディオスはほがらかなやさしさの持ち主だ。が、無自覚に強いものの目線で多くのものごとを見ていて、弱いものがどういうあつかいを受けるのか感覚としてわかっていない。断絶がある。
べつに本来はわからなくてかまわないのだ。弱者の立場や気持ちを強者の側がわざわざ理解する必要性はきわめてうすい。
「あぁでも、どうしよう? マカくんはそれでよくても、君の大切な人たちは君と同じくらい強いのかなー? 心配だねー」
シボッツとセティノアの姿が思い浮かんだ。
ウィッテンペンも大切だが、この人は強者の側に属している気がする。
「残酷で殺伐としたものは、こないでーって思っててもくる時はきちゃうものなの。マカくんがふぬけたお花畑なセリフを叫んでる間に、君の大切な人たちはどーなっちゃうんだろー?」
「そ、そんときゃあオレだって本気出して戦うけどよ……」
消極的ながらもマカディオスは戦う意志をしめした。
深く、暗く。
魔女の顔が歓喜にそまる。
「よくいってくれたね、マカくん! ……あのさ、一つ約束してほしいんだ」
これまで見たことがないほど、とびっきりにやさしい顔のウィッテンペンがいた。
さも善良で慈愛に満ちたようすで。
魔女は竜の子に手を伸ばす。
約束を取りつけるため。
「もしも私が思うように動けない時は、マカくんが私のかわりにシボッツを助けるんだよ。わかったね? 絶対だよ?」
それは至極まっとうな約束に思えた。
「おう! 約束するぜ」
マカディオスはがっしりとその手を握る。
見た目の印象よりもはるかに力強く魔女は握り返してきた。
からの、陽気なハイタッチ。
「イェーイ! よくいった! 大奮発してニハロイの職人が作るスシの出前をとってあげちゃう! もちろんセティノアの分もあるからね」
「やった! オレ、玉子焼きが好き!」
マカディオスはまだワサビが食べられないお子さまだ。




