14・動悸、臓器、回想記
*非力な魔物が強力な魔物に襲われる回想シーンあり
まだ太陽が昇らないうちに目が覚める。よくあることだ。体が勝手に覚醒状態にうつってしまった。どうせもう寝つけやしない。
シボッツは仰むけの胸の上で軽く組みあわせていた両手の指先をといた。バカげたクセだとは思うが、こうやって胴をガードしておかないと安心して眠れない。
これでも状況は改善してきている。昔は悪夢を見た自分の叫び声ではね起きるなんてのはザラだった。最近はうなされる頻度がへってきている。年に数回あるかないか。あと千年ぐらいしたら完全に忘れられるだろうか。
思い出したくない。
横むきに寝返りをして、ぎゅっとまぶたを閉じる。薄手のパジャマの上からみぞおちのあたりを強くつかんだ。
意識して思考を切りかえる。
マカディオスが魔女の屋敷でも楽しくすごしているといいのだが。
それにしても自分はとんでもないヘマをしたものだ。弱っているところを見せないよう気をつけていたのに、よりによって意識までなくしマカディオスに助けまで呼ばせてしまうなんて。
ウィッテンペンはどうしているだろう。こんなに早い時間帯ならきっとまだベッドの中……ともかぎらないのがあの人だ。
床やソファーで寝落ちしているのかもしれないし、徹夜で本を読んでいる最中かもしれないし、素材採取や生きものの観察目当てで早朝の森にくりだす準備をしているのかもしれない。
突拍子もないことをする。理解できない。よくおどろかされる。正反対の点が多いけどキライじゃない。そばにいるとドキドキする。
マカディオスやこれまで見守ってきた子どもたちとはまたべつの感情が、ウィッテンペンに対してじんわりと育ちつづけている。
大切でかけがえのない存在。それと同時に……。
怖い人。
軽く目をつぶって、ゆっくりとまた開けて。みぞおちを数回なでさすり。
シボッツは上半身を起こした。ここで調子にのって一気に立ち上がったりすると、くらりときてバタンとたおれることもあるからご用心。今日は目がまわる感覚もせず、気が遠くなりもしない。なかなか快調な一日のすべりだし。
ぽこぽことした凹凸感が特徴のサッカー生地の寝まきの上から自分の胸にトンと右手を当てる。うすっぺらい肉とたよりない肋骨の手ごたえ。
ぐっと手を押しこめばわずかな抵抗だけで、するっと体内に入っていく。まったく痛みはないし赤い血が飛び散るようなこともない。体の中だって白くもちふわとした上等のパンかお菓子を思わせるファンシー空間。
魔物の体の構造は個人のイメージに大きく左右される。もとはだれしも人間だった。肉体が異形と化しても人間時代の身体感覚に引きずられがちだ。
ずっと飲まず食わずでも死なないが空腹感でふらふらしてくる。毒を口にしても息絶えることはないが気持ちがわるくなって寝こむ。難儀なものだ。
わざと半熟に焼き上げたケーキみたいにもちょもちょした体内で目当てのものを見つけた。
えいやっと引っぱれば、すっぽーんと心臓が飛びだした。リアルな臓器らしさとはかけ離れた、まるで砂糖細工か陶芸品といったキュートなフォルム。シボッツの目と同じ淡いスミレ色をしたハート。大きな傷を丹念にぬいつけて、無数のひび割れを丁寧にうめて、必死の修復をした形跡がある。
壊れかけのガラクタ。
心臓さえ消滅しなければ、魔性たちは満月の光で何度でもよみがえる。体が完全になくなろうとも。
魔力の根源。存在の基盤。
そんな最重要器官がこのありさま。影響がないわけがない。だましだましでなんとか体を動かしている。
「ぶざまなガラクタ。しっかり働け」
ほかのだれかにこんな言葉の刃をむけることはないくせに、自分に対しては平気で罵倒を浴びせられる。ウィッテンペンやマカディオスにまた迷惑をかけないように、こうして己にムチをうつ。体力面でおとっているという事実は変えられないが、それをおぎなう努力ならできるではないか。
小鬼は憮然とした表情でハートを再び胸の奥へ押しこむ。元の場所へおさまった。
不本意だろうとこの壊れかけと一生つきあっていくしかない。
セティノアが正式に魔女の屋敷の住人とみとめられて数日。
マカディオスはいっしょに絵をかいたり笛つき風船を飛ばして遊ぶ仲間ができてうれしかった。
精神的な年齢はまだまだ子どもな二人だが、生きている年数が長い分セティノアは時々お姉さん風をふかせている。宝箱の中から出てすごす時間も増えてきた。
うっそうとした魔女の庭が遊び場だ。クチナシの香りをはこんできたそよ風が、セティノアのつむじ風みたいな巻き髪にあいさつしていく。
マカディオスは教えてもらいながら枝笛を作りに挑戦中。セティノアはなかなか手先が器用で工作ナイフの持ち方もさまになっている。
「ンギェ! マカディオス、刃を動かす方向に自分の指をおいちゃヤベーでぃすの!」
「いけね。またやっちまうとこだった」
マカディオスは少し苦戦している。もうすでに何本かナイフを台なしにした。刃こぼれ、ひしゃげ、ポキッと折れた。ナイフがクリティカルヒットしたマカディオスの手は無傷である。さすがに、ぶつかってちょっと痛いくらいには感じるが。
「帰ってきたウィッテンペンがこの壊れたナイフの山を見たら、いったいなんていうか……」
「『パワフルだね、マカくん』ってほめてくれる」
今日は二人でお留守番。ウィッテンペンは小鬼の家にお見舞いにいっている。マカディオスもついていくつもりだったが、笑顔でダメといわれてしまった。
「オレが会えんのは、もうちょっとシボッツの体調が安定してからなんだと」
「はやく容体が落ち着くといいでぃすわね。そういえばその人ってマカディオスのおじいちゃん……とかでぃすの?」
木をけずっていたマカディオスの手がとまる。
そんなことまじめに考えたことがなかった。
難しい顔で腕組みして無言で首をひねっていく。
「なんだろう」
ご飯を作ったり服を洗濯したり世話してくれる。オヤツにセロリをだしてくるような理解不能な蛮行もするけど。
文字や数を教えてくれる。シボッツはマカディオスがしりたいと思ったタイミングで要点をおさえて教えるのがうまい。
困った時には助けてくれる。ぜったいどんな事態になっても自分の味方だと思えるし、もしマカディオスがいけないことをやらかした時は冷静に叱るだろう。
こちらの意見に耳をかたむけてくれる。さすがになんでも思いどおりになるわけではないが、少なくともじっくりと話を聞いてくれる。
「わかんねえ」
いっしょに暮らすのがあたり前で、ちょっとうっとうしい時もあって、いつも見守ってくれているあの人をどういい表せばよいのだろう。
世話焼きで年齢不詳のおじいさん? 家事が得意な心配性のお父さん?
「オレを世話してくれる人だから……おやっさんってヤツだな!」
「おやっさん!?」
絵本に出てくる山賊イタチの親分は育ての親である白いフクロウをそう呼んだ。
また師匠のような関係のノネズミもいた。そちらは別の呼び方がある。
「オジキっていうのかもしんねえ」
「オジキ!? ……そ、そうでぃすか」
おどろくと同時にどこか納得したようすでセティノアはうなずいて、べつの話題へときりかえた。
窓から午後の明るい日差しがさしこむ。
ベッドから離れた壁際にはウィッテンペンがもたれかかっている。
ウィッテンペンにイスをすすめてそっけなく断られたり、急に迷惑をかけてしまったことをさんざんあやまってから、シボッツはおずおずと聞きたい話題を切りだした。
「それで、その……マカディオスはどうしてる?」
元気にやってる、とシンプルな返答。
「友だちもできたよ。ひきこもりミミックガール。変わってるとこもあるけど、ま、そんなの魔物ならお互いさまだよね」
セティノアがいっしょに暮らすようになったわけをウィッテンペンはかいつまんで話してくれた。
「よかった。マカディオスは友だち関係でいろいろあったから、人間不信にならないか心配だったんだ」
「よくマカくんを気にかけてるよね。全体的にこう……過保護!」
痛いところを突かれる。
「う……。じつは俺も自覚はある。マカディオスとのかかわり方で少し悩んでる……」
「あ、そーなの? じゃ、話聞くよ。子育て経験ないけど」
子守鬼時代、シボッツはたくさんのオモテの子どもたちの成長を見守ってきた。甘やかすだけでなく、信頼して手を放すことの大切さもわかっている。いずれは巣立っていく運命。ずっと手元において保護できるわけではない。
だがマカディオスはあまりにもユニークすぎる出自と成長過程と爆裂筋肉の持ち主だ。
実年齢どおり産まれて一年もしない赤んぼうなら、ふわふわの心地よい揺りかごで寝かしつけてやっただろう。
見た目どおりの成人マッチョ男性なら、この世で生きぬく技術と知識を贈りその門出を祝っただろう。
今のマカディオスは赤んぼうとも大人ともいいがたい。保護者の勘だけで精神年齢を見きわめるしかない。だからあつかいが難しい。
「笑われるかもしれないけど、俺の目にはあの子がとても無垢でたよりなく見える」
魔女が失笑した。
「ダイナマイトバルクアップボディなのに?」
「ダイナマイトバルクアップボディでも」
マジメな顔でうなづいて返事をする。
シボッツにしてみればマカディオスも愛情をこめて守るべき対象。かわいいかわいい子なのである。
うわー、という顔をしているウィッテンペンにはもう少しくわしい説明が必要そうだ。
「もしマカディオスの容姿が幼く弱々しければ、穏当な大人からはそれなりに気をかけてもらえるだろう。仮に美少年や童女だったなら、そういう子どもを保護したいという気持ちにかられるものは少なくはない。善意か下心かはともかく」
マカディオスは実年齢に不相応な体と頭脳を持って生まれ、デタラメみたいに強いし、大人がつい守ってあげたくなるような外見ではない。
守られる側ではなく守る側にいるのがふさわしいと、多くの人がマカディオスに対して思うだろう。
たぶん生まれてすぐに野山にほうりだしても生存だけはしていけた。それではたして人間といえる生きものになれるのかはさだかではないが。
「俺があの子を甘やかさなかったら、いったいだれが甘やかすんだ」
実の親はその役目を放棄した。
この世界はつらくきびしい。未熟な自我にはおしみない愛情と祝福を。それはやがて荒波にくりだす日の大きなささえとなるだろう。
家族やまわりの人々から愛されなくても生きのびることはできるかもしれない。
けれども人生の同伴者みたいな顔をして、孤独や無気力や死がまとわりついてくるようになる。
「マカディオスが卵から出てきて半年もたってない。今はまだ現実のどす黒い部分から大人が守ってやる時期だと思う」
マカディオスのハーフバースデーには、とびきり大きなケーキを焼こうとシボッツは決意を新たにした。
「いつかはあの子もしらなくちゃいけない。たくさんの秘密も、話す時期がきたら打ち明ける覚悟はできてるんだ。全部を一度に話す必要はないと思うし、あの極悪竜の最低な所業はわざわざマカディオスの耳に入れなくてもいいけど」
出生の秘密を。
オモテとウラにわかたれた、このいびつな世界を。
人々にかせられた物語の苦しみを。
現実というものはどんな相手にも容赦はないが、とくにマカディオスにはヘビーな事実が多すぎる。筋トレの負荷ならマカディオスはいくら重くても大歓迎だろうが、精神的な負荷はうれしくないだろう。
相談なしでいきなり卵を持ってきて、断れば我が子を食らうとほのめかしたイフィディアナ。
両親の結婚はオモテからもウラからも祝福されず、多くの批判と悲嘆をむけられた。
オモテの人間とウラの魔物の間に子どもが産まれた前例がなく、まれな境遇のつらさをわかちあえる相手はいない。
「伝える時期を慎重に見はからってる。一度しかないマカディオスの幼少期を暗い悩みで台なしにしたくない。彼の心が小さな子どもと大差ないうちは、大人の俺が現実の痛みを肩代わりして……」
「えー、えー、えー。そうくるんだー。まいったなー。負担をへらすように誘導したかったのに、なんかまたかかえこみはじめちゃったねー」
茶化しつつも不満そうなウィッテンペンに、あいまいでひかえめな笑みをうかべ沈黙で応えた。
家族のために自分が重荷を引き受ける。むけられた期待には完璧に応える。シボッツはこういう役割が得意だ。むしろ落ち着く。するな、といわれた方が家の中での居心地のわるさを感じるかもしれない。
「わかってるとは思うけど、君の願いとは関係なくどす黒いものはたしかに存在しているんだよ。ハチが危険な虫だってマカくんに教えたんだよね? 産まれについてはまだ話せないとしてもさ。魔物がどういう立場なのか、正答の教導者がどういうヤツらなのか、そういうのはちゃんと話した方がいいよ」
シボッツは小さくうなづいたが、それがあまりにたよりなく見えたのだろう。
壁に背中をつけていた魔女が身を乗り出した。
「私が、教えてあげてもいい。この世の中の悪意と危険について」
「……適任だと思う。ふぬけの俺なんかよりずっと。ウィッテンにならお願いできる。マカディオスに話す時は俺も立ち会いたい」
気まずい役目をウィッテンペン一人に負わせる気はないし、マカディオスの精神的なショックもやわらげたかった。
ふと視線をむけると魔女がその長身をぐっと丸めているではないか。
心臓のあたりを激しくおさえつけ、フーッと荒い息。
「え、ウィッテン? 大丈夫?」
「ふぇひひひっ!! バリバリ大丈夫!! しーちゃんにたよりにされるよろこびを噛みしめているんだよ!!」
「あぁ、そう……」
ウィッテンペンからこうした言葉を聞くたびに、あきれて苦笑いしたくなる気持ちと本当に申し訳ない気持ちで板ばさみになる。
埋めたドングリから芽吹いたブナの木が枯れるまで。それよりも長い歳月をともにすごしてきた。
ウィッテンペンは飽きもせずにこんなつまらない小鬼風情に好意をよせてくれている。
いや、好意という表現ではとうてい重みがたりやしない。
――番犬か用心棒とでも思えばいい。都合よく利用してもかまわない。ただそばにいることをゆるしてほしい。
そういってきた魔女の顔は今でもよく覚えている。これ以上ないほど真剣でせっぱつまった表情だった。
背の高い、すらりとした体をちぢめて、小鬼なんかにひざまずく。
熱く懇願されるという優位な立場でありながら、少しでもまちがった対応をすれば即座に組みしかれて頸動脈に牙を突き立てられそうな緊迫感もあった。
こうして思い返すだけでもドキドキする。シボッツは無意味に布団の表面を握っては放しをくり返す。
あの時目の前でひざまずいていた魔女は、今は寝室の壁際でしあわせそうなニヤけ顔をさらしている。
身近な人が自分に願うことはなんでもかなえたいのに。
ウィッテンペンの愛情にだけは応えられない。
怖くて怖くてたまらない。
長い髪も。
しなやかに動く手も。
どこか気だるく優艶なひびきを持つ声も。
恐怖の対象でしかない。
見目麗しい女の姿をした魔物がそばにいるだけで足がすくむ。呼吸がおぼつかなくなる。
ウィッテンペンはシボッツがなれるのをガマン強くまってくれた。今では普通の友人同士がするくらいの触れあいならば、まず問題なくおこなえる。
そこから先は……わからない。大丈夫だという確信が持てない。
いくらこの人はちがうのだと頭で必死にいい聞かせても、奥底まで恐怖がきざまれた心臓はいっこうに聞き入れてくれない。
「あ」
これまでにもさんざん味わったイヤな感覚が、細い首筋のすぐそこまで忍びよっていることにシボッツは気づく。
自分の体をきつく抱きかかえて暴走する記憶をどうにか止めようとするが、しょせんムダ。
壊れかけの心臓は持ち主の迷惑なんてしったこっちゃない。
イヤなのに。やめてほしいのに。
勝手に過去の恐怖を再演しはじめる。
満月の晩だった。日中の雨で増水した川の音もはっきり覚えている。草の一本一本まで視界に焼きつき月明りにくっきりと。
濁流の匂い立ちのぼる。背中に泥の感触。髪も体もすっかり汚れた。忘れたい。
魔物になりたてのまだ不安定な体。月はおわりのない苦悶をもたらし死の救済を遠ざけるだけ。消し去りたい記憶。
するどい爪がはえた繊細な女の手。鈴のように笑う甘い美声。楽しそうにゆがんだあでやかな唇から、白い歯がチラリとのぞく。もう思い出したくない。
まだ無傷だった心臓は自分ではないものの手で引きずりだされて。それから――。
「うーん、それはいけない。私の目の前でほかの女のこと考えてそんな風になっちゃうなんてさ」
感情を抑制した魔女の声が小鬼の大きなとがり耳に忍びこむ。
何度も何度も同じ演目がくりかえされる壊れた記憶の劇場への乱入者。
まだふわりくらりと現実感が希薄だが、シボッツはほんの少しだけ我に返ることができた。
「こういう時はどうしたらいいんだっけ。私は……近づかない方がいいんだよね?」
へなへなの体を動かして無言でうなずく。意思と無関係に生々しく記憶がぶり返すのは防げないが、対処法なら確立してある。
ベッド横の小さな棚のキャンディポットに手を突っこんでアメ玉の包みを取り出した。こういう時のためのよりすぐりのマズい味。
お菓子というより荒れたノドを整える民間薬みたいなものだが、マズいにもほどがある。もしこのアメをきらしていても、シップか消毒液が手元にあればどんな味か体験できる。
口の中で転がる薬品めいたえげつない苦みと暴力的な芳香に否が応でも意識は現実に引き戻される。
過去の呪縛から一時的に逃れるための儀式でもあり、肉体を傷つけずにできるお手軽な拷問でもあった。
「マカくんに話をするのは私一人でやっておくよ。何も気にせず休んでな」
重要な話をマカディオスにするにあたり、自分は不適格だと見なされた。
反論できるはずもない。
これだけの脆さ、いびつさ、ふがいなさを露呈しておいて。
消毒液の香りを放ちながら、力なくうなづく。




