11・目まい、病、肩身がせまい
八重クチナシが強く香る。大輪の白いクレマチスはかたむいた鉄のフェンスにからみつく。レース細工に似た繊細な花を咲かせたガマズミの木。
初夏の花々がうっそうと息づく緑の庭の奥に、壁面にアイビーをしげらせたあやしく豪華な館が見えてくる。窓という窓は長年の土ボコリでくもりきっていた。
これがウィッテンペンの家だ。
マカディオスはシボッツに連れられて何度か遊びにきたことがあるし、つい昨日もかけこんだばかりだ。マカディオス一人で。
「今日からここがマカくんの新しい家だよ!」
「おう」
マカディオスはリュックサックがわりの風呂敷づつみを背負いなおした。古典的どろぼうスタイル。荷物を豪快につめたせいで布がボコボコにゆがんでいる。シボッツが荷づくりを手伝っていたら、もう少し機能的かつ見ばえよく整えてくれただろうに。
重厚な扉を開けて屋敷の中へ。
玄関ホールだけでゆうにシボッツの寝室をこえるスペースがある。が、実際はあまり広々とした印象はない。むしろせまく感じられる。壁際にどっちゃりとおかれた、使うんだかすてるんだかわからない無数のガラクタのせいだ。
やたら引き出しの多い収納タンス。さびたハサミと草刈り鎌。何かの木の実。壊れた秤。空っぽの虫カゴ。フルプレート甲冑。何かドロッとした液体が入った茶色の遮光ビン。殺人バチの巣。
「殺人バチの巣!?」
マカディオスはウィッテンペンの細身の体をガッと抱きかかえて外まで逃げた。
毒バチはあぶない生きものだとシボッツからよーくいい聞かされている。森で遊ぶ時のお約束である。
ハチやムカデはそっとしておく。
ケムシのいる木からは距離をとる。
ミミズにおしっこをひっかけない。
「大丈夫、中にハチはいないよー。私の戦利品。いーでしょ」
魔女はマカディオスの腕の中からひょいと飛び下りて屋敷の中へ入っていく。まってくれないし、ふりむきもしない。
マカディオスはハチの巣を警戒しながら、その横をおそるおそるとおりぬけた。
屋敷にはお客さん用の空き部屋がいくつかあった。その中の一つをマカディオスは貸してもらえる。ウィッテンペンは家で魔女の友だちとパーティしたり、そのまま泊めたりすることも多いらしい。
その交友関係の広さにビックリする。シボッツの家にはウィッテンペン以外のお客さんがおとずれたことはなかった。
「この部屋どうぞー。ごめんよ、急だったから掃除とかしてないんだー」
「泊めてもらえんのはありがてえ。しばらくの間、よろしくな」
たしかに室内は乱雑だった。
マカディオスがふだんかがない匂いが色濃く残っている。香水だとかお化粧品だとかの残滓。てきどな量ならよい香りだと思えるのかもしれないが、まざりあったそれは鼻を不快にムズムズさせるだけだった。
三つのシングルベッドはどれも布団がぐちゃぐちゃのままで、六つの枕は床のあちこちに落ちている。枕投げで暴れまくった形跡。片づけをしてベッド三つをつなぎあわせて使えばマカディオスの巨体でも横になれそうだ。
「ん-? 何これー」
床に放置されたくしゃくしゃの布のかたまりをウィッテンペンがつまみ上げる。広げてみると、だれかが一度着用したとおぼしきネグリジェだった。黒いレースで飾り立てられたショッキングピンクのヒョウ柄だ。とても迫力があって強そうなので、マカディオスは自分のファッションにも取り入れてみようかなと思った。
「忘れものだ。えー、持ち主を探すのめんどうくさいな。すてていーよね?」
ウィッテンペンがネグリジェを放り投げる。それはパサリとベッドの上に落ちた。
そこには食べ散らかされたプレッツェルのかけらが大量に。
「大変だ。この家、動物が入りこんでるぜ」
シボッツに教育されたマカディオスの常識にのっとれば、ベッドの上でこんな風に飲み食いして、あまつさえそれをそのままにする人がいるはずがなかった。ネズミやイタチのしわざにちがいない。
「心配ないよ。これはこの前のパジャマパーティの思い出ってヤツ」
ウィッテンペンは布団をバサッと持ち上げお菓子のカスを床に払い落とした。
これでよし、ゴミは消滅した、問題ないね、とばかりの笑顔をマカディオスにむけている。
「……掃除の道具をかしてもらえりゃオレがピカピカにするぜ。できれば替えのシーツとかも。それさえしてくれりゃあ、あとはオレがやっとく。ウィッテンペンはくつろいでて」
「掃除道具とシーツね、OK。じゃ、この部屋が片づいたらさ、オヤツにしよー」
道具をとりにむかったウィッテンペンは大きな口をかくしもせずにあくびを一つ。
ちょっとお行儀がわるいがムリもない。いつもどおりの態度でマカディオスに接していたが、本当はウィッテンペンも疲れているはずなのだ。
家具につもったホコリを雑巾でていねいにぬぐう。自分の行動の結果で汚れがへっていくのが目に見えてわかる。これがなかなか落ち着く。掃除が必要な場所はほかにもある。複雑すぎず、かといって単調すぎもしない。ちょうどよい労働。
何もせずジッとしてなさい、といわれていたらマカディオスはすっかり不安に支配されていただろう。
――昨日。いつものように遊んで帰ると家の中は静まりかえっていた。それもそのはず。おかえりをいってくれるはずの人が台所の床でぶっ倒れていたんだから。
呼びかけても返事はないし、てっきり死んでいるのかと思った。本当にこわかった。こわい。今もまだ。
台所の床もシボッツの姿もすっかり見なれた日常的なもののはずなのに。
よくみがかれたこげ茶色の床に投げだされた白い髪はどこまでも非日常で。
お茶を盛大にぶちまけたマグカップ。匂いからして、カモミールとセントジョーンズワートがメインのハーブティーだ。マカディオスはあまりおいしいとは思わないが、シボッツはこれを時々飲んでいる。お茶はすっかり冷めていた。
シボッツのお気に入りのカップにかかれたネコの絵は、こんな時だってのに絶妙にブサイクなゆるかわいい脱力顔でおしりの穴を見せている。泣きそうになりながら不安の中であわてふためく自分がいると同時に、この人なんでこんなカップを使ってるんだろうという乾いたツッコミも思考の片すみにいすわって、とにかくマカディオスの頭の中はごちゃごちゃだった。
けっきょくどうしてよいかわからずに、ウィッテンペンの屋敷に助けを求めに走った。それが昨日の昼すぎだ。
ウィッテンペンはびっくりするほど冷静で、テキパキと指示をだして、なんていうかこの状況になれているみたいだった。
今日のだいぶおそめの朝食時。マカディオスはしばらくウィッテンペンの家ですごすとに決まった。そう告げられる。マカディオスに選択権はなかった。いつもなら、どうしたいか、どう思うか、シボッツが意見を聞いてくれるのに。それができないくらいの状況なのだとマカディオスは理解した。
ウィッテンペンの作る朝食は豪快なほどシンプルで、パンと焼いた肉の塊をだしてくれた。焼きすぎてこげた肉の匂いがただよう台所に、シボッツの姿はない。
重く閉ざされた寝室のドアを開ける勇気はマカディオスにはなかった。
部屋におとずれたマカディオスに気づかないぐらい、具合のわるいシボッツがいたらどうしよう。
元気のないマカディオスを見かねたのか、ウィッテンペンが声をかけてくれた。
心配ない、ただの疲れだと。
励ますためにいった言葉だろうが逆効果だ。小鬼が疲れきった原因なんてマカディオスには一つしか心あたりがない。
図体はデカいわ、よく食べるわ、好き勝手にどこかに遊びにいくわ、家はこわすわ。ふり返ってみれば自分はシボッツに負担をかけまくっている存在だと気づく。
この先マカディオスがシボッツと対面したとして、もしも、もしもの話だが……思う存分ゆっくりできる休息からせわしない日常に引き戻された彼が、迷惑そうな表情をうかべて自分を見たら。
「……」
屋敷のどこかでカタンと何かの気配。
掃除の手がすっかり止まっていることに気づき、雑巾を投げやりにバケツの水にしずめる。
前に遊びにきた時にも感じたが、やはりこの家には見しらぬ生きものがひそんでいる。
オヤツの時間。生きものをつかまえるために使えそうな道具はないか、ウィッテンペンに聞いてみた。
「たくさんあるよ! いいね、食べ終えたらいっしょにとりにいこう」
パンに砂糖をぶちまけたものとハーブティー。それがオヤツだった。ゲーム大会の時にあった高級お菓子はパーティ用の特別なもので、ふだんから食べているわけじゃないとウィッテンペンが教えてくれた。
エルダーフラワーのお茶から、マスカットに似たさわやかな香りがふわりとただよう。砂糖のシャリシャリをパンとともにかみしめる。ダイレクトな甘さ。
そぼくでホッとするオヤツだ。
三人で食べられたのなら、もっとよかったけれど。
「あ、砂糖じゃなくてハチミツをかけてもおいしいかも」
そういってウィッテンペンが戸棚から取りだしたハチミツの小ビンは、やけにどす黒く見えた。
マカディオスは気づく。ビンの上の方の黒くごちゃごちゃしたものはすべてハチの死骸だと。
「それ何っ!?」
「私が作ったんだよ。元気が出るんだー」
大量の殺人バチを漬けこんだハチミツをスプーンで一すくいして、ウィッテンペンはパンにかけた。
「マカくんもいる? おいしいよ」
首をブンブンふってお断りする。
オヤツの後、ウィッテンペンは約束どおり生きものをつかまえる道具を持ってきてくれた。
が、ちょっと期待はずれなものだった。虫カゴに虫とり網。マカディオスは屋敷のナゾの生物をつかまえる気でいたのに。
そういうことじゃないんだけどなぁ、と思うマカディオスだがここは魔女にしたがうことにした。あまりワガママをいうものじゃない。お世話になっている身なのだから。
さながら緑の無法地帯といった感じに植物が好き勝手にはえている庭で、ウィッテンペンは虫とり網の使い方を教えてくれた。持ち方、振り方、ねらい方。
「マグザスじゃ虫をとるなんてものめずらしい目で見られるけどさ、ニハロイの子どもたちはわりと虫好きみたいだよ。カブトムシとかスズムシとか大切に育てたりするんだって」
虫を育てる。考えたこともなかった。栄養たっぷりのエサをあたえたら、グングン大きくなったりするのだろうか。おいしいステーキやチョコ味のプロテインをあげてかわいがるのだ。きっと虫たちにも気に入ってもらえるだろう。
マカディオスはちょっとワクワクしてきた。
しばらく二手にわかれて虫とりに。
力まかせに叩きつけるのではなく、やさしく生け捕りにする。これはなかなかむずかしかった。
最初はおっかなびっくりで失敗つづきだったが、コツをつかんでからはうまくいきはじめた。虫がどっちの方向に逃げるのか予想する。これができるようになるとおもしろいように虫がとれた。
生きものをつかまえる。これは思っていたよりもずっと楽しいかもしれない。マカディオスの頭の奥底、本能をつかさどる部分があるとしたら、きっと今そこは小おどりしている。
「あちゃーマカくーん、それはダメだよー」
ウィッテンペンの声で本能の没頭から引き戻される。
魔女の指はマカディオスの虫カゴを指さしていた。
「カマキリとチョウをせまいカゴでいっしょにしたら、そうなっちゃう」
とらわれの虫がぎゅうぎゅうにひしめきあう虫カゴの中、マカディオスが気づかないうちにそれはおきていた。白く可憐なチョウの翅はボロボロになり、腹が食いやぶられている。立派な体格のカマキリの大あごは規則的な咀嚼をくり返す。
「先に説明しておけばよかったのかな? ごめんよ」
「ううん」
やらかしたのは自分のせいだ。
「片づけてあげるね」
殺戮の会場となってしまった虫カゴをあずかろうとウィッテンペンが手を伸ばす。
マカディオスはゆるく首を横にふって、静かにその手をよけた。
まだ生きている虫は逃がし、死んでしまった虫のために土を掘っているマカディオスの背中をウィッテンペンはながめている。墓を作るのだという。
あそこで片づける発言はマズかったかな、と魔女はふり返る。いくら学習しても良心があるフリが完璧にはならない。あいにくそんなものは生まれ持ってこなかった。
人の感情の変化はよくわかる。敵意だとか警戒心だとか、信用だとか油断だとか。相手の心理を正確に把握できれば有利にたてる局面は多い。とくにウィッテンペンは弱っている人間をかぎつけるのが大得意だ。
自分の感情がないわけでもない。状況によって演技もするが、それは大人ならばあるていどは当たり前。喜怒哀楽だってちゃんとある。以前は根源的な快と不快しか存在しなかったのに、ずいぶん人間らしく感情ゆたかになったものだと思う。
ただ、繊細な情緒となってくるとお手上げだ。どうも思いやりや罪悪感や共感といった心理機能が弱いようだ、とウィッテンペンは自己分析している。知識として理解できても実感がともなわない。
善良な心を学ぼうとすればするほど、自分の悪辣さを許容範囲に見せかける姑息な手腕だけが向上していく。
つかみどころのない善なるもの。
儚く神聖で未知の領域。
自分にはあたえられなかった絶対的な安寧。
でもそれらはたしかにこの世に存在するのだと、魔女にしめした小鬼がいる。
そばにいるのをゆるされているだけで、泣きたくなるくらい満ちたりた気持ちになる。大きくあたたかな存在に無条件で愛され守られている、しあわせな幼少期。そんなありもしない記憶がよみがえってくるほどに。
たぶん、これが、愛という気持ち。
閉じこめて、頬をやさしく両手でおおって、どこにもいかないように、ふわふわの髪に指をからめて、鉄製の給餌用シリンジを小さな口に突っこんで、うっとりと愛をささやいて、やせ細った体を丹念に清拭して、彼の中の過去と未来をすべて今この瞬間の恐怖で塗りつぶせたらよいのに。
ダメだ。そんなことは断じてゆるさない。
強固な理性で夢想の実行をおしとどめる。
彼を本気で悲しませたり傷つけるなんてことはあってはならない。
怖がらせたくはないのに。大切にしたいのに。深刻なトラウマがあるのはしっているのに。
彼を地獄につきおとしたクズ女と自分はちがうのだと証明したい。わかってもらいたい。きっとちがう、はず、なのだ。
あの小鬼に会うまではこわいものなんてなかった。何がおきても大丈夫だった。自分を憎む村人たちに拘束されたとしても、生きたまま燃やされたとしても、それを実の両親がさめた目でながめていたとしても、魔女はいっこうに大丈夫だった。
どれだけの辛苦がふりかかろうとも、ただケモノじみた憤怒を打ち返すだけでよかった。
純然たる攻撃性。本質的に無敵の存在でいられた。
今はちがう。弱点ができた。
体を寸断されてもへっちゃらだ。
絞首刑のロープだってなんのその。
釘を打ったタルにつめられ坂道から転がされてもどうってことない。
でも小鬼に見すてられたら、もう生きていける気がしないのだ。
土をかぶせる音にウィッテンペンは現実へ意識をむける。虫の墓が完成したらしい。
それにしてもカマキリとチョウを同じカゴにいれようだなんて! どんな生きものでもいっしょになかよくいられるわけじゃない。どうしようもない相性というものがある。
失笑と同時に、自分と小鬼の関係が脳裏にチラついた。
「私たちは……ちがうよね。ずっといっしょだよ」
怪訝な顔でふり返ったマカディオスに快活な満面の笑みで元気に手を振り返しておいた。ああ、虫の墓を作ったばかりの子どもに、この反応は不適切だったかもしれない。なんて反省をしょうこりもなくくり返す。共感なんてものは、なじみのない異国の風習みたいに難解だ。
「ふぇー? あのバケモノくんをしらべるんれすかぁ、またぁ?」
自分の机で爪を整えていたジュリがおっくうそうに顔を上げ、エマをまじまじと見つめる。
「世界に穴を開けてた妖精三体はつかまえたじゃないれすかぁ。一件落着ぅってなったはずじゃぁ?」
「はい。あの事件は解決しましたが、報告書に記載した魔力を持たない特異個体について関心がよせられました。生け捕りにすべきとの意見がでています」
強硬な捕獲案を押しとおそうとしているのは技術部所属のユーゴという男だ。
エマとジュリのような実行部隊も変人あつかいだが、技術部員も負けずおとらずの曲者ぞろい。
潜入用の魔物コスチューム作りに心血をそそぐ、職人気質のケモノ好き青年。蒸気と歯車のロマンにとりつかれた、エキセントリック高笑い熟女。やたらと大爆発をおこしてみんなをまきこんで黒コゲボサボサ髪にしちゃう、お茶目系天才おじさん。
そういった愛嬌ある変人たちの中で、ユーゴは少しばかり……。
「やだなぁ。あの人、なんか苦手なんれすよねぇ」
爪の手入れをおえたジュリがゴミをつつんだ紙をクズカゴに放りこんだ。




