10・かりそめ家族
そろそろ自分も家にかえろうか。
夕日に似た色のテントウムシが指先から飛びたっていくのを見送る。
そんなマカディオスの頭にむかって、空からひらひらと花が落ちてきた。クルクル舞い踊る空飛ぶ花はちょこんと彩りをそえるように指にとまる。
「大丈夫だった?」
「何が?」
三人の妖精が木々の影からひょっこり姿をあらわした。愉快な筋トレ仲間たちだ。
「絶対ダメよ。あの二人に心を開いちゃ」
「私たち、アイツらのことしってるもの」
「正答の教導者。わるい連中の一味だよ」
エマとジュリ。オオカミとキツネのお姉さんのことをいっているらしい。
けれども正答の教導者がなんなのか、マカディオスにはわからない。わるい連中だといわれてもピンとこない。
ぼんやりとしたマカディオスの反応に妖精たちはため息をつきつつも、気まずそうな顔で口々にあやまる。正答の教導者とやらがやってきたのは自分たちが原因だと教えてくれた。そしてどういうわけか、この一件の首謀者がマカディオスらしいと教導者に誤解されているということも。
「なんでそんなことになってんだ?」
妖精たちは答えた。
セシルに復讐するために。
自分たちがこんな場所にいるのは、あの女にふみ台にされたせい。
だから罪の重さを思いしらせてやるのだ。フェアリーサークルで扉を作って、セシルをこちらの世界へとさそいこんだ。
話を聞くうちに、妖精たちのいうセシルという少女はエセルのことだとマカディオスも気づいた。本当の名前さえ教えてもらえなかったことにも。
しょんぼりとしたマカディオスのまわりを妖精たちが軽やかに飛びかう。
「かわいそうに」
「イヤな子よね」
「憎いでしょ?」
そしてこんな提案をされた。
セシルと正答の教導者を確実にしとめられる計画をみんなでねろうと。甘えるように楽しげに。
「協力してよ。次こそ失敗しない」
「力をあわせればアイツらおわり」
「私たち仲間でしょ。そうよね?」
マカディオスは無言で首を横にふる。
空気がひりついた。妖精たちの言葉がするどくなる。
「助けてくれないの?」
「まさか裏切るわけ?」
「ちがうでしょ、ね?」
意を決してマカディオスは口を開く。
「お前らがだれかを傷つけようとしてたら、オレはとめるぞ」
あっけにとられたような沈黙の後で、少女らしいかわいい笑い声がはじけた。
マカディオスは少しホッとする。わかってくれたと思った。
笑顔のままの妖精たちにこうつげられる。
「もういいよお前なんて」
「きらいだよ、バイバイ」
「役立たずのデクノボウ」
パッと翅を広げて飛翔。
あわてて見上げるマカディオスに少女たちの敵意が嵐となって襲いかかる。小枝と小石と笑い声。
それがどれだけつづいたのかはわからない。
数秒のできごとにも感じたし、永遠だったようにも思えるし、今でもつづいているような気がする。
悪意にみちた笑い声がふとやんで、夕暮れの森は静けさを戻す。
飛び去っていく三人の妖精の後ろ姿がチラリと見えた。だれかが口にした小さな声が耳にとどく。
「とめるですって? それじゃ私たちの恨みはどうなるっていうの?」
マカディオスは視線を足元にむける。あたりに散らばっているのは自分の体をさんざん打ちすえた小枝と小石。マカディオスの手にふわりととまった花はボロボロになって地面に横たわっている。
マカディオスは大きな手でそれらをひろいあつめると、森のこずえの先、赤い空を見上げた。
無言で大きくふりかぶる。このたぐいまれなる至高の筋肉でぜんぶ吹っ飛ばすつもりだった。
妖精たちの憎しみを。
地の果て、空の果てへと。
でもそんなことはできっこないのだ。
爆速で天に打ち上げられた憎しみのかけらたちは、やがて重力にとらえられ小枝や小石の雨となってパラパラとふりそそぐ。
最後にすっかりゴミのようになった花がマカディオスの足元にはらりと寄りそった。
太陽がだんだんとしずんでいく。
家のそばにあるミモザの大木の枝につかまって、マカディオスは無心で懸垂にはげんでいた。
「……」
その巨体を引き上げていた広背筋が、もうがんばるのをやめる。
木の枝をがっつりつかんでいた深指屈筋と長母指屈筋もへにゃりと脱力。
マカディオスは指を引っかけてただ無気力に木の枝にぶらさがっている。
大好きな筋トレにも身が入らなかった。
いつもなら動かす筋肉の一つ一つを意識できるのに、どうしても別のことに心がとらわれてしまう。上の空で数だけこなす筋トレには意味がない。
今すぐシボッツやウィッテンペンに会いたい気分だった。
でもこの元気がない情けない姿をだれにも見られたくない自分もいる。
とくにシボッツはこういう時にたよりにならないように思える。ささいなことを悲劇的にさわぎたてるところがあるから。元気のないマカディオスに気づけば、きっとアレコレしつこくうるさく聞き出してくるだろう。ぜったいヤダ。想像しただけでうんざりしてくる。シボッツじゃダメな気がする。
もちろんシボッツのぜんぶがきらいというわけではない。
いっしょに暮らす大切な家族。マカディオスはそう認識している。
でもあんまり好きじゃない一面もあるのだ。
木にぶらさがりながらそんなことを考えていると、小道にとんがり帽子のシルエットが浮かんできた。荷物を持ってヨタヨタ歩く小柄な体はもうへとへで今にもぺしゃんこになりそうだ。
そんなに体が丈夫でもないのにムリをしてがんばっている。小さな口はうすく開かれて、しんどそうな息づかい。汗ばんだ肌に顔まわりの髪がぺっそりとはりついている。それをなおす手間さえ惜しんでいる。
足どりが重いのは疲労のせいばかりではないだろう。伏し目がちな顔で何かに思案をめぐらせる。
考えごとの中身はきっと楽しいことじゃない。つまらないこと、めんどうなこと、それでも大人が考えなくてはいけないこと。
マカディオスがまだしらずにすんでいること。
陰鬱な瞳がふいに地面からミモザの木にむけられた。マカディオスの姿をしっかりとらえている。
「なんだマカディオス。外で遊んでたのか」
こちらの姿に気づいた。ただそれだけで。
小鬼のスミレ色の瞳におだやかな喜びがじんわりと広がっていくのが見えた。
こんなにうれしそうにほほ笑みかけてくれる人が、自分にはいるんだという事実をしる。
たぶん、ぜんぜん無関係の人にとっては心動かされる光景でもなんでもないのだ。買いものでつかれたよれよれのゴブリンおじさんの笑顔なんて、ありがたくもなんともない。
すごくかすかな表情の変化だ。彼を見なれていない人はきっとほほ笑んでいることさえ気づかないだろう。それくらいのひかえめな笑顔。
この顔を見てうれしいなって気持ちがしみじみとわきおこってくるのは、マカディオスとシボッツが家族だからだ。
「夕飯は何がいい? すぐ食べられるようにシチューは作ってあるけど、ほかに何か食べたいもののリクエストがあればきく。お前の好きな厚切りの肉も買ってきたし、グラタンやクリームコロッケも作れるぞ」
まだ火や刃物を使わせてもらえないマカディオスには理解がおよばない次元の話だが、この小鬼はさらりとおそろしいことを口にしている。買い物帰りでつかれた状態で夕食の時間までにグラタンやクリームコロッケを作ってやるといっているのだ。
よくあるように、あの凍てつく魔法の保存庫からとり出したカチンコチンの食品を雷の箱に入れて温めたものではない。このタイプも手軽でおいしいけれども。
フライパンで。ホワイトソースから。手作りするのだ。バターや牛乳や小麦粉を用いて。家の台所で手作りする。
それはとびきりおいしい。これぞしあわせと舌に直接叩きこまれる至福の味。
落ちこみモードからぬけだせずにいたが、なんか大丈夫になってきた、とマカディオスは思った。
「フンッ!!」
全身をグッと引き上げる。枝をつかんだまま、パッとはずみをつけて開いた両足を枝の上へと乗せる。そのままクルッと回って枝を放し、何も恐れずに巨体を虚空へと投げ出す。
マカディオスの筋肉は活力をとり戻した。
「クリィイィムコロッケッッ!!」
ひねりと宙返りをくわえて安定感のある着地。それと同時にビシッとポーズをきめて叫んだ。
マカディオス、完全復活。
「荷物持つぜ」
「ありがとう」
重い荷物から解放されたシボッツはホッと一息つくとマカディオスの横にならんだ。ふつうに歩けば歩幅のちがいから絶対にペースのあうことのない二人だが、今は同じ速度で歩いている。
シボッツは横目でマカディオスのようすをうかがう。気づかれないように、そっと、さりげなく手を動かした。マカディオスの服に引っかかっていたチクチクする小枝の先をとりのぞく。
「冒険をしてきたらしいな。話したい気分の時に好きなだけ話してくれ。お前の話にはいくらでも耳をかたむけるから」
「もう今日はどちゃめちゃ大変だったんだぜ!」
ひどい目にあったと白状するのはマカディオスが想像していたよりも屈辱的ではなかった。
いつもは説教くさいシボッツなのに、いっさい口出ししないでただ話を聞いてくれる。マカディオスが話し終えると、それは大変な一日だったなとうなずいた。
「せっかくごちそうを作るんだ。ウィッテンもよんでみようか」
「そりゃあいいな!」
三人での夕食はにぎやかにすぎていった。
できたてのクリームコロッケ。肉がたっぷりのビーフシチュー。つけあわせはゆでた白アスパラガスとマッシュポテトで、デザートはウィッテンペンがもってきてくれた新鮮なイチゴだ。
ごちそうでお腹いっぱいになったマカディオスは、お風呂でさっぱりしてふかふかのベッドへゴー。シボッツが三冊目の絵本を読み終える前にすこやかな眠りに落ちた。
「おやすみ。かわいい子」
水かきのある手がやさしく布団をかける。
ドアを閉めて小鬼が廊下にでれば、魔女がまっていた。
「ふぃひ……ビックリさせちゃった? ごめんねー? 私と話したいことがあるんじゃないかと思ってさぁ」
シボッツはだまってうなずく。
ここではマカディオスの夢のさまたげになってしまう。
カーテンが元どおりになったリビングへ魔女と連れだつ。
ウィッテンペンは人の家のソファーに我がもの顔で横になった。遠慮も行儀もへったくれもない。
シボッツはスツールを引き寄せてちょこんと腰かける。自分たちを囲むようにさっと魔法をかけた。
「しーちゃん、その魔法は何? 新作?」
「声が大きな人とナイショ話をするための結界」
内部の音が外側にもれないようにしてくれる。こういう術も必要だ。
新しい魔法を開発するのは実用的な気晴らしだった。魔法について深入りする行為は、あまり好意的な反応はえられないが。
「いけないんだ。いくらでも悪用できそう。私はもう十三個も使い道をひらめいちゃったよ」
「何を思いついたんだ……。あいかわらず悪だくみする時の頭の回転の速さはさすがというか……」
魔女はニヤニヤ笑うだけだった。気になったが機嫌はよさそうだ。
ウィッテンペンに伝えておく話がある。マカディオスがしゃべった今日のできごとから判明した情報を共有する。
正答の教導者が二人、マカディオスと接触して引き上げていった。
おそらくイフィディアナやアイウェンとの関係はまだ露見していない。
三人の妖精が起こした事件の首謀者がマカディオスだと誤解されたようだった。
あくまでもマカディオスの口から語られた話をまとめただけなので、本人も気づいていないことは不明ではあるが。
「なるほど。つまりその教導者から作った炭でバーベキューパーティを開きたいと。そういうわけだね。おまかせあれ」
「ちがう」
「ひひ、やだな、ウソウソ。もちろんちゃんとわかってるよ? 私がかじり散らかした残骸を庭に飾って、エサにあつまる野生動物をウォッチングしたいっていうご希望だね?」
「それもダメ」
魔女がふてくされはじめた。
「じゃあイジワルな妖精どもの翅をむしりとってマカくんに笑顔になってもらう?」
「禁止。そんなことしてもマカディオスはよろこばない」
魔女の目がすわる。
「わけわかんないよー。だれも殺す予定じゃないなら、なんで私にこの話を聞かせたのかなー?」
「殺さないでもらうため」
反論してやろうと魔女はしばし唇を開いては閉じてをくり返していたが、やがてあきらめた。
「なるほど。それはたしかにそう。うん、必要だわ」
今回、正答の教導者がマカディオスと接触したのは誤解によるもので、アイウェン王子との関係もバレていない。過剰な反応はかえって状況をわるくするとシボッツは判断した。
「ようすを見るしかないのは歯がゆいが、マカディオスの安全が最優先だ。あなたが優秀な殺戮者なのはわかっている。ただ、俺としては相手の命をうばうのはよほどの最終手段にして……あれ、ウィッテン?」
魔女は目を閉じ返事をしない。
「信じられない。ちゃんと寝る支度をしないでこんなところで眠れるなんて。あの、ちょっと……起きて? 起きてほしい」
ひかえめな懇願が聞き入れられることはない。
「えぇ……困った。仕方がない人だな」
春とはいえ夜はまだ冷える。風邪をひいたらかわいそうだ。
予備の毛布をよいしょと持ってきてかぶせる。とちゅうウィッテンペンが妙に悩ましげな吐息とともに体を動かした。
眠りが浅いのだろうか。それなら目を覚ましてちゃんとした場所で寝てほしい、という淡い期待は打ち砕かれる。ウィッテンペンは起きる気がないようだ。
シボッツは小さくため息をつくと、リビングの明かりを消して立ち去っていく。
暗い部屋で眠る魔女にそっと投げかけられたおやすみの声は、たしかにやさしかった。
小鬼の気配が遠ざかると魔女はバチリと目を開ける。
「いつまでもいつまでも、だれも傷つけずにこの平穏がつづくって。そう信じたがっているのかな? 本当にかわいいね」
毛布に顔をよせて深く息を吸う。
「いーよ、君の望みに私はどこまでもつきあうよ。私だってマカくんの名づけ親なんだしね」
このかりそめの家族のまねごとがずっとしあわせであるように。マカディオスがこの世にうずまく深い憎しみとは無関係でいられるように。
それが小鬼の望み。
あまりにもささやかで、とほうもなく無茶な願い。




