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 深夜。侍女の助けを借りて屋敷を抜け出したクラリスは、歓楽街へと足を運んだ。


 辺境の町とはいえ、歓楽街はそれなりに賑わっている。みんな夜は酒を飲むことくらいしかやることがないからだ。


 いちおう劇場やカジノ、射撃場などの娯楽もあるが、それらはどれも小規模で暇を持て余した人や平坦な日常にちょっとした彩を添えたい人が行くような場所だ。


 みんな、長すぎる戦争生活に鬱憤がたまっている。だから、酒がよく売れる。


 クラリスは顔をさらさないよう、俯きながら道行く人々とすれ違った。 


 赤い頭巾を深々とかぶり、腕にはぶどう酒と三枚の干し肉、それと六枚のクラッカーが入ったバスケットを持っている。


 クラリスは歓楽街のとある酒場の裏口をノックして、出てきたマスターにバスケットを渡した。


 酒場のマスターはバスケットの中身を確認すると、クラリスに中に入るよう、顎で促した。


 酒場の裏口から、大量の小麦や干し肉が貯蔵されたバックヤードに入り、そこの床を平行くと、地下へと続く階段が伸びている。


 四角く切り取られた入口に足を踏み入れ、ろうそくの頼りない光で周囲を照らしながら階段を降りていく。


 終点には木製の扉。


 ぎいい、と軋みながら開く扉の向こうには、円卓を囲む人々。奥の壁には空間転移の魔法人が壁一面に描かれている。


 地下の隠れ家というと、煙草の煙と酒の匂いがつきものというイメージだが、意外なことにこの部屋に漂っているのは紅茶の香りだ。


 肌の色も目の色も違う革命家たちの視線を一身に浴びながら、クラリスはフードを脱いだ。


「クラリス! 来てくれたんだね!」


 すると、一人の男が駆け寄ってきた。


 端正な顔立ちに金の短髪、服の上からでもわかるほど絞り込まれた体躯。人懐っこい笑みと育ちの良さを伺わせる伸びた背筋。


 恋人のリベロだ。


 クラリスもリベロも、よく視察と銘打ってお互いの領土に近い場所に遠征にでる。


 今回も、クラリスは王都を離れて前線にほど近い辺境の別荘に滞在していた。


 戦場を越えるのはなかなか骨が折れるものの、クラリスもリベロも優秀な魔術師の側近がいるのでほんの数キロ程度の距離なら空間転移で移動できる。


 もっとも互いが憎しみ合うはずの前線で、敵国の王子と密会だなんて、なんて皮肉なのだろうとクラリスは思う。


「来るに決まってるじゃない」

「ああ、僕はもう、ずっと心配だったんだよ! 君が道を間違えないかとか、通行証を間違えないかとか、寝坊なんてことも!」

「ねえ、わたしってそんなに頼りない?」

「そんなことないさ! 君は最高だよ、クラリス」


 リベロの安い口説き文句。これはいつものことだ。ただ、安いけれど真実であることを彼女は知っていた。


「あなたも悪くないわ、リベロくん」

「最高じゃなくて?」

「わたしの最高になりたかったら、もっと精進することね」

「はは、相変わらず手厳しいね、君は」


 こうやって少しだけつきはなすのもいつものこと。こうすると、リベロが自分に夢中になることをクラリスはよく知っていた。


 ちょっぴり嫌な女だな、なんて自分で思うこともあるけれど、リベロもまんざらでもない感じなのでよしとしている。


 だいいち彼は王子なのだから、その気になれば毅然とした態度だってできるはず。いつだったか彼のスピーチの原稿を読ませてもらったことがあるけれど、その時はそれはもう立派な言葉が並べ連なっていた。


 これはそう、ある種のロールプレイなのだ。


 王子なのに王子らしくない彼と、王女なのに王女らしくない自分。


 身分の仮面を脱ぎ捨てて、一人の男女として接し合う遊び。


 そんな「ごっこ遊び」ができるのは、きっと世界でただ一人だと互いに思っているからこそ、クラリスとリベロの関係は成立しているのだろう。


 ただそれも、今夜を境に終わってしまう。


 絶望ではなく、希望に向かっての変化だ。


「いよいよ、明日なのね」

「ああ。すでに前線の兵士たちには伝達してある。明日になれば、誰も武器を持たずに戦場に出てくるはずだ」

「そこへわたしたちがあらわれて、兵士たちと、その奥にいる国の中枢に向けて演説するわけね」

「その通り」


 リベロは白い歯を見せて爽やかに笑った。


 不安は、聞くだけ野暮というものだろう。


 彼はいつだって前しか向いていない。いいや、逆かもしれない。みんなが彼を見てしまう。


 クラリスさえもその気にさせる、太陽のような人だから。


「やってやりましょうね」

「ああ。やってやろう」


 クラリスとリバロは互いに微笑み合っていると、白髪交じりの髪を撫でつけたミドルグレーが盃を手に近づいてきた。


「いやはや、この革命が起こせるのもお二方あってのこと。どうぞ、祝勝を兼ねて乾杯といきませんか」


 その男はクラリスの国の大臣、グラントだった。


 クラリスが信用した数少ない協力者。


 彼女が赤ん坊の頃からいっしょにいる世話係だ。


「いただくよ」

「ありがとう、グラント」


 クラリスとリベロはグラントから盃を受け取った。


 どちらも金の盃だが、赤い宝石がクラリス。青い宝石がリベロと決まっている。


 クラリスとリベロは盃をぶつけ、ぶどう酒を飲み干した。


「ふう、美味しい」

「ああ、本当に。これは君の国のお酒かな? なんだか初めて飲む味で……うっ」

「……リベロ?」


 突如、リベロが口を押さえて体をくの字に曲げた。


「ぐふっ……」


 リベロの手から血が溢れてくる。


 彼は盃を取りこぼし、室内に甲高い音が響き渡った。


「リベロ!? リベロ、しっかりして!」


 クラリスが駆け寄るも、リベロは崩れ落ちるように床の上に横たわる。


 血で汚れることなどかまわずに、リベロの頬に触れ、手を握るクラリス。


 リベロは浅い呼吸を繰り返しながら「愛してる」と呟いて、息絶えた。


「リベロ! いやああああああ!」


 クラリスが叫び、革命家たちがどよめく。


 だれかが毒をもったんだ、裏切者はだれだ、明日の革命はどうなんだ。


 疑心暗鬼は一気に広がり、ナイフを手にするものまであらわれた。


 騒然とする室内で、ただひとり、グラントだけが壁際に立って静かにリベロの亡骸を見下ろしている。


 クラリスは立ち上がり、グラントの胸倉を掴んだ。


「貴様か! 貴様が毒を!」

「……落ち着いてください、クラリス様」

「なぜだ! なぜこんなことを! 明日は革命なのだぞ! 我々の悲願が目の前だというのに!」


 王宮にいるときのような口調でグラントに問い詰めるクラリス。


 それはほとんど恫喝に近かったが、グラントは一笑に付した。


「ふっ、悲願とはな……」

「なにがおかしい!」

「いいですか、クラリス様。我々の国も、敵国であるロードバーグも、皆この戦争のおかげで生活できているのです。戦争が需要を産み、需要が産業を産む。そうすることで人々は働き口を得て、経済が回る。この戦争は、終わらせてはならないのです」

「なにを馬鹿なことを! わかっているのか! お前は、王子を暗殺したのだぞ!」

「ええ、承知しておりますとも。きっと、国王様もお喜びになることでしょう。これでもっと戦争が続けられる……と」

「……狂ってる」


 クラリスはグラントから手を離し、リベロへと歩み寄った。


 涙で頬を濡らしながら安らかな彼の顔を見つめ、その胸に顔を埋めて泣いた。


がんばります。

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