黒髪けもみみと黒い死神
気が付けば朝になっていた。
「人間って意外としぶといんだな」
男が言った。
「じゃあこいつを売り飛ばそうぜ。いや、もうけがだらけだし、ただでいっか」
「どうせこの状態じゃ、1か月もせずに衰弱死するだろうしな」
「さてと、じゃあ仕事するか」
3人の男は、パイプたばこに火をつけて、のそのそと去っていった。
カラカラカラ。
規則的に車輪が回り、そのたび不快なほどに馬車は揺れた。馬車は檻になっていて、その中に俺一人ぽつんと入れられている。
土を踏み固めただけの道を、飛馬車は行く。まんまユニコーンの姿をしている飛馬は、相変わらず飛ばない。きっと背中に生えているその翼を使えば、自由に空を飛び回れるのに。
飛馬を操っているのは、俺をいたぶった3人のうちの1人の緑髪の旦那だ。
何時間も馬車は歩みを続け、やがて下町に出た。
今まで農地とぼろ小屋しか見たことのなかった俺にとって、それは新鮮な光景だった。
「わあ」
思わず声を漏らした。
石畳の道。それを挟む石造りの家々。家は2階建て3階建てが多く、1階は店になっていた。店は様々だった。八百屋、花屋、肉屋。そしてそんな場所を行きかっているのは中世のヨーロッパのような服を着た人々。ほとんどの人は緑髪だったが、たまに金髪、、そして___
「けもみみ!」
数年ぶりに日本語が出た。
そう。けもみみがいるのだ。髪と同じ色のふわふわした獣耳が生えていて、しっぽもある。
だが身分はあまり高くないのか、緑髪の人間比べると質素な服で裸足だ。
まあ俺の着てる服より100倍ましだがな。
道を歩いていた獣人の女の子がふとこちらを見て、複雑な顔をして顔を逸らした。その足には、足枷がつけられていた。
あの子も奴隷なのか?
俺も奴隷身分だけど、あんなものは付けられていない。人の多いこの町に来たら付けさせられる決まりなのだろうか。
飛馬車は活気のある商店街を通り過ぎて、どこかで常に怒号が飛び交っているガラの悪い地域にたどり着いた。そこは酒と生ゴミの臭いに溢れていた。道の両側にずらりと並んでいる家は、乗せれるだけ乗せとこうというふうに5階や6階ばかりで、それらが地面に降り注ぐはずだった日光を防いでいる。壁や柱は今にも崩れ落ちてきそうなぐらい杜撰なつくりだった。建物の一階は相変わらずどこも店になっていたが、そのどれもが入るのに躊躇する、異様な雰囲気を醸し出していた。
店員が檻の中の俺をじいっと睨んでいる。
店の前ではおいぼれや子どもが酒を飲んだり食べ物を取り合っていた。その隣でガリガリの犬のような生き物がぐったりと倒れている。
スラムとはこういう所のことを言うんだな。
とある店の前に着くと、緑髪の旦那が飛馬にムチをふるい、飛馬車が止まった。
その店は、窓一つなく看板の字はほとんど剥げていて、なにを書いているのか分からない。
まあ、そもそもこの世界の文字、まだ読めないけど。
緑髪の旦那は飛馬車から降り、俺を檻から引きずり出して、店のドアノブに手をかけた。立て付けが悪いのか、ガタッガタッと不快な音を立ててドアが開く。
店の中は糞尿とカビの臭いでむせかえっていた。店全体は広いが、そこかしこにある檻のせいで歩けるスペースは少ない。錆びた鉄製の檻は天井ギリギリまで重ねられていて、全ての檻に2、3人の子どもが入れられていた、1人入るのがやっとの檻に2、3人入れられているから、子どもたちは窮屈そうに体を丸めている。
「おう、いらないガキを持ってきたぞ」
旦那が、店の奥で座っていた女に声をかけた。どうやらこの店の主人らしい。女主人も、もちろん緑髪だった。
30代ぐらいで、うねった髪を雑に後ろで結っている。
彼女が来ているワンピースは、半年前に俺が作らされた物だった。俺の作った物はこういったところの人たちが買っているのか。
女は旦那から俺に目を移し、眉間に皺を刻んだ。
「いらないガキって、なんでそんなに傷だらけなんだ。爪まで剥がされて、腕も火傷してるじゃないか」
「遊んだんだよ。でも一晩全力でいたぶっても死ななかった。頑丈なガキだぜ。金はいつもの半分でいいよ」
「あたしが買うの前提で話を進めなさんな。ま、半分でいいなら買うか。そんなにしぶといならなんなり使えるだろう」
女はこちらに来て、俺の腕をぐいと掴んだ。昨日の傷を思い切り掴まれ思わずうめくが、そんなことはおかまいなしで女は近くにあった檻に俺を入れ込んだ。
ガチャリと檻に錠をかけて、旦那のほうを振り向いた。
旦那はポケットから硬貨を数枚取り出して女に渡し、店から出て行った。
檻の中はより一層臭いがひどい。鼻がひんまがりそうな激臭に、鼻をつまんだ。
檻の隅にバケツがある。臭いの元はそこからだ。恐る恐る中を覗くと糞尿が見え、俺はそっと横を向いた。視線の先には、黒い毛の塊がいた。正しく言うと、長いボサボサの黒髪の子どもが三角座りをして、膝と膝の間に頭を押し込んでいた。前髪も後髪と同じぐらい長く、それが彼女の顔をまるきり隠している。
けもみみ少女の頭には、黒い獣耳が生えていて、足には街で見た女性と同じく足枷が付けられていた。
檻は小さいから、俺とその子とバケツは密着し合っていた。
火傷した腕に暖かい人肌が染みていく。
「ねえ、君人間じゃないの?」
優しく話しかけた。だが子どもはビクッと肩を震わせ、それから弱々しく首を縦に振る、
「俺、金髪と緑髪の人間しか見たことがなかったんだよ。だからこの街にかけもみみが生えている人がいてびっくりしたんだよ」
「けもみみ?」
鈴を転がしたような澄んだ声だった。女の子だったようだ。
「その耳にことだよ。俺はそう呼んでる」
「へえ」
会話が途切れる。
あまり話したくないようだ。それには俺も同感だ。喋るために口を開くと糞尿の臭いが口に入り込んできて、あまりの激臭に涙が出てくる、
だがなにもないとなると、激臭や体中の怪我に意識が向き、わめきちらしたくなる。
他愛のない会話を楽しむとするか。
「君、名前なに?」
「…これ」
彼女はおずおずと髪に隠れていた自分の腕を見せる。
どこかの家の紋章の焼き印が押されていた。どちらともさらに上からばってんの焼き印が押されている。
この家の所有物だという印だ。これが名前。これだけが彼女の生かされている理由だったのだ。彼女の壮絶な人生が頭をよぎる。
そして、焼き印はこれからも増えるのだろう。そして、きっと俺も入れられるのだろう。
俺が焼き印を入れられなかったのは、農地が山に囲まれていて逃げられるような場所じゃなかったからなのだろうか。
「どこの家に仕えていたとかじゃなくて、君自身の名前は?」
「65120893165」
そう言って、鎖骨の下に刻まれている番号を見せてくる。
「いや、君の名前だよ」
けもみみ少女には難しい文章だったらしく「んー?」とうなって、静寂を作った。
「俺の名前はライト。かっこいいだろ」
「主人がいないのに、名前があるの」
「自分で勝手に名乗ってる」
どうやら、奴隷の名前は主人が決めて、主従関係が解消されるとその名前もなくなるらしい。
「君もなにか名乗ればいいよ」
「名乗る?」
「自分の名前を決めるってこと」
「んー?」
そう言って、けもみみ少女は黙り込む。
周りの檻に目をやる。檻の中の子供は皆金髪か獣人の子だ。着ている服もぼろ布同然、何年も風呂に入れてもらえず、トイレはバケツで、そして死ぬまで働かされるか衰弱するまで子供を産ませ続けられる。こんなの、人間に対する扱いじゃない。
「間違ってる」
「なにが?」
黒髪少女が少しだけ頭を上げる。
そのときだ。
ギイギイと軋む音を立てながら店のドアが開き、男が入ってきた。
死神のような男だった。