怖い体験話
「これは先日、酒の席で友人から聞いた話。
赤ら顔の友人の話に信憑性があるのかどうかはわからないけど、前のバイト先で「怖い体験した」と語りだしたんです。
友人の元バイト先はとても配慮のできた店らしく、清潔感に気を使って制服は黒一色。黒のシャツに黒のチノパン、黒のエプロンときて黒髪オンリーの前髪長すぎ注意と言った、いくら汚れても目立たない清潔感の極み。
そして何よりもうれしいのは、レジカウンターには店員と客が顔合わせしないように衝立がある。これでプライベートを守れる強固な壁、モザイクのような配慮もしてくれる優良店だ。
ここまで言えばもう皆さん分かるであろう。そうです、アダルトショップです。……わからない? 健全です。
働き初めの頃の友人はほとんどの時間をムラムラしながら仕事をしていた――、とどうでもいい前置きを長々と話すもんですから、その間に私は焼酎のロックを二杯飲んだ辺りで「本題に入れ」と急かしました。酔っ払った奴の話は長くて困りますね。
まあ、話の頭は客も同僚も一癖二癖あるような人ばかりだって事でして。
年齢の近い先輩は、意識高い系? って言うんでしょうかね? 愛読書が『時間を無駄にしないナンチャラカンチャラ』って感じの本を読んでは長々と説明する迷惑な奴。
クリスマスイブに夜勤のシフトを入れた友人のロッカー扉に、エロ本の付録AVと『プレゼントフォーユー』と書かれた付箋を貼り付ける辺り、意識は高くも低俗って感じ。そしてAVの内容はサンタコスと語っていた友人を見て、私は悲しくなりましたよ。
口臭のキツいチビデブ坊主店長。友人の童貞を売りに出そうと、イジリがウザいしょうもない奴。と思いきや、週間漫画雑誌を縦に破いてる姿を自慢げに見せつけてきたので、舐めた口は聞くまいと心に誓ったそうです。
そして話の本題に関わる、缶コーヒーをくれる四十代の社員になりたい先輩。
「昔の警察はエグいぞ! 走ってるバイクの横にパトカーで並走して、バイクの車輪に棒突っ込んで転ばして止めんだぜ!」
と言った社員になりたい先輩は、元暴走族。それだけで十分怖いが、理由はそれだけじゃないらしいんですよ。
たまに見えてはいけない物が見えてしまう……。そんな感じの人らしいです。
「また見えたらしいよ。真ん中の通路で」
店長達が話していたのを聞いた友人は幽霊を信じないタイプ。だけど、その話を聞いてからは夜勤の仕事が怖くなった、そう思えてしまうほどに閉店後の店内は恐ろしい空間らしいです。
研修期間が終わると夜勤は一人で仕事をするのが通常。休憩時間など存在しない、このステキな店の閉店作業の最後はPCでの入力作業になります。
お客さんには見えないレジカウンターの奥にある狭いスタッフルームで作業するそうで、その時には売り場の照明を全て消さなきゃいけないんですよ。明かりがついてると閉店後でも勝手に入ってくる奴の防止のためだとかで。
照明が消えている売り場の半分は主力戦力のAVコーナーとエロ本。コの字に並べられた壁側の棚と直立する数個の棚。コの字の中に横並びで棚を四列に並べ、六つの狭い通路を作る内装になってるんです。
残りのスペースは、酒を飲んでる時の少し高級おつまみ、それと同等なTENGAさんなどの大人の玩具コーナー。
それと雑貨。一応カモフラージュなのか、店の外から見ると雑貨屋兼本屋のような佇まいに見えます。が、入り口側の隅にある棚には隠す気もない、AVより社会的にやばい品物であるJrアイドルのグラビアDVD。ガラス張りの壁にはAV女優の握手会のポスター等々の、見えちゃいけない物まで店外から確認できる堂々としたろくでもないスタイル。
ガラス張りの入り口を入るとカモフラージュし切れてない雑貨類。その先の垂れ幕の奥には大人の玩具コーナー、また先にAVとエロ本コーナーと言った内装になっている。
因みに、この店はビルの中でひっそりと営業しているわけではない。図々しくも人通りのある大道路沿い。ビルの一階で看板のネオンを光らせ、朝の九時から深夜の三時までの営業。ポイントカードもAVの買取などもしています。
何故こんなに詳しいかって? 私が客だからです……。それはどうでもいいですね。
AVコーナー真ん中の通路。閉店後、社員になりたい先輩はそこで女を見たって話らしい。同じ女かはわからないけど、同じ場所で客の少ない午前中にも見かけた事もあるとか……。
「それって閉店後に客が酔っ払って入り込んだんじゃないのか? 午前中だって普通に客だろ。アダルトショップで周りの客にバレずにって感じのAVあったじゃん。目を離した隙に店出たんだろ」
なんて感じに俺は友人に興味なさげに否定したんですよ。まあ、幽霊なんてのは俺も信じてないもんでね。
「んなの知らねーよ。目の前で消えたんだってよ……、んでさ――」ってちょっと不機嫌になりながらも話を続けるから、仕方なく黙って聞いてると、やっと友人が体験した話に入ったんです。
社員になりたい先輩の話を聞いて以降、棚からAVがよく落ちるようになった。まあ、そりゃ落ちることもあるだろうって話なんですが、それが深夜によく落ちるとかで。
AVの整理整頓も閉店作業の内だから、その後は誰も触ることがない売り場のAVが落ちる事はあまりないらしいんですよ。
しかもなぜかPC作業中に限って落ちる。そうなると作業を中断し、照明をつけてどこの棚から落ちたのか探して戻さなきゃいけない。
でも探す必要ないんですよ――、真ん中の通路に毎回落ちているから。
その通路の棚の立て付けが悪いんだろ、お前がバイトに入ってから。なんて思いますが……少し不気味ですよね。
友人も似たような事を思ったらしくて、あんまり女が出る話は気にしないよう作業しようとするんですが、無理な日もあるそうです。否が応でもってやつですよ。
その日もAVが落ちる音を聞いて、売り場に行くと真ん中列の端。玩具コーナー側に落ちていました。
「またこの列か……」と少し恐怖心が増した友人は、AVを拾いパッケージを見ると『友人の母親』と書かれたタイトルに、ムチムチした魅力的な熟女の胸を背後から掴む男が……。
なるほど、熟女物か。と友人はすぐに冷静になったそうです。
ここはアダルトショップ。いくら怖くたって、意識が他に移るのは容易いなこと。男なら尚更なので仕方ありません。
さっさと作業に戻ろうと友人は、AVが落ちていた場所にある左右の棚を見ておかしな事に気づいたんです。
右の棚はロリ物、左の棚は素人物。熟女はこの通路の中央右棚……なぜここに?
落ちるAVは基本的に表面で棚に入ってる物。棚の中にスペースができると、AVのパッケージを表にして斜めに立てかけ、両端を棚に入ってるAVを詰めて固定する。そうやって一時的にスペースを埋めるらしいんです。
空いたスペースを見つけ、誰かが適当に戻したんだろう。と、友人は考えて自分の恐怖心を押さえ込もうとしたらしいんですが――、結局のところは理由づけができるだけで確定じゃない。
最近よく落ちるのは、女が落としてたり……なんてな。
ついそんな事を思ってしてしまい、一抹の不安が残り続けたそうです。
まあ、そうさせるには最高な環境ですし、ビビりな友人には無理もありません。
女の話に連想できそうな事が重なれば重なるほどに、気にせずにはいられなくなる。
こんな日が何度かあり、友人は閉店作業が怖くなったとか。おかげで閉店作業だけ早くもなったとか……。
そして友人がバイトを辞める一ヶ月前くらいだったかな? 事は起きたそうです。
店の閉店時間は中途半端に深夜三時。三十分前から店内を流れ続ける、蛍の光をBGMに友人はいつも通りの閉店作業に取り掛かります。
ゴミ出しや売り場の掃除。貸出していないトイレに客が隠れていないかの確認。もろもろの作業を速やかに終えて残りはPC作業。友人は店内BGMと売場の電気を消します。
静まりかえった店内にはキーボードを叩く音、真っ暗な売り場には女の霊。それらが怖さを演出しているようで、全く落ち着かない空間を作り上げた。
その中で、友人は早く帰りたい一心で作業を進めますが、そんな仕事の仕方をしてるもんで、ミスを何度もして作業は順調とはいきません。
少し気分を変えるために音楽でも聴こう。そう思って近くに置いてある自分のスマホに手を伸ばすと、
ッガタン! 伸ばした手が止まる。
音の正体は明白で、いつもの売り場からAVが落ちた音。
聞き覚えのある音に友人は「落ち着け落ち着け」と自分に言い聞かせるんですが、そんな暗示は聞く事はなく、反対に体の体温はどんどん上昇。
体中に汗が滲み、額の汗をシャツの袖で拭ってもすぐに額に汗が滲む。暑さを緩和するためにエプロンを外し、シャツの全部のボタンを外して両袖を雑に折り上げます。
この時の友人は、音だけで真ん中の列のどこに落ちたのか。何度も経験していくうちにわかるようになっていて、今落ちた場所が熟女の棚だとすぐに気づいたんです。
落ちるだけで害はない。友人は脅えながらも、少しではありますが、この状況に慣れてきていたんですよ。どうせ何も起きないと――その時、
ッガタン!
予期せぬ二度目の音に友人は驚き、スタッフルームからは確認できないが音の方向を見ます。場所はロリの棚。
何かがいつもと違う。友人の頭の中に、一つの妄想が過る。
女の霊が移動しているんじゃないか?
この妄想が恐怖心に拍車をかけ、今までの比じゃない勢い友人を襲う。脅えれば脅えるほどに、悪い方へ妄想が進んでいく。
何で移動しているんだ? どこに向かっているんだ? もしかして、ここに?
存在を否定してきた幽霊を、今では存在している前提で考えている。恐怖心は友人の思考を奪うほどでした。
棚に戻すのは諦め、さっさと作業を終わらせようとPCに向き直ると――
視界の隅に何かはわからない、黒い物が入り込んだ。
「うわぁ!」
我慢していた物が破裂する。友人はその黒い物を手で払うような仕草をし、体制を崩して椅子から落ちる。
そのまま這いずってレジカウンターの下まで行き、PCの方を確認するがそこには黒いも物はなかった。いつも通りのスタッフルームには椅子が倒れているだけ。
な、なんだ今の?! 黒いの?! ……手?!
とにかく店から出よう、と立ち上がろうとするけど、脅え切っているせいか脚に力が入らない。友人はレジカウンターに捕まろうと手を伸ばすと、
視界に再び黒い物が入り込んだ。
「うわっ――え? あ……? あれ?」
出しそうになった大声が止まり、恐ろしかった空気が一変した。
黒い物を視界にはっきりと捉えた友人は「マジかよ……」と言って、呆れを通り越して笑い始めたんです。黒い物の正体に気づけばそうもなります。
視界に入った黒い物。それは、雑に折り上げた黒シャツの袖。肘の辺りをヒラヒラしていた袖が、不安定な精神状態で視界の隅に入りこんで見間違えた。それだけのくだらない物なんです。
そう、この話もそうです。
だから私は友人に「え? これで終わり?」と聞いてしまいました。
「その後は、もう怖さなんて吹っ飛んだから落ちたAVを戻しに行ったんだよ。そしたら二つともさ、どこから落ちたかわかんないんだよ。空いてるスペースもないし。……ちょい怖?」
何とも微妙な内容に、時間を返せと心から思いました。損しかしてないですよ私は。
まあ、幽霊の正体なんてこんなもんなのかも知れないな〜、とは思いました。
正常な判断ができず見間違え、事前情報からの想像を記憶の中で見たように処理される。ようするに幽霊とは、恐怖心が生み出した幻影かなと。よくある感じです。
まあ、信じない見えない私からしたらですけどね。
私はくだらない話が終わったから帰ろうとすると、ふと気になる事が一つ思い浮かんだんですよ。
「もしかしてだけど、お前それが怖くてバイト辞めたのか? ダセェ〜」
そう私が笑ってやると、友人は真顔で言ったんですよ。
「いや。その数日後にきた、三に組の酔ったチンピラ風の客に「店燃やすぞ!」って脅されたのが怖くてやめた」
「あぁ……それは怖いな」
幽霊よりもチンピラが怖いって話でした」
(終)
ここまで読んでいただきありがとうございました。
この作品はSSの会メンバーの作品になります。
作者:アポロ