筆跡
王都の外れに位置する古風な四階建てのビルディング。その四階部分の一室に、キール社のオフィスは構えられていた。従業員は編集者、記者ライターを含めて十名程度。まだまだ駆け出しの出版社である。
「ようレオン、久々の出社かと思えば女連れか? ったく心配して損したぜ」
同僚のトムがニヤケ面を見せながら冷やかしてくる。他の従業員も俺たちの姿に驚いているようで、次々と席を立ちこちらへ歩み寄って来た。
「お前、てっきり他社に引き抜かれたとばかり思ってたよ。先日ユトダイン・タイムスの重役がここに来てたんだ」
「今朝の朝刊読んだか? 未だにあんたの話で持ち切りだぜ?」
「こんなタダ働き同然の弱小出版社なんか辞めてよ、大手に移った方がいいんじゃねえか?」
流石に最後の台詞は聞き捨てならなかったのだろう。社長であるケイトは眉間に皺を寄せ、軽口を叩いた従業員を睨みつけた。
「じょ、冗談ですよ社長。なあレオン? お前はずっとキール社のエース記者だよな?」
まあ、他の従業員が俺の移籍を疑うのも無理はない。父の葬儀から早一週間。俺は一度もオフィスに顔を出さず、ただひたすら自室に閉じこもっていたのだから。その間何名ものメディア関係者が俺の部屋を訪れていた。恐らく王都に拠点を置く全ての新聞雑誌社が、取材や引き抜きの名目で我が家の呼び鈴を鳴らしたことであろう。ただ一つ、ここキール社を除いては……。
「ユトダイン・タイムスから王都新報、果てはナブールのラジオ社までうちに来たよ。来なかったのは君らぐらいさ。心配なら顔ぐらい出してくれよな」
すると傍に立っていたトムが笑いながら肩を叩き、社長席の引き出しを引っくり返しているケイトを指差しながらこう答えるのであった。
「社長命令だよ。今レオンは絶賛傷心中だろうから、一人にしてやれってな」
ケイトの方を振り向くと、彼女は手を止め苦笑いを浮かべ、首を傾げながらとぼけてみせる。
「はて、何のことでしょうか?」
「そうだったんすか……。でもケイトさん、何で今日に限って、うちに不法侵入してきたんですか?」
わざとらしく鼻歌を鳴らしながら、何事も無かったかのように再びデスクを漁り始めるケイト。そんな彼女に代わって、またしてもトムが代弁する。
「流石に一週間経って、居ても立ってもいられなくなったんだとよ。今朝なんか笑えたぜ? あからさまに上の空で、昼過ぎ頃からオフィスをグルグル回ってさ。不意に独り言みたいに「レオンの様子を見て来ます」とか言って、あっという間に出て行っちまったんだ。んで戻って来たと思ったら……」
そう言いかけてトムは、俺の後ろに引っ付いているリズの顔を覗き込んだ。そして彼の表情はみるみるうちに青ざめて行き、息を呑んで一歩後ずさるのであった。
「……おいレオン、この方もしかして」
「ああ、リズ王女だ。俺の幼馴染さ」
リズは恐る恐る顔を上げ、上目遣いでトムをちらと見て会釈した。一方のトムは呆然と口を開け、まるで石のように固まって動かない。
そして一気に社内がどよめいた。唖然として立ち尽くすトムの体を押しのけ、王女の姿を一目見ようと社員たちが迫ってくる。リズは益々縮こまって、俺の背中にしがみついた。
「え? え? リズ王女って、あのリズ王女!?」
同じ記者仲間のフローレンスが、悲鳴にも似た叫びを上げながら口に手を当てる。彼女は俺の二つ上、18歳の新人記者であり、また同時期に入社した俺の同期でもある。記者としてもライターとしても優秀な女性であり、仕事で学ぶところは非常に多いのだが……。
「キャーッ! えっ!? 可愛いすぎるんですけど!? 何々どういうこと!? 」
まるで珍しい動物を発見したかのように、嫌がるリズの顔を覗き込もうとするフローレンス。こうした無遠慮で不躾なところがどうにも。まあ、裏を返せばあっぴろげで親しみやすい人であるとも言える。
「あー、あったあった。これでマーガレット・ダンバースの筆跡を確認できますよ」
ざわつく社員たちをよそに、ケイトは一枚の書面を手にリズのもとへと歩み寄って来た。リズはすかさず手紙を取り出しケイトに手渡す。周囲の従業員は興味津々の様子で、二人のやり取りをまじまじと見つめていた。
「フローレンス。あなた、筆跡鑑定の心得がありましたよね?」
「はい社長!」
「この二枚を見比べて、不一致が無いか確認して下さい」
「お安い御用で! ちょっと待って下さいね!」
フローレンスは手紙と謎の書面を受け取ると、駆け足でデスクに戻り鑑定を始めた。その後ろでは従業員たちが思い思いの表情を浮かべながら彼女の姿を見守っている。
「ダンバース家か。社長、これ結構ヤバいんじゃねえか?」
トムが顔を顰めながらケイトに語り掛けた。しかしケイトは表情一つ変えずに、散らかったデスクを片付け始めるのであった。
「でしょうね。まあ例えどんな真実に至ろうとも、本件を公表するつもりはありませんが」
そう言ってケイトはリズの顔を見た。リズは戸惑いながらも頭を下げ、感謝の言葉を口にする。
「あの……ありがとうございます……」
「礼には及びません。それより、私の方が御礼を申し上げるべきでしょう」
「……えっ?」
「我が社の従業員の無断欠勤を最小限に抑えてくれました。あなたがレオンの部屋を訪れなければ、きっと彼は今でも自室に閉じ籠っていたでしょうね」
確かにそうかもしれない。事態は思わぬ方向に進んでいるが、結果的に俺は外に出ることができたのだ。沈んでいた精神も、リズが突如部屋を訪れたことによって、いくらか回復したようにも思う。
「……私はこの国の王女です。きっとケイトさんにも、会社にも迷惑が掛かります」
リズは重苦しい表情でそう呟いた。だがしかし、ケイトは何も気にしていない様子である。彼女は平素と変わらぬすまし顔で、不意に俺を指差してこう語るのであった。
「大丈夫ですよ。責任は全部レオンが負いますからね」
「……えっ?」
「冗談ですよ。何かあったら私に任せてください。こう見えても、役人との交渉は得意ですから」
やはりこの人には頭が上がらない。こうした情に厚い一面も、彼女が社員から慕われる所以であった。心から尊敬できる社長であるからこそ、俺は今でもキール社に留まり続けているのである。
「社長! 鑑定終わりました!」
「結果は?」
「これ凄いですよ! ほとんど同じ! 素人じゃ見分けつきませんよ!」
「ということは、違うのですね?」
俺は思わずリズの顔を見た。リズも同時に俺を見て、二人は顔を見合わせてゴクリと生唾を飲み込むのであった。
「ええ。でもこれ一体何なんですか? 社長の持ってた書類が本物なら、こっちの手紙は偽物ってことになりますけど……」
マーガレット・ダンバースからジェームス国王へ宛てられた手紙。国王へ愛の言葉を囁く、実に艶めかしいこの手紙が偽物というならば、それこそ一体誰が、何のために作成したのだろうか。
「ダンバース家に対して恨みを持つ者の仕業か、それとも王室に敵意を抱く者の仕業か……」
自然と呟きが漏れる。ケイトもトムも黙って頷き、フローレンスの鑑定結果を食い入るように見つめていた。俺は再びリズの方に視線を移す。彼女は少しだけ安堵したように、ほっと胸をなでおろすのであった。
「お母様……」
ジェームス国王とマーガレットの疑惑もこれで少しは晴れただろう。リズの心のしこりも大分解消された筈だ。しかし、状況は更なる謎を呼ぶ結果にしか繋がっていなかった。この手紙の差出人がマーガレットでないならば、一体誰がこの手紙を書いたのだ。愉快犯ならまだ良いのだが……。
「トム、フローレンス、そしてレオン。あなた方三名には新プロジェクトを担当してもらいます」
ケイトの命令に、トムは目を丸くして次のように答えた。
「いや社長、俺他に七件も担当あるんだけど……」
続けてフローレンスも社長にこう訴える。
「私も五件担当してます! うち二件はレオンのサボりの分ですけど!」
いや、それに関しては申し訳ないのだが。わざわざここで言わなくても……。
「計十二件ですか。うーん……」
ケイトが周囲を見回すと、他の従業員は皆一斉に顔を伏せた。恐らく自分に仕事が回ってこないよう祈っているに違いない。
「ま、こっちでなんとかしておきます。三人は新プロジェクト一本に集中して下さい」
「その新プロジェクトってのは……」
「もちろん、リズ王女の持ち込んだ情報を徹底的に調べることが目的です。あとレオンはしっかり王女を保護してあげてください。万が一警察や王室衛兵にバレたら……その時は諦めましょう。無駄な抵抗はせず、私の名を出してください。くれぐれも上手く胡麻化そうとしたり、戦おうとしたり、自ら責任を負うような真似はしないで下さいね。リズ王女もですよ?」
「え、は、はい……」
「リーダーはレオンに任せます。その方が色々都合がいいでしょう」
「……マジすか?」
入社から半年にして、まさかこんな形でリーダーを任されることになるとは……。しかし尻込みしちゃいられない。同期のフローランスは既に一度リーダーを任されたことがあるのだから。俺にだって、出来るはずである。
「とりあえず打ち合わせに移ろう。リズも一緒に」




