陰謀説
「とりあえずベッド貸すから、寝るときはそこ使ってくれ」
「レオンはどうするの?」
「その辺で寝るよ。慣れてるから大丈夫さ。ここに引っ越してきた時なんて、ベッドすら無かったからね」
当然母に縋れば多額の生活資金が送られてきただろう。しかし半年前に学校を中退した俺は、どうしても実家に金を無心することが出来なかった。そのお陰で借金地獄に陥りかけたこともあったのだが、どうにか生活を立て直すことが出来たのは王都の零細出版社、キール雑誌社の協力があったからである。
いや、この際キール社との出会いの話など関係ない。つい昨日たまたまシーツの洗濯を終えていたとはいえ、我が家のみすぼらしいベッドに王女様を寝かせるのは気が引ける。かといって他に有用な寝具があるわけでもないのだが……。
「ねえ、ここはレオンの家なんだから。自分でベッド使いなよ」
「……それがな、他に寝具が無いんだ。君を床に転がすわけにもいかないし」
「じゃあ一緒に使えばいいじゃん。二人で寝ても、そんなに狭くないでしょ?」
「そりゃマズい……」
リズは平然とした様子でこちらを見ているが、当然そんなわけにはいかない。只でさえ俺たち二人の同棲など許されるはずもなく、……ましてや同じベッドで寝るなんて。
「別に気にする仲じゃないでしょ。とにかく床で寝るのは反対! どうしてもって言うんなら私も床で寝るわ」
「分かった分かった。もう一台買うから、それまでな……」
彼女が言い出したら聞かない性格であることも分かっていた。しかしながら、葬式の際はこちらが引け目を感じるほど気品に溢れていた彼女が、こうして昔のように気さくに語り掛けてくれるのは嬉しい限りである。あの時は彼女が、まるで遠くに過ぎ去ってしまったように感じられたものだが。
「話は変わるけど。手紙の内容について色々気になることがある」
先ほど渡された手紙。ダンバース家当主のマーガレット・ダンバースから、リズの父であるジェームス国王に送られた手紙について、聞きたいことは山ほどあった。
『愛しのジェームス、この間はありがとう。時間さえ許せばもっと愛し合いたかったけれど、貴方は忙しいものね。今私は一人、暗い寝室でこの手紙をしたためています。私の心は貴方でいっぱいです。きっと貴方も同じ思いでしょう。貴方に触れられた……』
この内容をリズが読んだのかと思うと、何とも言えぬ思いに駆られるのだが。リズは憤慨した様子でこちらを睨みつけるのであった。
「信じられないでしょ!? これがお父様の机の上に置かれていたの!」
ジェームス国王はリズの母、すなわちアナスタシア王妃と結婚する前に、マーガレット・ダンバースと恋仲にあったという。この話は長らく王室内で秘匿されてきたというが、今や王国中の市民が知る公然の事実となっていた。
ユトダイン王国は恐らく世界で最も自由主義的な国であり、報道の自由もある程度保証されている。こうした王国の自由主義化を推し進めたのは俺の父さんであり、首相在任中の2600年から2606年にかけて数々の民主化政策を手掛けてきたのであった。
まあ、父の話はこのくらいにしておこう。ともかくこうした王国の民主化・自由化が進んだ結果、王室に関するゴシップもよく出回るようになったのである。ジェームス国王とマーガレット・ダンバースの関係もそのうちの一つだ。
二人がまだ十代の頃。ジェームス国王が結婚する前のことである。ダンバース家はユトダイン王国で最も大きく、また歴史の古い貴族であった。王室との関係も深く、前国王のウィンザー卿は、故チャーリー・ダンバースと親友の仲でもあったのだ。
ジェームスとマーガレットが惹かれ合うのは必然であったという。いわば俺とリズの関係に近く、二人は幼馴染であったのだ。いやもちろん、俺はリズに恋してなどいないのだが……。
「この手紙、消印が無い。誰かが直接ジェームス国王に届けたんだろう」
「そりゃそうよね。王宮宛ての手紙には必ず検閲が入るんだから。こんな内容の手紙を、郵便局経由で送るはずないわ」
「うーん……。俺は正直、国王陛下とマーガレット・ダンバースが今でも恋愛関係にあるなんてゴシップ、信用できないな……」
この手の王室ゴシップを取り上げるのは大方三流雑誌に限られる。情報元など二の次の、無節操で購読者集めに必死な小規模出版社が、こうした王室スキャンダルを捏造して世に流すのである。リズの持ってきた手紙だって、陰謀説に取りつかれた一般市民による悪質な嫌がらせであるかもしれないのだ。
「この手紙を発見してから、私色々調べたの。お父様とマーガレット・ダンバースについて……。お父様は昔、マーガレットと恋人関係だった。でもお母様との結婚が決まって、マーガレットとの恋は終わったんだって」
「ああ、そうらしいね。よくある話だと思うけど……」
「それだけじゃないの。私のお母様、つまりアナスタシア王妃は、結婚してからしばらく経っても子を身に宿さなかった。ようやく私が産まれたのは2594年のこと。両親の結婚から十年近くの歳月が経ってからなのよ」
当時も実しやかに囁かれていたというアナスタシア不妊説。実に下賤で不愉快な言説であるが、まだ王太子夫妻であったジェームスとアナスタシアの間に長らく子供が出来なかったのは紛れもない事実である。
「それが何だって言うんだい?」
「……同時期にマーガレット・ダンバースが身籠っていたことは、知ってるかしら?」
「いや、知らない……」
一瞬寒気がして、俺は思わず身震いした。今から目の間の彼女はとんでもないことを言いだすのではないか。その予感は虚しくも的中した。彼女は青ざめた表情を見せながら、自ら導き出したであろう恐ろしい仮説を口にするのであった。
「公式には、マーガレットの子供は生まれて間もなく亡くなったとされてるの。でも……」
「分かったリズ、少し落ち着こう。深呼吸して」
今、恐らく彼女は冷静でない。きっとこんな手紙を発見しなければ、ここまで想像を膨らませることも無かったのだろう。そして彼女は俺を頼りに来たのだ。こんな話を両親に聞くことも出来なければ、他の誰にも相談できなかったのである。
果たしてこの手紙は誰が、何の意図で作成したものであろうか。更に不可解なのはこの手紙が国王陛下の机に置かれていたという点である。リズの父、ジェームス国王は確実にこの手紙を読んでいる。本人に直接聞ければ良いのだが、それが可能ならリズはここに来ていない。父に直接真相を問うことが出来るなら、わざわざ俺を頼る必要もなかっただろう。
「……なるほどなるほど。ではまず、この手紙の筆跡が本当にマーガレット・ダンバースの筆跡と一致するのか、会社に戻って確かめてみましょうか」
「うわッ!?」
突如耳元から聞こえてきた声に、俺は思わず妙な叫びを発しながら飛びのいた。リズも同様に小さな悲鳴を上げ、俺の背中にしがみつく。しかし次の瞬間、俺はその声の主を確認して安堵すると同時に、心底呆れてため息をつくのであった。
「……ケイトさん。ここ俺の家なんですけど、何やってんすか? つーかどうやって入ったんですか?」
「え? 普通に合鍵で……」
そう言って彼女は、さも当然かのようにポケットから合鍵を取り出して見せた。彼女の名はケイト・デイヴィス。俺の務めるキール出版社の社長であり、一応俺の命の恩人でもある人だ。キール社の専属ライター兼記者となることを条件に、彼女は俺の抱えていた借金を全て肩代わりしてくれたのである。
「なんで合鍵持ってんすか……」
命の恩人であり、かつ俺の雇い主でもあるケイトだが、どうにも彼女は変わっている。正直何考えてるか分からないし、今見せたような突拍子もない奇行に走ることもしばしばであった。現在彼女は27歳。顔立ちは端正で、黒縁の眼鏡が聡明で理知的な印象を抱かせる。もとは王国で最も巨大な新聞社『ユトダイン・タイムス』の編集部で働くバリバリのキャリアウーマンであったらしいが、真のジャーナリズムを追求したいと志した彼女はつい昨年独立し、自らキール出版社を立ち上げたのだという。
「そんなことはどうでもいいでしょう。とにかくお話は全て聞きました。先ほども申し上げましたが、まずは手紙の筆跡を確認すべきです」
「……なに当たり前のように盗み聞きしてんだよ」
しかしリズの方はケイトの登場に興味津々で、彼女に対して次のように質問するのであった。
「マーガレット・ダンバース本人の筆跡が分かるんですか?」
「ええ。直筆の資料も持っていますから、直ぐに調べられるでしょう。我が社まで一緒に来ていただけるなら」
ケイトの提案に、リズは同意を求めるようにこちらを振り返った。リズが良いなら俺も構わないが……。彼女にとって目の前のケイトは得体の知れない謎の人物なのだから、少しは警戒を見せて欲しいものである。
「……一応紹介しておくよ。この人はケイト。俺の務める出版社の社長さんだ」
事態は何だか思わぬ方向に向かっているようである。俺は再び大きくため息をついて、予測不可能な前途に一抹の不安を覚えるのであった。




