瞬間移動
「……王室衛兵が来てる。裏口から出ましょう」
リズはそう言って、正門方面に背を向け一目散に駆け出した。俺はその後を追いながら、先ほどランカスターにまさぐられた左ポケットに手を当て、小さな長方形の物体がそこに収められているのを確認する。
「リズ、ランカスターから妙なものを受け取ったんだけど。こりゃ一体何だ……」
ポッケから出してよくよく見ると、四桁のダイヤルに守られた小型の宝箱のようである。
「貸して!」
前方を走るリズが振り返り、奪うように俺の掌から小箱を取り上げた。そして彼女は不意に立ち止まり、迷うことなくダイヤルを回して、あっという間に小箱を開けてしまったのである。
中から出てきたのは指先程度のサイズに丸められた、小さな小さな巻物であった。リズは器用にそれを広げ、そして眉間に皺を寄せ、次のように呟くのであった。
「今から何も言わず、何も考えず私について来て。絶対よ……」
「……は?」
俺たちが疑問を呈する暇もなく、リズは再び駆け出した。宮殿の敷地を抜け彼女が向かう方向は……。いや駄目だ。何も考えずついて来いと言われたからには、俺の取るべき手段はただ一つ。とにかく彼女の後を追うことだけであろう。
「はいどうも。どちらへ行かれますか?」
「ナビするからその通りに走って! 出来るだけスピード上げてよ!」
「……え、ええ、分かりました」
タクシーに乗り込んだ俺たちは、何が何だか分からぬままに、息を荒げながら後部座席に腰掛けた。運転手も困惑している様子である。しかしリズの勢いに押されて、運転手は慌ててアクセルを踏みむのであった。
「このまま直進……次の……」
指示の度にリズは、何故か俺たちに聞こえないぐらいの声で運転手に耳打ちした。都市部の道路を高速で走り抜けるタクシーの姿に、歩道の通行人は皆驚いてこちらを振り返る。
「あの……お客様もしかして……」
どうやら運転手はリズに気付いたようであった。先ほどからチラチラと助手席を覗き見ては、青ざめた表情で生唾を飲み込んでいる。
「ねえ! スピード落とさないで!」
「しかしお客様……これでは……」
ふと後方を覗くと、バイクに乗って猛スピードで迫りくる警察隊員の姿が目に入った。最近警視庁のバイク隊に導入されたという、ランズベリー製の最新式自動二輪車。市販モデルの乗用車では到底振り切れる筈もなく、あっという間に並走されてしまう。
「危険運転です! 今すぐ止まりなさい! ちょっと、そこのタクシー!」
拡声器を片手に怒声を放つ警官。前方には赤信号。万事休すか……。
「手前の路地に入って! そこ左!」
リズの叫びが車内に響く。運転手は既に涙目であった。
「無理ですって! 車道じゃないですよ!」
「いいから!」
車体が右に傾き、後部座席に乗る俺たちの体も車内右側に吹っ飛ばされた。俺は右隣に座るステラに覆いかぶさり、同時に左隣のフローレンスが悲鳴を上げながら抱き着いてくる。彼女の胸の感触を背中に感じながらも、俺の脳内は恐怖に支配されていた。通常ならこの上ない幸福な状況である筈なのだが……死の恐怖を目の前に、俺の頭はすっかり混乱状態に陥っていたのである。
何とか左折に成功したタクシーは、本来車が通るはずの無い路地裏を猛スピードで駆け抜けていった。幸い人の姿は無い。車体の左右側面を石造りの建築に擦り付けながら、運転手は半狂乱の状態でハンドルを握りしめている。
「ヤバいって! ヤバいってこれ!!」
「大丈夫よ! もう少しで抜けるから頑張って!」
「ああああ頭おかしいってば!!」
「路地抜けたら右!」
今度は体が左側に押し付けられ、左隣に座るフローレンスに抱き着く格好となってしまった。右隣のステラも必死で俺の身体にしがみつく。だが既に、俺も彼女らもそんなことを気にする余裕を失っていた。当然フローレンスの左に座るトムも同様であろう。
「このまま直進して! もっとスピード上げながら!」
後部座席の悲鳴など聞こえていないかのように、リズは大声で運転手にそう指示した。すると運転手は眉をひそめて、
「あんた王女様だよな!? リズ様だろ!?」
……やはり気付かれていた。しかしこの運転手も、ここまでリズの指示に従ってしまったのだ。警察の追跡を振り切り、今尚スピード違反を犯しながら危険運転を続けている。まさか王女の家出に付き合わされているとは夢にも思ってないだろうが、もはやこいつも共犯者。リズの指示に従い、逃走を手助けする他ないだろう。
「だったら何!?」
「もう戻れねえからよ! 何だって言うこと聞いてやる! そんかし終わったら、こっちの要求も飲んでもらわねえと困るぜ!?」
先ほどまでのパニック状態から一変、人が変わったかのように語気を強める運転手。その瞳は爛々と輝き、まっすぐ前方を見据えながら、口元に不敵な笑みを浮かべている。
「いいわよ! なに考えてるのか知らないけど、報酬ならいくらでも!」
「あー! その言葉忘れんなよ! こっちは会社の車ダメにして、挙句警察に喧嘩売ってんだ! 最後まで責任取って貰うぜ!?」
「もっとスピード上げられないの!?」
「チッ……舐めんなよ? こちとら元プロのレーサーだ。……ヤッベえ興奮してきたぜ、公道で暴れんのは久しぶりだからなァ」
言い終わるが早いか、運転手は一気にアクセルを踏み込んだ。歩道に割り込みながらも障害物を避け、都市部の一般道を走るには有り得ない速度で突っ走るタクシー。
「すごいな……」
俺は思わずそう呟いていた。二車線の道路を走る他の自動車の数は決して少なくない。歩道にもある程度の通行人が確認できる。にもかかわらずこの速度……。
と次の瞬間。俺は突如目の前に現れた一人の男性の姿に釘付けとなっていた。
「やあレオン、久しぶり」
この男……猛スピードで走行中の車内に、ドアも開けずに侵入してきたのであった。長く伸びた銀髪に中世的な顔立ち。俺はこの男を知っている。
「ダレン……」
亡き父の友人であり、王宮職員としてアナスタシア王妃の護衛を務める男。先日の葬式以来の再会であるが、まさかこんな形で再び相まみえようとは……。
「悪いけど一緒に来てもらうよ」
ダレンは後部座席に座る俺たち四人を抱え込んだ。両隣のステラとフローレンス、そして左端に座るトムも、咄嗟の出来事に全く抵抗を示すことが出来なかった。そして次の瞬間、俺たちの体はタクシーを抜け、ダレンに抱えられる形で宙を舞っていたのである。
「なになになに!?」
フローレンスが悲鳴を上げながら手足をバタつかせる。無理もないだろう。先ほどまで乗っていたタクシーの姿は、遥か下方で米粒程度の大きさにしか認識できないのである。
「さて、どこに着地するかな」
このダレンという男は所謂契約者であった。有する能力は「テレポート」。自分の体はもちろんのこと、触れたものすら同時に瞬間移動させることが可能という、実に恐ろしい能力だ。
俺たち四人を抱えた状態で、ダレンは次から次へと能力を繰り出してゆく。その度に周囲の景色が転換し、とうとう自分たちがどこにいるのかさえ分からなくなってしまった。やがて空中を飛んでいたダレンは地上に降り立ち、人気の無い廃工場へと侵入するのであった。
「さて……ここまで来れば一安心かな……」
随分と長い距離を進んできたように思う。そして俺たち四人を解放したダレンは、そのまま地面に倒れ込んでしまった。
「大丈夫かダレン? 君の能力は……」
息が荒い。ダレンの能力には使用限界があると、かつて父はそう語っていた。能力を乱発し過ぎると、彼は呼吸器官に異常を来すのだと。
「……ああ……少し休ませてくれ。……下手に動くなよ? ……僕は……君たちの味方だ」
息も絶え絶えにそう告げたダレンは、そのまま瞼を閉じて眠りについてしまった。俺は慌てて彼の首筋に手を当て、同時に彼の口元へ耳を近付けた。
脈はある……呼吸も……。
「おいレオン。こいつは一体何なんだ?」
一緒に連れてこられたトムが動揺を見せながらもそう尋ねる。隣に立つフローレンスも不安げな顔付きで、ダレンのもとにしゃがみ込む俺を真っすぐ見詰めていた。
「この人は王室関係者だ。でも安心してくれ。彼は父の親友で、俺も幼いころから世話になっている。決して悪い人じゃない」
「ならどうして俺たちをこんな処へ? それにリズはどうした? こいつが王室関係者なら、狙いはリズの筈だろう。どうしてこいつはリズだけ連れ出さなかったんだ?」
俺はハッとなり周囲を見回した。……いやな予感はしていたが、確かにリズの姿は見つからない。ダレンが連れ出したのは俺とステラ、そしてトムとフローレンスの四人だけであったのだ。
「……何にせよ、今俺たちは王都から離れてしまっている。ここで下手に動いたってしょうがないだろう。……とにかく今は、ダレンの回復を待つほかない」
「もしかして俺ら、相当やべえことに巻き込まれてんじゃねえか?」
トムの憶測は否定できないものであった。ダレンは味方であると語ったが、果たしてどこまで彼を信用していいものか、正直俺にも分かりかねていた。リズの安否も心配である。ランカスター王太子から渡されたあのダイヤル錠付きの小箱。その中に入っていた紙には一体何が書かれていたのか。リズは今どこにいるのか。こんなことになるのなら、最初からリズの提案に乗らなければ良かったのではないか……。大人しく彼女を宮殿に戻していれば……。




