父の死
親元を離れてはや一年。文筆で身を立てるべく、俺はこれまで各地を転々としてきたが、ようやく生きていけるだけの金ぐらいは稼げるようになったらしい。未だ生活は苦しいものの、月数万ほどの、王都のボロアパートの家賃程度なら遅滞なく払えるようにはなっていた。
これから文筆業に勤しんで、稼いだ金で親孝行でもしようと考えていた矢先のことである。呼び鈴の音に目を覚ました俺は、寝ぼけ眼で郵便局員の差し出す電報を受け取り、それが母からの連絡であることを認識した。
『チチキトク スグカエレ』
王国史上最も偉大な総理大臣と謳われた父の最後は、実にあっけないものであった。肺炎と気管支拡大症による死であった。以前より病気に侵されていたことは知っていたが、まさかこんなにも早く死ぬとは思いもしていなかった。同時に、俺は全てを失ったような虚無感を覚えていた。
父は偉大な男であった。しかし俺は、そんな父の才覚を受け継ぐことが出来なかった。学校を転々として、遂に最後の私立高校も中退した。俺には何もない。優しい母の気遣いに耐えられなくなった俺は、唯一得意としていた文筆を頼りに家を出たのであった。
「レオン・ロビンソン先生。お父様の思い出をお聞かせください」
「亡くなったお父様に一言!」
「回想録をお書きになりませんか? タイトルは『ニック・ロビンソンの息子』という表題で如何でしょう?」
「元首相と王妃は深い仲にあったと聞きますが、真相は如何に?」
奇しくも16歳という、ちょうど父の人生ががとある一大転換を迎えたらしい年齢で、俺は大いなる存在を失ったのである。俺は全ての取材と出版の依頼を断り、一人自室に閉じ籠っていた。これを機に一躍時の人となり、文筆家としてのレオン・ロビンソンを売り出すことも出来たのだが、どこまでも父の栄光がつき纏う人生にはうんざりであったのだ。それに、我が父ニック・ロビンソンの功績は回り回って、現下の国際政治に大いなる歪を産み落とす結果となっていた。王国の英雄は今や、手放しで礼賛すべき人物とは呼べぬ存在へと変貌していたのである。
「せめてお葬式ぐらいは参加してくれないかしら? お父さんも喜ぶわ。きっと今でも、あなたのことを心配しているでしょうから」
母の要望に応じて、俺は父の葬式に渋々ながら参列することにした。その様子は元首相の葬式にしては実に簡素なもので、父が本当に信頼していた友人と、その親族のみが招かれていた。父のことは好きだった。しかし、父の友人と顔を合わせるのは気が引けた。父を心から信頼し、共に苦難を乗り越えてきた人間が、このどうしようもない息子の姿を見たら如何に感じるだろうか。更に俺を悩ませたのは、かつて幼少期に遊んだ幼馴染の存在であった。二歳年下の彼女は今年で十四歳となる。数年ぶりに再会した彼女は、最後に見た頃とまるで違っていて、王族としての気品と微かな香水の香りを漂わせ、母と俺に対して深々とお辞儀を見せた後、他人行儀にこう口を開くのであった。
「ニック様のご逝去、謹んでお悔やみ申し上げます。ご家族の悲しみは筆舌に尽くし難いことでしょう」
俺はただ彼女の言葉に頷き、呆然と佇むことしか出来なかった。父の死に目に間に合わなかったことなど、この際考えることも出来なかった。やがて自室のベッドで一人うずくまり、懐かしき思い出に心を巡らせた時、初めて俺は自身の親不孝を呪うのであった。
「リリリリリリリー-」
呼び鈴が招かれざる来客の訪れを告げる。また週刊誌の記者か、それとも政府関係者が媚売りに来たのだろうか。先日はとある政党の党首が政治活動への参加を持ち掛けてきた。もうウンザリだ。半年前、ペンネームを用いて雑誌社へ売り込みに走った頃、どんなに心を砕いて書いた小説も、文芸評論も、政治記事も、二束三文で買い取られたと言うのに。今や彼らは信じられないほど高額な原稿料を提示して、「どうかわが社の雑誌で連載してほしい」「党の宣伝文句を書いてほしい」「一言でも良いから、ラジオで発言してほしい」と訴えるのだ。彼らが望むのは『ニック・ロビンソンの息子の証言』であった。決して『レオン・ロビンソンの作品』ではないのである。
「リリリリリリ……」
俺はベッドから降り立ち、申し訳程度に身なりを整えてドアを開けた。わざと不機嫌な調子を演じつつ、「何か用ですか?」とぶっきらぼうに問いかける。そして眉間に皺を寄せ、来訪者の姿を見た瞬間、俺は驚きのあまり声を失ってしまった。
「迷惑だったかな?」
目の前に現れたのは、可憐なドレスに身を包み、愛嬌に満ちた笑顔を浮かべ、首を傾げる美しい少女の姿であった。父の葬式から一か月。幼馴染であり、国王の一人娘である彼女の来訪に、俺は激しい動悸を覚えていた。
「リズ……」
「わあ、レオンからそう呼ばれるの久しぶりね。なんだか懐かしい」
「……もしかして、一人で来たのか?」
「もちろん。護衛もいないから安心して」
「安心って……」
思いがけない来客に戸惑うこちらの様子など気にも留めぬ様子で、彼女は俺の脇をすり抜け部屋に入り込んできた。決して綺麗とは言えない室内の状況もお構いなしに、つかつかと廊下を突き抜けるリズ。
「二人で住むにはちょっと狭いけど、片付ければ何とかなるかなー」
彼女はそう独り言をつぶやきながら、ワンルームのリビングに立ち、神妙な顔つきで周囲を見回している。
「二人で? 一体どういう……」
「家出してきたの。他に行く宛てもないから、ここに匿ってもらおうと思ってね。何か問題ある?」
俺は衝撃のあまり、唖然として立ち尽くすことしか出来なかった。葬式で数年ぶりに対面した時とはまるで異なる心境である。いくら幼馴染とはいえ、彼女は王女であり公人なのだ。家出など許される行為ではない筈だし、現実的に考えて彼女を匿うべきではない。
しかし俺は、葬式の会場で再開したときの厳粛な様子とは打って変わって、昔のように気さくに語り掛けてくれる彼女の様子に少なからぬ喜びを感じていたのであった。同時に、彼女が部屋に転がり込んできたという現状に、とてつもない不安も覚えるのであった。




