おおいなる幻影⑪ ファスリン峠の戦い 下編
「素晴らしく戦った騎兵たち。対峙したるは地獄の口の、死の顎」
―――ジョゼフ・キーリング(キャメロットの詩人・作家)
エルフィンド陸軍黄金樹旅団を中心とする騎兵支隊は、かなり規模の大きな騎兵集団であった。
約五〇個中隊というが、エルフィンド軍の指すところの「騎兵中隊」は彼女たち独特のものであり、他国のそれより兵の数が多い。一個二五〇騎であったから、騎兵の集団だけで一三〇〇〇を越える。
オルクセン陸軍式に換算すると、七六個中隊。オルクセンの擲弾兵師団に属する騎兵連隊が五個中隊編制だから、どれほどの規模かわかる。
本来の胸甲騎兵連隊二個、槍騎兵連隊一個に加え、陸軍第七胸甲及び第九槍騎兵、第一六竜騎兵連隊などを合同させ、これに一二ポンド騎砲一二門及び七ポンド山砲一〇門からなる砲隊、独自の輜重隊を有した恐るべき集団だった。
指揮官はアノールリアン・イヴァメネル中将。
かなり古いアールヴ語体系に属する名で、つまり長きにわたって軍に仕えている。マルローリエン旅団の指揮官を務めるようになってからも久しい。
白エルフ族に多い、銀髪灰眼。
顔立ちも美しいのだが、あまり口数の多いほうではない。ただしその無言は、自信や矜持、彼女なりの誇りから来るもので、騎兵科将校たちからも慕われている。
ベレリアント半島最北端の、非主流の氏族の出で、それゆえに兵の扱いにも慈愛があった。
彼女たちは出撃の前夜、中隊単位に集って指揮官による火酒の清めをサーベルや騎槍に受け、静かに白銀樹への祈りを捧げた。
我らが彷徨える魂
この寄る辺なき世界の旅
光り輝く星降る雨は我らを導く
そこには病も苦痛も危険もない
星は我らを導く
白銀樹は我らを育む
星よ 樹よ
我らが魂を導きたまえ
エルフィンドに古くから伝わる歌で、彼女たちにとっての、讃美歌の一種ということになろうか。伴奏はつけない。声の高低だけで音の重なりを奏でる。
静謐で、荘厳で、清楚な響きがあった。
黒熊毛帽に、肩章つき立襟直裁の白上衣、黒ズボン、乗馬長靴というマルローリエンの騎兵たちは胸甲を脇に置き、合同している緑上衣に黒ズボンという騎兵たちも同様にして、焚火を囲み、みなそれを歌った。
「・・・・・・」
イヴァメネル中将は、とくに演説めいたことをやらなかった。
既に明確な命令を発してある。
部下たちにはそれを遂行できる能力があると信じている。
ならば今更言うべきことは何も無かった。
ダブルブレストの白外套のうえにエルフィンドを表現する白と青の飾帯を腰に巻いた姿で、旅団幹部たちと静かに杯を上げ、麾下将兵たちの歌に耳を傾け続けていた。
オルクセン軍側では―――
夜半に至るまでに、すでに四つの野戦陣地を作り上げていた。
西から順に、アンファウグリア旅団の騎兵三個連隊それぞれを主力にして、野山砲、山砲、グラックストン機関砲を分散配置した支隊を置き、これに第六師団歩兵第四六連隊を最東端に配した、合計四つの防禦拠点。
指揮官名でいえば、同順に、フィンドル支隊、アンダリエル支隊、カリナリエン支隊、オトマイヤー中佐の四六連隊。
中央部に位置取った二つの隊、騎兵第二連隊及び第一連隊を中心にした支隊の陣容が、少しばかり厚い。アンファウグリア山岳猟兵連隊からそれぞれ一個中隊を割いて、増強してあった。
舎営村落を利用し、その郊外前面と左右に、伏し隠れられるほどの散兵壕を施してある。
ここに下馬した兵を散兵にして配し、耕作地の石垣や起伏、灌漑路なども利用して、五七ミリ山砲とグラックストン機関砲を、直接的に兵を支援できる敵突撃の破砕火力として置く。
アンファウグリア旅団の七五ミリ野山砲一八門と、四六連隊の野山砲六門は、各陣地のやや後方、三〇〇メートルから四〇〇メートルの線に砲列を敷いている。
拠点は一直線に並んでいるというわけではなく、中央部の二隊―――ディネルース直卒の騎兵第二連隊中心の支隊と、アーウェン・カリナリエン中佐率いる騎兵第一連隊を中心とした支隊が、やや南側に窪んだ格好になっている。
アンファウグリアにとってもっとも大切な軍馬は、その砲撃陣地の更に後方や村落内に馬匹野営場―――厩を作り上げて纏めて避退させてあった。風と寒さがあるから、林や、輜重馬車を並べたもので防風壁を用意し、その陰に繋ぎ索を設けることで、軍馬たちを自然環境からも護る。
獣医や輜重隊の者たちが見張り役兼世話役になって側についていて、仮にもっと気温が下がるようなことがあれば、彼女たちは馬の背に布を被せてやったり、近くで焚火をしてやることになる。
夜半のうちは、交代で配置につく哨兵を除いて、みな眠りに着いた。
大鷲軍団ウーフー中隊から一ロッテが飛んでくれていたし、アンファウグリア旅団の哨兵はみな魔術探知がやれたから、そんな真似が出来た。
ただし熟睡できたかといえば、とてもそうではなかった。
寒さが身に堪えたし、ダークエルフ族の場合は、とくに突耳の先端部が堪えた。
彼女たちの民族衣装を意匠に取り込んだ腰丈の外套が、なぜフード付きなのか。また熊毛帽がそれほど大きなものではないのは何故か。
それは冬季において彼女たちが、このフードを被ってしまうからだ。あるいは、熊毛帽の内側にある耳当てを降ろした。そうでないと、耳が痛くて仕方ない。
湿気を防ぐために天幕布地を下にし、暖を得るため毛布を被って寝る。
それでも地面の上だったから、背なども軋んだ。
アンファウグリア側の最東端だったカリナリエン支隊には、別の悩みも生じた。
三〇〇メートルほど隣に四六連隊の陣地端があったから、そこからオーク族兵たちの盛大な鼾が聞こえてきて、とても眠れなかったのだ。
そもそも陣地構築のころから、オーク族の兵たちは陽気で、朗らかで、騒がしかった。
昨日たらふく 温食配給
今日は冷たい 牛缶のみよ
ゆうべ夢見た 新妻姿
いまは願わぬ 敵の影
ゆうべ夢見の 村落舎営
今宵は眠れぬ 荒野の野営
兵隊間の流行歌など歌いながら壕を掘るので、それが漏れ聞こえてくるカリナリエン支隊側では失笑も起こったが、まさか夜になって眠れなくなるのがこちらだとは思いもしなかった。
まんじりとも出来なかった兵も多かった。
それでも陣地構築の疲れもあり、とろとろと微睡んで、やがて深みに落ちるように眠りについた。
彼女たちの後方では、本当に殆ど一睡もできなかった者たちもいる。
アンファウグリア旅団の補給部には、オルクセン野戦師団補給隊の編制を流用して小規模にした馬車化製パン中隊が一個いるが、彼女たちは翌朝にせめて皆にパンを出してやろうと、夜半のうちから準備をし、未明までにライ麦パンを焼いた。
兵一名あたり、一日分で一斤。調理部の炊事馬車では、コーヒーの下準備を整えておいた。兵站参謀のリア・エフィルディスがこの差配をやった。後方隊を伴わずに急進撃してきた四六連隊にも用意してやろうという話になり、このためたいへんな作業量となって、忙殺されている。
旅団本部が置かれた村落では、ディネルース・アンダリエルが騎兵第二連隊長のアルディス・ファロスリエン中佐と火酒を一杯やってから眠りに着こうとしていた。
「アルディス。ほら、飲め」
「頂きます」
ファロスリエン中佐は、傍目からすれば、立場的になかなか指揮のやりにくい状態にあるように見えた。
彼女の連隊を中心とした支隊は、ディネルースの直卒ということになっている。
ところがこれはあの緒戦時からそうであったので、二人の間でだいたいのところ役割分担は出来ていた。ディネルースはあくまで全旅団の指揮に徹し、支隊の戦闘指揮はファロスリエンに執らせるという原則を守っていたのだ。
「おかげで、楽をさせてもらっている。戦場でも飲んでばかりだ。明日も頼むぞ」
「なんの、なんの。心得ております」
酌み交わす杯は、今更言葉に出したりはしないが、そのあたりの再確認ということになった。
眠りに就く前、旅団参謀長イアヴァスリル・アイナリンド中佐がちょっと気がかりな情報を届けた。
防禦陣地後方の村落で、短な魔術通信が飛び交っているという。
「また密偵と思われます」
「・・・そうか」
「摘発しましょうか」
確かにダークエルフ族の部隊なら摘発は難しくない。魔術通信を逆探知して、追えばいい。だがディネルースは放っておけと言った。
「よろしいのですか?」
「ああ。そもそも―――」
「はい?」
「密偵の存在は観越してある。むしろ利用させてもらう」
彼女たちから東方、二・五キロでは。
臨機にアンファウグリアの指揮下に入ることとなった第四六連隊長のオトマイヤー中佐が、自隊の陣地を見て回り、その出来に安堵しつつ、自身の本部に戻り、アンファウグリア旅団から誤射を避けるために届けられた部隊配置を眺めながら、首を傾げていた。
「騎兵が正面だと?」
騎兵を拠点防禦に使うのは、そもそも戦術の常道からは外れている。
それに。
アンファウグリア旅団には、猟兵もいるはずだ。
二個中隊は増強に回ったというが。
残りの奴らは何処へ行ったんだ?
―――翌一二日八日。
マルローリエン支隊は南下を開始した。
彼女たちは決して闇雲な騎兵襲撃をしかけようとはしなかった。
前夜より敵占領地から放たれた魔術通信による密偵報で、狭隘地南端付近四か所に敵防禦陣地が配置されていることを、その位置及び兵力までほぼ正確に掴んでおり、また竜騎兵による小規模な戦闘前斥候と地形斥候を放ってこれを自らも確かめ、襲撃正面を選定した。
「・・・見事なものだ」
イヴァメネル中将は、軍用地図に書き込まれた敵陣の配置を褒めた。
「これは、考えなしに突っ込めば、複数の防禦陣地から迎撃を受けるようにできている。中央二隊はその餌だな。ここは酷いぞ。四つ全ての射線に入ることになる。まるで巨大な狼の顎だ」
「では?」
「馬鹿正直に突っ込んでやることはあるまい。最西端の一隊を叩き、敵側方及び後方に回り込む。下手に陣地を築いているから、敵は運動をやれない。そこを突く」
流石というべきであった。
しかもイヴァメネルは、この計画を完璧なものとも思っていなかった。
本当に理想から言えば。
西方防禦陣の、更に西側から迂回したかった。
しかしそれは地形障碍―――スヴァリン地方の山岳及び山裾の森林によって果たせない。
そこで間断のない騎兵襲撃を展開して突進衝撃力を保つようにし、オルクセン側を押しつぶそうとした。
彼女は、第七胸甲騎兵連隊と第一六槍騎兵連隊を中心とした一〇個中隊二五〇〇余騎にそれを下令した。
午前九時。
壮大な展開運動が始まった。
行軍用縦隊を組んで前進していた騎兵群が横隊による襲撃隊形への展開を行う―――
敵陣まで、二キロメートル。
本来なら火砲の射程内となるが、森と地伏を利用して敵陣からは直接に視認できないようにしてあった。
だが―――
この展開運動中に、中央二隊と東端一隊の背後で、敵軍火砲が発砲を始めた。
まずは試射。
命中した砲弾はなかったが、着弾した霰弾は、まるで正確に騎兵展開地を掴んでいるらしかった。
「・・・・・・」
イヴァメネルは片眉を上げた。
気配があり、上空を眺める。
「・・・大鷲どもか」
南方上空から四羽の大鷲が到着、空中を旋回し始めていた。
このままでは展開地が一方的に叩かれる―――
そんな懸念もあったが、彼女の部下たちは優秀だった。
まるで動揺もせず、敵の射弾が修正され有効な弾着を得て効力射を行う前に、サーベルを抜き払い、前方に突き出すようにして構え、襲撃運動を開始したのだ。練度において優れているエルフィンド騎兵の名は伊達ではない。
このため彼女たちには殆ど被害は生じなかった。
それは、相対する者からすれば怖気も振るう光景だ。
これほどの数の胸甲騎兵や槍騎兵が突撃してくる様は、オルクセン軍側からすれば恐怖でしかない。
速度は、徐々に早くなる。
速歩、駈歩、襲歩―――
最高速度といってよい襲歩に達するのは、敵陣前方約二五〇メートル付近ということになる。
「まだですか! まだ撃ってはいけませんか!」
フィンドル支隊の散兵線では、動揺のままに叫ぶ兵もいた。
「まだまだ! 引き付けろ! 自信を持て!」
自らもまた若干の動揺を覚えつつも表面的にはこれを抑え込み、フィンドル中佐は叫び返している。
―――距離八〇〇。
「撃ち方始め!」
Kar七四騎兵銃の最大有効射程で、第三騎兵連隊と増強の五七ミリ山砲二門、そしてグラックストン砲二門は射撃を開始した。
アンファウグリアの騎兵一個連隊は約一〇〇〇名。このうち一個中隊を予備隊として後方に置いていたから、約八四〇名が散兵壕から迎え撃つ。
Kar七四の威力は凄まじかった。
「撃て!」
「装填!」
「撃て!」
四度の統制射撃をやり、次発以降は独立撃ち方をやる。
その有効射程八〇〇メートルは、他国の歩兵銃と大差ない。おまけに低伸弾道性に優れた一一ミリ尖頭船尾弾は、まるで運動力を損なうことなく敵騎兵を襲った。
グラックストン機関砲二門も猛威を発揮した。
毎分二〇〇発を越える同砲を、密集して突撃してくる騎兵相手に用いたため、この恐るべき兵器は次々とエルフィンド騎兵を薙ぎ倒した。
しかも、アンファウグリア旅団は同砲の配置が優れていた。ファルマリア戦の経験から、各陣地二門のグラックストンを側防部に据えるようにし、十字砲火をやれるように運用したのだ。
五七ミリ砲はその中央で、榴霰弾を砲口前四メートルから五メートル前で陣地正面に向けて炸裂させ、言ってみれば大きな散弾銃のようにして撃った。
急進突撃してくる騎兵に対し運用する射撃法、零分画射撃だ。
これらの射撃、砲撃は、エルフィンド騎兵の鈍色に輝く胸甲すら貫通している。
かつては重騎兵に大きな防御力を与えたはずのこの防具は、もはや時代遅れの存在になりかけていた。貫通され大きく内側にめり込んだ胸甲は、下手をすると被弾した銃弾や弾子そのもの以上の傷を騎兵に与え、おおきくのけぞるようにしてエルフィンド騎兵たちを斃したのである。
騎兵馬たちも被弾した。
馬体は、大きく、暴露した、言ってみれば無防備の状態で敵陣に突っ込むことになる。
その胸や、頭部や、足などに被弾して、騎兵ごと倒れた。
「狙え、狙え! 低く狙え!」
アンファウグリア旅団側は、むしろその効果をこそ狙った。
突進衝撃を失ったエルフィンド騎兵第一陣は散り散りとなって、敗走する。
このころには第二陣が間断なく襲撃運動に入っていたが、彼女たちのなかには自らに浴びせられる射撃の、奇妙な点に気づく者が増えた。それは第一陣の襲撃最中に既に始まっていた。
吹き飛ばされるようにして、横に斃れる騎兵がいる。
ひとつやふたつの例ではなかった。
方向はどれも同一。西から東に向かって斃されている。
小銃の射撃音が奇妙なほど多く、しかもそれは山間部に木霊するようであった―――
「・・・・・・いかんな、これは」
望遠鏡を覗いていたイヴァメネルは、呻いた。
敵西方端陣地の更に西、山肌や山麓に煌めきと発射煙がある。大量だ。総じてみれば三個大隊近いようだ。
「奴ら、あんなところに山岳猟兵を潜ませてやがる・・・!」
攻撃を仕掛けていた敵陣地は、端などではなかった。
本当の戦場端はそこだった。
確かに敵の陣地火力は凄まじい。
これが近代戦かと、怖気を振るうほどだ。
だが、それにしても倒される騎兵が多すぎる。
いまや、その理由ははっきりした。
彼女がいま部下を突っ込ませている場所は、完全な十字砲火点だったのだ。
山肌から狙撃され、山麗の森のなかからは統制射撃を受けていた。
正面陣地に魔術上まで気を取られ、また地形のため横撃などあり得ぬと思い込み、本来なら側面の警戒に当たる戦闘前斥候までその罠を見過ごしていた。斥候が無事帰ってきたことを思うなら、敵のほうでも射撃を控え、最初から奇襲を狙って潜み隠れていたらしい。
そこまで気づいて、何かが氷解した。
この戦法、何処かで見聞きしたことがイヴァメネルにはあったのだ。
―――ロザリンド会戦だ。
あの場でオーク族を散々に打ち負かした戦法だ。
我らをオーク族と同じ目に遭わせやがった!
あれを考え出したのは―――
「・・・そうか。奴か。ダークエルフ族最強と謳われた、奴か。マルリアン閣下が最高の野戦指揮官と褒めたたえていた、奴か」
イヴァメネルが敵将の正体に気づいたころ、四波目の騎兵襲撃が十字砲火を浴び壊乱していた。
彼女は西方陣地への襲撃を断念せざるを得なかった。
―――上手くいったな。
中央西陣地で双眼鏡を構えていたディネルースは、舌先で下唇を舐めていた。
火酒を一口、肩から革帯でぶら下げたオーク族兵用の大型水筒から含む。
「・・・騎兵を正面に回して、山岳猟兵を伏兵に使うと構想を伺ったときは驚きましたが」
「何を驚くことがあるか、ヴァスリー。猟兵とは本来がそのための兵種だ」
イアヴァスリル・アイナリンド中佐の言葉に、ディネルースはふたくち目を啜る。
「しかし。おそらく私やラエルノアなら、猟兵大隊は分割して各陣地に増強として配兵したでしょう」
「それは私も迷った。そうしようかとも考えた」
ディネルースはちらりと片目をつむってみせ、吐露する。
「正直なところ、陣地防禦で本当に騎兵が防げるのかと私自身が疑っていたな。だが―――」
彼女はそれをやれると踏んだ。
理由はオルクセン軍流の、桁外れた火力。
その近代火力の前には、もはや騎兵の突進衝撃力は意味を成さないのではないかと思っていた。
そしてこれは、目論見通りになったというわけだ。
西方陣地の正面には、死屍累々と敵兵馬が転がっている。たいへんな数だ。
「・・・ヴァスリー。これは、本当に騎兵は滅ぶかもしれないな。そう長くないだろう」
グラックストン機関砲を初めて目にしたときの、あの衝撃を思い出している。
―――さて。敵はどうするだろう?
なまじっかの方法では、こちらを突き崩せないと悟ったはずだ。
撤退してくれれば楽なのだが。
だが、簡単に引き下がるとも思えない。
何らかの強い理由がなければ、あれほどの兵力を送り込み、しかも南下させてまではこないはずだ。
まあ、敵の意図は総軍司令部が考えるだろう。
私としては、次に敵が打ってくる手を予測しなきゃならん。
こう言っては何だが、答えはそう難しくはない。
奴らは、撤退は何らかの理由で出来ない。
しかし、西方端は無理だと骨身に染みただろう。
中央が厚いことは察知しているはず。密偵と斥候で。
地形が狭すぎて、各陣地間は相互援護射撃が出来るようにできていてるから、間をすり抜けることも出来ない。
ならば―――
マルローリエン支隊は、午後になって攻撃を再開した。
東方端の、四六連隊を狙った。
そこまではディネルース・アンダリエルの予測通りだったが、その攻撃はより巧妙になっていた。
精鋭のマルローリエンを先頭にし、襲撃兵力を更に増やして飽和を狙い、更にその後方で騎兵砲がゴリ押しの機動展開を始めたのだ。一二ポンド騎兵砲は、機動力があるうえに、それなりの射程も威力もある。入り込まれると厄介だ。
「これはいかん。奴ら、攻撃援護射撃をやるつもりだ」
ヴィッセル野山砲の射程内だから、大鷲軍団の空中偵察でこれを察知すると、敵火砲を叩き潰すための砲撃―――対砲撃射撃の実施をディネルースは命じた。
ところが。
前面で騎兵襲撃が始まったため、四六連隊の火砲は突撃破砕射撃に振り向けられた。
砲火が、分散した。
四六連隊の陣地は、砲撃を浴びながら迎撃を行うことになった。
マルローリエンの戦法は、四六連隊をたいへんな苦境に追い詰めた。
援護に駆け付けてくれた隊をそのような目に遭わせたのでは申し訳が立たない、また彼らが崩壊すればこの戦いは一挙に敗北の坂を転がり落ちることになると、西隣のカリナリエン支隊は必死の援護射撃を行う。
この苦境を、たいへん歯痒く見つめていた者たちがいる。
上空に二個シュタッフェル計八羽いた、大鷲軍団だ。
「ええい、どうにもならんのか」
アントン・ドーラ中尉―――通信符丁ローター・フルス〇一が呻いた。
「見ているだけとは! 何か思いつかんか、坊主」
「そんなこと言われたって・・・ どうにもならないよ」
ドーラの首の根に座るフロリアン・タウベルト一等兵は、ちょっと情けない声で答えた。
ドーラ中尉が率いるローター・フロス編隊は、観測射撃支援に当たっている別編隊のサブにあたったから、まるで何も出来ることがなかった。
ふたりとも、歯痒くて仕方がない。
地上は混戦している。
何度も騎兵襲撃を押し返してはいたが、とくに敵の砲撃が厄介だ。
このままでは四六連隊がたいへんなことになってしまう。
段々と敵襲撃を破砕する距離が縮まっている。
既に予備隊を投入しているようだった。
突破されるかもしれない。
すると―――
眼前をやや低く、一羽の大鷲が横切っていこうとしていた。西から東へ。
ローター・フルス〇三にあたる組だった。
「何やってんだ、あいつ・・・!」
ドーラもタウベルトも驚いた。
味方上空から遠く離れ過ぎないようにするトマトハインツの符号はもう何度も発していたから、その規定違反であったし―――
何よりも彼らの姿に目を丸くした。
ローター・フルス〇三は、その脚に巨大な石灰岩の岩塊を抱えていたのだ。編隊を無許可離脱して、ちかくの山肌からでも引っ剥がしてきたらしい。
大鷲は、仔牛一頭でも抱えて飛べるほど脚の力も飛翔力もあるから、十分にやれる真似ではあるが。
それほどの物を抱えているから低速だ。
脚は垂れ下がるような格好で飛ぶことになるから、その角度で固まってしまったかのようで、脚首の肌色が目立ち、まるで脚絆を帯びているように見えた。
―――あいつ、あの、ほら、なんてったか。
臨機に組まされた編隊だったから、大鷲の名は思い出せても、コボルト飛行兵の名が思い出せない。
たしか、コボルトの癖にやたら牛乳が好きな奴。
呆気にとられるドーラとフロリアンの眼前で、ローター・フルス〇三の組は敵騎兵砲陣地の上空に到達。
大鷲族が威嚇に使う鋭い雄叫びを上げながら、急角度で突っ込んでいき―――
岩塊を投棄して、それは敵砲列のなかで転げ回った。
砲一基が横転し、破壊されていた。
地上は大騒ぎになっている。蜂の巣をつついたようなとは、このことかというほどだ。
当然だろう。
それだけでも脅威なうえ、こんな攻撃は見たことも聞いたこともない。空が、地上に噛みつくなんて!
「・・・ふふ、ふはははははは!」
どうしてこんな簡単なことを今まで思いつかなかったのか!
ドーラは笑い転げながら、最大出力で発信した。
「ローター・フルス〇一よりシュタッフェル各、各! ローター・フルス〇三を―――ルーデルの奴を見習え! 岩でも樹でもなんでもいい、奴らの頭上に落っことしてやれ!」
四六連隊の苦闘は、徐々に終息していった。
彼らにはまるで理由が分からなかったが、なぜか敵砲撃が止み、襲撃破砕距離が回復していったのだ。
カリナリエン支隊陣地がかなりの援護射撃を続けてくれていたし、アンダリエル少将の陣地から、猟兵一個中隊が増援として駆け付けたことも大きかった。
敵最後の砲弾は、午後二時半ごろに陣地眼前に着弾した。
近くの者たちは一斉に伏せたが、炸裂しない。
「あれぇ・・・不発かなぁ・・・?」
四六連隊第三大隊のリンクス少尉は、ちょっと滑稽に聞こえるほどの調子で安堵を漏らした。
どうやらよほど慌てて撃ったようで、曳火信管が作動しなかったらしい。
「隊長、呆けてる閑はありませんぜ」
「わかってらぁ、軍曹! 撃て、撃て!」
そうして戦局に最後の駄目押しをする存在が、午後三時近くになって到着した。
重い、それゆえにうんと響く汽笛が、東から何度も聞こえてきた。
三度鳴り、また三度鳴り、大きな一発が鳴り響く。
「海軍だ・・・!」
「なんてこった、海軍だ!」
たった二隻ではあったが。
排水量一〇五〇トンの小さな水雷巡洋艦が、スヴァリン海岸の沖に現れた。
「我、水雷巡洋艦ザルティーネ。これより援護す。遅れてすまぬ!」
それは、前夜グスタフ王が思いついた、アンファウグリア旅団への援護策だった。
冬季の北海は確かに荒れる。
洋上戦闘は不可能にちかくなる。
だが沿岸部を北上して、海岸沿いから固定目標である艦砲射撃くらいはやれるのではないか。たいへんな苦労をしているが、艦船の航行そのものが不可能になるわけではない。現に第一軍への海上補給路は継続している。
元より海軍は、第一軍の北上に幾らか艦艇を同行させて、いまだ所在不明の巡洋艦アルスヴィズを捕捉したがっていた。
そこでファルマリア港の在泊艦艇に依頼して、海上から見ればヴィンヤマル半島を回り込んだ位置に過ぎないスヴァリン海岸に、二隻の水雷巡洋艦を送り込んでもらった。
彼らならその船体は小さく、小回りが効き、衝突や座礁の危険性も少ないと判断された結果だった。給炭や、準備や、荒れる波や、スヴァリン海岸周辺の測鉛に苦闘しつつであったが、彼らはこうして駆け付けた。
そうしてそれぞれ二門備えていた一五センチ砲で、砲撃を始めた。
「・・・・・・」
次々に着弾する大口径砲弾を前に、イヴァメネル中将は撤退を決意した。
既に兵力のうち三七〇〇という、信じられない数の死傷者を出していたし、帯びていた命令は十分に果たされたと判断した。
彼女たちの撤退は、整然とし、秩序立っていた。
この戦場、エルフィンド騎兵の、なかでもマルローリエン旅団の練度の高さを示す光景があった。
これは戦闘の最中からそうだったが、彼女たちは撤退するとき、無事な者が馬体のうえで体を横へと逸らし、仲間の負傷者や遺体の襟首をつかんで引き摺ることで、極力それを回収していった。
これには、とくにアンファウグリア旅団の者たちが驚いた。
あんな芸当は、我らにはやれない、と。
戦闘が終わると、戦場清掃が始まる―――
この作業もまた、この戦場ではアンファウグリア旅団の者たちの記憶に深く刻まれた。
捕虜や、傷者の収容、護符を捕虜に回収させたうえでの遺体の埋葬の他に、敵負傷軍馬の殺処分を行わねばならなかった。
銃弾や砲弾を浴びた馬、脚を折った馬など。
目を剥き、歯を剥き、いななきを漏らし、何が起こったか分からないといった顔で、軍馬たちはアンファウグリア旅団の兵士たちを見上げた。
もうどうしてやることも出来ず、これらは殆どの場合、額に銃弾を撃ち込んで処分した。
馬は、賢い生き物である。
同種族が殺される場面を見れば、心に傷を負ったらしい状態を示すことまである。
だからこの作業は、旅団の軍馬たちには見せないようにした。
当然、躊躇う兵士たちもいた。
だがそれは、負傷馬たちの苦しみを長引かせるだけである。
「可哀そうにな、可哀そうにな・・・」
「すまん、すまんな・・・」
最後に撫でてやる兵士もいたが、殆どの者はやがて無言になって、殺処分を行った。
―――「慈悲の一撃」という。
戦後ずっと経ってもそれを覚えている兵士は多く、
「不思議に思われるかもしれませんが。敵兵を撃つのはやがて躊躇いは無くなるんです。撃たなきゃこっちがやられる。何度か戦闘をやると、慣れてしまう。でも軍馬を処分するのだけは可哀そうで」
「戦闘が終わってから馬を撃つのは、本当に嫌で・・・」
そんな証言を語る者が大勢いた。
ファスリン峠の戦いは、観戦武官団におおきな衝撃を与えた。
騎兵は、もはや近代兵器を前に兵科として滅んでしまうのではないか。
既に二〇年ほど前の鉄海方面での戦争でも歩兵火力を前に同様の光景が起こっていて、そんな推論をする者が多かった。
反論もあった。
陣地化された敵陣に突っ込んだからだ、地形が特殊だったからだ、という意見である。本来なら、機動力を使って迂回できる、と。
前者は他兵科の者に多くみられ、後者は騎兵科の者に多かった。
両者は真っ二つに対立して、彼らの軍上層部もみな結論を出せなかった。
その結論が出るのは、これよりずっとさき、四〇年ほどのちに傾向がはっきりとし、騎兵にとって世界の戦史上最後の大規模戦闘が起こるのは更にあと、七〇年ほど後年のことになる。
そのような問題より、遥かに目先の問題について頭を悩ませていた連中もいた。
オルクセン陸軍総軍司令部だ。
いったい、なぜ敵騎兵がこれほどの犠牲を払う戦闘を行ったのかという理由を、彼らは欲した。
軍事行動には、必ず理由がある。
それを探ろうとしたのだ。
理由は第一軍が北上するにつれ、すぐに明らかになった。
まずマルローリエン旅団は、撤退の過程で合計八個所に渡って、鉄道線や街道の橋梁を破壊していた。それは整然とした遅滞戦闘だった。
第一軍が工兵隊や鉄道中隊を動員してこれらを修復し、翌年一月末にかけて沿岸諸都市を制圧してみると、どの街も、欠乏とまでは言わないが、備蓄食料が持ち出されていた。エルフィンド軍の手により、首都方面に運び去られたのだという。
そうしてネニング平原に向き直ってみると―――
そこには、戦前の予想を遥かに超える敵兵力が集まっていた。
その数、約二四万。
第一軍の総兵力を上回ってさえいた。
このころには第三軍が兵站危機により北上できなくなっており、彼らと合流することも出来ない。
オルクセン軍のドクトリンである、敵を上回る兵力で機動戦をやり、包囲戦をやって、火力を使って突き崩すという戦法が使えなくなってしまった。
マルローリエン支隊決死の戦闘は、このような状況を作り出すための時間稼ぎだと推断できた。
―――第一軍もまた、停止せざるを得なくなった。
(続)