外伝特別掲載02 大地の娘
※書籍版2巻、コミカライズ版5巻読了後推奨
---いまにして振り返れば、どうしてニンジンを育てようなどと思ったのか。
何か予感のようなものだったのかもしれない。
ダークエルフ族の農家グルティナ・モリエンドは、あの凄惨な民族浄化を生き延び、最終組に近いころ国境の大河を渡ったうちのひとりだ。
凄絶な体験であったことは間違いない。目を逸らしたくなるような殺戮、耳を塞ぎたくなる破壊、筆舌に尽くしがたい憎悪―――
だが、
「どうにも、あいつはのんびりしている」
などと同族たちから評されているのは、縮れた長い黒髪のためか。それとも雀斑の目立つ頬や、どこか愛嬌のある顔立ちのためか。
ともかくも―――
グルティナは隣国オルクセンの民となり、生き残りの同族たちと互いに肩を支え合うように住まうことになった。首都郊外ヴァルターベルクの地で。
もし内心を率直に吐露できるのなら、焦っても仕方が無いと思っている。悲しいかな、己には軍隊も向いていない。
愁眉を開かせてくれたのは、ヴァルダーベルクの肥沃な土壌だった。
氏族伝来に仕込まれたやり方で、表面より少し深い辺りの黒っぽい土を指先ですくい、一口舐めてみた。
奇妙な言い草になるが、ほんのりと甘い。
よい土をしていることの証だ。
これほどの農地は、故郷ではお目にかかったことがない。
グルティナの氏族に伝わる昔話によれば、このような黒い土は世界の各地にあり、「星の恵み」なのだという。この世の成り立ちとともに遙かなる天空から降り注いだ星の雨によって、大地に豊穣を齎したのだ、と。
今や残存ダークエルフ族全ての代表となったディネルース・アンダリエルへと、
「ここは土がいい。何でも育てられます」
寡黙なグルティナが、彼女にしては多弁に告げたほどである。
ダークエルフ族は、元より耕作をあまり得意とはしていなかった。狩猟や牧羊を中心に糧を得てきた種族であったし、居住地の多くは山岳地帯である。そしてそれは伝統や文化といった部分にまで根ざしている。
もちろん平地に住まう氏族もいて、耕作や酪農を営む者たちもいるが―――
その殆どは、あの忌まわしい事変の初期に犠牲になってしまった。
自然と、グルティナは数少ない生き残りだというので、新天地における農政の中心を担う存在のひとりとなっていった。
「小麦がこんなに。白パンがたくさん作れるね」
友人もできた。
ベレリアント半島では、二つほど隣の村でパン屋の見習いをしていたと紹介を受けた、ニリエナという名のダークエルフ族だった。
これがまた、とびきり「のんびりとしている」ように見えるやつで、彼女のほうは軍隊に取られると聞いて心配になってしまったほどだ。ダークエルフ族が新たに形成する戦闘集団のなかで、パン焼き係になるらしい。
「美味しい小麦、作ってね」
にへらと笑っているように見える顔で、簡単に言ってくれる。
実際、オーク族の技官たちから講義を受けている輪栽式農法は、いにしえからの伝統的農法を墨守してきたダークエルフ族たちからすれば想像の枠を超えた存在で、戸惑い、困惑し、狼狽すら覚える日々だ。まとまった労働力も必要であるし、忙しくてたまらない。
だから―――
グルティナたちは、中耕野菜にニンジンを育てることにした。
技官連はアスパラガスもこの地方の名物だなどと勧めてきたが、アスパラは育てるのに時間も手間もうんとかかる。何もかもに戸惑っているダークエルフ族たちが、新天地で初めて育てるには不向きだと判断したのだ。
ニンジンなら、まだ幾らかはマシである。この根菜の栽培には肥えた土壌が必要だが、その点はヴァルダーベルクなら申し分ない。
グルティナたちは、適所を選び、深さ三〇センチほどまで一度犂耕して、春播きのものを育て始めた。
オルクセン式の重量馬や蒸気式農耕機械による犂耕に目を見張り、除草に明け暮れ、バター作りに精を出す日々は、あっという間に過ぎた。
ニンジンの縮れた新芽や、収穫時期に向かっていく小麦、晴れ間を見せるようになっていく空に喜びをも見出すようなった、初夏のころ。
ダークエルフ族たちにも「余裕」が生まれるようになった。
多忙な日常が過去の傷を癒し、困惑の暗闇にどうにか光明が見え、それぞれの生に道筋を覚えるとともに、街へと出て余暇を過ごす者も増えていったのである。オルクセンという国の在り様、文化、他種族の近隣住民たちとも打ち解けてきたというわけだ。
当然ながら、どこそこの店が素晴らしい、あの名物は、酒は、菓子は―――などといった情報は素早く駆け巡る。
「国王官邸近くのカフェが、たいそう美味いオレンジシャーベットを食わせるらしい」
「そのシャーベットというのは何だ?」
「わからん。とにかく美味い代物だそうだ」
グルティナやニリエナたちの尖耳にも、そんな噂が聞こえてきた。
訪ねてみようという話になった。
ミッテ区ヴァルトガーデンの南側にある、イーディケという名の店である。
そもそもカフェなるものにお目にかかったことのないグルティナには、たいそうな冒険だった。
給仕に注文をし、周囲の客たちの視線にどぎまぎしながら届いた品に、
「・・・・・・」
「・・・・・・」
ふたりとも、賛嘆と驚愕と夢見心地の吐息を漏らすしかなかった。
うっとりとしてしまう。
刻印式冷却魔術板付きの容器で運ばれてきた北部州の天然氷を、貴重なオレンジの皮と果肉とをふんだんに使った特上の氷菓で、甘露にして清涼、香薫である。
それなりに値は張ったが、ぜひ再訪したいと思えるほどのもの。
「また来たいねぇ、グルティナ」
「ええ、きっと」
―――戦争の勃発は、突然だった。
少なくとも、グルティナにとっては。
昼に、夜にと動員されていく、ダークエルフ族戦闘集団アンファングリア旅団の兵士たち。名目こそ演習だったものの、もはや誰もそんなことは信じていなかった。
いつかは訪れる日。待ち望んだ瞬間。いよいよ復仇の機会到来だと歓声を上げる者も多かったが、グルティナの心境は複雑だ。名状出来る感情などではなかった。
気づけば、彼女たちにとってオルクセンの地での初めての収穫物であるニンジンを貯蔵庫から引っ張り出し、麻袋に二つほど詰め、兵隊でごった返す衛戍地のニリエナの下へと駆けていた。
「こんなに?」
「ええ。持っていって」
ニンジンは、飼料用の黄色味がかった品種だ。
旅団の製パン中隊には、パン焼き窯車や輜重車などを曳く軍馬がたくさんいる。あって困るものではない。
グルティナにできる精一杯の贈り物だった。
「・・・・・・ありがとう」
「帰って来てね。約束よ」
「・・・・・・」
「小麦もうんとたくさん送る。送り続ける。ここを私たちの新しい故郷にして待ってる」
「・・・・・・うん」
「だから、帰って来たら、ふたりでまたイーディケに行きましょう」
「うん」
彼女たちはもう号泣の態で、抱擁しあってから別れた。
全ての者にとって、望むと望まざるとにかかわらず。
―――対エルフィンド戦争が始まった。
#私立黒にんじんちゃんを愛でる会
本短編は、書籍版2巻特典SS用に作成した「大地の娘」を一部改稿したものです。




