再会は膝の上で
辺りにゴミが溢れかえっているわけでもなく、物が散らかっているわけでもない普通の部屋。実家暮らしの一般的な高校生であり、定期的に母による検閲がはいるので散らかりようもないのだ。
適度に整理されていると言えば聞こえはいいが特に面白味もなく、強いて特徴を挙げるとすれば、本棚にある大量の小説だろうか。まだ幼かったころ、ある人から薦められて以来の趣味になる。
他に目に入るものと言えば、窓際の勉強机と青いシーツのかけられたベッドくらいだ。
個人的にこの部屋の一番気に入っている点は日当たりのよさ。日が差し込む窓際で本を読めば中々に気持ちがいいからだ。机の上には、先週末にそんな暖かい日差しを浴びながら読んでいた新作の小説が、いつか貰った花柄の栞を挟んで置かれている。
そんな自分からすればごくごく普通で心地の良い部屋だが、今日はいつもとだいぶ違っていた。
「えーと、おすすめの小説だっけ。探すから座っておいてよ」
「ん。分かった」
何が違うのかというと、母に浮いた話の一つもないとか何もなくてつまらないとか年中言われている一人部屋の入り口で立っている同い年の女の子の存在である。声を掛けると、部屋を少し見渡した後、近くの床に置いてあったクッションを抱きかかえた。
彼女は松葉陽彩というクラスメイトであり、自分にいる唯一の幼馴染と言える存在だ。
昔は仲が良かったが成長するにつれて次第に疎遠に...というよくあるパターンで、最近は全くと言うほど関わりがなかった。
小学校の頃はべったりで、お互いの親が将来結婚するのかしらなどと言うほどの仲の良さであったのだが、中学生になったくらいからぱったりと関係は途絶えることとなる。
今でこそ学年でトップクラスの美少女と言われる陽彩だが、昔からその片鱗を見せる可愛さがあり、グイグイ甘えられていたので意識するようなこともあったし、告白ともいえるような言葉を伝えた記憶もある。普段の学校では、クール系とか、お姉さんみたいだとか思っている男子もいるようだが、過去の思い出から俺は甘え上手でかわいい妹のようだと感じる。
そして、陽彩に甘えられることが俺は嬉しかった。あの頃は、色々とゴタゴタしていたこともあり、そんな日々を和ませてくれていた彼女は、かけがえのない大切な存在であった。
そんな思いもあって、中学で結果的に距離が出来たときは悲しくて落ち込みもした。でも、小学校の後半くらいから周りのからかいが酷くなっていたこともあり、バカにされて嫌だったのかなとか、思春期特有の感情から甘えてこなくなった理由の想像はついた。それに、その頃は少し負い目を感じていたので、無理やり迫ることもできなかった。
それに自分で言うのは自惚れかもしれないが、それまでは学校という場で彼女の中には森重薫という存在しかなかったのだと思う。
あの頃は本当に、登校から下校までずっと一緒にいたのだ。
もしそんな自分を変えて新しい関係を求めているなら、あまりにも大きな存在は邪魔になるから。
大切だからそばにいたい。けど、大切だから邪魔は出来ない。
そうして、グダグダと考えているうちに益々関わりのなくなった彼女が部屋にいる。なぜそんなことになっているのかと言うと、今日高校二年生の始業式を終えて家に帰ったところで、リビングで母と陽彩がお茶を飲みながら話しており、その母から声をかけられたことが始まりだ。
「かおるー! ひいちゃんが本に興味あるんだって。いっぱい持ってるでしょー!貸してあげなさい。あっ、女の子に見せられないようなのはダメよ」
いつものようにテンションの高い母にそう言われ、少し驚いたような顔はしたが、すぐに中学からのデフォルトとなった無表情に戻った陽彩も、「ん。」と返事したので小説のある二階の自室に連れて行くことになった。というか、ついて来たのだ。
大量の書物を消化するようになったのは陽彩との関わりがなくなった後、時間を持て余して何かないかと探したのがきっかけだ。元々は人に薦められるものを中心に読んでいたが、それ以降は自分でも気になるものを探し始めた。なので、そこそこの量の本があり断る理由もないため了承したが、ここ最近の距離感から部屋にまでついて来るとは思わなかった。一つ下の妹である里奈とは時折あっているようなので、本来の目的は妹を待つことかと考えていたので、少し驚かせられた。
一応同学年の男子の部屋なのだが、警戒とかすることはないのだろうか。いくら幼馴染で親が下にいるとはいえ、4年もまともな関わりがないわけだ。これが過去の信頼からくるものであれば、それはそれで嬉しいが。
突然の訪問に嬉しいというよりは困惑とほんの少しの気まずさを感じながら、これで昔のように少しは話せるようになればなとか考えていたのが、それどころでは収まらないことをその時の俺は想像すら出来なかった。
普段どれ程本を読んでいるか分からなかったので、いくつか内容の理解しやすい本を見繕って、陽彩がいる方に振り返る。
とっくにベッドか椅子にでも座っていると思っていたが、陽彩はドアの近くで立ったままだ。本棚に向かって考え込んでいたので、気が付かなかった。
「どうした陽彩?座っていいんだぞ」
「名前...」
「え?」
「久しぶりに陽彩って呼ばれた」
なぜ座らないのだろうという疑問は、普段無表情で無口な彼女の見せる無邪気な笑顔に上書きされてしまった。
今の学校でただのクラスメイトでは、簡単に向けてもらうことは難しいだろう昔と同じ透き通ったかわいい笑顔に、数年の時を経て成長したことできれいという要素が追加されている。
さっきまで、冷静だったのに急に鼓動が早くなる。耳も少し赤くなっているかもしれない。笑顔一つで単純だなとか思っているように、頭は動いていても言葉が返せない。
「薫が座ったら座るよ」
「お、おう」
黙ってしまった様子を見て陽彩はそう言う。
言葉の意味を深く考えることもなく、言われるがままに少し迷ってその場に腰を下ろした。
すると、陽彩はこちら側に近づいて来る。隣に座るよりももっと近くまで。
「失礼します」
「...え?」
陽彩は膝の上に座った。彼女が変な姿勢をとっているとかではなく、文字通りこちらの膝の上に座っているのだ。
いい匂いがする。陽彩がもたれかかってくると、彼女のきれいな長い黒髪が当たって少しくすぐったい。陽彩に聞こえるのではないかというくらい心臓がうるさい。
美少女に座られて嬉しいとかよりも、困惑が勝っているのでは。いや、そんなことはないか。とにかく、考えが纏まらない。
「陽彩さん!? これはどうされました??」
「陽彩」
「陽彩、近くないか?」
「甘えてるの。4年も我慢したんだから、その分いっぱい甘えさせて」
さん付けが不満なのか、急に敬語になったのが嫌だったのか、少し不機嫌に見えたのですぐに言い直した。
動揺している自分をよそに、陽彩がすりすりとじゃれる猫のように甘えてくる。言っていることは分からないが。
「約束。ちゃんと守ってた」
「え?約束?」
「そう約束。でも、我慢出来なくなったの。だから、私は確かめるために来た」
どうだと言わんばかりに、自信が感じられる瞳を向けてくる。約束も確認も何を意味しているのかは分からない。さっき母と二人で話しているときに何かあったのかもしれない。未だに交流を続けていた妹や従妹が何かしたのかもしれない。
約束は陽彩と二人のということだろうか、こんな状況に至るようなものに心当たりはない。
「ここでは二人きりだし、約束は守られている。それに、もう大丈夫だと思うの」
陽彩に手を取られた。そして、そのまま彼女は自分の頭の上にのせた。
自然と陽彩の頭を撫でててしまう。昔は甘え上手な彼女にせがまれてよくしていたのだ。
陽彩はきれいな笑顔をさらに輝かせて見せてくれた。
「私、さみしかったよ」
「ああ」
笑顔だったのに、少し寂しそうな顔に変わる。少しだけ、いやだなと感じた。
冷静に今の状況を考えてみる。彼女は、理不尽なことを押し付けてくるような人ではない。
陽彩が今寂しそうな顔をしているのも、疎遠になってしまったのも、その約束を覚えていないことが原因なのだろうか。
「ずっと待ってた。でもそれじゃだめって思ったから、今日は来たの」
陽彩がこちらを向いたことにより、すぐ近くにお互いの顔がある。
「私の想いはずっと変わらない」
陽彩はどんどん近づいて来る。
「薫に見ていてほしい。そばにいてほしい。話を聞いてほしい」
「薫に甘やかしてほしいの!」
陽彩はそっと抱きしめてきた。
「薫はどうなの?」
抱きしめられているので色々と伝わってくる。
体温も、息づかいも、少し震えているのも。
答えは決まっている。俺の想いもずっと変わっていない。
今も昔も。甘えん坊な彼女でも無口な陽彩でも。
「同じだよ。俺もこうしたかった」
優しく陽彩を抱きしめ返す。
すると、陽彩の震えは収まり、もっと強く抱きしめられた。
本当に寂しい思いをさせていたようだ。何でこうなったのかは分からない。突然すぎるし、状況も変わり過ぎだ。それでも。
今はこのままでいいと思った、これからも存分に甘やかしたいと思った。