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第二章(2)

   第二章(2)



 蒼馬の家に着くと、陽はすっかり傾いていて、家の中は薄暗かった。仕事に出ている両親が帰ってきた痕跡はない。職場は市外だから、おそらく、直接避難所に向かったのだろう。それはそれでいいとして、

 停電で、テレビもパソコンも使えなかった。

 大きな事件があれば臨時ニュースが流れ、インターネットで調べればなんでもすぐわかる、という環境で育ってきた蒼馬は、停電になっただけで目と耳がふさがれた気分になった。こういうときにはラジオが役に立つけれど、蒼馬の家にはラジオはなかった。

 どうしようもないじゃないか。僕には何もできない。

 蒼馬は、自分に言い聞かせようとした。

 僕は、ただの真寄市民だ。被災者の一人なんだ。

 とにかく避難所に逃げて、父さんと母さんを安心させて、災いが去ったら家に戻って。

「父さん、か…」

 鈴木奈緒には父親がいない。今は母親との二人暮らしだ。

 母親は、心配しているだろう。

 もちろん、自分の娘が、この大災害の元凶にもっとも近づき、おそらくは直接対峙することになるだろうなどとは、知っているはずがない。いつまでたっても帰ってこない娘、避難所にも現れない娘を心配する母親の気持ちは、どんなにつらいものだろう。

 ナオは、無事に帰ってくるのだろうか? そして、鈴木奈緒の体を無事に返してくれるのだろうか?

「心配しても仕方ないんだよな…」

 のろのろと立ち上がり、納戸の奥から非常持出袋を引っ張り出す。「こんなに奥にあったら、いざってときに取り出せないだろう」と父さんがいつも怒っていた。でも、ふだんから目立つところに置いておけるほど、蒼馬の家は広くない。

 念のため袋の中をチェックしていると、誰かがドアをどんどんどんと思い切り叩いた。

「うわっ、だだだ誰だよ!」

チェーンをかけたまま恐る恐るドアを開けると、その隙間からシィがぎろりと蒼馬を睨んだ。

「ひぃっ、シィさん…」

「蒼馬、なんだこのチェーンは! 開けろ!」

「ちょっ、開けるから待ってよ」

 チェーンを外すと、シィはドアの前に仁王立ちしていた。

「よう。…それは何だ?」

 シィは、蒼馬が抱えている銀色の袋を指さした。わざわざ確認しなくても、非常用持出袋だということは一目でわかる。それでも聞くのは、その質問に別の意味があるからだ。

「避難所へ行くのか?」

 責めるような口調を、ぎりぎりまで抑え込んでいる。ただの質問だ、と、シィは自分に言い聞かせる。けれど、

 蒼馬は、微かに含まれたシィの言葉の意味を敏感に感じ取った。

「僕がいたって何もできないよ。ナオは、鈴木さんの体を無事に返すって約束した。それでいいじゃないか。それに、」

 悔しげに、軽く下唇を噛む。

「もうどうしようもないんだよ。電気が止まってるんだ。テレビもつかないしパソコンも使えない」

「…それでか」

「ん?」

 シィは、ごほんと咳払いをした。

「さっき、いくらチャイムを鳴らしてもお前が出てこなかったから、てっきりあたしを無視してるんだと…」

「それであんな真っ赤な顔して怒ってたのか。怖かったよ」

「う…悪い」

「とにかく、テレビもネットもだめ、ラジオもない。非常袋の中にラジオがあったんだけど、父さんが仕事中に野球聞きたいからって、持って行っちゃったんだ。ラジオがあれば、ニュースが聞けるのに…。携帯も圏外になっちゃってるし、近所の人たちはみんな避難しちゃったみたい。新聞はあるけど、今回のことはまだ載ってるわけがないって、さっき気づいた。もうどうしようもないんだ」

 ぶふ、とシィが吹き出した。

「お前、なんだかんだ言っていろいろやってたんだな。ホントはナオモドキのところに…、いや、奈緒のところに戻りたいんだろ?」

「そっ、そんなことは」

「お前、そんなに奈緒が好きか」

 ぼっ、

 と蒼馬が赤くなることを予想していたシィだったけれど、

 蒼馬は、とても、

 悲しそうな顔をした。

「…うん」

「蒼馬、そういうときはなぁ、真っ赤になって否定するもんだぞ。そんな顔されたら、…あたしが悪いこと言ったみたいじゃないか」

「ごめん。でも、僕は嫌われてるってわかってるから」

 非常袋から取り出した懐中電灯を、点けたり、消したり。

 親指がスイッチを押すたびに、蒼馬の心も明滅を繰り返す。

 かち、かち、かち、と繰り返される音を耳障りに感じたのか、シィは苛立ちを隠さずに言った。

「お前さあ、なんで奈緒に嫌われてると思ってんの? …幼なじみなんだろ?」

「…シィさんには関係ないだろ」

「昔ちょっとおイタをしちゃったとか」

「そんなんじゃない。ほっといてよ、シィさんには関係ないんだ」

 関係ない、という言葉がシィの胸に刺さる。それは、ナオに言われた同じ言葉よりも鋭く深く、突き刺さる。

「関係なくない。奈緒は、」

 ――あたしの、

「奈緒は、」

 ――大切な、

 大切な。

「ああもうああもう、めんどくさいな!」

 突然頭を押さえてうずくまったシィ。蒼馬がその顔を覗き込もうとする。その瞬間、

「シィさん…? どうしたんぐっ!」

 立ち上がったシィの頭が蒼馬の顎を直撃した。

「ひ…ひたいひょ…」

「いいか、奈緒はな、お前のこと嫌ってないよ! ナオモドキがそう伝えてくれってさ!」

 顎の痛みを忘れて、蒼馬がぽかんとシィを見上げる。

「まあ、好かれてるわけでもないけどな。――勘違いするな、あいつは奈緒の心を覗いたわけじゃない。ええとだから、その、なんとなくわかる…とかそういうものらしい」

「ひぃはん、ほれをひひにはらはら…?」

「…あん?」

「シィさん、それを言いにわざわざ?」

「まあ、それだけじゃないけどな。お前たちには仲良くしていてほしいのは確かだ」

「お前たちって、…僕と、ナオ?」

「そうだ。いや、奈緒? 違う、ナオモドキか? そうじゃなくて、奈緒だよ、奈緒」

「ええと、ナオって、ん? ナオ? モドキじゃないほう? ああ、鈴木さん?」

「そうそう、鈴木奈緒だ」

「はは、まぎらわしいね。ええと、それで鈴木さんが…なんだっけ」

 ぱこん、とシィが蒼馬の頭を叩く。

「お前はもう…、まったくもう…」

「えへへ」

 えへへ、とおどける蒼馬の目は、けれど、とても寂しげだった。

「なあ蒼馬」

「なに?」

「あたしは、か弱い女の子だから」

「はあ?」

 ぱこん。

「お前に、ナオモドキを見張っていてほしいんだ。奈緒の体を、無事に返してもらうために」

「僕だって、何ができるか…」

「頼む。…うーん、もうちょっと可愛くお願いできればいいんだけど、あたしにはこんなふうにしかできないんだ」

 蒼馬は、頭を下げたシィから目をそらす。それは他でもない自分が、自分には何もできないことをよく知っているから。シィの願いを受け入れることができないから。

「僕には無理だよ。シィさんも言ったろ? 僕は運動音痴の意気地なし。それに、」

 悔しそうに下唇を噛むシィを、ちら、と見る。

「ナオが言ってた。僕らには、禍物まがものを探す術がない。だから、ナオがどこにいるかも、もう、わからない。だからシィさん、頭をあぐっ!」

 シィが(たぶんわざと)突然立ち上がって蒼馬の顎に頭突きを食らわした。

「ひ…ひたいひょ…」

「そうね、手も足も出せないね。ナオモドキの言ったとおりだ。悔しいけど、あとはあいつを信じて任せるしかないか」

 蒼馬とシィは家を出た。

 車庫では、ブロック塀が倒れて父の車のボンネットが凹んでいる。

 蒼馬の父は、多少、車に傷が付いても気にするような人間ではない。現に、ドアには蒼馬が自転車を倒したときのひっかき傷がそのまま残っている。

 とはいえこんなに凹んでしまっては修理しないわけにはいかないだろう、修理代はいくらくらいかかるんだろう、エンジンはかかるのかな、と考えていた蒼馬は、突然別のことを思いついた。

「…! ラジオ、あるじゃないか!」

「え、おい、蒼馬?」

 蒼馬は玄関に駆け込んだ。シューズラックの横にぶら下がっている車のキーをむしり取り、車に飛び乗る。エンジンのかけ方は知っていた。エンジンをかければカーステレオが使えることも、知っていた。

 カーナビを買ってからはすっかり使わなくなった地図帳が、ドアポケットに入れたままになっている。

 蒼馬は地図帳の広域図のページを開き、ラジオから流れてくるニュースに聞き入った。

「蒼馬、どうするんだ?」

「しっ」

 真寄市だけでなく、北側の隣の市にも被害が出ているらしい。蒼馬は、被害が出ている地域をおおざっぱに丸で囲んだ。

 ――そうだ、僕は、どうするつもりなんだ?

 ニュースで読み上げられている地域に印を付けてゆけば、たぶんだけど、どこかを中心に被害が出ている、ということがわかるだろう。そこには間違いなく、禍物まがものがいる。

 それがわかったとして、僕は、

 僕は、

 僕は、どうするつもりなんだ?

 決まってるじゃないか。

 そこに行けば、またナオに会えるんだ。

 会ったからといって、自分に何ができるかはわからない。

 鈴木さんの体が心配なのと、ナオ自身が心配なのと、どっちの気持ちが大きいかも、今はわからない。

 もう一度、ナオに会う。話はそこからだ。

『繰り返し、地割れのため通行できない道路をお伝えします。真寄市大迫、北大通り…』

 ――ナオを手伝う?

『道路は大変混雑しています。避難する際は自動車の使用は控えてください…』 

 ――鈴木さんの体を守る?

『火災の発生している地区は以上です。停電していますが、切れた電線には注意を…』

 ――たとえば僕を、

『北部の丸木地区に被害が集中している模様です。該当地区にお住まいの方は…』

 ――僕を、犠牲にしても。

 半ば無意識にマーキングされた地図は、やがて被害範囲の中心地を示しはじめていた。

 シィは、その地図に書かれた文字をつぶやくように読み上げた。

「まよりタワー…」

 それは、真寄市北部にそびえ、市民からは税金の無駄遣いと半年に一度くらい必ずやり玉に挙げられる、周囲の景観に不似合いな観光タワー。

 その中ほどには大きなデジタル時計が光っていて、さらに上には、

 真寄市全体を見渡せる、展望室がある。

 蒼馬は、あらためて学校の前にできた地割れを思い出した。それは確かに、まよりタワーの方角から、まっすぐにのびてきた。

 蒼馬は確信した。

「ここに、禍物まがものがいるんだ」

 そして、そこに、

 そこに、ナオが、来る。

「蒼馬…、お前かっこいいじゃないか。キスしていいか?」

「…いや、遠慮しとく。あとが怖いし」



   ◆



 すっかり暗くなった街を見つめ、ナオは焦っていた。

 遠くから聞こえる地鳴り、それに呼応する悲鳴。完全に秩序を失った人々の、恐怖と絶望に支配された混乱。

 禍物まがものの手がかりは何もなく、禍玉まがたまも一向に反応しない。

「むう、こんなに高いビルをいくつも建てるから…、禍玉まがたまの力も遮られてしまうし、被害も大きくなる」

 街はもう壊滅状態と言っていいだろう。そこら中にコンクリートの塊がころがっていて、ぴくりとも動かない人が何人も横たわっている。ナオは、

 目を背けることしかできなかった。たとえそれが、

 自分が引き起こした災いであっても。


 また今日も、


 ナオは、ナオにとっての昨日のできごとを思い出していた。

 また今日も、大勢の人が命を落とす。落としている。

 それはすべて、わたしのせい。

 わたしが解き放った、禍物まがもののしわざ。

 禍物まがものを解き放った、わたしの、しわざ。


 ナオの足は、地面にめり込んだように動かなくなる。

 重い。わたしの足が、とても重い。

 自分が背負ったものの重さを、わたしはもう、支えきれない。

 ナオは、崩れるようにしゃがみこんだ。


 禍物まがものを世に放ったために、その償いとして、

 父に突き放され、こんな遠くまで、

 決して後戻りできない旅路を、わたしは、

 ひとりで、

 重い足を引きずって、歩いてきた。


 もう、いい。


 ナオは、自分の中に湧いた、そんな気持ちに驚いた。けれど、


 わたしは、もう、十分尽くした。

 毎日毎日、目覚めては戦い、眠り、目覚めて、戦い、

 そうして数千年の間、世を守り続けてきた。


 たった、ひとりで。

 だから、もう、いい。

 もうこれ以上、守れない。


 鈴木奈緒のお母さん、ごめんなさい。

 クラスのみんな、ごめんなさい。

 蒼馬、

 シィ、

 この世界でわたしのことを知っている、

 たった二人の、


 たった二人の、

 …仲間。


 ごめんなさい。

 わたしは、お前たちだけですら、もう、守ることができない。


 お父さん、


 ナオの胸が、ぎゅっと痛む。


 これは誰だ?

 いま、わたしの中に現れようとした、この人は誰だ?

 ぼんやりとしか浮かばない、この人は、

 わたしの父? 違う、そうじゃない。

 これは、鈴木奈緒の、父親。


 そうだ、

 お父さんはどうしたんだっけ。

 思い出せそうで、思い出せない。

「奈緒…。そうか、思い出したくないんだな」

 ナオは、自分の中で眠っている奈緒の、触れてはいけない部分には決して触れようとしなかった。それは、自分なりの、礼儀だ。


 しかし、一つだけ、わかったことがある。

 それは、鈴木奈緒の、父親に対する愛情。

 失った者への懐しみではなく、

 去った者への慰めではなく、

 純粋な、子供の頃にしか持ち得ない、

 純粋な、純粋な、愛情。


 ナオは、困ったように笑った。

 わたしは、父を憎んでいる。

 もちろん、悪いのはわたしだけれど。

 それでも、わたしは、父を、憎んでいる。

 わたしをこれほど苦しい日々に追いやった、

 わたしの、父を。


 けれど、そのわたしが借りているこの体には、

 父親への愛情が染みついている。

 失ってなお、

 失ったからこそ、

 その傷を埋めるように、

 澄み切った愛情が染みわたっている。


 ――「帰りたいんじゃないの?」

 そうだ、シィの言うとおり、わたしは帰りたい。父の元へ。


 ――「やっつけちゃえばいいのに」

 そうだ、蒼馬の言うとおり、禍物まがものをすべて封印してしまえばいい。

 その後はどうなるかわからない。永遠に目覚めることがないかもしれない。

 けれど、

 けれど、

 もう、


「もう、終わりにしよう」

 絶望に似た意味のその言葉を、けれどナオは、

 目を輝かせてつぶやいた。


 ナオはゆっくりと立ち上がる。心の熱いところから湧いてきたこの気持ちを、少しも取りこぼすことがないように。ゆっくりと、ゆっくりと。

 相変わらず、足は重い。体全体が氷でできているように冷たく、固い。けれど、

 その重い足を持ち上げるだけの強い力を、

 凍った体を溶かすだけの熱い気持ちを、

 ナオは、今、手に入れた。

「とりあえず、学校に戻ろう。最初の地割れを見てみよう」

 拳を握りしめてまっすぐに立ち、真っ赤なリボンを踊る炎のようになびかせて。

 傾いたビル、がれきの山、吹き上げる煙、火災で赤く染まった空から目をそらすことなく、ナオは四方を見回す。

「…で、学校はどっちだ?」


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