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第二章(1)

   第二章(1)



 アイスをすべて食べ尽くしてしまうと、ナオは指に垂れたアイスを舐め始めた。行儀がいいとは言えないけれど、名残惜しそうに指の間まで舐めるナオの姿は、蒼馬に言わせれば“お宝映像”だ。

 様々な角度から念入りに手を見つめ、アイスをすべて舐めとってしまったことを確認すると、ナオは一度だけガンザブロウを振り返った。けれどすぐに、すべてを断ち切る決意で紺色に染まりつつある空を見上げて、ふう、と大きく息を吐いた。

 三人とも気づかないふりをしていたけれど、さっきから何度も小さな振動が伝わってきている。最初は思い出したように揺れるだけだったけれど、その間隔は確かに短くなっていて、だんだん近づいてきているような気もする。辺りの様子も少しずつ緊迫感を持ち始めていて、携帯電話の小さな画面を何人かで囲んでいる姿も目立つようになってきた。

 ナオは、数枚の護符ごふを取り出した。

「そろそろ、お別れだな」

 言い終わったかどうかというところで、三人の背後のビルの壁が弾けた。地を裂く見えない剣が壁を突き抜け、ナオの脇をかすめる。ナオは護符ごふを構えていたが、ぎりぎりのところで使わずにすんだ。けれど、その先で何人かの人がはじき飛ばされ、悲鳴が響く。

「シィ、蒼馬、なるべく道の真ん中に行け! 壁を突き抜けてきたら避けられないぞ」

「ナオ、あっちに行けばもっと大きい通りに出るよ。そっちの方が安全じゃない?」

 答えるよりも早く、ナオは走り出した。大きな揺れが、三人の足をすくう。振動は地割れを生み、コンクリートのかけらやガラスの破片が降る。

 信号の消えた大きな交差点まで来ると、

 通りに沿って、大きな地割れが走っていた。それは稲妻のように枝分かれしながら左右のビルを突き崩し、何台もの車をひっくり返してしまっている。ビルが道路に倒れ込みそうなほど傾き、真っ黒い煙があちこちから立ち上っている。

 身動きの取れなくなった車の列を縫うように、人々が右往左往していた。少しずつ伸びる影は夜の訪れを知らせてくれるはずだけれど、たくさんの人に踏み消されてしまって誰も気づくことはない。

「これは…、大地震の後みたいじゃないか。街がこんなになるなんて」

「ナオモドキ、禍物まがものってやつはこの近くにいるのか?」

「いや、禍物まがものが暴れているというよりも、どこか離れた所から狙っている感じだな。音が遠ざかっているだろう? この世に姿を現した禍物まがものは、こんなに早くは動けない。とにかく、」

 ナオは護符ごふを一枚ずつ、蒼馬とシィに手渡した。

「お前達は禍物まがものの狙いがここから離れているうちに逃げろ。もし何かあっても、護符ごふを握りしめていれば助かるだろう。…わたしも闘いに備えなければならないから、一枚ずつしか渡せないが…」

「おい、これ、…護符ごふ? なのか?」

「…そうだ」

「ナオ、なんか…、イラストが入ってるけど」

「…うん」

「ノートの切れ端だよな?」

「…ああ」

「今やってる深夜アニメのグッズだよね?」

「ちょうど手元にあったから…。なんでもいいだろう、ちゃんと効くんだから」

 シィと蒼馬が顔を見合わせる。けれど、ナオの微妙な――恥ずかしさを必死で抑え込んで睨みつけるような表情に免じて、それ以上は何も言わなかった。

「ほら、早く行け。またいつここが狙われるか、わからない」

 あたりは逃げまどう人々で大変な騒ぎになっている。けれど、蒼馬はなんとかナオと一緒にいるための口実を探していた。

「ナオ、どっかでテレビ見てみようよ。禍物まがものの居場所とか…、何か、わかるかも」

「テレビ? 何を言っている。この時間にはアニメはやってないはずだ。アニメ以外にテレビの存在価値はない。そうだろう?」

 ナオ自身はテレビを知らない。つまりナオのテレビに対する評価は、鈴木奈緒の記憶によるものだ。シィは、恐る恐る聞いてみた。

「…それ、奈緒がそう思ってる、ってことか?」

「ん? 間違ってるのか?」

「いや、べつに…」

 その時、人々の叫びやクラクションの嵐に紛れて、遠くからチャイム音が聞こえてきた。

『真寄市全域に、避難命令が発令されました。市民の皆様は、速やかに退去を――』

 それは、生まれて初めて聞いた、真寄市全体に響く防災無線。

 スピーカーからの声は、あちこちに反響してとても聞きづらい。けれど、緊迫した雰囲気、避難命令という言葉は、はっきりと聞き取れた。

 あたりのパニックは、防災無線によって、より激しくなった。急いで家に帰る者、一足先に避難する者、親とはぐれた子、子を見失った親。

「蒼馬、シィ。避難命令だそうだ。お前たちは早く逃げろ。家族も心配しているだろう」

「最後までつきあうよ」

 そう言ってナオのそばを離れようとしない蒼馬に、けれどナオは冷たく突き刺した。

「お前はなにを期待してる? わたしのそばにいることで満足か? 鈴木奈緒の姿をしているわたしのそばにいて、名前を呼び捨てにして、一緒にアイスを食べて、」

 鼻で笑うように。

「鈴木奈緒と仲良くなったような気分を味わって、嬉しいか?」

 蒼馬は目を見開いた。ナオの突然の冷たい言葉に対する驚きか、見透かされた驚きか、

 あるいはその両方か。

「そ…そんなんじゃないよ。僕はただ」

「残念だったな」

 ナオは、蒼馬の言葉を聞くつもりはない。

「わたしが体を借りている間の記憶は、鈴木奈緒には残らない。仮にお前が助けてくれたとしても、鈴木奈緒がお前に感謝することなどない。それに、」

 蒼馬はただ、小さく首を横に降り続けている。

「教えてやろうか? 鈴木奈緒が惚れているのはな、同じクラスの鷹ノ瀬という男だ」

「な」

 蒼馬がやっと、小さく声を出した。同時に、シィがぴくりと眉をつり上げる。

「お前には、今のところまったく見込みがないってことだ」

「…どうしてだよ」

「どうしてって、そんなことはあとで本人に聞いてみればいい」

「そうじゃない!」

 蒼馬はナオに詰め寄った。

「どうしてそんなことするんだ! 僕は、鈴木さんに、」

 ――恨まれて、憎まれて、

「鈴木さんに嫌われてる。そんなことは知ってるよ! 僕が言ってるのは、どうして心の中を覗くようなまねをするのかってことだよ!」

 蒼馬はナオを睨みつける。もしナオが男だったら、間違いなくつかみかかっているくらいの勢いだ。けれど、目には涙がにじんでいる。現実を突きつけられて悲しくて、奈緒の心が覗かれたことが悔しくて。

「ナオが鈴木さんの体を借りてるってのはわかった。それがナオの意志じゃないってことも、信じるよ。でも、でも、鈴木さんの気持ちを覗いてばらすなんて酷いじゃないか! そんなことする権利はないだろ! 僕は、」

 ナオは蒼馬の勢いを受け流すように、体ごと横を向いて視線をそらす。蒼馬はしばらくの間小刻みに震えていたけれど、涙がこぼれる直前に、走り去ってしまった。シィは呼び止めたけれど、蒼馬の耳には届かなかった。

「…おい、ナオモドキ。いくらなんでも言い過ぎだろう」

「ふん。お前はどうする? まだわたしについてくるか? それとも、もっと酷いことを言ってやろうか?」

「どうしてそこまでして追い払おうとする? あたしたちが邪魔なのはわかるけど」

 遠くの爆発音がこだまする。少し遅れて、地面が震える。

「邪魔だから、だけじゃない。これはわたしが一人でやらなければならないことなんだ。お前たちを巻き込むわけにはいかないんだ。わたしの…、」

 数秒間、ナオが言葉を詰まらせる。シィは黙って待つ。

「…なんでもない。とにかく、お前には関係のない話だ。だからお前は逃げろ、危険だ。この体は必ず無事に返す。約束する」

 シィはしばらく下唇をかんでいたけれど、何も言わず、ナオに背を向けた。驚くほど細い背中からは、ふだんの威勢の良さは想像もできない。ナオはその背中が少しだけ寂しげに見えて、だから思わず声をかけた。

「鈴木奈緒はお前の親友だったな」

「…そうよ。大切な…、親友」

「じゃあ、言っておこう。わたしは鈴木奈緒の心を覗いたりはしていない。好きとか嫌いとか、そういうのは、心の深いところから自然にわき出てくるものだ。押さえようとしても押さえられないし、わざわざ覗かなくても自然にわかる」

 シィはもちろん、人の心を覗いたことなどない。それでも、なんとなくだけれど、ナオの言うことが本当なのだろうということはわかった。

「なるほどね。…安心したよ。奈緒が裸にされたような気がして、あたしも正直腹が立ってたんだ。奈緒を最初に脱がすのはあたしだって決めてたから」

「脱が…?」

「じゃあな。あたしは蒼馬のところに行ってみるよ。ナオモドキが今言ったこと、伝えてやりたいしね」

「だったらついでに教えてやってくれ。鈴木奈緒は、蒼馬を嫌ったりはしていない」

「…言っても信じないよ、きっとね」

 シィが意味ありげな表情でじっとナオを見る。いや、

 見ているのはナオではなくて、その奥で眠っている鈴木奈緒。

 その眼差しの理由は、きっと鈴木奈緒にならわかるのだろう。ナオはそれが気になったけれど、頭を振ってすぐに振り払った。蒼馬の言うとおり、

 ――わたしに、鈴木奈緒の心を覗く権利はない。

 目を伏せるナオに背を向け、シィはわざと少し大きな声で言った。

「奈緒が好きな鷹ノ瀬って男はな、」

「うん?」

「あたしも蒼馬も知ってる奴だよ。…アニメの登場人物だ」

「な…、そうなのか」

 蒼馬に対する後ろめたい気持ちが少しだけ薄らいで、ナオは安心したような、けれどがっかりしたような複雑な表情を浮かべた。

「でもな、シィ。…鈴木奈緒は、本気で惚れてるぞ」

 数秒の間をおいて、二つのため息が重なった。



 走り去るシィの背中を見送ることなく、ナオはパニックに陥った人々が逃げまどう大通りを見回した。

「どこか、見通しが良くて人目につかない場所は…」

 そんな都合の良い場所は、これだけ人が多くては見つかるはずもない。ナオはあてもなく走り出した。直後、響いた悲鳴に振り向くと、ナオの背後で傾いていたビルが倒れ、完全に道を塞いでしまった。

「えり好みしている場合ではないな」

 ナオはその場で禍玉まがたまを手に取り、念を込めた。禍玉まがたまが光り、手のひらに浮く。が、

「ふぎゃっ!」

 人の波がナオに押し寄せ、ナオは突き飛ばされてしまった。

「痛っ…」

 立ち上がろうとして、気づいた。禍玉まがたまが、ない。

 慌てて見回すと、禍玉まがたまは地面に落ち、逃げる人々が何度となく踏みつけている。蹴り飛ばされ、少しずつナオの元を離れて行く。

「ちょっ、待て! こら、蹴るな! 踏むなってば!」

 ナオは慌てて禍玉まがたまを追い、手を伸ばした。禍玉まがたまを掴んだ瞬間、

「痛っ!」

 右手が踏まれてしまった。ナオは禍玉まがたまと痛んだ右手をかばいながら、人の流れから抜け出た。

 骨は折れていないようだけれど、親指が腫れている。脈拍に合わせ、ずくん、ずくんと痛む。

 ――さっそく怪我してしまった…。

 真っ先に思い浮かんだのは、怒り狂っているシィだった。無事に返すと約束したのに、と真っ赤な顔でナオに迫っている。

 くす、とナオは笑った。

 わたしは、

 蒼馬とシィを追い払って、それなのに、

 もうあの二人が恋しいのか?

 ナオは放置された車の屋根に飛び乗った。ここなら誰かにぶつかる心配もない。多少目立つかもしれないが、それを気に止めている余裕は、誰にもないはずだ。

 ナオは改めて禍玉まがたまに念を込めた。しかし、

 手のひらの上で光りながら回転する禍玉まがたまは、何も反応を示さない。

「まだダメか。もっと近づかないと反応しないのか? それとも、何かの方法で気配を消しているのか…」

 せめて目に見える範囲で地割れができれば、どの方向から力が加わったのかわかるのだけれど。さっき、蒼馬たちといるときに、もっとよく見ておくべきだった。今から戻ろうにも、道は倒れたビルでふさがれてしまっている。

 ――あと、手がかりになるものは…。

 学校の前にできた、最初の地割れ。

 あれは、校門に向かって右から左に伸びた。つまり、禍物まがものは校門に向かって右の方角にいる、という可能性が高い。しかし、

 ナオは、情けなさそうにつぶやいた。

「学校がどっちを向いているのかわからん…」

 方角を考えようとすると、頭の中が混乱してくる。ナオは、鈴木奈緒の方向感覚の鈍さを恨んだ。

 他人の体を借りるということは、単純に手足を借りるということではない。方向音痴の体を借りれば、当然、方向音痴になってしまう。

 とはいえ、身体能力は体の持ち主よりも数段高くなる。これは、百パーセントの出力では筋肉を傷めてしまうため、人間が無意識のうちに力を抑えているからだ。この無意識の抑制を緩めれば、驚くほどの運動能力を発揮できる。

 もちろん、体を持たなくなったナオは無意識の抑制などはしないから、筋肉を傷めない程度に調節すれば、一般人の二倍程度の力を出すことができる。けれど、

 視力・聴力、それから方向感覚などは、どうにもならないのだった。

「もう一度、目の前に地割れができるのを待つしかないのか! それまでに、」

 ナオは、その続きを口に出すことができなかった。

 それまでに、

 それまでに、

 いったい、何人の人が、地割れにはじき飛ばされ、

 倒壊した建物に押しつぶされ、

 火災に巻き込まれ、

 命を失うのだろう。


 ナオは、人の波を、呆然と眺めた。



   ◆



 家に帰るまでの足取りは、とても重かった。

 ――鈴木奈緒と仲良くなったような気分を味わって、嬉しいか?

 その言葉は、蒼馬にとってはとてつもなく鋭く、重い。ちがう、と首を振ってみても、自分自身がそれに納得していないのがよくわかる。だから何度も、

 蒼馬の耳にナオの声が響き、その都度首を振ってごまかさなければならない。

 ほとんどの人が避難してしまったのだろう、辺りは静まりかえっている。ときどき遠くから聞こえる地鳴りとサイレンの音、それから自分の足音しか聞こえない。蒼馬の行く手を遮るようにアスファルトが激しくささくれていて、それはブロック塀を突き抜けて横の家にまっすぐ向かっている。その家は二階部分が一階部分を完全に押しつぶしていて、平屋のようになっている。

「うわ、酷いな…」

 地震とは違って、地割れの通り道にある家だけに被害が出ているようだ。両隣の家はなんともないのに、真ん中の家だけが崩れている様子は不思議なものだった。

 何とか立っている門柱には、「避難所(小学校)にいます。皆無事」というメモが貼られている。両親のことを思い出して蒼馬は少し焦ったけれど、蒼馬の両親は市外に働きに出ていてまだ帰る時間ではない。最悪、家が全壊していたとしても、両親は無事だろう。

 蒼馬は崩れた家を呆然と見ていたけれど、ガスの匂いに気づくとその場を離れた。当然ガスは止められているはずだけれど、だからといって安心してそこにいられるわけでもない。なにより、自分の家がどうなっているかが気になった。


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