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第一章(4)

   第一章(4)



 右後ろには、奈緒を睨んでいるシィ。

 左後ろには、戸惑いながら奈緒とシィを交互に見る蒼馬。

 奈緒は、特にシィに対して、大きなため息をついた。

 お前たちを危険にさらしたくない、危険な目に遭わせてはいけないから、どうしても一人で禍物まがものを探したい。なのに、

 ――まあいい。あるていど禍物まがものに近づくまでは、それほど大きな危険もないだろう。機会を見て姿を消せばいい。

 公園から出て振り返ると、ずっと向こう、学校の前の地割れのところに、人だかりができていた。警察も来ているようだけれど、何ができるわけでもない。

 地割れにはじき飛ばされた生徒の友人だろうか、悲痛な叫び声が、ざわめきを切り裂くように響いている。

「おい、ナオモドキ」

 シィのその呼び方には、一切の遠慮がない。大切な友人の体を乗っ取った者への憎しみがすべてだった。

「その禍物まがものってのは、何なんだ? あたしの知り合いも、あの地割れで怪我したかも知れない。あんたが何を追ってるのかくらい、知る権利はあるわよね」

 蒼馬はその冷たい口調が自分に向けられたものでないことに心から感謝した。それでも、

 ――災い、か。シィさんと関わったことも、僕にとっては災いかもな…。

 ちらと奈緒を見ると、固く口を結んでいる。けれどそれは、シィの問いかけを無視しているのではなくて、

 ――シィには知る権利があり、わたしには話す義務がある。

 それはわかっているけれど、

 自分の罪を他人に話すのは、とても勇気がいることだ。しかも、決して小さな罪ではない。

 つらそうに思い悩む姿は鈴木奈緒そのものだ。蒼馬はその横顔を見ていられなくて、口を挟んだ。

「ねえ、キミ」

「ナオモドキ」

 シィがすかさず訂正する。

「その…、ナオ…モゴモゴ…」

 ニヤ、と奈緒を見るシィに、奈緒は不満げに唸った。けれどすぐに、

「蒼馬クン、」

 少し鼻にかかった声で、

「わたしの意識は、今、鈴木奈緒と同調してるの。だから…」

「おいちょっと待てナオモドキ、それは反則だ!」

「だから蒼馬クン、わたしのこと、ナオ、って呼んで欲しいナ」

 最後の「ナ」で勝負はついてしまった。蒼馬の顔は瞬時に真っ赤になって、目尻はだらしなく下がり、口はだらしなく開き、両腕はだらしなくぶらさがり、つまりは全身がもうだらしなくにやけている。

「ばかお前、騙されるな、ああもう男ってこれだから」

「ナ…ナオ」

「なぁに蒼馬クン」

 今度はナオがニヤリとシィを見る。シィは頭を抱えて「ああもうああもう」と叫びながら地団駄を踏んでいる。

「ナオ」

「蒼馬クン」

「ナオ〜」

「…蒼馬クン」

「ナオ〜♪」

「…もういいだろ。何か聞きたいことがあるんじゃないのか」

「ええと…なんだっけ」

 ナオとシィは同時に肩をすくめた。少なくとも蒼馬に対する評価については、この二人の意見は一致しているようだ。

「ええと。ああそうだ、ナオ…はさ、禍物まがものを追って来たって言ったけど、どこから来たの?」

禍物まがものは、時の流れに身を隠しながら逃げている。わたしはそれを追ってきた」

「つまり…、過去から来た、ってこと?」

「そういうことだ。禍物まがものは、数百年ごとに世に現れては災いを引き起こす。地震とか、大火とか」

「ふーん。関東大震災とか?」

「ちょっと待て、ええと」

 ナオは、記憶をたどった。鈴木奈緒の記憶は雑然としていて、今まで借りた体とくらべて、とても引き出しにくい。鈴木奈緒が記憶下手なのか、そもそもこの時代は記憶すべき事が多すぎるのか。

「関東大震災か、あれは違う。ただの自然現象だ。前回、禍物まがものが現れたのは、ええと」

 ナオが考えこむたびに、蒼馬の胸は心臓をきゅっと握られたように痛んだ。

 指をくちびるに当てるしぐさ、

 指が軽く触れただけでふわりと凹むくちびる。

 蒼馬は、ぼう、と見とれていた。


 僕は、

 そうだ、鈴木さんが好きなんだっけ。

 笑わなくはなってしまったけれど、誰とでも仲良くできて。

 ――あたりまえだけど、僕とは口もきかない。

 長い髪と、赤いリボンと、

 ああ、また一つ、好きなところができた。

 柔らかそうな、くちびる。

 僕は、

 そうだ、鈴木さんが


 ナオが、鈴木奈緒の奥の方にあった記憶にたどり着いた。

「これだ。振袖火事」

「……へ? 火事? 何が?」

 ナオとシィは、蒼馬をまじまじと見た。そしてお互いに顔を見合わせ、無言で「こいつ、大丈夫か?」と首をひねった。

「何がって…、前回の、禍物まがもの

「あっ、ああ、そうか、そうだね。ゴメン。振袖火事。うん。江戸時代だっけ。十万人くらいの死者が出たっていう」

 十万人の死者。

 鈴木奈緒の記憶には、その数字はなかった。だからナオは、今初めて、それを知った。

「十万人…。そんなに死んだのか」

「昔のことだから、正確な記録じゃないよ。だいぶ大げさに言われてるんじゃないかな」

 蒼馬はナオの表情を見て、慌てて取り繕った。けれどシィは決して気を遣わない。

「そうか、あの火事、ナオモドキの仕業だったのか」

「違う! 禍物まがものの仕業だ! わたしはその禍物まがものを追って、災いを食い止めるの!」

 ――わたしの仕業。

 違う、わたしは、

 ――わたしの仕業。

 違う、違う、違う、けれど、

 そうだ、わたしのせい。

 わたしのせいで、十万もの人が。

「じゃあ、ナオが禍物まがものを退治するんだ?」

 優しい口調の蒼馬の言葉に、ナオはうつむいた。

「…護符ごふを貼って、封印できればいいんだけど…。わたしの力では、一時的に眠らせることしかできない。禍物まがものを眠らせたら、わたしも眠って…数百年後に禍物まがものと共に目覚め、また眠る。その繰り返し」

「やっつけちゃえばいいのに」

 禍物まがものをやっつけちゃえばいい。

 正論だ。すべての禍物まがものを封印すれば、二度と災いは起きない。

 正論だけれど。

「もう何体かは封印した。でも、」

 悔しそうに歯噛みをする。

「すべては封印しきれず、何度か同じ禍物まがものと闘っている。――わたしの力が足りないんだ」

 遠くから近くから、常に地割れのできる音が聞こえる。けたたましいサイレンに混じって、ときどき爆発音も聞こえてくる。

 ――安全な場所などない。なるべく禍物まがものから離れる以外は。

 しかし、禍物まがものがどこにいるか、今のところは見当もつかない。

「なあナオモドキ」

 少し気を遣ったようなシィの口調は、蒼馬にはかえって不気味だった。

「その禍物まがものってやつを全部封印したら、お前はどうなる?」

「全部と言っても、何体いるのかわからない。仮に全部封印したとして、」

 下唇を噛む。

「…その後どうなるのかは、わからない。追う相手がいなくなれば、永遠に目覚めないのかもしれない。どちらにしろ、お前には関係のない話だ」

「まあ、あたしとしては奈緒の体を返してくれればそれでいいんだけど。ナオモドキが寝ようが起きようがどこへ行こうが、知ったことじゃないしね。でも…」

「でも、なんだ」

「帰りたいんじゃないの? もとの世界っていうか、もとの時代へ」

 ――もとの時代。わたしの体。父上と、村の人々と。

 けれどわたしは、

 決して戻れないことを、

 決して戻ることが許されないことを、知っている。それでも、

「…故郷に帰りたくない者がいるか!」

「ふーん。つまり、ナオモドキはアレか」

「アレってなんだ」

「ホームシック。おうちにかえりたいよう、ってやつ」

「そんなんじゃない」

 ぎん、とナオの視線がシィを突き刺す。けれどシィも、それに負けないくらいの眼光を返す。ついでに、びし、とナオを指さし、

「帰りたいんでしょ? 帰れないんでしょ? でも帰りたいんでしょ? それを、」

 人差し指を、ナオの眉間に触れるくらいに突きつけて、

「ホームシック、って言うのよ」

 蒼馬は決死の覚悟で二人の間に割って入った。

「ま…まあまあ、落ち着いて」

「シィ、もう一度言ってみろ!」

「ナオモドキはホームシックですぅー」

「お前っ!」

「まあまあまあまあ、まあ、ね、ケンカはやめましょう。ね。仲良くしようよ、ね」

「ふざけるなっ!」

「仲良くなんてできるか!」

「だいたいお前のその日和見主義なところが気にくわないんだよ!」

「そうだ、どっちつかずの優柔不断め!」

「自分は関係ありません、みたいな顔しやがって!」

「なーにが仲良くしようだ! いいかげんにしろ!」

「え…? ひょっとして、僕、怒られてる…?」

「お前以外に誰がいる!」

 ナオもシィも、お互いに興奮し始めたことをまずいと感じていたから、その感情を収めるのは簡単だった。ただし、その矛先を蒼馬に向けて、というやり方でだ。

 蒼馬は背中を丸め、悲しそうな笑顔を浮かべた。

 ――いいんだ。僕一人が悪者にされて済むなら、それでいいんだ。

 さすがに蒼馬に申し訳ないと思ったのか、ナオとシィは並んで歩き始めた。

「で、ナオモドキ、どこに向かってるんだ?」

「さあな」

 ナオとしては、どこに向かおうと関係なかった。二人の前から姿を消すタイミングを探していただけだから。

 少し広い通りに出ると、街にいつもと変わった様子はなかった。

 太陽はいつまでも強く大きく輝いていて、夕方、というにはまだ早いと感じられた。それでも日射しはまばたきをするごとに勢いを弱めてゆく気がする。軽く湿気を帯びた風は、吹き抜けるごとにほんの少しずつ涼しい空気を残していってくれた。

 静かにゆっくりと忍び寄る夜の気配に気づくこともなく、あたりには誰の物ともわからない笑い声が響いている。対照的に、バスを待つ人々は無言で列を成している。それはたぶん、おとといも昨日も、本当なら明日もあさっても、変わらないはずの街の姿だった。

 ナオは、あたりを見回した。悲しげな、寂しげな、そして少しだけ苛立ちを含ませた眼差しで。

「…のんきなものだな、いつ災いに襲われるかわからないというのに」

「ナオモドキだって、いつ禍物まがものが来るかわからないんだろう?」

「それはそうだが…。心構えというか、そういう問題だ」

 むぅ、と腕を組んでむくれるナオを、蒼馬は少し離れて見ている。こういう表情も可愛いんだよね、と目尻を下げた蒼馬の顔はかなりだらしないけれど、本人は気づいているかどうか。

 シィは、そんな蒼馬を見て、少し意地悪な言い方をした。

「心構えができてても、封印できないんじゃしょうがないよな」

「そういうことを言ってるんじゃない。危険が迫っていることに気づいているかどうかとか、そういう…」

「じゃあみんなに教えてやったらどうだ? そこの郵便ポストの上に立ってだな、皆の者、聞くがいい…とか」

「シィ、お前、ひょっとして」

「なんだ」

「わたしをバカにしてないか?」

 シィは黙ってナオを見つめたあと、ニヤ、と笑った。肯定の意味だ。ナオは、むす、と口を尖らせた。

「暑いな。アイスでも食うか」

 そう言ってシィが指さした先には、行列がある。行列をたどると、小さなアイスクリーム屋があった。店の看板には、「GANZABUROH」と書いてある。ナオは、教室での会話を思い出した。

「ああ、これがガンザブロウか。アイス屋の名前とは思わなかった」

「店の親父の名前だってさ。名前はアレだけど、うまいぞ。だから蒼馬、おごってくれ」

「…へっ?」

 いきなりシィに呼びかけられて、蒼馬の声は裏返った。

「な…何でシィさんにおごんなきゃならないんだよ」

「あたしがアイスを食べたいからだ。おい、ナオモドキ」

「わたしは財布持ってないぞ。カバンの中に入ってなかった」

「そうじゃない。お前も食べたいだろ? アイス」

「んー…」

 ナオはアイスの味を思い出そうとして、くちびるに指を当てる。蒼馬の視線が吸い寄せられる。

「アイスか…」

 甘くて冷たくておいしい、ということしか浮かばない。味を思い出すというのはなかなか難しいものだ。

 くちびるに指を当てたまま、無意識に首をかしげる。

 その仕草に蒼馬は、心の中で「うおっ!」と叫んだ。その叫びは口からも小さく漏れてしまって、その声をシィが聞き逃すはずはない。すかさずナオに耳打ちする。ナオは小さく頷くと、蒼馬に向いた。

「蒼馬クゥン、」

 鼻にかかった甘えた声で、

「わたし…」

 小首を傾げて、両腕を背中に回して、もじもじと視線を落として、

「アイス食べたいナァ」

 上目遣いに、蒼馬にねだる。

 その瞬間蒼馬は、でろりんと顔をくずし、すばやくアイス屋の列に並んだ。遠目に見てもだらしない表情で、はやくはやく、と手招きしている。

「ナオモドキ…、おまえ、やりすぎじゃないか?」

「そうか? そうでもないと思うけど」

 蒼馬は、にやけ顔で大きく手招きしている。通行人は振り返り、列に並んでいた人も少し距離を置く。

「…やりすぎだよ」

「…そうだな」

 あの変人の連れだと思われるのは嫌だけれど、アイスのためだ、と自分に強く言い聞かせて二人は蒼馬の後ろに並んだ。


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