489 ギルドマスターは公私の区別を付けます
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「義理じゃありません。
都実さんとは公私ともに親しくお付き合いしたいと思っています」
本当はきっと課長代理を外に連れ出し、お昼ご飯を一緒に食べてから渡すつもりだったんだと思う。
でも国分先輩の思わぬ行動で思惑が外れ、目的を達成するどころか予定外に追い返されそうになって慌てての告白。
事務事務って散々ディスってくれたけれど、事務員だってやる時はやるんだから。
しかも思わぬ行動は都実課長代理もだったんだけど、一度は目を点にしてしまったわたしも、改めて羨望の目で辻井さんと課長代理を見てしまう。
受け取るの?
やだ、心臓がドキドキしてきた。
でも恋バナでドキドキするのとは全然違う。
むしろ逆に血の気が引くようなドキドキ感。
仕事をしなきゃいけないってわかってるのに集中出来ない。
時間がないこともわかってるのに全然頭が回らない。
手が動かない、指が震える。
仕事仕事……と心の中で呟くんだけど、駄目だ、全然手につかない。
こうなれば一秒でも早く決着を付けてください、課長代理!
さすがの国分先輩もこれを邪魔することは出来なくて、やっぱり課長代理が決着を付けるのを辛抱強く待っている。
申し訳ございません、本当ならそこに立っているのはわたしのはずだったのに。
なんなら今からでも交代……いえ、ごめんなさい。
無理です
国分先輩の殺気をはらんだ苛立ちの目と、周囲の好奇の目にさらされる中で立ち上がった都実課長代理は、少し辻井さんを見下ろすように……背が高いからね。
190㎝もあるからね。
だからどうしてもたいがいの女性は見下ろされてしまうんだけど、いつもと変わらない表情の課長代理は淡々と話す。
「わたしは今、交際を申し込んでいる女性がいます。
ですからこれは受け取れません」
「でも、受け取るだけでも……じゃ、じゃあ、その女性に振られたらでいいです。
だから受け取るだけ受け取ってください」
「その女性しか見ていません。
それを持ってお引き取りください」
辻井さんの必死な顔を見ても課長代理の表情は変わらず、どういう形であれチョコレートを受け取る意志はないことを示す。
落胆する辻井さんに追い打ちを掛けるように玄関へと、その背を追い立てる国分先輩。
その二人の姿が見えなくなったところで、よりによってお昼休みを告げるチャイムが鳴った。
嗚呼……
「安積、悪いが昼休みを遅らせてくれないか」
わかりました、お昼休みを返上して資料を仕上げます。
まるでさっきのことなどなかったように、いつも通りの課長代理がわたしの作業に付き合ってくれるはずもなく、出入り口で待っている営業数人と出て行ってしまう。
まぁ別に、わたしは資料さえ仕上げればお昼休みを取れるわけだし。
でも課長代理たちはお昼休みが終わったら会議で、下手をしたら残業突入。
課内の会議ならそこまで長引くこともないんだけど、営業部全体会議となると毎回毎回残業確定って、いったい何をそんなに白熱しているのか。
特に他の課と仲が悪いってわけでもないと思うんだけど、会議となると何かあるのかしら?
出席しないわたしにはわからないし、興味も無いけどね。
昼休みを早めに切り上げてきた営業たちは、部署に戻ってきてからも資料の確認をしたり段取りの確認をしたり。
わたしも、ようやくのことで仕上げた資料を課長代理に渡し、いくつかの質問に答えてからお昼休み……とはいってもまだまだ仕事が残っている。
閑散とした食堂は残ったメニューも閑散としていて、仕方がないから単品のおにぎりを温かい豚汁で流し込んで終わり。
早々に部署に戻って今日の仕事に着手したけれど、やっぱり残業でした。
それでも30分で済んだってことは、結構……ううん、凄く頑張ったと思う。
自分で自分を褒めちぎりたい! ……って、どこかで聞いたセリフだと思ったら、今日はこれで二回目ね。
一日に二度も自分で自分を褒めることなんて、初めてのような気がする。
パソコンの電源を落として大きく伸びを一つ。
これで帰宅までの気合いを……と思ったら丁度会議が終わったらしく、営業たちが大挙して戻ってきた。
「安積、今日も残業?」
「……はい」
目が合った会川さんの問い掛けに、思わず苦笑い。
資料さえ出来れば定時に上がれるってわけじゃないんですよ。
今日だっていつもの仕事があるんです……という内心は、とりあえず黙っておく。
「そういや辻井さんの件、ごめん」
「どうして会川さんが謝るんですか?」
「いや、元々○×社は俺の担当だったから」
あー……言われてみればそうだったような気がする。
確か年末に、急に担当替えになったような記憶がある。
「ちょっとトラブルっていうか、あっちの担当の吉井さんが変なことしてる感じで……」
そういって会川さんが始めた話によると、最初はそんなことはなかったのに、途中から……会川さん自身、どのあたりかははっきりしないらしいんだけれど、先方から出される資料の数字がおかしくなってきたらしい。
特に経費等の数字。
積算
ある時点で気がついた会川さんが過去の資料を見返すと、どんどん数字のズレがおかしくなってきていて、気がついた時点では結構大きな誤差が出ていたらしい。
えーっと、それって横領とかそういうこと?
そういえば昼間、辻井さんも吉井さんのことを
「あの人数字苦手だし、作る文章も日本語がおかしくて」
……そんなことを言ってたっけ。
つまり普通に計算が苦手なだけなのか、あるいは故意にしていたのか?
わからないんだけど、結構巧妙に誤魔化されていた感じで、それで会川さんもすぐには気づけなかったらしい。
金額以外の数字にも間違いが多かったらしいから、辻井さんのいうとおり、吉井さんは本当に数字が苦手なだけかもしれないけれど間違いは間違い。
金額もそうだけど、多岐にわたる部分での修正や是正やらが必要になって、それで都実課長代理が会川さんに同行して先方に伺うことになった。
辻井さんが都実課長代理と会ったのはこの時が初めてなんだけど、彼女が営業への配置換えを狙っていたのはその前からのこと。
吉井さんの上司はそのことをとっくに把握していて、当社との取引で数々の計算間違いをしたのが、実は吉井さんじゃなくて資料を作っている辻井さんの可能性が出て来ため、話し合いの場に彼女も呼ばれたらしい。
これが初対面となり、以来、彼女の猛アプローチが続いていた……と。
このミスについての責任問題は先方の社内で解決することで一応の決着は見たけれど、当然これまでの全ての修正や是正は大前提。
監視の意味も込め、担当が会川さんから都実課長代理に交代した。
「俺がもっと早く気がついてたらあそこまで大事になってなかったし、辻井さんが課長代理と会うこともなかったから……ほんと、ごめん」
やっぱりね、どうして会川さんがわたしに謝るのかがわかりません。
だってここまでの経過を聞いても、会川さんがわたしに謝る理由はなかったでしょ?
むしろ課長代理に謝ったほうがいいのでは?
「謝ったよ。
無茶苦茶謝った。
あの人、俺にも結構ベタベタしてきてたからヤバいとは思ってたんだけど、まさか告ってくるとは思わなくて」
「ソーデスネ」
あら、やだ。
なんだか棒読みになっちゃった。
しかもそれを会川さんはわたしが怒っていると思ったらしい。
改めて拝み倒すように謝ってくる。
「ほんっとうにごめん。
○×社とはこの件が片付いたら契約打ち切りだし。
年度末には最終報告が上がって、それで終わる予定だから。
本当にごめん」
いえ、だからわたしじゃなくて都実課長代理に謝ってくださいよ。
どうしてここでわたしに謝るのか、わたしのほうこそ本当にわからないんですけど。
「あの……ま、まぁ結局受け取らなかったわけですし」
「そういや課長代理、真顔で 【当社では義理チョコは受け取っていません】 とか言ってたな」
「あそこであんなことを言い出すとは思いませんでした」
「俺もちょっとビックリした。
でもまぁ義理チョコ廃止に関しては、これまでで唯一、水嶋さんたちに感謝した。
ほんと、これだけは感謝した」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ」
てっきりわたしは渡す側の女性ばかりが大変だと思っていたけれど、実は受け取る側の男性も大変らしい。
義理だと分かっていても同じ部署内の相手なら、日頃の感謝の意味も込めてちょっといいお返しを……と思った会川さんは、翌年、そのちょっといいお返し目当てに全然知らない別部署の女性社員数十人に、義理チョコを持って押しかけられたという。
「そういう噂って、まわるのが早いですよね」
「モテ期が来たかと思ってぬか喜びさせられて、ホワイトデーで地獄に突き落とされた」
「でも会川さん、モテますよね。
システム管理部の大洗さんとかも、毎年本命もらってるって聞いてますけど」
「大洗は女運がないっていうか、見る目がないっていうか……あいつ、特殊性癖の持ち主だから」
それがどんなものなのかわたしには見当もつかないんだけれど、実はヴァレンタインは、渡す側だけでなく受け取る側も大変なんだと知る事が出来て、ちょっと勉強になる話だった。
立場が変われば色々ね。
「安積、ちょっといいか?」
丁度話の切りがいいところで、遅れて戻ってきた都実課長代理に呼ばれる。
すっかり忘れていたけれど……うん、すっかり忘れて帰る気になっていましたが 「話は会議のあとで聞く」 とか言ってましたね。
閉所恐怖症の話ですよね?
また書庫という名の資料室に連れて行かれるのかと思ったら、今日はフリースペース。
文字通りフリースペースで、パーティションで小分けされた自習室のような場所もあり、社員が思い思いに過ごすための禁煙フロア。
並んだ自動販売機の前に立った課長代理に 「どれがいい?」 と訊かれる。
ここで 「どれでも」 と答えるとたいていコーヒーを選ばれるので、「紅茶でお願いします」 と答えておく。
自己主張は大事です。
とくにわたしみたいにコーヒーが飲めない人間は、こういう場面での自己主張は絶対に必要です。
「会川と話していたようだが、吉井さんのことは?」
「聞きました。
大変だったんですね」
わたしは渡される資料の数字を、こちらで用意した資料と付き合わせるだけの簡単な仕事だと思っていたけれど、実はそんな状況だったなんて思いもしなかった。
しかも最終報告が上がる年度末までこの状況が続くなんて。
修正が終了した時点で企画が動くならともかく、契約打ち切りじゃ張り合いもない。
「この状況でのこのこ来社してくるところを見ると辻井さんは関係していないのかもしれないが、他社の人事だ。
実際のところはわからないし、どういう処分が下ろうと関知しない」
「わかってます」
大丈夫です、厳罰を! ……なんて望んでいませんから。
そもそも大変だったのは会川さんと課長代理だし、いくら辻井さんにモヤモヤしてもわたしが口出しすることじゃないのはわかってます。
それよりわたしは早く帰ってルゥをモフりたい気分なんですけど?
「エレベーターでなにを言われた?
同性にはずいぶんキツい物言いをする人らしいが……」
「同性ではなく、事務員に! です」
ついうっかり……ついうっかり、ね、思いっ切り語気を強めて言ってしまった。
たぶんエレベーターの中で我慢したものが炸裂したというか、爆発したというか。
本当に、何度彼女に向かって 「あなたも事務員ですよね」 と言ってやりたかったことか。
それでも我慢に我慢をして堪えたのに、ついうっかり、帰宅直前になって暴発させてしまった。
「……辻井さんも事務のはずだが」
「そうですよね。
でもすっかり営業気取りで、何度も事務事務ってディスってきて」
「コンプレックスの裏返しかもな」
「どうして辻井さんの肩を持つんですか」
「持ったつもりはない」
「いま持ちましたよねっ?」
思わず両手に持ったペットボトルを握りしめてしまい、ベコッと音を立ててボトルがへこむ。
「なんとなく思ったことを口にしてしまっただけだ、すまん。
そう怒るな」
「怒ってません。
でもあの人、まだ課長代理のこと、諦めてませんよ」
課長代理が思ったことを口に出すなら、わたしだって出してやろうじゃない。
辻井さんをお見送りした国分先輩情報によると、あの人、下りのエレベーター内でも課長代理の個人情報を聞き出そうとしたり、告白した相手のことを聞き出そうとしたり。
挙げ句に首に下げていた 【来客用入社証】 を返さずに出て行こうとし、国分先輩に警察通報事案を心配させた。
返し忘れじゃなくて、そっと胸ポケットに差し込んで素知らぬふりをしようとしたっていうんだから確信犯。
絶対によからぬことを企んでるわ。
「なるほど。
とりあえず受付には、今後は辻井さんが来ても、外出中とでも言ってもらって取り次がないよう依頼しておく。
書類などは受付に預けるよう、先方に申し送りしておこう」
「それで会わずにすめばいいですね」
「外出時も気をつけるが、俺に直接来る分には追い払うのも簡単だ。
俺はお前しか見ていない、藍月」
ここが会社であることを都実が忘れていないといいのですが・・・(笑
次話では再び仮想現実へ。
そろそろお休みしていたクロエが復活します!