385 ギルドマスターは健脚です
PV&ブクマ&評価&感想&誤字報告、ありがとうございます!!
技術の進化は日進月歩。
そうして可能になったVRゲームだけど、まだ現実に技術が追いついていないのか。
あるいは故意に感覚センサーから生々しさを排除しているのか。
先輩営業の握った拳骨が広瀬君を殴る音を聞いて、そんなことを疑問に思った。
仮想現実で人が殴られるところを散々見てきたし、それこそ斬られるところも見てきた。
もちろん頭の中では 「ここは仮想現実」 という認識もあってのことだけれど、この違いに唖然としたというか、なんというか。
自分では怖いとか気分が悪いとか思わなかったんだけれど、いつの間にか意識を失っていたらしい。
医務室で気がついてから、無意識のうちに辿っていた記憶の最後は、隣の席にすわる国分先輩の 「安積っ?」 とわたしを呼ぶ声だった。
またやっちゃった
もちろんこのまま逃亡するわけにもいかなくて、しわになったスカートを気にしつつ恥ずかしさを堪えて戻ると、部署は不気味な静寂と緊張に空気が張り詰めていた。
「安積」
戻ってきたわたしに気がついたサトミ課長に呼ばれ、席に戻らずまずはご報告に。
「申し訳ありません、ご迷惑をお掛けしました」
「いや、それはいい。
作業を続けられるか?」
「もちろんです。
すぐに」
「進めたところまでをそっちに送るから、続きを頼む」
「わかりました」
こちらに背中を向けたまま、黙々と自分の仕事をしている営業たちの顔を見ることはもちろん、その背中を見ることすら怖くて、急いで席に着こうと思うんだけれど、どうしても足音を潜めてしまう。
「終わったタスク、都度報告入れといたから確認して残りよろしく」
「ありがとうございます」
国分先輩も自分の仕事があるもんね。
わかる分だけでも手伝ってくれたのは助かった。
自分の席に着いたわたしは早速受信内容を確認するんだけれど、その中にちょっと変わった件名のものがあった。
件名:顛末
送り主は国分先輩で、これとは別に 『件名:終了タスク』 と銘打ったファイルが幾つも届いている。
つまりこれだけ内容が違うってこと?
そんなことを考えつつ開いてみれば、騒動の顛末が書かれていた。
件名どおりの内容によると、わたしが倒れたのを見て先輩営業が手を止めたら、広瀬君ったらここぞとばかりに先輩を殴り返したというか、殴りはじめたというか。
すぐさま課長や他の営業が広瀬君を取り押さえた。
その二人の姿がないと思ったら、広瀬君は自発的に 「病院に行ってきます」 といって早退してしまったらしい。
しかも先輩営業に対し 「暴行で訴えてやる」 なんて言って。
早退?
この忙しい時に、中抜けじゃなくて早退なの?
一方の先輩営業も、口の中を切ってかなりの出血があったらしい。
こんな年末にまだ病院が診察しているか不安はあったけれど、調べて一番近いところに向かったらしい。
たぶん年末の病院はいつも以上に混んでいるから、戻られるまでまだ時間がかかると思う。
ちなみに広瀬君は、明日あたり腫れるかもしれないけれど、たいした怪我はないみたい。
こういう場合、過剰防衛で広瀬君の方がまずいんじゃない? ……と国分先輩の突っ込みが書いてある。
もっともわたしの一番の懸案はそこじゃなくて、誰がわたしを医務室に運んでくれたかってことなんだけれど……まぁね、予想はしてた。
うん、予想通り課長でした。
国分先輩も付き添ってくれたらしいんだけど。
………………
よし、頭を切り換えよう。
課長にお詫びというかお礼というか、まぁその辺は後回しで。
パソコンの右下に表示された時刻を確認してみれば、あれからすでに1時間近くが経っている。
まずはやるべき仕事を片付けよう。
怪我の功名とでもいうべきか、一度意識を失ったことで、あれだけごちゃごちゃになっていたわたしの脳内はリセットされたらしい。
色々と思い出してまたぐちゃぐちゃになる前に片付けるわよ。
でも量の多さになかなか目処すら立たないんだけれど、それでも切りのいいところで一度手を止めて昼休みを取ることにした。
「渡辺万年係長がさ、張り切って部長に報告してやんの」
「……報告って、あの騒ぎをですか?」
その名前を聞くと、まだわたしの中では強ばる部分があるんだけれど、努めて平静を装いうどんをすする。
とっくにお昼休みが終わった食堂は人が少なく、わたしたちと同じように休憩を取り損ねた人たちが、まばらにすわってボッチご飯を食べている。
「それもわざわざ密告してやった、ザマァミロみたいな言い方してさ。
相変わらず嫌味で腹の立つクソオヤジ。
お前はガキか!」
渡辺係長は同じ営業部の人間で別班を率いる班長なんだけど、サトミ課長代理よりずっと歳上でアラフィフという噂。
ずっと以前からパワハラやモラハラで有名な人物らしく、かくいうわたしもその被害者の一人で、三ヶ月の休職を余儀なくされた過去がある。
意味のない仕事で終電間際までの残業が続いて体調を崩し、通勤ラッシュで混み合う駅で喘息の発作を起こし、階段から落ちるという大恥を掻いて入院しました。
だから苦手というか、今もあの怒鳴り声が聞こえるだけで怖いと感じる。
復帰直後というか、復帰したその日にもちょっとやられて、わたしはトイレの個室に逃げ込んだ挙げ句に早退した。
無断で逃げ帰ったというのが正解なんだけど、それを知った課長が電話をかけてきてくれて、話を聞いてその日は早退扱いに。
そのまま復帰を一週間ほど伸ばし、ようやくのことでわたしは職場に戻ることが出来た。
後日聞いた話では、復帰後のわたしは課長の班への異動が決まっていたけれど、運悪くわたしが出勤してきた時に課長も、指導係として話を聞いていた国分先輩も席を外していて、それに気づいた渡辺係長に 「お前みたいに使えない奴の席なんてあるか!」 と大声で暴言を吐かれ、トイレに逃げ込むことになったっていうね。
広瀬君はいつも 「同期で組むべき」 なんて言っていたけれど、わたしが課長代理の担当になったのは、たぶんそういう経緯があったからだと思う。
パーティションで仕切られているとはいえ、今も同じ部屋にいるからね。
誰に対してもこんな感じの人だから渡辺班の営業はいつも疲れているというか、イライラしているというか。
事務も時短勤務のパートさんが一人と派遣社員が二人いるんだけど、いつも派遣社員の方から契約の更新を断ってくる。
そんな状況だから渡辺班の成績は言うまでもなく。
病気療養のため休職すると決まった前課長が、自分の代理として当時のサトミ係長を推薦したらしいんだけど、部長が反対しなかったのはそういう諸々の現実が理由だろうと先輩たちは話していた。
その前課長も長期療養の結果、復職の目処が立たず強制的に退職扱いに。
もちろん合法的にね。
そして少し前に亡くなったらしい。
いずれサトミ課長代理が正式に就任することになるだろう課長の席が、未だ空席のままなのは部長が渋るから。
渡辺係長を持て余しているだけでなく、とっくに廃れたも同然の年功序列を気にする旧態依然とした思考の持ち主らしい。
それでサトミ課長代理よりずっと歳上で、長く係長職にある渡辺さんのほうを課長に就かせるべきかも……と血迷っているらしい。
でもそんなことをしたらどうなるか。
それがわからないほどお馬鹿でもない。
さすがにそこまでお馬鹿なら、そもそも部長になれるわけがないし。
結果、当面のあいだ空席のままにしておくのが無難と判断したらしい。
質の悪いことに、そこに揺さぶりをかけるべく渡辺係長がゴマをする。
今日の一件だって、課長より先に報告して出し抜いた気になっちゃって。
ほんと、国分先輩のいうとおり 「ガキか、お前は!」 って感じ。
でも忙しいこともあって、今のところお沙汰は出ていない。
もちろん課長のパソコンに、ひっそりと部長から社内メールが届いているかもしれないけれど、課長がなにも仰らなければ誰にもわからない。
それで渡辺係長の機嫌が悪くて、ずっと怒鳴りまくっている。
しかもいつも以上に怒鳴りまくっているから、わたしたちが食堂から戻るより、少し早く病院から戻ってきた先輩営業が 「傷に響く」 と怒っていた。
お陰様でわたしにとってはこれが二度目の年末進行だったけれど、去年とは比較にならないほどの修羅場はまさに地獄。
それでも定時をとっくに過ぎた頃、一人、また一人と仕事をあげて帰途につき始める。
仕事に集中していたため、課長と二人しか残っていないことにわたしが気づいたのは、なんとか今日のノルマをクリアした時。
「終わったか」
データ保存のためクリックをした直後、小さく万歳をしたのを見られていたらしい。
見事なタイミングでかけられた声で我に返ったというか、周囲が見えたというか。
残業が鉄則の渡辺班すら一人も残っておらず、サトミ班の机の上だけ照明を残した部屋は暗く静かで、わたしと課長しかいないっていうね。
「すいません、課長はもう終わってたんじゃ……」
「急ぎではないが、気がかりな事案があってな」
つまり……そういうことですね、申し訳ございません。
急いでパソコンの電源を落として帰り支度を始めると、課長も同じタイミングで席を立って支度を始める。
「終電は終わってるが、タクシーを使うか?」
使うなら呼ぶが……と気を遣ってくれる課長ですが、申し訳ございません。
帰宅の足はとっくにキープ済みなんです。
念のためにスマホを確認したら、家族L○NEに泰輝と琉輝のメッセージが幾つも並んでいる。
仕事に集中するため通知を切っていて、会社近くに到着したという二人のメッセージに気づかず。
いつまでたっても既読にならないから、わたしに何かあったんじゃないかと心配して、次々にメッセージを打ち込む二人に父と母までが一言二言。
家族LI○Eだからね。
二人が何か打ち込むたびに両親のスマホにも通知がいっちゃって、それがうるさかったらしい。
二人宛にあからさまな苦情が……。
ほんと、ごめん!
急いで二人に返信しつつ、課長にも応える。
「大丈夫です、兄が迎えに来ているので」
「もう来てるのか?」
「はい、会社の近くに車を停めてるってメッセージが」
「支度が出来たら一緒に出よう。
車まで送る」
んーっと、これまでにも何度か課長と一緒に帰ったことはあるけれど、もちろん途中までね。
自宅最寄り駅が違うから。
だから途中までは一緒に帰ったことはあるんだけど、なんだか気恥ずかしい。
しかもなぜかこんなタイミングで朝のことを思い出しちゃうし。
また顔が……
さすがにこんな時間に残っている社員はいないんじゃないかってくらい社内は静かで、おかげで誰かに見られることもなく、会うこともなく一階まで下りることが出来た。
でも防犯のためいつもの正面玄関はすでに施錠済み。
裏口というか、非常口というか、そっちから出ることになるんだけど、常駐する警備員さんの前を通るのが恥ずかしかった。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
警備員さんと挨拶を交わしつつ堂々とその前を通る課長に対し、わたしは顔を隠すようにうつむいたまま。
あまりにもみっともなくて、余計に恥ずかしくなる。
この悪循環の仕返しはあとで絶対にするからね!
見れば正面玄関が閉じられていることは泰輝と琉輝にもわかるけれど、さすがにビルの通用口の場所までは知らなくて。
すれ違いを避けるため正面玄関近くに車を停めて待っていた二人は、とぼとぼと歩いてくるわたしを見つけて颯爽と車から降りてくる。
「あーちゃん!」
「遅かったね、心配したよ」
髪型こそ違うけれど、同じ顔が同じ声で口々に声を掛けてくる。
もっとも生まれた時から妹をしているわたしには全然違う顔に見えるんだけど、生物学的には一卵性双生児の泰輝と琉輝。
他人には同じ顔に見えるらしい。
とりあえず人前で 「あーちゃん」 はやめて。
「兄です」
課長には兄が双子であることは話してあったような気もするんだけど、とりあえず簡潔に紹介しておく。
まさかこの状況から、「お先に失礼します」 なんて挨拶一つで帰るわけにはいかないもんね。
「初めまして、藍月の兄の安積泰輝です」
「同じく安積琉輝です」
「初めまして、都実圭佑です。
こんな遅くまで妹さんをお引き留めしてしまい、申し訳ございませんでした」
「仕事じゃ仕方ありませんよ」
「こちらこそ、いつも妹がお世話になっております」
まさかと思うけど、これから世間話が始まるんじゃないわよね?
いま何時か、三人ともわかってるわよね?
泰輝と琉輝はいいけど、わたしと課長は明日も仕事があるの。
しかも明日も忙しいの。
予定では、明日は午前中に年始の準備をして、午後からは部署の大掃除をするはずだったけれど、今日の一件で大幅に狂って明日も通常運転。
それも、今日ほどにはならないだろうけれど残業は確定してるの。
だから早く帰りたい! ……とは言えないけど。
言いたい!
……という本音が顔からダダ漏れだったらしい。
すぐ横に立つ課長がチラリとこちらを見たような気配を感じる。
「安積さんも疲れているでしょうから、今日はこれで失礼します」
「都実さんのご自宅はお近くですか?」
軽く頭を下げて行きかけた課長を、なんでもないことのように引き留める泰輝。
それに琉輝が続く。
「もう終電は終わってますよ。
タクシーで?」
「一駅なので歩いて帰ります」
自分の帰宅の足だけ確保し、あまつさえ早く帰りたいなんて思っていた自分をぶん殴りたくなった。
しかも課長ったら、リアルでも健脚アピール?
実際に健脚そうだけど。
事務のわたしと違って日頃営業で出歩いてるしね。
「だったら乗っていかれませんか?」
琉輝、ナイス!
あの車は泰輝の物で、さっき下りてくるところを見たら運転しているのも泰輝だったけど、そんなことはどうでもいい。
今さらだけど、わたしもこの流れに乗っておくわ。
「そうですよ、課長。
兄たちもこう言ってますし」
「妹もこう言ってますし」
「時間も遅いですし、遠慮はなしにしましょう。
明日もお仕事だと伺ってます」
兄たちの協力を得て課長の拉致に成功! ……じゃなくて、これで罪悪感もチャラ……にはならないけどね。
さっきも言ったけれど、この車は泰輝のものだから泰輝が運転するのは当然だけど、琉輝が当たり前のように助手席に乗ってしまい、わたしは後部席に課長と並んですわることに。
これ、どんな罰ゲームよ……。
「あーちゃん、さっきから顔が赤いけど大丈夫?」
「風邪かな?
今日も寒かったし」
「ちょっと暖房で火照っただけ」
わかってるくせに指摘しないで、意地悪!
せっかくだから、朝使い損ねたいいわけをここで使うことにする。
「帰ったらすぐお風呂入って、今日は遊ばずに寝なさい」
二人が心配してくれてるのも嘘じゃないけど、そうもいかないのよね。
ちょっと気になることもあるし、顔だけは出しておきたい……と思ったのに、課長までが 「そうしたほうがいい」 とか言いだして。
しかもわたしったら、走る車の振動が心地よくてうっかり寝落ちしてしまうとか。
もちろんいつ眠ってしまったのか覚えてないんだけど、課長が車を降りるのも見た記憶がない。
つまり……
寝顔を見られた!!
天国から地獄に真っ逆さま。
今話で現世に戻る予定だったのですが、道のりが遠かったようです。
あるいは険しかったか。
藍月はこのまま寝てしまいそうですが、都実の暗躍にご期待下さい(大嘘