第3話
俺の通う学園では、専門科目はそれぞれの所属科に分かれて別の教室で行われる。その日、俺は魔術科の専門授業である魔方陣を設置の授業を受けるため、それ専用の教室に移動をしようとしていた。
渡り廊下を歩いていると、視界の端にスザンヌの姿を見つけて俺は足を止めた。スザンヌは廊下を向こうに歩いていたのに、急に方向を変えて今度はこっちに歩く。そしてまた足をとめて、辺りをキョロキョロとしだした。
「スザンヌ嬢、どうしたの?」
俺が声を掛けるとスザンヌはびっくりしたような顔をしてから頬を赤らめて恥ずかしそうに視線を泳がせた。その表情から、俺はピンときた。
「もしかして、迷子?」
スザンヌの耳まで赤くなる。
「実は、友人達と淑女科の専門授業で調理実習の部屋に行く途中にエプロンを教室に忘れたことに気付いて、一人で取りに戻ったんです。エプロンは無事に取りに行けたのですが、今度は調理実習室がわからなくて……」
「調理実習室? 魔方陣の教室の近くだから連れて行ってあげるよ」
調理実習室は校舎の外れにある。方向も同じだし、口で説明するとまた迷子になりそうなので、俺はスザンヌを送っていく事にした。俺の横をおずおずと歩きはじめたスザンヌの頭には蝶の髪飾りが付いていた。歩くたびにまるで飛び立つかのように羽がゆらゆら揺れていた。
「それ、ハイレ蝶だね」
「はい?」
「ハイレ蝶。南部地方によくいる蝶だよ。手のひらサイズの大きな魔法蝶で、黒い羽に紫の斑点があるのが特徴なんだ」
スザンヌは俺の説明を聞き、自分の頭にのった髪飾りを手で触れた。
「そうなんですか。これ、小さいときからのお気に入りなんです」
「ふーん。似合ってるもんね」
「似合ってますか?」
スザンヌは一度下ろした手をもう一度髪飾りにあてて嬉しそうにしていた。よっぽどお気に入りなんだろうな。
「ケビンさまは今も蝶がお好きですか?」
「蝶は好きだよ。特に魔法蝶」
「私も魔法蝶が好きです。だって、光る宝石みたいだから」
スザンヌは俺を見上げると、嬉しそうにはにかんだ。
調理実習室にはあっという間に着いた。美少女との時間って言うのは時間の尺が違うんじゃ無いかと思う。
「魔法蝶か好きなら魔虫研究所に併設された蝶園がおすすめだよ」
別れ際、俺は魔法蝶が好きだというスザンヌに、蝶園のことを教えてあげた。スザンヌは少し考えるように小首を傾げ、パッと目を輝かせた。
「昔、ケビンさまが光る魔法蝶を見せてくれた場所ですね? 今日の放課後行ってみようかしら?ありがとうございます、ケビンさま。少しですがご一緒できてとても嬉しかったです」
スザンヌは笑顔で俺にお礼を言うと、調理実習室に消えていった。
「昔、俺が光る魔法蝶を見せてあげた?」
俺は呆然としてスザンヌを見送った。
『わぁ、宝石みたいね』
脳裏に魔法蝶を見て笑うぽっちゃりとしたあの子が思い浮かんだ。だいぶ太さに差はあるが、猫みたいな目には面影がある気がする。薄茶色の目に薄茶色のふわふわの髪だったのもスザンヌと一緒。
「え? もしかして……」
俺は今頃になって、自分とスザンヌが昔出会っていた可能性に思い当たった。
***
淑女科が調理実習したあとはいつも男子生徒達に緊張が走る。気になる子が誰に作ったお菓子をあげるのか、誰もがアンテナを張り巡らせているからだ。
「フレッドさま、よかったらどうぞ」
「あ、ずるいわ。フレッドさま、私のも!」
俺の隣では早くもいつもの光景が繰り広げられ始めた。何でこんな奴がモテるんだ? とつくづくこの光景を不思議に思う。負け犬の遠吠えって思われるのが目に見えてるから言わないけどな。
「スザンヌー。スザンヌは誰にあげるの?」
そんな中、スザンヌに女友人が声を掛けたので俺は全神経を耳に集中させた。恐らくこの時、クラスメートの男のほぼ全員が耳を澄ましていたはずだ。
「あ、私食べちゃいました」
「え? あんなに沢山あったのに?」
「ええ。お腹すいちゃいまして」
スザンヌは女友達の顔を見てフフッと笑った。その瞬間、教室には残念なようなホッとしたようななんとも言えない空気が広がる。
隣の席ではフレッドが貰った焼き菓子の数を数えていた。一、二、三、四、…、七。全部で七個あるらしい。つまり、俺の言うところの見る目がない女が同じ学年に最低七人いるってことだな。言うまでもないが、俺には一つもなかったよ。
帰宅後、俺は急いで魔虫研究所に向かった。スザンヌが昼間、放課後に行こうかなって言ってたから、もしかしたら来るかもしれないと思ったんだ。入り口の警備員は息を切らした俺に目を丸くしていた。ゼイゼイ言いながら挨拶して、まっすぐに蝶園に向かった。
入り口から中を覗くと、小さな子供を連れた母親が蝶を見ているのが見えた。どうやらスザンヌはまだ来ていないようだ。俺は少しワクワクするような気持ちを落ち着かせるため、いつものように幼虫の様子を観察して回った。
今のところ魔法蝶の発光色で表現できていない色の一つに紫がある。赤く光る魔法蝶と青く光る魔法蝶のエサを混ぜればいいのかと色々試したがうまくいかない。今日は初めて用意する葉っぱの上に幼虫を移動させてみた。幼虫は少し葉の上を動き回ると、モグモグと歯を食べ始めた。
どれくらい夢中になっていたのだろう。俺は「ケビンさま」と鈴が転がるような可愛らしい呼びかけでハッとした。
「本当に来てしまいました」
俺のすぐ近くにははにかむスザンヌがいた。制服ではなく、貴族令嬢が着るようなドレスを着ている。でも、スザンヌの名乗った名字である『メディカ』なんて貴族は聞いたことがない。もしかしたら高位爵位の屋敷に仕えている家なのかもしれないと思った。クリーム色のシンプルなドレスは実用性も兼ねているのだろう。制服姿も可愛いけど、ドレス姿のスザンヌもめちゃくちゃ可愛かった。
「ケビンさまは幼虫のお世話ですか?」
「うん。趣味なんだ」
言ってから俺は後悔した。虫の世話が趣味って完全に気持ち悪い奴だ。けれど、スザンヌは嫌な顔一つせず相変わらずニコニコしていた。
「魔法蝶が光るところが見たいんだよね? 向こうに夕闇エリアがあるからそっちに行こう」
「はい。久しぶりに見るので楽しみです」
スザンヌは猫みたいな大きな目をキラキラさせ、頬を紅潮させている。俺はそこら辺を飛んでいる蝶の説明をしつつ、スザンヌは夕闇エリアへと連れて行った。私服のスザンヌをエスコートしていることは、なんだか他のクラスメートを一歩リードしたかのような甘美な優越感を湧き起らせた。
「わぁ、凄い!」
夕闇エリアに足を踏み入れた途端、スザンヌは感嘆の声を漏らした。夕闇エリアには様々な色の光輝く蝶が舞っている。夕暮れの薄暗いなかでもわかるぐらい、スザンヌは目を輝かせていた。
「前は白一色でしたのに! サファイア色にエメラルド色にルビー色……」
「ちいさな頃に来た時も宝石みたいだって喜んでたよね」
「はい。本当に宝石みたいでとっても綺麗ですわ」
スザンヌはうっとりとしたように蝶に手を伸ばした。蝶はそれから逃げるようにふわりと飛び、色とりどりの光が舞う。
「うん、そうだね」
君の方が綺麗だよ、という歯の浮くような甘い言葉は脳裏に浮かぶだけで、流石に口に出しては言えなかった。騎士科のやつ、例えばフレッドだったら言えるんだろうか。目を輝かせて嬉しそうに笑うスザンヌは本当に綺麗で、すごく可愛かった。