第2話
「今朝、なにか面白い事があったみたいだね?」
「転校生が来た」
「ふーん、それだけ? それにしてはその転校生はこっち見てないか?」
「フレッド達を見てるんだよ」
「そうかなぁ?」
お昼休みの頃に、ロベルトはようやく遅れて登校してきた。転校生に気付いたロベルトは視線を感じるようで、スザンヌを不思議そうに見ている。
実は俺もこっちを見ている気がするんだが、きっと気のせいだ。これはオタクな二人組の『美少女に見つめられたい願望』が都合の良い解釈を行っているに違いない。なぜならば、先ほど俺はスザンヌには誤解を解いておいたのだ。
***
お互いよく知り合いたいだとか、最初はお友達からとか、まるで告白するみたいな事を言われたが、それで舞い上がるほど俺の頭はお花畑じゃない。なぜならば、俺は自分自身を平凡中の平凡であると知っている。とにかく、こんな美少女にある日突然告白されるなんて有り得ない。
「スザンヌ嬢。君はまたって言ったけど、俺と君は初対面だろう? 人違いだと思う。それに、僕と親しくなってもフレッド達とは親しくなれないよ?」
スザンヌから声を掛けられたとき、俺はスザンヌにそう教えてやった。スザンヌはとても傷付いた顔をしたけれど、フレッドを紹介出来なくて後から役立たず呼ばりされると俺もさすがにヘコむ。
「そうそう。こいつ隣の席にいるだけで俺らとは友達でも何でも無いから」
フレッドは俺を見下すように横から口を出してきた。こんな冴えない奴にスザンヌが興味を持つわけ無いだろうと、その表情がありありと語ってる。悔しいが事実としてそうだから何も言い返せない。コイツ、確かに見た目はいいのかも知れないけど性格が悪いから俺は嫌いだ。スザンヌは戸惑ったようにフレッド達に視線を移動させた。
「俺はフレッド=アルティス。よろしくね、かわいこちゃん」
「えっと、よろしくお願いします」
フレッドが手を差し出したのでスザンヌもおずおずと手を差し出した。するとフレッドは習いたての騎士の礼に従い、跪いて指先にキスを落とした。
クラスメートの女の子達から黄色い悲鳴が上がった。最近授業で習ったという騎士科の男子達のこの所作に大抵の女子はイチコロだ。スザンヌは少し涙目になって顔を赤くした後、逃げるように自席に戻っていった。
***
家に帰ると、俺は自宅近くにある親父が所長を務める魔虫研究所に向かった。小さなころから通っているのですっかり顔馴染みの入口の護衛は、挨拶すれば顔パスだ。
何か面白い研究成果は無いかと研究所内をうろついていると、たまたま執務室から出てきた親父に遭遇した。
「ケビン。今朝の返事だが、少し時間がかかってもいいから是非前向きに考えて欲しいそうだ。あちらのご令嬢がお前に気に入られるように努力すると」
「ふーん。勝手にすればいい」
俺を職場で見かけた親父がお見合い話をぶり返してきたので、俺は気のない返事をした。努力するだかなんだか知らないけど、どうせ会えば今までのご令嬢達と同じ反応だろう。向こうが勝手に期待してきたくせに、向こうが勝手に失望する。俺には関係ないことだ。
しかし、ちょっと気になるのはご令嬢本人が俺に気に入られるように努力するってところだ。努力?? どこの誰だかも知らないが、手紙攻撃でもしてくるつもりだろうか。
俺は研究所内の見学はやめて、慣れた道を進み敷地に併設された蝶園へと向かった。
蝶園には様々な品種の魔法蝶がいる。魔法蝶とは、普通の蝶とは違って魔力を持つ蝶だ。俺は魔虫を飼育するのが趣味だけど、一番のお気に入りは魔法蝶なんだ。
蝶園の中のベンチに腰を下ろすと、俺は今日出会ったあの転校生の事を思い返してみた。記憶を辿ったけれどやっぱり俺の人生にあんな美少女との接点は無い。間違いなく彼女は何かを勘違いしている。
しばらく魔法蝶を眺め、葉に付いた幼虫の成長具合をチェックしてから今度は夕闇エリアへと向かった。夕闇エリアは意図的に光を遮断している区域で、夕闇が落ちた頃のように薄暗い。たが、一歩中に入ると幻想的な光が溢れた。
赤、青、白、緑……
やわらかな光は色を纏い、ふわふわと羽ばたく。これは魔法蝶の特徴の一つで、彼らは暗闇の中で光りを放つんだ。数年前までは白一色だったけれど、俺の趣味が高じて色々と餌や環境を変えていくうちに様々な色を放つようになった。
『わぁ、宝石みたいね』
昔、一時期だけよくこの蝶園に遊びに来ていた少女の言葉を思い出した。たまたま公園で遊んでいたときに出会ったその少女は、ベンチを歩くコガネ虫を見て虫が怖いと泣いていた。だから、怖くないよと教えてあげようと思ってここに連れて来たら、光を見て笑顔になってそう言ったんだ。
もう八年も前のことだ。だいぶぽっちゃりしていたけど笑顔は可愛い子だったな。親の仕事で引っ越すと言って最後の日にはやっぱり泣いていたっけ。もしあの子が今この景色を見たらなんて言うだろう。そんなことを思いながら、俺はいつまでも幻想的な光景を眺めていた。
***
スザンヌにはハッキリと君は勘違いしていると教えたのだけど、それでもスザンヌは度々俺に話しかけてきた。美少女に話しかけられて悪い気分はしないから別にいいんだが、その情熱をフレッドに向ければすぐ付き合えそうな気はしなくもない。恋愛偏差値ゼロの俺には女の子の考えることはよくわからない。
いつものようにお昼休みに食堂でロベルトと食事をしていたら、スザンヌが友達と席を探していた。
「ここ空いてるかな? 一緒に食べていい?」
スザンヌの友人が俺たちの隣を指さしたので、ロベルトは頷いて見せた。
「やった。じゃあ、お邪魔しまーす」
スザンヌの友人は間延びした返事をして食事を載せたトレーをテーブルに置く。椅子をひいたスザンヌと友達が席に座ろうとしたその時、後ろから声がかかった。
「スザンヌ嬢。君が住んでいた外国の話に興味があるから聞かせてくれ。僕たちとあっちで食べよう」
「え? でも私はここで……」
フレッドから声を掛けられたスザンヌは明らかに困惑していた。俺達に一緒に食べると言ってしまったので気にしているのかと思った俺は「俺らにはお構いなく」と言った。スザンヌは何故か悲しそうに目を伏せた。
「そうだよ。魔術科は変人揃いだからあまり近づかない方がいい。それに、彼らと付き合っていると君までスクールカーストの下位に見られてしまう」
「スクールカースト?」
スザンヌは怪訝な顔をして眉を寄せた。
スクールカーストとは言わずと知れた学園内の暗黙の位置づけだ。華やかな騎士科は上位寄り。地味で変人揃いの魔術科は下位寄り。文官を目指す政治学科や経済学科はその中間。
見た目がすこぶる良いやつや運動神経や成績が抜きんでている奴は上位に行き、地味で冴えない奴は下位に行く。そんなところだ。
つまり、見た目がよくて高位貴族出身で騎士科のフレッドはスクールカーストの頂点にいる。地味で冴えない俺は……まぁ、それはいい。
「私はそんなくだらないものは気にしません」
スザンヌははっきりとフレッドにそう告げた。だけど、フレッド達は戸惑うスザンヌに構うことなくスザンヌと友達のトレーを持ち上げた。
「君はまだここの学園に転入してきて日が浅いからわかっていないんだよ」
フレッドが口角を上げてスザンヌを見下ろすと、スザンヌは顔を赤くして俯いた。やっぱりスザンヌもフレッドに微笑みかけられると頬を染めるんだな、とがっかりした自分がいた。まあ、フレッドは誰もが認めるレベルの美男子だよ。それは俺も認める。
スザンヌはトレーを持って歩き始めたフレッド達の背中を追いながらも、何かを言いたげに何度もこちらを振り返っていた。