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君の優顔は、嫌な笑顔

掲載日:2018/02/28


「お月さまって、向かって歩いても全然近付かないね」


冬真くんがそう言って、私の少し前で足を止めた。

もう結構な距離を歩いたのに、全然お月さまに近付かない。


「ウサギと会いたいから、行ってみたいのに……」


ガッカリ半分足が疲れたの半分で、口がむーっとへの字になった。


「どうする? 僕のお父さんか、ツボミちゃんのお父さん呼んでみる?」

「この前、“お月さまに行ってみたい”ってパパとママに言ったら、“ツボミが大人になるころには行けるかもしれないね”って笑いながら言われたよ」

「大人だったら早く着くのかなぁ?」


冬真くんがそう意見を出しても、素直にそうだねと言える程の元気なんてもう無くて。もうお月さまに行くの止めて、パパとママのところに帰りたいと溜め息をついた時だった。


「! ツボミちゃん! あれ見て!」


そう言って、冬真が指をさす。

その方向を見ると水面が微かに動いている小さい池がある。


「すごい! 池にお月さま落ちてる!」


「あれだったら、行けるね!」


「で、でも、池の中だよ?」


見つけられた嬉しさ反面、池の中にあるという戸惑いも隠せない。

でも冬真くんは優しく微笑みかけるような笑顔で。


「大丈夫だよ! ほら、一緒に行くよっ!」

そう言って私の腕をぐいっと引っ張って、池に駆け出した。


多分、これが最初。

君が優しい笑顔で言う“大丈夫”は、碌なこと無かった。





無機質な音が何処からか聞こえて来る。

私はふーっと息を吐きながら、寝返りをうつ。しかし無機質な音はけたたましく鳴り響き、重い体を起こし同じく重い瞼を薄く開いて枕元の目覚まし時計を止めた。


「……うむーっ」


体をキチンと起こすため、背伸びをする。

朝だ。何の変哲もない朝。強いて言うなら、季節のせいか体と布団が触れているところが火照るのと、雀のさえずりが聞こえない。きっと雀も暑すぎて一旦巣に戻っているのだろう。

まだぽやーんとしている頭で、さっきの夢を思い返してみた。


「懐かしかったな……」


あの夢を見るのは。いや、夢ではなく過去に実際起こって何度も夢に見たことだから、“久しぶり”の方が適切なのかもしれない。

もう一度ふーっと息を吐いて、何気なく目覚まし時計に視線を移す。


あぁ、7時50分かぁ。道理で体が軽……。


「へぇぇええぇぇぇぇえぇっ!!!???」


朝が始まったばかりだというのに、今日一番の大声を出しながら飛び起きる。

部屋のあちこちにある引っ越し用段ボールに足を取られそうになりながらも、クローゼットを開けてセーラー服を手に取って着替える。大まかに着替え終わったところで部屋を出て、階段を足音立てて慌ただしく下りながら廊下で荷物を段ボールに詰め込んでいるママに話し掛けた。


「ママ! 起きているんだったら、起こしてよぉ!」


「あぁ、ツボミごめんね。今荷物まとめてて忘れてたわ」


「それ昨日やるって言ってたじゃん」


「ご近所さんに挨拶周りしたら、時間無くなっちゃったのよぉ」


悪びれなくあっけらかんと喋るママと会話をしつつも、朝の支度を済ませる。そして玄関に向かって走り出した途端、何故か一つ出っ張って置かれた段ボールに躓いた。

音を立てて床にダイブする。


「――っい、ててて……」


「ツボミ、大丈夫?」


ママが駆け寄ってきて、私も立ち上がった。


「あ、ツボミ制服のスカーフが曲がっているよ。ほら、こっち向いて」


自分で直したいのも山々だが、床に突撃した場所が痛くてそれどころでは無い。


「――はい。これでいいわ。この制服着るの今日で最後なんだから、ピシッと着ないとね」


「ママありがとう。行ってきます!」


そう言ってから玄関を飛び出した。

強い日差しが目にきて細め、セミの鳴き声が鼓膜を揺らす。いつもそこそこ人通りがある通学路には生徒はいなく、交差点の赤信号で足を止めて息を整えた時だった。


「……よっ!」


「わぁっ!!??」


聞き覚えのある声を出して、私の背中が押された。

こんな事をするのは、一人しかいない。

「ちょっ……と、冬真何するの」


一度大きく跳ねた心臓に手を当てながら、後ろを向く。そこには悪戯っぽい笑みを浮かべて、「ゴメンゴメン」ときっと一ミリも思っていないだろう謝罪をしている幼馴染の冬真だった。


「ま、落ち着こうよ。ツボミ」


「落ち着こうも何も、あと5分しか時間ないんだけど」


「別にいいじゃん。ここからだと、どんなに急いでも10分かかるんだし? ゆっくり歩いて行こうよ」


信号青になったし行くよ~、と言って冬真はゆっくりと横断歩道を渡り出す。私もモヤモヤした気持ちになりながら、後を続いた。


「ところでツボミがこの時間に登校するって珍しいな。何があった?」


「目覚まし時計がいつもより一時間遅い時間に鳴って、慌てて出てきたの」


溜め息交じりに返答して冬真を見ると、「大丈夫、大丈夫」と言い優しく微笑みを作っていた。

出た。「大丈夫」と言いながらの優しい笑顔。

冬真が優しい笑顔する時は、私にとっては碌な事がなかった。

自転車の荷台を冬真に持ってもらって乗る練習をしていた時、冬真はいつの間にかに手を離してて自転車のに乗る私と並走。私はびっくりして前方にあった水たまりに滑って転倒。膝が真っ赤になるほど擦りむいたこと。

私の体調が悪いのに、流星群が出るからと町中を周って良い場所を取ろうと連れ回した挙句、よく分からない山の中で迷子。勿論、次の日は高熱が止まらなかったこと。

一番酷かったのは、キャンプに行った時に「月が落ちてる!」と言い、拾おうとして2人で池に落ちた。

――まあ、幸いにも池が深くなくて助かったが、キャンプの途中でいなくなった子供二人を探す大人の前に全身びしょぬれの私と冬真が現れて、凄く怒られた。

今でも印象に残っていて、夢にも出るほどだ。

元々、クラスの中心にいるような明るくて活発な冬真と教室の隅にいる大人しい私は行動も考え方も真逆で、もっと成長してから会っていたら関わらなかったような人種なのだ。

家が近所でなく互いの両親が仲良くなければ、絶対互いの存在を知る機会がなかったろうなと断言できる。

それでも未だに交流があるのは、もう腐れ縁と言っても過言ではないだろう。冬真が私をあっちこっちに連れ回すのも私がはっきり断らないのも悪いのかもしれない。


――そんな私でも、はっきり言わなければいけないことがある。

もう何カ月も前から決まっていた“あのこと”を冬真に言わなければ。

今まで一歩踏み出す勇気が無くて、言えなかった“あのこと”を言わなければ。


私は一回息を吐き小さく頷いて、口を開こうとした時だった。


「――あっ!」


真横を歩いていた冬真が急にくるりと踵返した。


「やっべ、忘れ物した! ツボミ、先行ってて。オレ、一旦家に戻って行くから!」


じゃ! とこちらが止める間もなく、冬真は家に向かって駆け出した。

タイミングを逃し、ぽかーんと口を開けて立ち尽くす私。


「……また、言えなかった」


何でいつもタイミングが悪いんだろう、と思いながら、朝に吐くには重すぎる溜め息をつき、私も重い足取りを急いで学校へ向かった。




先ほどの通りと同じように、冷たく足音が反響する廊下には生徒一人もいない。

ホームルームのチャイムが鳴ったと同時に私は校門をくぐったのだから、どこのクラスももうホームルームが始まっているのだろう。なるべく気付かれないよう足音を立てずに自分のクラスに向かって、中から先生の声が聞こえているのを確認した後、教室のドアを開けた。


「すみません。遅くなりました……」


そろーっと、なるべく目立たないように登場したはずなのに、たくさんの目が私の方へ振り向いた。思わず身体が跳ねる。


「あー、春川か。今さっき始めたばかりだから、早く席につきなさい」


怒られなかったのに対し胸を撫で下ろし、「はい」と返事をして自分の席へ。椅子を後ろに引いた時、慌ただしい足音の後に勢いよく教室のドアが開ける音がして、思わず音源へ視線を向けた。


「スミマセン、遅くなりましたぁ!」


勿論、教室に入って来たのは冬真だ。


「また、お前かぁ。これで一学期の遅刻は30日。このクラスで断トツだぞ。危機感を持って、自分で早く起きれるよう努力するのが二学期の目標だな。通信簿に書いておくから」


先生が呆れた口調で冬真に問いかける。先生が言った通り、冬真はクラスの遅刻魔ナンバーワンだ。


「いやいや、これでも今日は早起きしたんですよ? ただ忘れ物しちゃいまして……」


「はいはい、分かりました。そんなに自らペナルティが欲しいなら、職員室に行って終業式のプリントを持ってきなさい」


「えー! ただ先生が職員室に忘れただけじゃん。お駄賃として、先生の水筒の中身飲んでいいですか? 喉がカラカラで……」

「水道水を飲みなさい。ほら、時間が迫っているから行く!」


冬真は一瞬不機嫌そうな表情を浮かべたが、返事をして職員室に向かって行ったようだ。

ふう、と先生は息を吐いた後、また顔を上げた。


「まあ一名いないが、時間も迫って来ているからホームルームを続けます。春川、その場で立ち上がって」


言われた通り、私は席を立った。クラスメイトの視線が私に集まる。


「知っている人もいると思うが、春川がご家族の都合で転校することになった。春川にはこのクラスをまとめる役をやってくれたりして、皆も色々関わった人もいると思う」


先生がチラッと私を見る。言われる前に何のことか分かったけど、一瞬空席を見てから口を開いた。


「前々から決まっていたことですが、一学期最後の今日を最後に私は転校します。今まで皆をまとめる役とかをやったことが無かったけど、皆が協力してくれて嬉しかったです。本当にありがとう」


そう“あのこと”とは転校のこと。

心臓バクバクで咬みそうだったけど、皆の前だからちゃんと言えた。最初はまばらだった拍手も今は全員がしてくれている。やっぱり良いクラスメイト達だな、と思っているとガラガラガラ! とまた勢いよくドアが開いた。


「おっまったっせ! しましたー!」


無論、そこにいたのはプリントを持ってきた冬真だ。陽気な声に楽しそうな口元。パッと見た感じは、通常の冬真だろう。

でも私は気が付いた。目が、笑っていない。

口元は笑うと言うよりも、微笑んでいる――優しい笑顔だ。

何か言われる? そう思ったが、一瞬だけ私と目が合って何事も無かったかのように先生にプリントの束を渡していた。


「先生の机の上、汚かったー! 飲みかけの麦茶のコップがいたるところにあって、書類のタワーなんて何棟もあるんだよ? あの机の中には十種類くらい爬虫類とか住んでそう。ねずみも一家そろっているんじゃね?」


お前の机より汚くはないわ! と先生は笑って流すと、クラスメイトもクスクスと笑っていた。笑っていないのは私だけなんじゃないか? と思うレベルで。

そんなやり取りがありつつ、冬真は自席に戻った。私は耳を研ぎ澄まして右後方の冬真の席をチラッと見た。冬真の席の近くにいるクラスメイトが、笑いながら冬真に話しかける。


「朝から相変わらずだなー。冬真は! これじゃ、春川が転校した後の二学期でまた遅刻魔記録更新しそう」


笑い続けるクラスメイトの一言で、ドクンと心臓が大きな音を立てて跳ねる。

私、今の今まで冬真に引っ越すことなんて言っていない。冷や汗だか脂汗だか分からないものが全身の毛穴から出そうになる。


「お前までそんな事言うなよ~。オレだってやろうと思えばできるんだぜ? やらないだけで」


「いや、やりなよ」


クラスメイトがすかざずツッコミを入れる。しかし、私はそんなツッコミより冬真の表情が気になり、そろ~と冬真に視線を向けた。

あれ? 冬真、動じていない……?

一瞬だけ冬真と目が合う。私の表情とは反対に、優しく微笑みかけるような笑顔でふっと息を吐き、私と視線を逸らして真っ直ぐホームルーム中の先生を見ていた。

私は、そんな冬真をホームルーム中にチラチラ見ていた。


いつの間にかホームルームは終わっていて、先生は終業式のため体育館に行くよう促した後、先に行ってしまったようだ。クラスメイト達もポツリポツリと体育館へ向かい、私も行こうとしたら同性のクラスメイト達が話しかけて来た。


「春川さん、本当に引っ越しちゃうんだね……。最初、人づてに聞いた時は半信半疑だったけど」


「一年生の時の文化祭で実行委員やってくれたり、皆をまとめたりしてくれてありがとうね。出し物のお化け屋敷好評だったし!」


やっぱりここのクラスメイト達は良い人ばかりだ。こうして直接言ってくれて、私が照れちゃいそうだ。


「そうそう! ツボミはいつもそう言う役やってくれたよね~。やりたがる人があまりいなかったから、助かりまくりだったよね」


皆よりワントーン明るい声に、思わず後ろに振り返る。そこにいたのは、友達の麻理だった。


「おはよ、ツボミ」


「おはよう、麻理」


ニコリと口角を上げて挨拶をする。そして続けた。


「でも、麻理もみんなも手伝ってくれたから、全然苦じゃなかったよ。みんなありがとう」


本当に苦では無かった。

最初の指示出しは自分でもよく勇気を出したと思ったけど、みんな笑顔で返事をしてくれてコツコツやってくれた。おかげで良いお化け屋敷ができたと思う。

しばらく皆で今までやった行事の話をしていたけど、誰ともなくポツポツと体育館に向かいだし、麻理と私も向かった。


五月蠅くは無いものの、人が行き来してちょっとガヤガヤした廊下を“これで最後か”と心の中がしんみりとしながら足を動かす。この廊下を通るのも、この窓から見える変哲もない校庭も今日で最後。

隣りで麻理が一緒に移動しているのも、最後。

ふと気になって――麻理へ視線を向けると、麻理はにこっと笑いちょっと切なそうな表情をしながら口を開いた。


「でも……2ヵ月くらい前から、今日が来るんだと分かっていたけど。やっぱりツボミがいなくなるなんてやっぱり寂しいよ」


いつも元気な麻理のトーンが落ちていて、寂しいと同時にちょっと嬉しく感じる。


「……うん。でも隣の県だし、いつでも連絡するから。お祖母ちゃん家はここにあるし、年末とかお盆とかは帰って来れると思うよ」


だからその時に遊ぼう、と続ける。

目をうるうるさせた麻理が「そうだね!」と言って返事をしてくれた時、後ろから何かが走って近付いてくる音がした。


「ツボミも麻理も、なにちんたら歩いてんの? 早くしないと、終業式始まるぜ!」

「コラー! 冬真、廊下走っているんじゃない! 待てーー!!!」


廊下を走っている冬真。

を注意している先生も走っている。なんて説得力がない。

あっと言う間に走っていく2人を見てさっきのしんみりとした雰囲気が無くってしまい、麻理と顔を合わせて、ちょっと苦味のある笑いを浮かべた。


「冬真も先生も相変わらずだねぇ」


「う、うん……」


「朝から騒がしいやつ。でも、ツボミが転校するの聞いても動じないし、冬真のテンションにはついて行けないわー。……あれだね、幼馴染の余裕ってやつ?」


ね、と同意を求めて来るのに、一瞬固まる。

もう視界に冬真も先生もいなくて、いつの間にか下を向いて立ち止まった。


「ツボミ……。どうしたの?」


「……私、冬真に引っ越すこと一言もいってない……」


えっ?――と、麻理の短い驚きの声がもれる。

そうだよね。さっきの教室でのやり取りを見ていたら、とてもそんな感じには見えないもの。


「……冬真には本当に言ってなかったの?」


スカートの裾を両手でギュっと掴みながら首を縦にゆっくり振り、私はゆっくり口を開いた。


「でも……さっきの教室でのやりとりで、ふと――冬真を見たら、あの顔していた……」


あの――私がこれから嫌な目に合う表情を。間違いなくしていた。


「ってことは、冬真はツボミに言われなくとも転校の事知っていたの?」


さっきより落ち着いたトーンで麻理が聞いてくる。顔を上げて麻理と目を合わせると、私はゆっくりでもしっかりと首を縦に振る。すると麻理の表情が悲しげに崩れていく。


「冬真……何がしたいんだろうね……?」


きっと私と同じように、麻理も冬真の行動に違和感を感じているのだろう。そうだよね、冬真の性格上きっと何か言ってくるものだと思うよね。


「分からない」


あの冬真が何も言ってこない理由なんて、私にも分からない。

でも、きっと。


「冬真の最後の意地悪なんじゃないかな……」


きっとこれ。

今まで私が「嫌だ」と言っても背中を押してきた冬真の最後の意地悪。


「あり得なくはないね……むしろ、あるかも」


呆れと疑問が入れ混じった言葉を麻理が吐く。私は今日何度目か分からない溜め息をつこうとすると、終業式始まりのチャイムが鳴り響いて麻理と互いに顔を合わせてから駆け足で体育館へ向かった。

ギリギリ間に合った終業式。体育館の端っこで校長先生のお決まりの話を聞きながら、珍しく私たちより前の方にいる冬真に何度も視線を動かす。

でも冬真はビックリするくらいいつも通りで、私と視線が合うようなことはなかった。







終業式が終わって、一学期最後の掃除の時間になった。いつもの私ならただ黙々と箒を掛けていたんどろうが、やっぱり教室の中心でふざけている冬真に自然と視線が動いてしまう。


「ちょっ、冬真! これ今までで最高時間じゃね? 箒落とすなよー!」


「任せておけ!」


足の甲にさかさまにした箒乗っけて、バランスをとっている冬真。

「だいじょーぶ! 大丈夫!」とフラフラしながら未だバランスをとっている冬真の横顔を見たら、頭の中でさっきの優しい笑顔がフラッシュバックする。そして今の冬真の表情と見比べた。


ああ、やっぱり冬真は他の人に優顔を見せないんだね。

させるのも、分かるのも、私だけ。

それも私にとっては禄でもないときにだけ。

優しい笑顔が見れないときは、いつも安心するのに。なんで今日はもやもやするの?


口元をキュッと閉めてから、ゆっくり視線を下に落とす。

ふと気が付けば、もう放課後だった。私は自分の席につきながら、わざわざ「元気でね」や「いままでありがとう」と言ってくれるクラスメイト達と会話していた。

優しく話しかけてくれているクラスメイトに返事をしないわけにはいかず、暫く他愛のない会話をする。ふと――冬真のことが気になって、視線を冬真の席に動かした。


――いない。

冬真が、もう、いない。

ああ、もう帰っちゃったんだな。


いつもならしょうがない、と納得できるのに。そもそも冬真と約束をしていた訳ではないのに、心の中に霧が立ち込めたみたいに更にもやもやする。

なんで? 私にも分からない。

一人、また一人と律儀に別れの挨拶をして帰っていくクラスメイト達。気が付いたら、麻理が残っていてニコッと寂しげに笑って。


「ツボミ……帰ろっか」


そう言った。私も頷いて、お世話になった教室を出て校門へと向かった。

照りつける太陽に、あちこちから聞こえてくるセミの大合唱。熱風を運んでくる風に、涼しさを感じる風鈴がどこからかちりんと鳴る。校門のそばに植えられたヒマワリは太陽の方向を向いていて、そのヒマワリと一緒に見慣れた人物が視界に入った。


帰ったんじゃなかったの?


「……冬真」


思わず出た名前。

こちらの気配に気が付いたのか、くるりと体をこっちに向ける冬真。


「遅かったねー」


何事もなかったかのように冬真は私に言う。

一瞬言葉が喉に詰まったが、それを飲み込んで私は口を開く。


「冬真、何で帰ってないの?」

「ツボミが他の人に囲まれてたから、一緒に帰ろうと思って」

「普段一緒に帰らないし、約束もしてないじゃん。暑さで頭がやられたんじゃない?」

「えー、夏場だからって冷たいこというなよ。どうせ帰る方向も道もほぼ一緒だろ? 一緒に帰るからって何か減るわけでもないしさー」


何だかいつも以上に振り回されそうな冬真の口調にむっと口をへの字にしたが、後ろからいきなり背中を押された。


「だってさ! ツボミ! 最後だし丁度いいから一緒に帰りなよ! あ、私の事は気にしなくていいよ~。じゃあね!」


押したのは麻理だった。言葉を吐いたのと同時に、にまにましながら走って去って行った。

何ていう決断力の早さ。そして走りの速さ。

思考が追い付かないうちに、麻理はいなくなった。残されたのは私……と冬真。

もう私がどうこう言おうが冬真はついて来るだろう。この時ばかりは家が近所の幼馴染関係を呪った。


「麻理も帰っちゃったし、帰ろっか」


冬真が出す言葉に、私は首を縦に振るしかなかった。

しかし、すぐに首を縦に振ったことを後悔し始める。同じ帰路についているのに、気味が悪いぐらい冬真が喋らないのだ。図書館もビックリの沈黙。いつも冬真から話しはじめるものなので、気まずいなんでもんじゃない。熱中症になっても構わない、走って逃げだしたい。


「……私」


急いでいるから先に行くね、と言いかけた途端、遮るように冬真が話しはじめた。


「去年の今の時期くらいだったか? 10月にやる文化祭の実行委員を各クラス男女一人ずつ選ばなくちゃいけなくて、クラスでくじひいたよな」


いきなり冬真の思い出を思い返すような口調に、疑問符が浮かぶと同時に「うん」と相槌を打つ。


「オレが当たり引いちゃってさ、先生が“くじの当たりは一人分しか作ってない。もう一人、女子の実行委員を選べ”って言われた時、ビックリしちゃったよなー」


ビックリしたのは私の方だよ。はずれを引いたのに、やらなくていいって安心していたのに、冬真が実行委員に私を指名したんじゃん。


「……オレってアイディアは湧くけど、基本“何とかなるさ”だから。ツボミがいて助かったなぁ。出し物のお化け屋敷成功したし、本当に良かった」


良くなかったよ。あの時は、お化け苦手なのにどう演出したら怖くなるのか調べて、しばらく真っ暗なところ苦手になったよ。


「ツボミはさ、いつもそうだよな。普段自信なさげで消極的なのに、いざって時に行動力すごいし、オレだけじゃなくてみんな驚いてた」


「そう……なの?」


「そうだよ。オレもツボミに驚かされた最初は……ツボミが自転車に乗れた時だったな」


懐かしむように、冬真は遠くを見つめる。


「今まで補助輪つけてきて乗っていたのに、“今度のキャンプでちゃんと自転車乗りたいから、冬真くん後ろ持っていてね!”って言って来て、オレが後ろを支えたんだっけ」


「……冬真は支えるふりして支えてなかったじゃん。てっきり支えているものだと思って運転してたら、冬真が私と並走してビックリしたと同時に派手に転んだし」


今思えば、“支えているよ!”と請け負った冬真の表情は、いつもの優しい笑顔だった。


「その後のキャンプも、2人で抜け出して月を探して池に落ちたよな! ツボミと一緒にいると、普段とのギャップに驚かされてばかりだったよ」


私はハラハラしっぱなしだったよ。


「……これからもツボミはそうなんだな、って思う」


これから、なんて言わないでよ。

知っているくせに。私が明日、引っ越すこと冬真は知っているのに。

ほら、また、そうやって優しい笑顔でこっちを見るから。


「――なんで知らないふりするの?」


気が付くと言葉が出てた。

冬真はまた優しい笑顔して、「何が?」ととぼける。


「私が明日引っ越すのしっているくせに、何で知らないふりするの?」


私が振り絞って言っても、冬真は表情を変えない。


「そうやって……いつもいつも大事な事は私に言わせて、やらせて……」


気が付いていたのに言わなかった言葉達が出て来る。


「冬真はいつだって“大丈夫!”って笑っているだけだった!」


なのに、冬真は。

ほら、またそうやって優しい笑顔を浮かべる。


「――ツボミ、それは……ツボミがもう大丈夫だから……」


言わないでよ。

大切な事、すべて私に言わせないでよ!


「もういい!!!!」


色々な感情がごちゃ混ぜの状態で、大声になって出た。


「――冬真のそういうところ……私は死ぬほど嫌いだったわ」


君の優顔は、私にとって嫌な笑顔。

私は、冬真の顔を見ないで逃げるように走った。

両目の奥から涙が溢れ、喉がカラカラに乾いても走ることを止めなかった。


そうしないと、冬真に私の弱さを見透かされる気がして。



窓から聞こえるセミの大合唱。鼓膜を揺らし続ける目覚まし時計。

いつも通りの夏の朝。

違うことを上げるなら、部屋が引っ越しの段ボールがあちこちに置かれていて、今日がこの家に別れを言う日ということ。


一階から私を呼ぶお母さんの声に適当に返事をし、顔を洗うために洗面台へ向かう。

鏡に映った私はそれはそれは酷いものだった。全体的に覇気なく、目の周りは腫れていて目は充血している。理由は探すまでもない。冬真のせいだ。


「ツボミ、引っ越し業者さんあと一時間くらいしたら来て荷物乗せるって。早く用意して、ご飯食べちゃいなさい。昼には出発するから」


「……うん」


覇気のない私の返事にお母さんは何か言いたげだったが、私は黙々と身支度を進めた。

さっさと朝ごはんを食べ、入っていなかった荷物をまとめ、業者さんが運びやすいところに段ボールを置く。身体を動かさないと、やってられなかった。

昨日の別れ間際の冬真の優しい笑顔がちらついて、何かやらないと心が落ち着かなった。


家具も置かれていない部屋を見て、少し思い出を振り返る。

ここには最初テレビを置いてて、小さい頃ここできちんと座って見てたな。テレビの壁の日焼けは、父の日に描いた似顔絵を貼っていたあと。ここはダイニングテーブルがあって、誕生日会やったなぁ。


「おめでとう」と出されるケーキ。ケーキの上には私の好きなウサギが飾りとしてあって、「ずごい! 珍しいケーキだね!」って冬真が言って……。


「……」


思い出さないにしよう。

ただ純粋に思い出に浸りたかったのに、水を差された気分になった。


「ツボミ、ご近所の挨拶回り終わったから、出発するわよ」


お母さんが呼んだので、私は振り返ることなく家を後にした。

さようなら。思い出のある家。


既にエンジンがかけられていた車の後部座席に乗り込み、重低音を響かせながら出発した。

住宅地をぬけ、大通りにつながる川沿いの道に入る。両親は前の方で話をしていたが、私は何も喋らず何も思わずに足元を見ていた。


「――ツボミ?」


お母さんに名前を呼ばれて、一気に現実に戻された。


「なに?」


「いや、さっきから喋らないからどこか具合でも悪いかと思って」


心配そうに顔を覗き込むお母さんに、首を横に振る。

「……何でもないよ。でも、ちょっと気持ちが整理できていないかもしれない」


「そうね。ツボミはずっとこの街に住んでいたから、知らず知らずのうちに悲しい気分になっているんじゃないかしら?」


今度は首を縦に振って「そうだね」と返事した。


「……あ、そう言えばさっきご近所の挨拶した時に冬真君からこれ預かったわ」


冬真。その名前にピクリと反応した。

お母さんから受け取ったのは、何の変哲のない4つ折りの白い紙だった。無意識に紙を広げる。


『昨日はごめん。ツボミを怒らせるつもりはなかった。

でも、昨日オレが言いたかったのは、“ツボミはツボミが思っている以上にできる子”だと言いたかった。

ツボミは最初の一歩が中々踏み出せないみたいだから、オレはあえてツボミを巻き込んでたんだ。

けどツボミが引っ越すことを人づてで聞いた時、もうオレがツボミの最初の一歩を踏み出すための手助けができないと分かってしまった。だから引っ越しのことは話にしなかった。ツボミが自分の力で勇気出していう一言を、聞きたかったし、見たかった。

本当にあれこれツボミを巻き込んでしまってごめん。

でもオレは、ツボミが思っている以上にツボミがすごいやつだと知ってる。

だから、ツボミ頑張れ。ありがとう』


心が震える、同時に目の奥から涙が溢れて来る。

喉が急に乾き出して、何とも言えない気持ちが嗚咽になって溢れて来る。


わざと巻き込んでるとは思わなかった。

いつもツイてない、って思ってた。

巻き込まれた事柄に、何度も諦めそうになった。

でも周りも協力してくれて、やりがいもあったし仲良くなれた。

冬真は力業だけど、いつも優しく私の背中を押していてくれてたんだ――


あの優しい嫌な笑顔の本当の意味。

“できるよ。ツボミはできる子だよ。”


次々と零れ落ちてきた涙を片手で拭う。いきなりの事に心配して覗き込んでいるお母さんの方向を見たら、バックミラーに見慣れた人物が手を振り映っていた。


冬真……?


「――お父さん、車止めて!!」


私の言った言葉に、車に急ブレーキかかる。

シートベルト外し勢いよくドアを開くと、冬真の方向に向かって走り出す。

突然の運動に息を切らしたが、目の前の冬真の顔を見た。


「……手紙を書いたのに、やっぱりツボミが心配で来たよ」


冬真は、目尻を下げながら心配交じりの表情で言う。


「でも……オレは、最後にツボミの背中を押せたかな?」


なんで、いつもいつもいつも。


「私に……っ、言わせるの……」


息を整えながら、途切れ途切れに。でもしっかり言葉にする。


「冬真……私、今から引っ越す」

「うん」

「もう、すぐには会えない場所に」

「うん」

「……ありがとう」


今まで言えなかった気持ちを。


「……今まで背中を押してくれてありがとう」


目を逸らさずにそう言えば、冬真は私の頭に手を置きゆっくりと撫でる。


「大丈夫。ツボミはもう、一人でなんだってできるよ」


そう言った冬真の表情は、優しくて嫌な予感がするあの笑顔だった。


【君の優顔は、嫌な笑顔 end 】



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