第0話
西暦20××年、日本近隣の半島に位置する南北2ヶ国が半世紀上の時を経て再び戦火を交えることとなった。
日本を含め、有力な諸外国が北国の大量破壊兵器開発の停止を図って交渉を続けていたが、仮初の停戦状態は遂に破られたのである。
韓国は、全ての国民は国防の義務を負う憲法の条文を基に、戦争に全力を傾注するための大統領令を発出した。
北朝鮮も国家総動員令を発令し、互いに総力戦の様相を呈した。
独裁的な政治体制の北朝鮮はまだしも、韓国はこれまで日本に在留する自国民の扱いを曖昧にしていた。
在日2世3世ともなれば、日本に根を下ろし、母国語が十分に話せない者もいる。
自国に呼び戻しても国として彼らの生活を保障できない故にそのままで放置したのだ。
更には、在日を半日本人と見下してさえいた。
しかし、この事態に際しては国家非常事態を理由に彼らを自国民として半ば無理やりに取り込んだ。
国籍離脱の手続きが正規になされていない者は勿論のこと、手続き済みの者であっても白紙撤回された。
南北両国は、在日自国民の血と金を欲したのである。
韓国の強引過ぎる処置に日本国内では非難の声が上がり、日本政府に在日の保護を求める意見も出たが、政府は韓国に特段の働きかけをするまでに至らなかった。
韓国を積極的に支援すれば、これまで以上に北の核の脅威に晒される。
かといって、拉致の被害を未だ清算できていない北朝鮮を支持するなど論外。
よって日本は中立の立場をとらざるを得ないため、韓国の在日に対する処遇に強く抗議することはできなかったのである。
戦争が発生した当初、隣国という立地のため、日本政府は国内在留の当該国民の暴動や国内に潜入した工作員によるゲリラ活動を最大限に警戒していたが、大きな混乱は発生しなかった。
日本は両国から両国国民が帰国するための協力を要請され、彼らの国内移動に関して一定の便宜を図った。
両国は、空路で移動する場合、航空機を誤って撃墜する可能性を強調し、空路による輸送を否定、船舶輸送を帰国のための主な移動手段としてその航路を設定した。
航路とそれに類する海域・海路は非武装・非戦闘地域、輸送船は攻撃の対象外とすることで合意を結び、日本政府に通知した。
このため、韓国の帰国民は九州の北端、福岡とその周辺に、北朝鮮の帰国民は新潟を中心として日本海側の港湾都市に集中した。
当然、一つの市でまかないきれるものではないため、近隣の市町村、あるいは移動に便の良い新幹線沿いの都市に一時的な滞在のために移動した。
順調に帰国準備が進められ、これから大規模なピストン輸送が始まろうとしていた時、思わぬ事態が発生する。
集結していた当事国民が突如武装蜂起を起こしたのだ。
東京以東の敦賀や新潟といった主要な日本海側の港湾都市でも同様の事態が発生したが、本州の武装蜂起は警察・自衛隊により比較的速やかに鎮圧された。
だが、福岡が本命でその他は陽動だったのだろう。
自衛隊の本州所在部隊は福岡以外の都市の対応に追われ、最大勢力である九州北部の鎮圧に至らなかった。
思えば開戦直後、韓国の首都が灰燼に帰さなかったのはおかしなことであった。
ニュースでは首都ソウルが攻撃を受ける様子が報道されたが、ニュースだけでは被害の詳細が分からなかったという一面もある。
しかし、明らかに全てが破壊され尽くすような状態にはならなかったのだ。
韓国の首都は国境に近く、北朝鮮が国境に部隊を展開した場合、その榴弾砲やロケット弾の射程圏内に位置する。
つまり、韓国の首都ソウルは元々開戦と同時に火の海になる運命を避けられない立地なのである。
そうならなかったのは、偵察衛星の監視を逃れ、北朝鮮が開戦前に火砲を密かに国境付近に集中できなかったからか。
否、南北の2国は裏で手を結んでいたのだ。
開戦直後の北朝鮮の砲撃では、韓国首都の主要行政府、軍関係の庁舎・施設はそれなりに被害を受け、政府要人もある程度死傷するという手の込みようである。
これが韓国の反統一派の派閥のみに被害があれば怪しまれるところであったが、統一派・反統一派に関わらず死傷したために日本の情報機関が疑念を抱くに至らなかった。
もっとも、反対派・統一派に関係なく、ある一定の派閥の排除を兼ねていたことは後に判明するのであったが……。
前述の武装蜂起と同時に、日本国内でゲリラが自衛隊の駐屯地・基地、自治体の庁舎等を襲撃した。
特に、九州の駐屯地・基地は大規模かつ組織的な襲撃を受け、陸自の火砲や装甲車、空自の航空機は大きな損害を被った。
司令部も同様の襲撃を受け、西部方面隊司令部及び隷下師団・旅団の指揮機能は麻痺、組織的な行動に大きな支障をきたすことになる。
時間が経つにつれ、事態は混迷の度を増す。
警察・自衛隊が本州の都市で起きた武装蜂起を鎮圧し、残るは九州北部のみとなったところで南北両国は突如国家統一を宣言、北朝鮮の核をもって日本を恫喝して、自衛隊が九州北部に対して計画していた他方面隊からの増援を牽制する。
更には、韓国に滞在していた邦人の帰国を妨害、自分たちの要求を日本に呑ませるための人質としたのである。
日本政府の対応が後手に次ぐ後手に陥っている間に、半島に帰国するはずだった在日による福岡市とその周辺一帯の占領がほぼ完了してしまう。
彼らは自らの手による行政組織を樹立、自治を宣言した。
半島の南北統一国家は、歴史史料など関係ないと云わんばかりのご都合主義に満ちた言説を創作し、福岡自治区を支持、庇護下におくことを宣言する。
日本政府の受けた衝撃など一瞥にすら値しないほどの驚愕に襲われたのは、福岡県知事を筆頭とする当該地域行政府と市民であった。
ある日突然、自分たちが日本という国から切り離されるというのである。
この混乱の渦中、警察・自衛隊と同等に優先して狙われたのは、メディア、行政機関であった。
福岡県庁、福岡市役所、テレビ、ラジオ等の主だった機関の施設に武器を手にした者達がなだれ込む。
抵抗した職員はその場で射殺された。
普段決して耳にすることがない銃声、人が殺される光景、辺りに漂う硝煙と血の匂い。
その場に居合わせた者は恐慌状態に陥った。
県知事は拘束され、同時に制圧されたテレビ放送局を利用して県知事からの声明が流れた。
県知事は、テレビ・ラジオを通じて呼びかけを行う。
曰く、彼らは友好的であり、余計な混乱を望んでいない。
曰く、当初は些か強引な手段をとってしまったが、平和的な解決を目指している、と。
しかし、その声明が出された後、県知事が公の場に出る機会が日を経るごとに減り、代わりに「統一朝鮮福岡自治政府」が頻繁に声明を発表するようになる。
その支配地域から脱出する者、戸惑いつつ何かが決まるまで現状維持を決める者、抗議活動をする者、反応は様々であった。
自分達の生まれ育った故郷への想いに後ろ髪を引かれながらも、脱出した者は幸せといえた。
九州北部の占領された地域の市民の長く苦渋に満ちた日々は、この時から始まったのである。
「一応」、日本政府は驚いたということにしています。