第14話(ある日の訓練風景シリーズ)
~ある日の訓練風景6 その1~
「ただ今より、第3中隊訓練検閲開始式を行います。統裁官登壇……統裁官に敬礼!」
「かしら~、中っ!」
目の前にいる連隊長に対して中隊長山沢3佐が敬礼の号令を発する。
整然と列を成した完全武装の第3中隊の面々は山沢3佐の号令に合わせ、統裁官である連隊長に対して部隊の敬礼を行う。
彼らの後ろには車両が並んでおり、その車両には偽装網やロープが取り付けられている。
ここは某演習場、第40普通科連隊第3中隊の訓練検閲が始まらんとしているところであり、その始まりの儀式である訓練検閲開始式が行われている。
場所は演習場の一角にある広場、中隊の全人員と車両が並んでもなお余裕のあるその場所には、受閲部隊と統裁部が集まっている。
「報告!」
司会のアナウンスに続いて、山沢3佐が連隊長に挙手の敬礼をする。
敬礼の後、山沢3佐は受閲準備完了の報告を行い、連隊長はそれに答礼する。
「第3中隊、人員〇〇名、車両××両、受閲準備完了!」
「連隊長訓示、指揮者のみ敬礼」
報告を終えると、司会が式を進める。
司会のアナウンスに従い、山沢3佐と連隊長は再度敬礼し合う。
それに続いて連隊長は訓示を述べ始めた。
「本日よりここ、〇○演習場において、2夜3日に渡り「陣地攻撃における普通科中隊の行動」を課目として第3中隊の中隊訓練検閲を実施する。本検閲の目的は、第3中隊の任務遂行能力を検するものである。日頃の訓練成果を十二分に発揮し、任務完遂にまい進してもらいたい。本検閲を行うにあたり、統裁官として任務完遂の飽くなき追求、基本基礎の徹底、安全管理の3点を要望する。1点目の任務完遂の飽くなき追及であるが……」
受閲する第3中隊の全隊員は訓示を行う連隊長に顔を向ける。
このような訓示の場では、お作法として総員が訓示をする者に対して注目することになっている。
一部の隊員、中隊に配属されて日の浅い陸士、は連隊長を注視しているとはいえ、訓示の内容を十全に理解できるとは言い難いが、それは致し方ないことだろう。
「……2点目の基本基礎の徹底は、言うまでもなく、任務達成の礎となるものである。すべきことを確実に行うことが個人及び部隊の力の最大限発揮に繋がり、不要な事故を防止し、損耗を局限することができる。基本基礎が重要であることは諸官が十分認識していることと思うが、その一方で、完璧にすることが難しいものでもある。個人から部隊まで、各段階に渡って基本基礎を徹底できるよう努めてもらいたい。3点目の安全管理であるが、訓練でどんなに良い成果を得ようとも、事故が発生してはその成果も水泡に帰してしまう。これは、基本基礎の徹底と関連性が深く、安全管理即ち基本基礎の確行ともいえる。各級指揮官は適時適切に指揮下部隊を指導し、無用な事故の防止に努めてもらいたい。また、隊員個人においても、訓練全般に渡り自身の身の安全確保に留意し、危険を察知したならば速やかに報告・周知する等、安全には十分注意してもらいたい。以上、統裁官として任務完遂の飽くなき追求、基本基礎の徹底、安全管理の3点を要望したが、中隊長山沢3佐を核心として第3中隊が一丸となって任務を達成することを期待し訓示とする」
「部隊気をつけ!」
「気をつけー!」
「統裁官に敬礼!」
「かしらー、中っ!」
「以上をもちまして、第3中隊訓練検閲開始式を終了します。連隊長降壇」
連隊長の訓示が終わると、間髪入れず司会のアナウンスが続き、それに合わせて山沢3佐も号令を発する。
開始式終了の敬礼が済むと、連隊長は壇から降り、降りた位置から全体を見渡せる位置へと移動した。
「引き続き、隊容検査を実施します。各補助官は所定の位置についてください」
開始式に続き隊容検査、部隊の受閲準備状況を確認する検査にそのまま移行する。
開始式では第3中隊の右側に並んでいた数名の隊員が第3中隊の前へと進んで行く。
赤い肩章を着けた補助官と呼ばれる隊員は、各々が担当する小隊の傍に立ち、司会の進行を待った。
彼ら補助官の1人に瀧澤3尉はいた。
彼は小倉に比較的近い大村の第16普通科連隊から補助官として支援に来たC幹部である。
訓練検閲や規模の大きい演習となると人手が足りなくなるため、近傍の部隊間でこうして人員の支援をし合うことがままある。
人員不足の昨今では、近傍どころか師団・旅団をまたいで支援をすることすらある。
瀧澤3尉が担当する小隊は第3中隊第2小隊、陸曹小隊長の小銃小隊だ。
彼らは皆一様にチェストリグと呼ばれる私物の装具を使用している。
官品を使っている隊員も僅かながらいるが、通常の弾帯・サスペンダーの装着方法をしていない。
チェストリグに似せて、エプロンのように装具を身体の正面、胸付近にまとめている。
また、全隊員が透明なレンズのサングラスをかけている、もしくはゴーグルを鉄帽に引っ掛けている点も目に付いた。
ゴーグルにはレンズの保護のためか、布カバーを被せている。
瀧澤3尉自身はというと、弾帯にポーチを2、3個取り付けて、筆記具等の小物、GPS、双眼鏡を携行している。
これまでずっと使い続けてきた装具の形だ。
特に不便を感じたことはないし、何か疑問を抱くものでもない。
自分の連隊でもチェストリグを使う隊員はいるが、少数派である。
だからこそ、弾帯・サスペンダーの組み合わせを使い続けている彼の目にはその光景が異様に映った。
(珍しいな。なんだって私物ばっかりなんだ……?)
「状況……ガス!」
瀧澤3尉が違和感に包まれているところで、司会が状況を付与する。
司会が「ガス!」と状況を付与すると、受閲部隊の隊員は中隊長以下一斉に鉄帽を脱ぐ。
「1、2、3、4……」
司会が秒数を数える中、隊員らは脇腹付近に吊り下げている防護マスクを入れている袋から防護マスクを取り出し、防護マスクを被る。
防護マスクを顔に密着させてから吸収缶の付け根に手をあてて強く息を吐き出して、最後に密閉状態を点検……防護マスクを取り出してから装着完了まで8秒間。
中隊のほぼ全員が規定の時間内に装着を完了した。
ほんの一部、1、2人が失敗してしまう。
事前に練成しているとはいえ、やはり完璧は難しいものである。
担当の小隊内に失敗した人員がいたことを発見した補助官は、その様子を見てメモを取る。
隊容検査における恒例と言えるこの「状況ガス」で、防護マスクを装着する光景を見ていた瀧澤3尉は、ふと第2小隊のあることに気付く。
装具もそうだったが、鉄帽のあご紐と鉄帽の中のハンモックストラップが官品ではないのだ。
あご紐を暗視眼鏡に対応したものに換えることはあるが、それは官品があるため、あご紐をわざわざ自腹を切ってまで私物にすることはまずない。
だが彼らは私物と思われるあご紐に換えており、鉄帽の中はパッドが敷き詰められている……それも小隊全員が、だ。
不思議に思って他の小銃小隊、第1小隊、第3小隊を見ると、彼らも同じあご紐を使っている。
自分と他小隊の位置関係上、鉄帽の中を見ることはできないが、同じようにパッドを敷き詰めていると思われた。
その他に共通することといえば、小銃小隊が全員暗視眼鏡を取り付けるためのアタッチメントを装着していることだが、これは小銃小隊では当たり前のことであり珍しくもない。
(なんだ、あれ?鉄帽の部品も私物で統制?そこまでするか?)
私物を使うにしても、揃いも揃って同じものを使っていることに、瀧澤3尉は内心首を傾げる。
チェストリグやポーチといった私物の装具を使用するのはまだ分かる。
だが鉄帽の部品まで私物、しかも統制するように揃えているのは単純な「珍しい」を超えている。
何故そこまでしているのか、その意味が瀧澤3尉には分からなかった。
「ガスなし」
司会が防護マスクの装着点検を終えたところで、有毒ガスが存在しないことを告げる。
すると、中隊本部に並んでいた隊員が中隊長の下に駆け寄ってくる。
彼は防護マスクを外し、深呼吸をしてしばらく時間をおいた。
「ガスなし」
本当に有毒ガスがないかの「人体実験」をして、有毒ガスがないようだということにする。
それを彼は中隊長に報告をした。
わざとらしい寸劇にも見えるが、これも本当に起きたことならば、やるべきことの1つである。
地下鉄サリン事件においても、除染作業後に1人が防護マスクを外して呼気点検をしている。
その場にいる誰が防護マスクを外すべきか、は議論の分かれるところだ。
ちなみに、地下鉄サリン事件では、自衛隊の現場指揮官がマスクを外している。
「ガスなし!防護マスク外せ!」
山沢3佐はいつもより声を大きくして指示する。
それでも防護マスクを被っているため、声がくぐもって通りにくい。
声が聞こえた前列の隊員は防護マスクを外していき、後ろに並んでいた隊員は前列の動きを見てそれに倣った。
「休め、背のう下ろせ」
山沢3佐は隊員が防護マスクをしまい終わったのを確認して、次の指示を出す。
それに従い、隊員たちは自分が背負っていた背のうを地面に下ろす。
小銃を装備している隊員は、小銃を持ったまま、機関銃や対戦車火器を持つ隊員は火器も地面に置いた。
隊員が背のうを下ろし終えたところで、瀧澤3尉は貝沢曹長へ歩み寄る。
「中隊の任務は?」
「連隊の右第一線となりA道沿いに攻撃、第一線目標であるB高地一帯を奪取です」
「小隊の任務は?」
「当初中隊主力として作戦地域へ前進、じ後中隊の右第一線となり攻撃、B高地の一部であるC台を奪取です」
小隊長と補助官との問答が他の小隊でも同じように繰り広げられる。
中隊長はというと、中隊長補助官から小隊長よりも一段上の、中隊の任務や連隊全体の状況認識を問われている。
「背のうの入れ組品の点検を行う。各分隊1名指名し、背のうの中身を出せ」
「分隊長、1名指名して背のうを解梱」
試問を終えた瀧澤3尉は、装備の点検をするために背のうの中身を取り出すように指示をする。
小隊長から分隊長へと指示が伝わり、分隊長から指名された隊員は背のうの中身を取り出す。
隊員は、糧食、着替えの衣類、火器の手入れ道具、雨衣、小物類といった入れ組品が見やすいように並べられていく。
入れ組品はそれぞれ使用用途別に防水用のビニル袋や圧縮袋に入れてある。
背のう(バックパック)、雑のう、マガジンポーチといった陸自の装具は防水性どころか撥水性すら無い。
取り出したらすぐに使う雨衣は別として、防水処置は必須となる。
樹脂繊維に防水性が無いのはコーデュラナイロンであっても同じことだが、ポリエステル繊維であるため耐久性も低い。
登山をするような隊員などは官品背のうの質の悪さに辟易しているが、流石にチェストリグといった装具のように大型バックパックまで私物を持ち出す隊員は稀だ。
それでも、市井の登山用バックパックに近い形になった分まだましである。
上級陸曹のような旧背のうを知っている者にとっては、ちゃんと進歩したと言えるくらいだ。
補助官は隊員が広げた背のう入れ組品を見て、足りないものがないか点検していく。
指名を受けたのは若い陸士ではあるが、新隊員教育でもやっていることであり、携行品に漏れはない。
補助官はそれを見るが、特に何かを指摘することなく終える。
点検を終えた隊員は、分隊長の指示でパッキングし直していく。
「そうだ、荷物を詰める順番間違えるなよ。軽いものは下、重いものは上だったな。それと、ストラップは一度緩めて、最後に調整するようにしっかり締めるんだ」
補助官が見回る場所以外の場所は多少話をする隙があるので、陸士の隣にいた陸曹がパッキングの指導をする。
この陸士は、持ち物をしっかりと揃えることは新隊員教育を通して出来るようになっているが、荷造り(パッキング)の技術はまだ十分ではない。
陸曹の指導を受けつつ背のうを整えた陸士は、立ち上がって休めの姿勢をとる。
「車両の点検に移ります」
人員の装備を点検した補助官は、小隊長である貝沢曹長と会場後方に並べてある車両へ向かう。
偽装をすぐに出来るように準備しているか、車両積載品は必要なものが揃っているか、遮光処置をしているか、といった車両の準備が整っているか瀧澤3尉は小隊の車両を点検していく。
と、そこで瀧澤3尉は変なものを見つける。
樹脂製の板を丸めて棒状にし、それを縛っている物体だ。
すぐに取り出せるように、車両後部ドアのすぐ脇に積んでいる。
「これは何ですか?」
「担架です」
貝沢曹長が淀みなく返答する。
「担架?これが?」
「ええ、手作りですが」
「はあ……」
担架といえば2本の棒の間に布が張ってあるという、直棒式担架しか思い浮かばない瀧澤3尉にとって、この丸められた板をどう担架にするのか皆目見当がつかない。
よく分からないが救護の準備をしているんだな、とそれ以上考えるのは止めた瀧澤3尉は、講評のネタにしようかとメモを取った。
車両の点検についても特に問題となる点はなく、第2小隊は瀧澤3尉による点検を終える。
中隊本部は多少時間がかかっているようであるが、他の小隊も第2小隊と同じくらいの時間で点検を終えていった。
各小隊にいた補助官は小隊の点検を終えると、整列する小隊の右端に位置して次の指示を待つ。
「時刻規正を実施します。現在時1553、40、41、42……1555で規正を行います」
司会の者が時計を見ながらアナウンスをする。
第3中隊の面々は、そのアナウンスに合わせて自分の腕時計を見るが、時計を操作する隊員はほぼいない。
電波時計は当たり前のように普及しており、今では時刻規正の必要性は低下しているのが実情だ。
時刻規正は半分儀式と化している。
某Gのタフネスな時計を愛用する自衛官は多い。
「1554、55、56、57、58、59、今。1555時刻規正終わり。以上で隊容検査を終了します。運用訓練幹部は司会の位置まで来るようお願いします。部隊はじ後の行動にかかってください」
司会に呼ばれた運用訓練幹部深瀬2尉は司会の方へ小走りで向かっていく。
中隊主力は、小隊ごと車両の周辺に集まり、次の行動の準備に移っていた。
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「ハコ、広多無の方は頼むぞ」
そう言って貝沢曹長は自分用に背負子を外した携帯無線機1号、通称70(ナナマル)を私物バックパックに入れる。
官品の背負子で無線機を携行していては、自分が使う装備品を満足に持ち運べないためだ。
私物バックパックには70と当面使う装備品を入れて、それ以外は官品背のうに入れたままにし、官品背のうを車両に積載する。
私物バックパックは官品背のうよりやや小さいながらも、しっかりとしたウエストベルトがついており、背負い心地がよさそうなものだ。
官品の背のうは質が悪いため、ウエストベルトによる荷重分散性能が民生品に劣る。
「分かりました。しっかし、広多無の有線は邪魔くさいなあ」
箱崎士長も広域多目的無線機携帯用Ⅰ型を同じように背負子から切り離して私物バックパックに詰め直す。
広多無は70と違ってコード類が多いため、70よりも手間がかかる。
「そういえば、この前の業務改善聞いたか?」
「業務改善ですか?」
「ああ、背のうを無線機対応に改造する改善案のことだ」
「あ、結果が上からおりてきたんですか?」
「背のうは無線機を入れるためのものではないため却下、だそうだ」
「えー……」
箱崎士長はその結果に落胆の声を上げる。
上からの回答に納得できないという表情をあからさまにし、隠しもしない。
「上は第一線の戦闘部隊がどう無線機を使うのか理解してくれないようだな」
「業務改善って、意見を出せ出せ言うわりに、あんまり引き上げてくれないですよね」
「まあ、な」
「大体、無線機を背負子で背負ったら、個人の装備をどうしろっていうんですか。現場を見なさすぎです」
「……お前のいうことはもっともだよ」
貝沢曹長はため息を漏らしながら箱崎士長の意見を肯定する。
陸士であっても、目先が利く隊員はいる。
陸曹陸士に大卒がいるご時勢だ。
本当に戦えるようになるにはどうすればいいか、自分なりに考えた意見を持っており、柔軟な考えができる者もいる。
箱崎士長はそういう陸士の1人だ。
「救急品なんかもそうですよ」
「これがあるといいって意見上げても、なしのつぶてですからねえ」
分隊長である船橋2曹、東野2曹も会話に加わってくる。
「ないことを嘆いても仕方ない。とりあえずは、目の前の検閲だぞ」
「へい」
「うちはいつでも移動できます」
「同じく」
「導通点検終わりです」
「分かった。じゃあ中隊本部へ行って来るから、そのまま待機してくれ」
「「「了解」」」
小隊内での雑談をほどよいところで切り上げ、貝沢曹長は命令受領のため中隊本部へと向かった。




