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第8話(ある日の訓練風景シリーズ)

ここまでで外傷救護の基礎は終了となります。

~ある日の訓練風景3~


 今回の救護訓練も座学が中心だ。

悪いことに昼食はカレー、若い隊員はご飯を大盛りにする者が多い。

国民的人気食であるカレーは陸自においても万人受けする人気メニューである一方、睡眠薬にもなるという厄介な代物である。

貝沢はせめてもの対抗措置として、コーヒーを用意して、自由に飲んでいいようにしている。

訓練開始時間が近づくにつれ、続々と隊員が部屋に入ってきた。


「そこのコーヒーは自由に飲んでいいぞ。寝ないでくれよ」


 威圧的にではなく、あくまで軽い調子で声を掛ける。

本人は微笑を浮かべたつもりであるが、やはり貝沢曹長の強面には「ニヤリ」という擬音語がふさわしく、貝沢曹長の人柄を知らない者からすれば脅しているように見えたであろう。

ここは海上自衛隊ではないが、5分前には全員が集まった。

折角なので、貝沢曹長は用意したコーヒーを全員に配った。

堅苦しい学校教育ではないので、コーヒーを飲みながらでもいいと雑談交じりに説明する。


「よし、では始めようか。今日は傷病者の観察手法とトリアージについてだ。おっと、その前に爆傷について触れておこう。高橋が好きな爆発のことだな。爆傷はプライマリー(Primary)からクワイナリー(Quinary)までの5つがある。プライマリーは衝撃波、セカンダリー(Secondary)は破片による負傷、ターシャリー(Tertiary)は吹き飛ばされたことに起因する負傷、クォタナリー(Quaternary)は熱傷、クワイナリーは汚染だ。爆発、即ち火薬の燃焼は速度によって爆燃と爆轟に分かれるが、軍事においては爆発といえば爆轟だ。つまり衝撃波の影響を常に考慮しなければならない。爆燃の場合、衝撃波は発生しないのでプライマリーを考えなくていい」


 キュッキュッ、といつものホワイトボードマーカーで簡単な絵を描き、貝沢曹長は説明を続ける。

高橋3曹はレンジャー課程における爆発物取り扱いの教育訓練を切掛けに爆発に魅力を見出した隊員だ。

更には、レンジャー修了後に独学で危険物取り扱い免許を全て取得している。

「芸術は爆発だ」とのたもうた芸術家とは話は違うが、今この時も貝沢の話を心なしか楽しそうに聞いている。


「一つの事例をもって説明してみよう。装甲車両が対戦車火器で撃たれ、装甲が貫徹された場合、中の乗員がどうなるかだな。まず弾頭が命中して炸薬が燃焼する際に衝撃波が発生する。装甲を貫くので、衝撃波が入ってくるな。これがプライマリー。ジェット噴流で溶解した装甲とは別に、爆発の衝撃で破片も飛び散る。セカンダリーだな。車体が揺れるとか、爆発の爆風で車内を転げ回って負傷、ターシャリーだ。車内には、高温のジェット噴流が吹き込んでくるから、体表面に熱傷を負うのはもちろん、高温の空気を吸い込んで気道も熱傷を負う可能性がある。クォタナリー。炸薬の燃焼や装甲材が融解によって有毒ガスが発生すればクワイナリーだ。よって、この事例においては、爆傷の全てが発生し得る」


 対戦車火器の弾頭は単純な爆弾ではない。

弾頭に詰まった炸薬は、すり鉢状に成型されており、すり鉢状に成型された部分に内張りの金属がある。

この成型炸薬が爆発(燃焼)すると、すり鉢の中心軸に融けた金属のジェット噴流が発生し(モンローノイマン効果)、装甲を融かし貫くのだ。

建物に撃ち込んでも、建物が派手に吹き飛ぶとか、壁に弾頭口径以上の大穴が開く、といったことにはならない。


「5つの爆傷のうち、厄介なのはプライマリーだ。なぜならば、目に見えないからだな。衝撃波が身体を貫き、肺、脳、消化器官に損傷を与える。この内、緊急性が高いのは肺の損傷だ。爆傷肺と言われるそれは、メディック以上の処置を速やかに受けなければならない。長期的な観察が必要なのはプライマリーとクワイナリーだ。プライマリーの一例は、脳に何らかの損傷を受け、性格が変わってしまうといったことがある。クワイナリーは、生物剤を使われたら同定(それが何であるか特定すること)に時間がかかってしまう。セカンダリーからクォタナリーまでは比較的評価しやすい。この後話す傷病者の評価方法とも関係するが、爆傷においてはこの5つをしっかりと頭に入れた上で傷病者を評価しなければならない。ここまでで何か疑問や質問はあるか?じゃあ、少し背伸びをしようか。手を組んで上に伸ばして」


 貝沢曹長は一度話を区切って疑問・質問がないか確認し、少し体をほぐさせる。

座学中心の時間はどうしても集中力が途切れやすいので、体を動かしたり、能動的に考えさせる間を持たせるように配慮する。


「よし、では次に傷病者の評価要領に入っていくぞ。初めは意識レベルの評価だ。これについては、AVPU法を用いる。Aは周囲に意識を向けることができる状態、Vは呼びかけに反応する状態、Pは痛みに反応する状態、Uは反応なしだ。この方法のいいところは、速やかに判別することができることと、国際的に用いられている意識レベルの評価方法、グラスゴーコーマスケール(Glasgow Coma Scale)とほぼ一致することだ。グラスゴーコーマスケールの話は複雑になるので、ここでは割愛する。国際的に使用されている意識レベルの評価方法と整合が取れていると認識してくれればそれでいい」


 意識レベルの評価方法には、JCS(Japan Coma Scale)もあるが、これは日本でしか通用しない。例えば、外国人の治療で本国の医師に引き継ぐ場合、JCSで説明しても理解してくれない。

こうした国際化も日本が遅れている部分だ。


「AVPUの4段階のうち、PとUは区別しない。PもUもその傷病者が危ないことに変わりはないので、分ける意味がないということだ。つまり、A、V、P or Uの3つに分ける。複数の傷病者がいる場合、最初に助けるべきなのはどれだ?」

「P or Uの傷病者です」

「そうだな。A、Vは反応があるので、P or Uに比べたら、まだ状態が良いと言える。で、この区別は2つに分けることを繰り返す。AなのかV以下なのか、次にVなのかP or Uなのか。単純に2つに分けることを繰り返した方が簡単だ。戦いの原則にもある簡明ってやつだな」


 人間の能力が否応なく低下する「本番」において、人間は複雑なことができない。

単純であることは、非常に重要である。


「さて、このAVPUを踏まえて傷病者の評価方法にいくぞ。まずはシーンサイズアップ(Scene Size Up)、状況の把握だ。自己の感染予防処置をして、傷病者の人数、受傷の原因、装備や隊力の必要性、現場の危険度、これらの把握を行う。ここでは、直面した状況が自分、あるいは部隊で対処可能かどうかってところを判断する必要があるな」


 貝沢曹長はフローチャートを描き、解説しながらフローチャートに必要なことを書き加えていく。


「続いて、イニシャルアセスメント(Initial Assessment)、生理学的評価だ。傷病者の全般的な印象、意識レベル、気道、呼吸、循環を診る。意識レベルはさっきのAVPUを用いる。受傷の原因に応じて、ここから分岐するぞ」


 貝沢曹長はフローチャートの続きを2に分けて、それぞれに名称を書いていく。


「受傷原因が明らかで局所的な場合、フォーカスドイグザム(Focused Exam)として重点的にその部分の処置にあたる。例えば四肢の銃創とかだな。受傷原因が不明な場合、あるいは全身的な場合はラピッドトラウマサーベイ(Rapid Trauma Survey)で全身を観察する。いずれも長く時間をかけている余裕はないので、急ぐ必要があるぞ。ではラピッドトラウマサーベイの要領を展示する。欣哉、ここに寝てくれ」


 貝沢曹長は佐藤3曹を呼び、皆の前に寝かせる。

そして、頭部と頸部を触りながら説明する。


「まずは頭部と頸部。著名な戦傷はあるか、頸静脈の怒張はあるか、気管偏移はあるか」


 次に胸部に触れながら説明を続ける。


「胸郭左右差、奇異呼吸はあるか。打撲痕、穿通性外傷はあるか。圧痛、動揺、礫音はあるか。胸を左右に分けた方がいいな。呼吸音を確認できる場合は左右差があるか、あれば打診を行う。ただ、呼吸音の確認は聴診器がないと診られないだろうな。戦闘中であればなおさらだ」


 腹部については、指先で押すようにしながら確認していく。


「打撲痕、穿通性外傷、臓器の脱出があるか。圧痛、筋緊張、膨隆があるか。腹部を4分割すれば診やすい」


 腹部を見た後は四肢に移る。


「圧痛、動揺、礫音があるか。変形はあるか。四肢の指先では神経損傷の有無を確認する」


 四肢を診た後、貝沢は佐藤を横に90度起こし、背中を見えるようにする。


「最後に背面、臀部だ。変形、打撲痕、擦過創、穿通性外傷、熱傷、裂創、膨脹、圧痛、動揺、礫音はあるか。英語ではまとめてDECAP-BLS、TICという。ただし、服を脱がせてみないと確認できない創傷もあることに留意してくれ。盲目的な「型」にはまらないこと。関、紙配ってくれ」

「はい」


 貝沢曹長は関2曹に指示をして、全身観察の要領をまとめた資料を配布する。


「では、今のを区切らずに一度やってみるぞ。(頭部と頸部に手を当てながら)頭部・頸部の外傷なし。頸静脈の怒張、気管偏移なし。(胸部上部に触れて)皮下気腫なし。(胸部に触れながら)胸郭左右差、奇異呼吸なし。打撲痕、穿通性外傷なし。(左胸を触りながら)圧痛、動揺、礫音なし。(右胸を触りながら)圧痛、動揺、礫音なし。腹部に打撲痕、穿通性外傷、臓器の脱出なし。(腹部を指先で4分割に押しながら)圧痛、緊張、膨隆なし。圧痛、緊張、膨隆なし。圧痛、緊張、膨隆なし。圧痛、緊張、膨隆なし。(大腿部を片方ずつ触りながら)圧痛、動揺、礫音なし。圧痛、動揺、礫音なし。(膝より下を両方同時に触りながら)圧痛、動揺、礫音なし。(足先を掴んで)触った感触がわかるか?神経の損傷なし。(両腕を同時に触りながら)圧痛、動揺、礫音なし。(指先を掴んで)触った感触がわかるか?神経の損傷なし。(横に90度起こし、背中を見えるようして)変形、膨脹、TICなし」


 貝沢曹長は一連の観察を素早く、かつ漏れなく行ってみせる。

今日初めて見た隊員は、貝沢曹長の展示の速さについていけていない。

だが、それは貝沢曹長も承知の上だ。


「さて、今のを少し練習してみよう。配った資料を見ながら、ゆっくりとでいいからやってみてくれ。練習だから声に出しながらやってみると頭に入りやすいぞ。船橋、東野、関は巡回指導だ。では組ごと実施」


 2人1組を作って、資料を片手に演練する隊員たち。

当然ながら、動作はぎこちない。

診るべき項目が多いのでそれなりの練習量が必要だ。

貝沢は様子を見て、隊員たちが交代しつつ何度か繰り返したところで、一度中断させる。


「よし、一旦止め。流石にこの短時間では厳しい。これも継続的に演練していくからな。座学の態勢に戻ってくれ。次にトリアージの話に移っていこう」


 貝沢曹長は、また別のフローチャートを描いていく。


「トリアージは大量傷病者発生に際して、限られた人的資源、物的資源を有効活用して、最大多数の最大限救命を図るためのものだ。世界的には、SALT式トリアージが用いられている。SALT式トリアージの利点は、成人、小児区別なく適用できること、数値を覚える必要がないことが挙げられる。実際に使用されて成果を出している点も注目すべきだろう。バトルプルーフってやつだな」


 米国では、20種類を超えるトリアージの手法が2010年にSALT式に統一された。

米国で全国的に何かが統一されるというのは異例なことであるが、大量傷病者の最大多数・最大限救命にそれだけ有効と判断されたのであろう。

日本においては未だにSTART式トリアージが主流で、2018年の集団災害医学会でSTART式の検証発表があったくらいである。

ちなみに、海外においては、START式は検証研究で成功率が50%に満たないことが判明し、廃れている。

東日本大震災、福知山線脱線事故、秋葉原連続殺傷事件等、大量傷病者発生事態への対応について、日本は海外から厳しい評価をされている。

だが、トリアージの方式1つとっても、日本は何も改革が進んでいないのが実情だ。


「2段階を踏んで行うこともSALT式の特徴だ。1段階目では、傷病者を3つに分ける。歩行できる者、手を振るもしくは目的のある動作をできる者、最後は動かない者。この3区分で分けた上で優先順位を決定するが、優先すべきは当然?」

「動かない人です」

「そうだな。そしてAVPUの意識レベルを確認する。続いて2段階目だ。最初に最小限の救命処置をする。大出血の制御、気道確保、小児に対しては人工呼吸を2回、胸腔減圧、自動注射器による解毒の4つだ。解毒まで入れているのは流石と言うべきだな。そしてここからトリアージだ。呼吸の有無、ここで呼吸がなければ黒。呼吸があれば、次の4点を確認する」


 貝沢曹長は予め書いておいたフローチャートに項目を書き込んでいく。

・指示に従うか、目的のある動作を行えるか?

・末梢の脈拍を触知できるか?

・呼吸困難はないか?

・大量出血は制御されたか?


「全てがYesであれば、続いて「軽度の損傷のみか」で判別する。Yesであれば緑、Noであれば黄だ。さっきの4項目に1つでもNoがあれば、「現場の医療資源で延命可能か」という判別をする。Yesであれば赤、Noであれば灰だ。それぞれの色の意味はこのようになる」


 貝沢曹長はフローチャートの脇に色の意味を書き加える。

緑(MINIMAL):軽処置群

黄(DELAYED):非緊急治療群

赤(IMMEDIATE):緊急治療群

灰(EXPECTANT):期待治療群

黒(DEAD):救命困難、死亡


「緑はセルフエイド(Self Aid)、バディーエイド(Buddy Aid)で対処となる。自分たちでやるということだな。黄と赤がメディックの介入対象だ。灰は医療資源が十分あれば救命可能であるが、現状では救命できないという対象だ。黒は説明するまでもないな。ここまではいいか?」


 貝沢曹長は隊員らの反応を見て、別のフローチャートを書く。


「今説明したのが、通常のトリアージだ。綺麗にまとめたのは配布資料を見てくれ。これができれば望ましいが、戦闘中に同じように実施するのは困難だ。そこで、戦闘行動におけるトリアージのフローチャートはこっちになる。大分違うだろう?」


 貝沢曹長の書いたフローチャートは先ほどまでのSALT式トリアージとは異なるフローチャートである。

戦闘中に第一線の隊員ができること、戦闘が優先されることを踏まえると、SALT式をそのまま適用はできない。

実戦を通して作り上げられたそれは、TCCCとも関係が深い。

TCCCとは、Tactical Combat Casualty Careの略であるが、「戦術的戦闘傷病者救護」という直接的な翻訳は誤りである。

その本質が何であるか理解している自衛官は少ない。


「複数の傷病者が発生した場合、AVPU法による分類か、このトリアージを用いる。まあ、見ての通りAVPU法の方が簡単だから、最初はAVPU法による分類をして、ある程度安全が確保されてからトリアージとなるだろう。これもさっきと同様、流石に今すぐに覚えきれないだろうから、今後の訓練に入れていく。さっきの傷病者の観察と合わせてラミネート加工したあんちょこを作るからそれを見ながらでいい。さて、今日の内容までが最低限の救護に必要な知識、技能だ。まだまだ頭の整理ができていないだろうし、手技も習得しきれていないだろう。これからの実働訓練に救護の要素を取り入れていくから、戦闘行動と合わせてできるようになってくれ。忘れたことがあれば、いつでも聞いてくれていいからな?」

「「「はいっ」」」

「よし、では撤収開始」

 

 外傷救護について、ようやくスタートラインに立った若い隊員たち。

これから実際の行動で習ったことができるようになるか、それが自分や同僚の命を左右する。

貝沢曹長ら指導者の立場にある陸曹は、彼らを早く一人前にするための考えを巡らせるのであった。

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