ぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだ
疲れると文章がひどくなる。「~である」「~なのだ」という言い回しばかりを使ってしまうし、また、短い区切りの短文を並べるという方法で書き切ろうともしてしまう。その結果として、深い雪に一歩ずつ足を沈めて歩くような、非常にイライラする悪文が出来上がってしまう。今も若干そうなっている。自分でも読んでいて気持ち悪くなるのだが、どうすれば良いか分からないし、そもそも文章の書き方を知らない。
文章を書くたびに、みじめな思いが胸に募る。日本語すら正しく扱えない。情けなくなる。自分の文章が気持ち悪い。短く切るこの癖を直したい。そんなことを書いているのに、その文章は今まさに、現在進行形で短く区切られている。みじめになるし指が震える。
日本語すら使えないのなら僕にはもう何もできない。僕は負け犬だ。長い文章を書けないのだ。もっと軽快に日本語を扱いたい。頭の左右がピリピリする。足がずっと震えている。僕の爪は今日も長い。僕は無能だし不潔だ。価値の無い役立たずだ。
この前押し入れを漁っていたら古い型の携帯ゲーム機が出てきた。パワーボタンを押してみるとそのままゲームが起動した。10年くらい放置してたのに、充電はまだ残っていたのだ。その10年間、僕は一体何をしていたのか? みじめに逃げて、生きることを保留して、飯を食い寝るだけの、意味の無い毎日だった。僕はもう終わりだ。この部屋は刑務所だったのだ。刑務官は僕自身で、罪状は僕であること。今日も僕はおまんまを食らう。もっとまともな人生が良かった。僕にはもう何もない。この人生は袋のネズミだ。
家具屋をたずねて回るのが好きだ。買いはしないので、店からすると僕はゴミだ。もし一人暮らしするのなら、間取りを決めて、そこにこれをどう収めるか、なんてことを見て考えてる。その時間は僕にとって数少ない癒しのそれだった。しかし、こういった店には若いカップルや、子連れのやつらがよく来るのだ。彼らと僕は違う人間だ。唯一の共通点は同じホモサピエンスであるということくらいだ。あとは分かるだろう? 僕はすぐ駅に引き返すのだ。生まれてきてごめんなさい。死んでなくてごめんなさい。去来するのは敗北感、みじめな思い、罪悪感。いっちょ前に僕はマフラーを巻いていた。
スマホなんかを取り出すと、まるで僕も人間みたいだ。電車の中ではずっとそうしてる。人のふりをしてやり過ごしてる。そうなのだ、人間はスマホをするのだ。僕は一つ賢くなった。けれど僕のズボンは太い。ガキみたいにぶかぶかだ。お世辞にも洒落てるとは言えない。結局僕の目は泳いだ。サラリーマンが一つ大きく咳払いをした。
スマホは何年も使っているが今もけっこう綺麗なままだ。ゴムのカバーは汚いが本体には傷一つない。僕はまたみじめになった。働いてもいないのにスマホばかりがこんなに綺麗で、頭隠して尻隠さずとでも言うのだろうか。たしかに僕は、スマホに限らず物の扱いが丁寧な方だ。働いてもいないのに、そういう所はちゃんとしてる。働いてもいないのに。
スマホなんていくつ壊しても、ちゃんと働いてる人間の方が偉いに決まってる。そうに決まっているのだ。くだらないことばかりだ。僕の人生はつまり、鉛筆削りと同じなんだ。絵を描く前の準備行為、それをずっと繰り返してる。二十何年もの間、命をかけてそれをしてきた。そしてこれからも、ずっとこの鉛筆削りは続くのだ。死ぬまで削り続けるのだ。人生という名の鉛筆を。なにも描かぬまま。永遠に、死ぬまで、暗黒の未来に向けて。