痛みの証明
ひたすら痛みに耐えようと必死になっていると、僕はいつの間にかダンゴムシのように丸まって、木とベンチだけがある東原公園の地べたに寝転がっていた。空はオレンジに染められていて、入口脇にある街灯は、アスファルトを白で包んでいる。あいつらの姿はもう、ない。
帰らなきゃ、と体を広げて立ち上がろうとすると、ふくらはぎと腕のあたりがチクリと痛んだ。
「ああそうだ。また失敗したんだっけ」
痛みに負けた僕は再びダンゴムシに戻って目を閉じた。
一週間前ほど前、誕生日プレゼントでエアガンを買ってもらったという齋藤は、それから毎日、友人の佐々木と鎌田を引き連れて、この人気の少ない東原公園で、僕にBB弾を浴びせるようになった。本人曰く僕の反応が面白いのと、引き金を引く動作がたまらないらしい。
あいつらと僕は、小学一年生の時から小学五年生の今まで、ずっと一緒に遊んでいた。というか、遊ばれていた。そうするしかなかったから。齋藤たちは僕に関わらず、学校中で威張り散らし、とことん周りを威圧していた。先生のことを怒られるギリギリまでおちょくったり、誰彼構わず笑い者にしたりと、とにかく好き勝手やっていた。それにつきまとわれた僕は、当然ながら、他の人のところへ行くことなんてできない。例え、おもちゃにされようと、いつ暴力を振るわれるかわからない緊張状態が続こうと、僕は絶対に逃げることができなかった。でも、さすがにもう、限界だ。痛みに耐えるのも、あいつらと一緒にいるのも。だから、僕は考えた。あいつらにやめてもらう方法を。あいつらから離れられる方法を。
足りない頭で必死に考えた結果、僕は、あいつらにエアガンで撃たれることの痛みをわかってもらうことが一番の方法だと考えた。こんなにも痛いBB弾を、ティッシュを摘むような感覚で簡単に発射してしまうのは、きっとこの痛みを知らないからなのだ。
そう結論づけてから、痛みをわかってもらうための戦いが始まった。とにかく叫ぶ。転がりまわって痛がる、うずくまって泣いたふりをする、と言ったように、とにかく痛みを証明できる方法を思いつく限りを実行した。
しかし、どれもあいつらには届かなかった。結局、痛いのは僕だけで、あいつらにはなにも伝わらないまま。
一体どうすれば、あいつらにこの痛みを証明できるのだろう。というか痛みの証明なんて本当に可能なのだろうか?
行く先のない思考の波を断ち切るように、カッと目を開けるとあたりはすっかり暗くなっていた。オレンジ色だった空は真っ黒に染められ、月がはっきりと見えた。さすがにもう帰らなきゃまずい。痛みを必死に押さえ付けて、ゆっくりと立ち上がり、僕はとぼとぼと家へ歩き始めた。
「あら、誠。おかえりなさい、遅かったわね」
「……ただいま」
「そうだ、おじいちゃんから電話きてたわよ? 一週間後の誕生日プレゼントは何がいいのかってさ。あとで掛け直してあげてね」
「うん、わかった」
土とアザだらけの身体を隠すためにこっそり、玄関を開けて家に入ったのだが、あっさりと母親に見つかった。逃げるように母親の横をすり抜け、お風呂場へ向かう。が、母に服を掴まれてしまい、作戦は失敗に終わった。まずい、早く脱出しないと。
「ちょっと待って」
「なに?」
「その服、どうしたの?」
「転んだ」
「じゃあそのアザたちは?」
「別になんでもいいじゃん。ほっといてよ」
母にそれ以上聞かれる前に、僕は学校で習った、不審者に服を掴まれた時の対応策である、腕を回して手刀で振り払う、を使い、廊下を駆け抜けて、右に曲がり、脱衣所のカーテンを閉めた。母さんに言ったとして、おおごとにされても困るのだ。あいつらに復讐なんてされたらたまったものじゃない。洗濯物であふれている洗濯カゴの、出来るだけ底の方に泥だらけの服とズボンを突っ込んで、裸のまま壁に貼り付けてある鏡を見た。十二個。手足全部で十二個の小さいアザが見つけられた。点が点在するその様子は、危ないウイルスに侵されたように見えて、すごく気持ち悪いことになっている。背筋がぞくりとした。
そうだ、次はこのアザたちを見せつけて痛さの証明をしよう。僕から見てもすでにグロテスクな身体だ。きっとわかってくれるに違いない。
その作戦は、今までのどの作戦よりも、ずっとまともに思えた。これなら本当にわかってくれるかも知れない。そう思うと、気持ち悪く出来上がった僕の身体もなんとか受け入れることができた。
お風呂から上がると、案の定母親から追撃の質問が来たが、無視して部屋に閉じこもった。母親は部屋にまでは干渉してこない。別に、決まったルールがあるわけではないが、どうやら母親の中ではそういう決まりがあるらしい。部屋に入るとペン立ての中から鉛筆を取り出し、引き出しにしまってあった、作戦を箇条書きにまとめてあるコピー用紙に、先ほど思いついた「アザを見せつける」という作戦を追加して、ベッドに滑りこんだ。
どうかこれで終わりますように。
「お、来たな、誠」
「うん……」
「なんだよ、暗い顔して空気悪くすんなよな。お仕置きするぞ?」
翌日、いつものように、齋藤、佐々木、鎌田の3人から、放課後に呼び出しがかけられた。場所は例の公園。もちろん齋藤たちの手にはエアガンが握られていた。いつ、痛みに襲われるかわからないという、気持ちの悪い緊張感が漂う。吐き気がした。こんな最低な気分も、今日で絶対終わらせてやる。
「それじゃあ、とりあえず挨拶がわりに一発いきますか」
と、齋藤が銃口を僕に向けた。つられて佐々木、鎌田の2人も僕に銃口を向ける。
「やめてよ!」
来た。待ってましたとばかりに僕は昨日にも増した大音量を齋藤たちに浴びせた。一瞬怯むやつら。もちろんその時間を無駄にはしない。直ちにTシャツを脱ぎ捨て、両手を横に広げて、アザの点在する気持ち悪い身体を齋藤たちに見せつけた。さあ、痛みのプレゼンの始まりだ。
「見てよ、このアザ。全部で十二個もあるんだよ!? エアガンは本当に危ないものなんだ。だからもう、やめてよ。こんなのただの暴力だよ!」
半裸のまま、力の限り用意していたセリフを言い切った。もちろん用意してきたという素振りは見せない。たっぷりと感情を込めて、力いっぱいの声で叫んだ。まっすぐに齋藤の目を見る。もう、終わりにしよう。これ以上は本当に身体も心も持ちそうにないんだ。お願いだから。やめてくれ。
「ふ~ん、で?」
ぎらりと光る銃口から、鋭いBB弾が発射される。僕のお腹からパンという乾いた音が響いた。激しい痛みで目眩がした。
「暴力だからとか、アザがどうだとか、だから何? 暴力だからやめろってか? アザができちゃうからやめろってか? はっ、そんなのどっちもお前だけの問題だろ。俺は暴力も振るわれないし、アザもできない。だからそんなこと言われても知らねえよ。な?」
ニタニタとした顔で、佐々木、鎌田に合図を送る齋藤。その顔は俺は頭がいいだろう? とでも言いたそうだ。合図に応えるように佐々木、鎌田は銃口を僕に向けて、ニタニタと齋藤に笑い返した。
一体どうすればいい?
どうすれば痛みをわかってもらえるの?
どうすればやめてもらえるの?
ねえ、誰か、誰か助けてよ。
「こいつ今なら半裸だし、肌が丸出しじゃねーか。今のうちに撃っとこうぜ」
佐々木の一声。それに応えるように、BB弾の嵐が僕に向けて発射される。痛い。痛い。痛い。痛い。ねえ、こんなにも痛い。こんなにも、こんなにも。わかってよ、ねえ。
「もう、やめてよ!」
「やめる義務はありませーん」
声高に笑う齋藤。痛みに耐えながら、僕はそいつを突き飛ばし、半裸のままで公園の外へ向かって逃げ出した。痛みと涙で、ほとんど前が見えない。今度は背中に痛みが響く。でも、公園の外へ近づくにつれて、その感覚は少しずつ長くなっていき、
「てめえ、学校で覚えてろよ!」
という齋藤の怒号を最後に、僕は、BB弾から解放された。
家には誰もいなかった。部屋のクローゼットの一番上にあった洋服を着て、前からベッドに倒れ込むと、お腹のあたりから痛みが走った。息が上手にできない。苦しい、痛い。なんで? なんで? ねえ、なんで? そんな言葉が繰り返し頭を駆け巡る。
少しずつ落ち着きを取り戻す身体に従って、脳内も整理され始め、今度は、頭の中で奴らのことを何度も殺した。銃で、ナイフで、石で、拳で。それでも気持ちはスッキリしない。本当には、あいつらは死んではくれない。
そんな時、ふと頭の片隅から一つの提案が浮かび上がってきた。提案を受け入れるのに時間はさしてかからなかった。途端に身体が軽くなる。
重たかった身体をひょいと持ち上げて、リビングへ向かう。そして、キッチンのすぐ近くに置いてある受話器を持ち上げ、おじいちゃん家の電話番号を入力した。
それからの一週間は地獄のような毎日だった。あの日以来、学校内における齋藤、佐々木、鎌田の嫌がらせはエスカレートし、今までは物を隠したり、僕の私物でキャッチボールをしたりで済んでいた嫌がらせが、他人までもを巻き込むようになっていた。僕が誰々ちゃんを好きだとか根も葉もない噂を流したり、僕の名前で勝手にラブレターを書いたりと、とにかく好き放題だった。それに加えて、放課後のエアガンも待っている。この一週間は人生史上最悪の一週間だったと言ってもいい。
それでも、僕が何とか耐えて来られたのは、脳内に浮かんだあの提案があったからだ。そして、今日はその実行日。一週間が、そして今までの全てが報われる日だ。
苦痛な学校から家に帰り、部屋に入ると、長いダンボールの箱が一つ。僕は、その中身を取り出し、大きめのリュックに無理やり詰め込んで、齋藤たちと待ち合わせている東原公園へと向かった。公園へ向かう道の途中、ここに来て、提案を実行するのかしないのか、ぐらりと心が揺らぎ始めた。こんなことしなくても、これまでずっと耐えて来た僕だ。きっとこれからも耐えられるんじゃないか。あいつらもそろそろ飽きるかも知れない。でも、痛いのはもう嫌だなあ。
そうこうしているうちに、東原公園にたどり着く。齋藤たちはエアガン片手に、仲間たちと楽しそうに談笑をしている。ほんと豚みたいな顔だ。
「よお、遅かったじゃないか。また、前みたいに逃げ出したのかと思ったぜ」
いつものように憎たらしい言葉から始まる、あの嫌な緊張感が漂い始めた。が、今日はそれには飲み込まれない。心はもっと別のところだ。
「もう、逃げないよ」
「へえ~本当かな?」
そう言って齋藤は、いつも通り、つまみ食いでもするかのような感覚で、エアガンで僕の手を撃った。
その瞬間、心の奥底でずっとピンと張っていた糸のよう何かが切れて、身体が急に軽くなった気がした。それから、腹の底から黒いモヤモヤとしたものが頭へ向かって上っていき、やがて脳内を覆い尽くした。やるべきことが鮮明に脳内に浮かび上がってくる。それに従って僕の手足も勝手に動いた。リュックを下ろす。チャック開けて、家から持ってきたアレを取り出す。リュックから出るのは電動エアガン。おじいちゃんに誕生日プレゼントとして買ってもらったもの。それが僕の切り札だった。大きさは齋藤たちの持っているハンドガンタイプに比べて、3~5倍近くの大きさを誇っている。R18製のそいつは、威力もきっと比にならないくらいの代物だろう。
みるみるうちに顔が歪んでいく齋藤。引き金に手をかける僕。銃口はもちろん齋藤の顔。心のどこかでどれだけこんな状況を望んでいただろう。僕が上であいつが下。そして、僕があいつを痛めつけるこんな光景を。
痛みを証明する方法。思えば簡単なことだった。
興奮で震えた指で引き金を引くと、ドババババババとものすごい勢いでBB弾が発射される。
電動のそいつは僕が引き金を引いている限り、自動で齋藤めがけて飛び続ける。顔を手で抑えれば、今度は、皮膚が露出しているふくらはぎのあたりを撃ってやる。齋藤たちがそうしたように。始めは強気だった齋藤も今では泣きじゃくって情けない声を上げている。佐々木と鎌田はその光景を見て逃げ出していった。
だんだんと意識が遠のいていく。思えば僕は、撃たれる痛みは知っていたけれど、撃つ楽しさは知らなかった。こんなに気持ちが良かったんだ、人を痛めつけるのって。泣き叫ぶ齋藤に同情はしない。そんなのわかっててやってんだよ。ありったけのBB弾を発射し、なくなればリロードをしてまた発射し、僕は、無我夢中で齋藤に痛みを証明し続けた。ざまあみろよくそゴリラ。そのまま死ね。ああ、気持ちがいい。最高の気分だ。
気がつくと僕はベッドの上で横になっていた。どうやら自分の部屋の中らしい。今は何時なのだろう? 立ち上がろうとしてみたが、身体中が痛くて動けない。仕方なく、そのまま横になりながら朦朧とした頭でこれまでを思い出してみる。
泣き止まないあいつ。
鳴り止まない電話の音。
あなたには人の気持ちがわからないの、と、母親の発狂している声。わかっているからやったんですよ。皮膚が弾ける乾いた音。
電話越しに聞こえる教師の声。君はもっと真面目な子だとおもっていたんだけどな。じゃあ、真面目にどうすればよかったんですか。
タオルに水が染み込んでいくみたいに、じわじわと記憶が蘇る。
ああ、そうか、僕、やったんだ。思わず笑いが溢れてくる。あの時の気持ちよさと、僕があいつらに望んでいた状況に今の僕が立っているというおかしな状況に。いいよな、あいつらは。復讐がどうだとか考えないでも周りの大人の力を借りられるんだから。結局あいつらは自分が悪いなんて、これっぽちも思っちゃいない。僕が加害者であいつが被害者。こんなんじゃ、僕の痛みをわかってもらえたなんて言えない。どれだけ痛めつけたってあいつの痛みと僕の痛みは全くの別物じゃないか。
いっそ死んでやりましょうか。痛かったです、と遺書でも書いて。そうすりゃわかってくれますか。もう手遅れですか、そうですか。こんなんだったらやる前に死ぬんだった。でも、それなりに気持ちよかったしやっぱりやってよかったかも。
少しずつ身体が回復し、意識に輪郭が戻り始める。ゆっくりとなら立ち上がれそう。ガタガタの身体でベッドから起き上がり、机の引き出しからカッターを取り出した。刃をめいいっぱいに出して、右手で強く握りしめる。
「痛いってなんだ」
右手を左手首の上に動かし、そのまま強く下へ引く。赤い液体を見たのを最後に僕の意識は再びどこかへ消えていった。
誰かに抱きしめられている感覚がする。耳元では、鼻をすする音。母さん?
「ごめん、ごめんね」
落ち着きのない謝罪。嗚咽。肩に雫が垂れてくる。
「母さん聞いたわ。あなた、いじめられていたんだってね。もう大丈夫だから、痛かったね。辛かったね」
母さんは、今度はゆっくりと落ち着いた声で囁いた。そして、僕の背中を柔らかな腕で、ぎゅっと抱きしめた。
寒気がした。あたまはぼう、としているのけれど、心臓がはちきれんばかりに暴れ出す。違う、違うんだよ。
「わかって欲しかったのは、母さんじゃない! あいつらなんだよ!」
突然立ち上がった勢いで、母さんが地面に叩きつけられる。怯えた様子でこちらを見つめる母さん。その顔に耐えきれなくなった僕は、そのまま家を飛び出した。靴も履かずに、とにかく母さんから離れるためにどこかへ向かって、思い切り走った。疲れても疲れても走った。頭の中から、あの母さんの怯えた顔がこべりついて離れない。どこへ逃げても逃げられない。
もう、みんなどっかで死んじまえ。口元を押さえ、吐き気をこらえ、意識的に重たい足を動かしていく。とにかく、どこか遠くへ行こう。それだけを思い、裸足のまま、血に染まった腕を剥き出しに、僕はどこまでもどこまでも走っていった。
周りの人は、異常な僕をちらりと見て、また元の日常へと戻っていく。僕の痛みは誰も知らない。
ーおわりー