92 父親
◆
バシュ、という音がして、目の前の景色が洞窟前のロイスに戻った。
『記憶』はどうやら近くにいる人にも効くらしく、俺も断片的な出来事が見ることが出来た。
日はすでに沈んでおり、蒼い闇が辺りを包んでいる。
ミミズクがホオホオと鳴き、頭上を蝙蝠が乱れ飛んでいた。
カイルとナタリアの過去を見た俺は、しばらく何も言えなかった。
悲しい話だった。
誰も悪くないのに、幼気な少女が一人、犠牲になってしまった。
悪魔ラプラスが本当に人の愚行により神が遣わせた悪魔なら――。
世界を救う勇者を殺したのは神の意志ということになる。
俺たちはそれを、どう受け止めるべきなんだろうか。
ただ一つ言えること。
カイルは、やはり悪いやつではない。
確かに少し駄々をこねてはいたが、それで負う業としては、ナタリアの死はあまりに重すぎる。
「やはり――勇者は死んでしまっていたか」
アビゲイルはそう言うと、小さく息を吐いた。
その声で、俺は思案から覚めた。
「……そのようですね」
俺は呟いた。
「なんていうか、やるせない話でしたね。カイルは――まだ自分を責めているんでしょうか」
「おそらくな」
アビゲイルはそういうと、半身だけ振り返った。
「心の傷というのはそう簡単には癒えない。それは根雪のように記憶にこびりつき、ふいにフラッシュバックを起こして、また古い記憶ををえぐりだし我々を苦しめるのだ」
アビゲイルは悲しそうな顔をしていた。
”我々”を苦しめる、か。
アビゲイル大佐にも、そのような記憶があるのだろうか。
「そうですね……」
と、俺は言った。
「でも、過去に囚われてばかりではいけないと、俺は思います。人は――また歩き出さないと」
アビゲイルは是とも非とも答えなかった。
暗闇にとけているせいで、表情もよく見えない。
「では、カイルの家に戻ろう」
アビゲイルはそういって、足を踏み出した。
「コトトが元気になり次第、メーティスに戻り、このことをミカエル様に報告に行かねば」
「わかりました」
俺も彼女について歩き出す。
「えーと、あの」
少し歩いて、ふと、俺はアビゲイルの背中に声をかけた。
「ん? どうした?」
アビゲイルは前を向いたまま言った。
「いえあの、どうでもいい話なんですけど」
そう前置きを置いて、俺は聞いた。
「その『記憶』の魔石、”ポチ”に入れておかないんですか?」
「……」
アビゲイルはしばらく返事をしなかった。
そして10秒ほど沈黙した後、
「……この魔石は、しばらく私が預かる」
と、そういった。
◆
2日後の朝。
コトトはすっかり回復し、いつもの彼女に戻った。
俺たちは出発の準備をすませ、いよいよ出立の時間となった。
「あー! 健康って素晴らしい!」
コトトは腕を伸ばしながら、言った。
「で、カイルは見つかったの? 早くお礼を言いたいんだけど」
コトトはそういって、リビングをきょろきょろと見回した。
「い、いないです」
アリスが言った。
「い、今、アビゲイル様が、畑のほうまで探しに行ったんですけど……」
「照れてるのかしらね」
マキがしししと笑いながら言った。
「ああ見えて、意外と純なのかも。もしかして、私たちと別れるのが悲しいとか」
そうである。
どういうわけか、今日は朝からカイルの姿が見えないのだ。
「どうかなあ」
俺は頭をがりがりと掻いた。
「たしかにちょっと、あいつは素直じゃないとこはありそうだけど」
その時、こんこん、と扉がノックされた。
どうぞ、と返事をすると、壮年の男が顔を覗かせた。
白髪で、皺の多い男。
難しそうに、太い眉毛を寄せている。
カイルの父親だ。
「ちょっと、いいかな」
父親はそう言って、部屋に入ってきた。
「ああ、お父さん」
コトトが立ち上がり、頭を下げた。
「この度は、本当にお世話になりました。あなたたちのおかげで、命が救われました」
「そんなことはない」
父親は不愛想に言い、俺たちを見渡した。
「顛末はカイルから聞いた。礼を言うのは、こちらのほうだ。ありがとう」
突然の出来事に、俺たちは目を合わせた。
「あ、あの、どういうことでしょうか」
と、俺が聞く。
「奇妙な話だがね」
父親は小さく息を吐いた。
「君たちを救うことが、あいつの救いでもあったようだ。昨日見せたあの顔は、私も久しぶりに見るような、清々しい顔だった。まるで――」
あの子と遊んでいたころのように、と父親は言った。
あの子。
それは――ナタリアのことだろう。
「そこで、君らに一つ、頼みがあるんだ」
と、父親が言った。
「頼み、ですか?」
「ああ」
父親は頷き、深く頭を下げた。
「どうか、君たちの仲間にカイルを加えてあげてくれないか」
「ど、どういうことですか?」
俺は戸惑った。
「私は、あいつには、この村から一度出てみてほしいんだ」
父親は少し俯いた。
「カイルは母親似のいい奴だ。私と違い、きっと、たくさんの人の役に立てる人間になれる。でも、このまま村にいて私と暮らしていたんじゃ、あいつは駄目になってしまう。自らの一生を、棒に振ってしまう気がするんだ」
父親はかすれた声で続けた。
彼は年齢以上に、老けて見えた。
「村の人たちへの贖罪なんて言ってるが、今のままのあいつでは、そんなことは一生出来ない。カイルは村人に怯えている。自分への呵責が強すぎて、まっすぐ彼らを見られないんだ」
「ま、いいかもね」
マキが頬杖をつきながら言った。
「よくわかんないけどさ、旅に出るってのは悪くないことよ。アビちゃん見てたら、そう思うし」
「私も賛成」
コトトが言った。
「カイルは私の恩人だし、何より彼の病気や薬草に関する知識は旅の役に立つわ」
「わ、私もいいと思います!」
アリスは大きくぶんぶんと頷いた。
「仲間は多いほうが楽しいですからっ!」
「……そうだな。あとで大佐に聞いてみよう」
俺は大きくうなずいた。
「その前に――カイルはどこにいるかわかりますか?」
「私も探しているんだがね」
父親は短く首を振った。
「どこにもいないんだ。姿を見せないときは大抵、ゾーイの墓かナタリアの墓にいるんだが」
そうですか、と俺は言った。
「じゃあ俺たち、もう少しカイルを探してみます」




