90 カイルとナタリア 2
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ナタリアと触れ合うようになってから、変わったことがあった。
それはカイル自身のことではなく、村人たちの反応だった。
これまでカイル親子は忌み嫌われてきたが、いつの間にかいたずらはなくなり、罵倒も投石もされなくなったのだ。
それどころか、中にはこれまでの非礼を恥じ、カイルに謝ってくる人間まであらわれた。
ナタリアははぐらかしていたが、彼女が村人たちに訴えかけて態度を軟化させたのは明らかだった。
それほどナタリアは村人から好かれ、愛されていた。
彼女が歩けばみな笑顔になり、活気に満ちた声をかけていた。
黄昏た村の太陽。
それがナタリアだった。
カイルは徐々に村に溶け込んでいった。
他方、彼の父親はそれでもうまくなじめずにいたが、息子が馴染み始めたことは喜んでくれていた。
「ナタリアという子は、いい子だな」
いつもの夕食時。
ぼそりと、そんな風に呟いたことがあった。
偏屈な父が亡き妻以外の人間を褒めるなんて、カイルはこれまで聞いたことがなかった。
◆
そんなある日。
カイルとナタリアがいつものように村へ赴くと、老犬が湖のほとりで倒れていた。
その犬はカイルがこの村に来た頃からずっと仲良くしていた野犬で、名をゾーイと言った。
いろんな血が混ざっている雑種で、お世辞にも可愛い犬とは言えなかったが、カイルはゾーイが大好きだった。
ゾーイはナタリアにもよく懐き、ナタリアもまた彼を可愛がっていた。
ナタリアも血相を変え、カイルと共に走り寄った。
「ゾーイ!」
カイルはゾーイに近づくと、彼の体をさすった。
「どうしたんだよ、お前。調子が悪いのか?」
ゾーイの体はとても熱かった。
呼吸も浅く、顔は土気色で息も絶え絶えだった。
カイルは顔を歪めながら、ゾーイゾーイとその名前を連呼した。
「……重い病にかかってるみたい」
ナタリアはしゃがみこみ、ゾーイの顔を見ながら言った。
「かなり容態がよくない。どうしよう、この村には獣医さんもお医者さんもいないし――」
「父さんに見せよう」
カイルは大声で言った。
「僕の父さんなら、きっと薬草を作ってくれる」
「そうね」
ナタリアは頷いた。
「たしかに、この村で一番医療に明るいのは、カイル、あなたのお父さんだわ。一緒に運びましょう」
そうして、二人はゾーイに負担をかけぬよう慎重にカイルの家へと運んだ。
◆
「これは――重いカッキシング病にかかってるな」
ゾーイの容態を診るなり、父親は短く息を吐いた。
「残念だが、この村では治療のしようがない。高齢であることを考えても、おそらくはもう長くあるまい」
「そんな!」
カイルは父親の腰をつかんだ。
「父さん、父さんはいろんな薬を作れるんでしょ? ゾーイを助けてよ!」
「無理だ」
父親はゆっくり首を振った。
「この犬はもう助からん。せめて安らかに逝けるよう、二人で看取ってやることだな」
父親はそれだけ言うと、さっさと畑へと出かけて行ってしまった。
「ちくしょう」
カイルは目をぬぐいながら言った。
「父さんはなんて冷たいんだ。僕の友達が死にそうだっていうのに、何にもしてくれやしない」
「……仕方ないよ」
ナタリアは言った。
「カイル。もう怒るのは止めましょう。あまり騒ぐと、ゾーイが安らかに死を迎えられないわ」
「…………」
カイルは何も言わずにゾーイの横に座り込み、膝を抱えた。
それから荒く上下する胸を、優しく撫でてあげた。
弱々しい姿が痛々しく、悲しくして仕方なかった。
カイルはぼろぼろと涙を流し、彼をずっと撫で続けた。
「ちくしょう」
カイルは言った。
「僕はなんて無力なんだ。僕の友達がこんなに苦しんでいるのに――何もできない」
「自分を責めないで、カイル」
ナタリアが言った。
「ゾーイはもう十分に生きたわ。これは天命なのよ。きっと――彼はあなたに感謝している」
「……ナタリアも」
カイルは涙をごしごし拭いながら言った。
「ナタリアも、父さんと同じように、もうゾーイは死んでしまったかのように言うんだね」
「え?」
ナタリアは少し驚いたように言った。
「ゾーイはまだ死んでない」
カイルはぎゅっと目をつむった。
「まだ死んでないよ。まだ――助かるかもしれない」
「カイル……」
ナタリアは唇を嚙み締め、首を振った。
「言い方を間違ってしまったね。ごめん。でも、ゾーイは――」
「僕は諦められないよっ」
カイルは声を荒げた。
「ナタリアには僕の気持ちなんてわからないんだ。いつも周りに友達がいて、みんなに認められてきたナタリアには、僕がこれまでどれほどゾーイに助けられてきたか、分かりっこないんだ」
すっかり言ってしまってから、カイルははっとした。
ナタリアに目をやると、彼女は悲しそうに目を伏せていた。
寄る辺ない、心細そうな表情。
ナタリアのこんな顔、カイルは初めて見た。
そこにいたのは、年相応の幼気な少女だった。
カイルは後悔した。
なんてことを言ってしまったんだ。
ナタリアはまるで悪くないのに。
僕はナタリアにも、ゾーイと同じくらい――いや、もしかするとそれ以上に、救われてきたというのに。
「ごめん」
と、カイルは頭を下げた。
「僕はなんてことを……ごめん。本当に、ごめんなさい」
「……謝らなくていいよ、カイル」
ナタリアは力なく笑い、涙で濡れた目元を拭った。
「ごめんね。間違ってたのは、私のほう。そうだよね。簡単に諦めちゃ――だめだよね」
ナタリアはそういうと、うん、と大きく頷いた。
「よし! それじゃあ、奥の手を使おう! ちょっと、村の掟をやぶっちゃうことになっちゃうけど」
そして唐突に、そんなことを言う。
「村の掟?」
カイルは聞いた。
するとナタリアは、人差し指を立てて、次のように言った。
「そう。実はね、この村のはずれに、立ち入り禁止の洞窟があるの――」




