89 カイルとナタリア
◆
カイルは自室に戻ると、ぼすんとベッドに横たわった。
今日はさすがに疲れた。
少し休もうと、目をつむる。
だが、興奮しているのか、体の疲労とは裏腹に頭は覚醒していた。
カイルはしょうがなく再び目を開くと、そのまま天井を見つめた。
――ナタリアさんの遺志を継ぐなら、生き抜くべきだ。
洞窟内での、ユウスケという青年の声が頭で繰り返される。
おかしな青年だ、とカイルは思う。
ほとんど知らない人なのに、妙に心に刺さる。
カイルはむくりと起き上がり、机の上にある写真に目をやった。
ショートヘアの幼い少女が、元気にピースサインをしている。
その横には、小さいころのカイルが恥ずかしそうにはにかんでいた。
カイルは立ち上がって、写真を手に取った。
それから少女の顔の部分を愛おしそうに親指でなぞりながら、
「……ナタリア。今日、君の言葉を思い出したよ」
と、そうつぶやいた。
◆
カイルは7歳の時、ロイスへと移住してきた。
それ以前のことはあまり覚えていないが、幸せなことはあまりなかったことはなんとなく記憶にある。
家に怒鳴り込んでくる男たち。
それにヒステリックに応戦し、青あざを作る父親。
平穏な日はほとんどなかった。
カイルの母親は彼を産んですぐに亡くなり、彼は父親に育てられた。
カイルの父親はアルアインの城下町で薬屋を営んでいた。
腕が良い薬師ではあったが、彼にはどうにも商売っ気がなく、店の経営は芳しくなかった。
さらに悪いことにカイルの父親は職人気質で世間ずれしておらず、カシージャ家の財産目当ての男に騙されて大借金を背負ってしまった。
カイルと父親は夜逃げ同然でアルアインを出た。
着の身着のまま、行く当てもなく、何日も歩き続けた。
カイルの父親は大きな町に行く気はなかった。
彼はもうすっかり人間というものが嫌になっており、このころからほとんどカイルとすら口を利かなくなっていた。
人と交わらず、どこかの田舎でひっそりと暮らしたい。
そう思っていたところで、彼らは「ロイス村」にたどり着いたのだった。
◆
カイルたち親子はロイスの外れに自力で小屋を建て、勝手に住み始めた。
後々になって分かったことであったが、これがよくなかった。
ムラ社会というものはそもそも排他的で、住み着くときには細心の注意が必要だった。
だが、カイルの父親にはそのような知恵も配慮もなく、無断で住み、無許可で薬草の栽培を始めたのだった。
かなり後になって村長に許しをもらったが、どうやら手遅れであるようだった。
村のものはよそ者の親子をよく思わず、また、父親がそれを弁解することもなかったので、親子はいよいよ孤立していった。
彼ら親子は、村人たちから様々な嫌がらせを受けた。
村の子供に小屋へいたずらさせたり、石を投げられたりした。
時には、畑をめちゃくちゃに荒らされ、村ですれ違えば激しく罵倒された。
父親の作る薬草は上質だったが、もちろん村人が買ってくれるはずもなく、彼らは隣村まで売りに行かねばならなかった。
それでも父親は何も言わず、じっと耐えていた。
「奴らもじきに飽きる。もう少し辛抱してろ」
彼はカイルに、それだけしか説明しなかった。
◆
移住して半年ほどたったある日。
村は豊作を祈願する祭りを開いていた。
当然、カイルたちには何の報告もなく、親子はいつものように家にいた。
だが。
遠くから聞こえる祭囃子に誘われ、カイルは父親の目を盗んで家を抜け出し、村のほうへと降りて行った。
民家の隙間から見る祭りは、とても楽しそうだった。
盛大に火を焚き、その周りで大人たちは酒を呷り、子供たちは菓子を頬張って、それぞれ楽しそうに踊っていた。
カイルは彼らを見ながら、どうして自分はあそこに入れないのだろうと思っていた。
自分も、あの輪に入りたい。
お菓子を食べて、歌を歌いたい。
でも――自分はカシージャ家だというだけで、みんなから疎まれる。
何も悪いことをしていないのに。
カイルは家と家の間で、涙を流して泣いた。
「あ、オメー、よそもんだな」
と、その時、村の子供に声をかけられた。
「こんなところで何してやがる」
「ほんとだ。くっせーな、お前」
もう一人の子供が鼻をつまみながら囃し立てる。
「おい、出てけよ。ここは村の祭りだぞ」
「そうだそうだ。気持ち悪いお前の親父と一緒に、村から出ていけよ」
心無い言葉に、カイルはいよいよ悲しい気分になって、その場にうずくまってしまった。
と、その時である。
「なにしてるの、あなたたち!」
少女の声が、頭上から聞こえた。
カイルが顔を上げると見覚えのない少女が、カイルを庇うように立ち、村の子供と対峙していた。
「んだよ。お前、こんなよそもんの味方すんのかよ」
「私は誰の味方でもない。でも、弱い者いじめは許さないよ」
ナタリアは腰に手をあて、頬を膨らませた。
なんだとぉ、と子供が色めきだった。
(お、おい、やめとけって。こいつ怒らせたらこえーぞ)
もう一人の子供が、小声で言った。
(こいつ、女のくせにめちゃくちゃつえーんだから)
(だっせーな。こんな細い女にビビるなよ)
(いや、この女この前、畑に出てきたでっけーイノシシ一人でぶん投げてたんだから)
(……マジ?)
それから二人はなにやらひそひそと話しあい、何やら捨て台詞をもごもご言いながらどこかへ行ってしまった。
◆
「大丈夫?」
少女はにこりと笑い、手を差し出してきた。
「……う、うん」
カイルは鼻をすすりながら、それをつかんだ。
「カイル君だよね?」
少女は言った。
カイルは驚いた。
下の名で呼ばれたのは、この村に来て初めてのことだった。
「う、うん」
カイルは遠慮がちに言う。
「やっぱり」
少女は胸の前でパン、と手を打った。
「一度、話をしたいと思ってたの」
少女は美しかった。
艶やかなショートカットの黒髪は祭りの火を反射し、とても幻想的に見えた。
ぱっちりと開いた両目は愛らしく、笑うと八重歯がのぞいている。
すっと伸びる高い鼻。
少し薄くて形の良い唇。
彼女は、カイルが見てきた中で一番の美人だった。
「私はナタリア」
少女――ナタリアはそういって手を伸ばした。
「せっかくの祭りなんだから、今日は一緒に遊ぼう!」
差し伸べられた手を見て、カイルは涙を流した。
言葉では言い表せない感情が胸いっぱいに広がっていた。
「ど、どうしたの」
ナタリアは少し驚いてから、カイルの頭にぽん、と手を置いた。
「もしかし、どこか痛いの?」
「……ありがと。でも」
カイルは首を振った。
「でも、僕に関わらないほうが良いよ。僕と仲良くしたら、君まで村の人に嫌われちゃう」
「なにそれ」
と、ナタリアはくすくすと笑った。
「なにそれって――キミ、怖くないの?」
「怖くないよ」
ナタリアはあっけらかんと言った。
「私、人をいじめるような卑怯な人たちのことなんて、ちっとも怖くない。そんなことよりも、私は君と遊びたいもの」
カイルは口をぽかんと開け、あっけにとられていた。
こんなことを言う人間に会うのは初めてだった。
「ダメ、かな?」
ナタリアが首をかしげる。
カイルは慌ててぶんぶんと首を振った。
こんなに優しい人間がいるのか。
カイルの胸は嬉しさで張り裂けそうだった。
◆
その夜が終わっても、ナタリアはカイルの家にたびたびやってきた。
カイルはナタリアが村で評判を落としていないか心配だったが、彼女と遊ぶことがあまりに楽しくて、誘いを断ることは一度もなかった。
カイルとナタリアは森へ冒険にいったり、空き地で剣戟の真似事をしてみたりして遊んだ。
山のてっぺんから、目に染みるようなオレンジの夕日を見た。
鳥たちの声を聴きながら、鏡のような池の水面を泳いだ。
時には少し遠出をして、モンスターに襲われて慌てて逃げだしたりもした。
そんなことしながら、二人で色んな話をした。
好きなもののこと。
将来のこと。
そして、この世界のこと。
ナタリアは頭もよくて、本当に色んな事を知っていた。
どういうわけか、片田舎の子供が知っているはずもないようなことまで、本当に茫洋な知識があった。
彼女はやはり、”選ばれたもの”だったんだろう。
ずっと後になってから、カイルはそう思った。
◆
「私、大きくなったら、きっと村を出ることになると思う」
とある日。
二人で木の枝に座っていると、ナタリアはそんなことを言った。
「どうして?」
と、カイルは聞いた。
「この前、寝ていたら天使様が現れたの」
ナタリアは言いながら、足をバタバタさせた。
「天使様?」
「うん。ウリエル様という名前で、素敵な羽が5枚も生えている、とても美しい方だった――」
それから、ナタリアは天使の話を始めた。
とても不思議な話だった。
天使は、ナタリアが勇者というものに選ばれ、この世界を救うために旅に出ることになる、と語った。
その時、この世には魔王というものが誕生し、人間たちと争いを繰り広げるらしい。
彼女はその矢面に立ち、恐ろしい魔王軍と戦うことになるのだ。
「それって――いつなの?」
カイルは聞いた。
「さあ。分かんない」
ナタリアは笑った。
「……ナタリアは嫌じゃないの?」
「嫌って、何が?」
「勇者になるのが」
カイルはナタリアを見た。
「だって、魔王と戦うだなんて、きっとすごい痛かったりしんどかったりするよ。ううん、それどころか、もしかしたら死んじゃうかもしれない。そんなこと、ナタリアがやらなくたって、もっと他の、強い人がやればいいのに」
ナタリアは口を閉じ、長い間、黙っていた。
カイルは彼女の答えを待った。
カイルは嫌だった。
ナタリアが勇者になったら――僕たちはきっと離れ離れになってしまう。
「……カイルはさ」
やがて、ナタリアが口を開いた。
「カイルは、運命って信じる?」
「うん……めい?」
「そう。人の生きる道はあらかじめ決まってるって考え方」
カイルは少し考え、首を振った。
「……よく、わかんない」
「私は、信じてるんだ」
ナタリアは微笑んだ。
「人が生きるってことは、きっときれいごとじゃないんだろうなって思うの。この世には、自分の力ではどうしようもできない、たくさんの不平等がある。神父様はそれを神様の試練なんて言うけど、そんな言葉じゃとても慰められないくらいの理不尽がたくさん、ね。でも、みんなそれを受け入れてる。泣きだしたくなるのをぐっと我慢して、その運命を全うしてる。なら――」
私だけそこから逃げるわけには行かないよ、とナタリアは言った。
ざあ、と風が吹いて、ナタリアの前髪を揺らす。
彼女は気持ちよさそうに目を細めた。
「……ナタリアは、強いんだね」
と、カイルは言った。
「そんなことないよ」
ナタリアは微笑んだ。
「本当に強い人は、きっと勇者なんかじゃない。それはもっと名もない、とてもありふれた人たちのことだよ」
カイルは首を傾げた。
ナタリアの言葉は時々難しくて、理解できなかった。
ナタリアはくすりと笑い、カイルの手をぎゅっと握った。
カイルはどきりとした。
「ねえ、カイル」
と、ナタリアが言った。
「私が冒険の旅に出たら、あなたもついてきてくれる?」
「え?」
カイルは目をぱちくりさせた。
「い、いいの?」
「勇者のパーティには、仲間が必要だもん」
ナタリアは前に視線を戻した。
「そーだなー。カイルは薬草に詳しいから、道具を管理してもらおうかな」
「ま、任せといて!」
カイルは胸をどん、と叩いた。
「僕、これからもっともっと、薬の勉強する。父さんのことはあんまり好きじゃないけど、毎日教えてもらう。そしてきっと、ナタリアの力になる」
「うん」
ナタリアは頷いて、満面の笑みを浮かべた。
「楽しみしてるね、カイル」
涼やかな風のような笑顔。
カイルは嬉しくて、口元をむずむずさせた。
勇者と一緒に世界を回る。
その時、カイルは自分の運命を知った気がした。




