86 カイルの告白
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「真の勇者になる――だと?」
俺は眉を寄せた。
「お前、それはどういう意味だ」
「そのままの意味さ」
カイルはうっすらと笑う。
「僕は今日、勇者になるんだ。本物の、本当の勇者に」
勇者……
勇者になる勇者になる勇者になる勇者になる勇者になる勇者になる――。
額に汗をびっしょりとかき、うなされているかのようにカイルは繰り返しそうつぶやく。
その目は血走り、とても正気ではなかった。
「お、おい、カイル。お前――」
俺が言いかけたその時。
空洞内におぞましい空気が流れ始めた。
その気配とほとんど同時に――ラプラスが姿を現した。
ラプラスは肌色の巨大な球の体をしていた。
その周りには太い血管が浮いている。
どくどくと波打つそれは吐き気を催す妖気を放ち、背後には蝙蝠のような漆黒の羽を生やしていた。
世界中の「不吉」を集めたような、すさまじいオーラを発している。
強烈な死の予感に、俺は身動きがとれなくなった。
本物の悪魔とは――こんなにもすさまじいのか。
「くっ――」
あのアビゲイル大佐さえも、顔をゆがめている。
「こ、こいつは――まずいな。この圧力。最上位級の悪魔だ」
『あア。久シぶりの人ゲンだョ』
ラブラスはノイズの混じる、総毛だつような声で言った。
『アあ、楽しイなア。げーム。ゲームをじよーョ』
「久しぶりだな、ラプラス」
と、カイルは不敵に笑いながら言った。
ラプラスは無数の目をぎょろぎょろと回し、それを全てカイルに向けた。
『おまエが、リーだーだナ。ヨし、『代ヒョウ者』をキめチくリ」
「分かってるよ」
カイルは頷いた。
「その質問を聞くのは2度目だからね。あの時はなれなかったけど、今回の代表者は――」
「待て!」
と、俺は怒鳴った。
「カイル、ちょっと待ってくれ! 俺の話を――」
カイルは言葉を遮るように、俺の眼前に手をかざした。
「安心して」
と、カイルが言った。
「犠牲になるのは、僕だから」
予想外の言葉に、思わずきょとん、となる。
「な、なんだと?」
俺は言った。
「お……お前、今なんて?」
「僕が死ぬって言ったんだ」
カイルは微かに口の端を上げた。
「僕は『当たりを引けば代表者以外が助かるくじ』を引く。当たり確率は99%だ。つまり君たちは、99%の確率で助かる。くじ引きが終わればラプラスは消えるから、速やかに世界樹の葉を採取してくれ」
「ほ、本気かよ」
俺は目を見開いた。
「僕はね」
カイルはラプラスを睨みつけながら言う。
「僕は、誰かに贖罪をしたかったんだ。僕が昔犯してしまった罪を、贖いたかった。あの日から、ずっとずっと、そうやって生きてきたんだよ」
「あの日――から?」
「そう。そして、君たちの仲間がアルアイン・マラリにかかったときに、僕は神から啓示を受けた気がしたんだ。僕の命は、彼女のために使おうってね。あの日の――ナタリアみたいに」
ナタリア。
かつて、カイルが殺したとバルの店主が言っていた少女の名だ。
「アビゲイルさん。あなたの言っている通り、僕は勇者じゃない」
カイルはアビゲイルを見た。
「勇者は――天使から啓示を受けていたのは、ナタリアだったんだよ。その昔、僕はそれを彼女から聞いていてね。この間君たちに話したのは、全部彼女の受け売りだったのさ」
カイルはそこで言葉を止め、俺たちを見た。
それから、視線を中空に浮かせてつづけた。
「……彼女は強くて優しくて、本物の勇者だった。間違っていることは許せなくて、理不尽なことにはどんなに不利な状況でも立ち向かっていった。勇気があり、正義感もあった。――でも、彼女は死んだ。僕の身代わりになってね。ラプラスのくじを引いて死んだんだ」
カイルの声が震えている。
本物の勇者は死んでいた――。
その言葉に、俺とアビゲイルは金縛りにあったように動けなかった。
「ここまで隠していてすまなかった」
と、カイルが言った。
「だが、事前に本当のことを言うと、君たちはおそらく、僕の提案を断るだろうからね。ぎりぎりまで黙っておいたんだ」
アビゲイルはカイルを見つめていた。
まるで、彼を見極めようかというようにじっと凝視していた。
「もう一度、繰り返しておく」
カイルは俺とアビゲイルを見た。
「僕が死んだら、世界樹をちぎってすぐに村へと戻ってくれ。神の怒りに触れたくないから、出来れば一枚だけにしてほしい。万能薬の作り方は、僕の父親が知っている」
『ねェ。早くジでよ』
いよいよ、ラプラスがカイルの眼前に迫る。
圧倒的な邪気に、彼の美しい顔が歪んだ。
「お前の言い分はすべてわかったよ、カイル」
と、俺は言った。
「だが――お前は大きな勘違いをしている」
「勘違い――だと?」
カイルは眉根を寄せた。
「ああそうだ」
俺は大きくうなずいた。
「死ぬことが勇者の証だなんて、そんなのは大きな間違いだ。お前の身代わりになった彼女も、”勇者だから”という義務感でそうしたわけじゃない。ナタリアさんはただ――お前が好きだったからそうしたんだ」
俺はカイルを見つめた。
カイルは口元を引き締め、俺を見返した。
その瞳が、揺れている。
それにさ、と俺は続けた。
「それに、きっと彼女は、お前には生きていて欲しいはずだよ。なあ、カイル。お前がもし本物の勇者になりたいなら、そして彼女の遺志を継ぎたいなら――」
なんとしても生き抜くべきだ、と俺は言った。
カイルは黙り込んだ。
額に汗を滲ませ、じっとラプラスを睨みつけている。
「……ユウスケ」
やがて、カイルは目を細めて言った。
「君は優しいね。確かに――その通りかもしれない。だが、もう遅いよ。ラプラスの領域に入り込んだ以上、誰かが犠牲にならないといけない。ここに君たちを誘ったのは僕だ。なら――犠牲になるのは僕であるべきだ」
「そんなことはないさ」
と、俺は言った。
「どういうことだ?」
カイルが訝しげに問う。
俺は口の端を上げて、
「俺なら、全員を助けることが出来る」
と言った。
◆
『はやグ、ジろ。じロってバ』
ラプラスが焦れたように言う。
無数にある目が血走り、イライラしているのが分かる。
「カイル。代表者には俺を指名しろ」
と、俺は言った。
「なに?」
カイルは眉を寄せた。
「この期に及んで、まだそんなことを言うのか。もう、言い争っている時間はないぞ」
「いいからいうとおりにしろ。このラプラスのゲーム、俺なら絶対に勝てるんだよ」
「どういうことだ?」
「たしか、『全員が助かるくじ』は外れが100に当たり一つ、だったな?」
「あ、ああ、そうだけど」
俺は左の手首を右手で握り、にやりと笑った。
「そんくらいの確率、俺なら余裕だぜ」
「馬鹿なことをいうな」
カイルは大きな声を出した。
「100分の1など、一発で引けるものか。賭けにしては、あまりに分が悪い」
「そんなことはない」
と、アビゲイルが口を挟んだ。
「この男には、とある事情があってね。未曽有の幸運の持ち主なのだ」
「とある――事情?」
「うむ」
アビゲイルはそういうと、ポチの中からアベルで手に入れた黒魔石を取り出した。
「これを見ろ。これが、ユウスケのスキルだ」
「そ、それはレア度SSの魔石じゃないか」
カイルは目を丸くした。
「そうだ」
アビゲイルは目をつむった。
「この男は、これを一発で引いたんだ。10000分の1以下の確率を、一発でな。ユウスケにかかれば――100分の1など赤子の手を捻るようなものだ」
「ば、ばかな」
カイルは目を見開いた。
「そんなチートなスキルが」
「あるんだな、これが」
俺は言った。
「分かったら、カイル。俺に――ラプラスのくじを引かせろ」




