58 船上にて
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「あー気持ちいい」
コトトは髪を押さえながら目をつむった。
「ほんとだな」
俺は思い切り息を吸い、そして吐いた。
ひんやりと冷えた潮風が心地よい。
頭上では、うみねこが気持ちよさそうに鳴いている。
俺たちは今、メーティスに向かす船の上にいた。
アベル地方とメーティスを結ぶ、運河を渡す民間の巨大客船である。
その舳先の甲板に、俺とコトトは出ていた。
マキは初めて乗る客船でテンションが上がりまくっていて、アリスを連れて二人で船内を走り回っている。
そしてアビゲイルはというと――船酔いでダウン中である。
完全無敵と思われたアビゲイル大佐の意外な弱点。
「海の上がこんなに気持ちいいなんて、知らなかった」
と、コトトが目を細める。
少しどきりとする。
改めてみると、やっぱりコトトもかわいい。
そういえば、こうして二人きりになるのも久しぶりだ。
「キューン」
俺の頭の上で、ポチも機嫌よさげに鳴いている。
「なあ」
と、俺は言った。
「アベル得た魔石の鑑定、まだ時間かかりそうなのか?」
「んー……そうね。かなり特殊な魔法みたいだから、ゴードン師匠に古文書とか引っ張り出して調べてもらってる」
「ふーん……そっか」
俺は頷いて、前を見た。
目の前は一面の海である。
今日は快晴で空気が澄んでいるのか、はるか向こうの稜線が微かに見えた。
「でさー」
と、俺は前を向いたまま言った。
「実は、ちょっと気にかかってることがあるんだよね」
「なによ、改まって」
コトトはこちらを見た。
「んーと……アビゲイル大佐のことなんだけどさ」
「大佐? 大佐がどうしたの?」
「えーとさ、その」
「なによ、言いにくいことなの?」
コトトは少し眉を寄せて言った。
俺は「まあちょっと」というようなことを、口の中でもごもごと言った。
「なによ。まさか、大佐に不満でもあるんじゃないでしょうね」
「不満はないよ」
俺は苦笑した。
「たださ、アビゲイル大佐って、昔なんかあったのかなって」
「なんかって……何?」
「ほら、アベル国の女王が言ってたじゃん? 『ガインシャ公国を亡ぼしたのはお前だったのか』って」
「ああ……」
コトトはそういって、少し声を落とした。
「言ってたわね」
「あれって、本当なのかな?」
俺はコトトを見た。
コトトは俺から目を背け、前を向いた。
そして、しばらく喋らなくなった。
だから俺も、コトトが口を開くまで、景色を見ていた。
ぽっぽー、と大きな汽笛が鳴る。
俺たちの横を、子供が楽し気に二人走り抜けた。
「さあね」
やがて、コトトが口を開いた。
「私にはわからないわ。でも……」
「でも?」
「噂は、聞いたことがあるわ」
コトトはそういって、俺を見た。
「噂?」
俺は眉を寄せた。
「うん……かつて、ガインシャ公国はダーダリアン王国の属国だったの。そして一緒に他国へと向かっていた時に、当時のダーダリアン軍が暴走して、ガインシャ軍を壊滅させてしまったって。そしてその事件をきっかけにガインシャ公国は消滅して、ダーダリアンの国の一部になってしまった。そういう話はダーダリアンの市井では有名な話よ」
「当時の軍隊」
俺は言った。
「そこに、アビゲイル大佐がいたのかな」
「多分、そういうことなんだと思う。しかも、大佐は幼いながら、かなり主戦として戦っていた、と。それなら、女王の話とも合致するし」
「ということは、やっぱり――」
俺はそこで口を閉じた。
やっぱり、アビゲイル大佐は一つの国を滅ぼしたのだ。
そして、その暴走とは――
『私の中には鬼がいる』
ガビビ族の村での、アビゲイルの言葉を思い出す。
おそらく――アビゲイルが力を制御できなかった結果なのだ。
一国を滅ぼしてしまうほどの力を――
「だとしたら……」
と、コトトが言った。
「アビゲイル大佐が、恐ろしくなるかしら?」
まるで俺の心を読んだかのような言葉。
コトトは俺をじ、と見つめている。
「いや」
俺は首を振った。
「そんなことはないよ」
俺の脳裏に、これまで一緒に旅してきた大佐が思い浮かんだ。
振舞はいつも上品だし、行動には常識もあるし、俺たちに対する思慮もあった。
そして何より。
彼女は、よく笑っていた。
鬼なんかには、とても見えなかった。
「どんな過去があろうとも、大佐は大佐だ」
と、俺は言った。
「上品で、優しくて、ちょっと天然な、強くてカッコイイ剣士ってことに変わりない」
「そうだよね」
コトトはにこりと笑った。
「私もそう思う」
「じゃあ、この話はここまでにしよう」
と、俺は言った。
「これ以上、大佐の過去を勘ぐるのは止めにするよ」
「そうね。そのほうが――わっと」
コトトが急に前のめりによろめいた。
何事かと思ったら、後ろにマキが張り付いていた。
「あんたたち、何してんのよ! 機関室すげーわよ! 燃料入れまくってて、すげー迫力!」
マキは興奮気味に言った。
「そ、そんなにすげーの?」
と、俺は苦笑しながら聞いた。
「そうよ、ついてきなさい! 案内してあげるから!」
マキはそう言って、踵を返した。
その後ろを、アリスがてくてくとついていく。
俺とコトトは目を合わせた。
そしてどちらともなく微笑んで、マキのほうへ走り出した。




