ビジネスライクな護衛・おまけ
十歳になった俺に護衛が付けられた。
詳しくは説明しないが、莫大な資産を所有する由緒正しき俺の家では、嫡男に専属の護衛を付ける事となっている。
護衛の条件は色々とあるが、その内の一つに『同い年であること』と言う物がある。
大人の護衛では対応できない場所にも入り込め、あらゆる要望に応え精神的な支えにもなる。学校で友人を作る事も大事だが、そう言った相手を取り込もうとする輩も多い。一番近い所で嫡男の盾と矛になる―――そんな存在が与えられるのだと聞いていた。
ぬばたまの髪、漆黒の瞳の美少女―――俺の為だけに存在する『アキ』こと夏見安芸は、俺に与えられた護衛だ。彼女は四六時中俺と行動を共にする。
名家の御曹司・美形・成績優秀・運動も得意―――と何拍子も揃った俺だが、実は女性に免疫が無い。十歳まで俺にピッタリ張り付いていた従兄の一馬に邪魔をされ、女子と一対一でおしゃべりに興じた事も無い。―――俺は話したくて話したくてしょうがなったのに―――だから、俺はアキと純粋におしゃべりがしてみたかった。
けれども全く女子に免疫の無い俺に、そもそも楽しい話題を提供するようなスキルは無い。どういった話題を振ってよいか皆目見当が付かなかった。
映画とか話題の本とか、学校の噂とか担任教師の癖とか―――そう言った一馬がいつも普通に女子と話しているような軽い話題を提供して笑い合う……そんな風に世慣れた態度で話し掛けてみたいと夢想したが……俺にはハードルが高かった。
アキの周囲に、そう言う話題を受け入れそうもないバリアみたいなものが張り巡らされているような気がしてならない。『あの話題の映画見た?』『いいえ、四六時中健吾さまのお傍に控えておりますので、そのような暇は』なんて冷静な目で返されて終わりだろう……。
でも、可愛い女子と。
おしゃべりがしてみたい。
何でもいいんだ。そう言う雰囲気を味わうだけでも。
悩んだ結果、仕方が無いので忍者の末裔と言う彼女の職能について尋ねてみる事にした。うん、我ながら浮ついた雰囲気皆無だな。そう思いつつやるだけやってみたのだ。
「忍者の末裔と言う事は―――アキも忍者の術を使えると言う事か?」
「ええ、まあ」
「じゃあ、あれか? 手裏剣とか使ったりするのか?」
「……嗜み程度には。実際手裏剣を使っていたのはほとんど侍で、忍者は使いません。でも一応使えるように習いはしますね」
「そ、そうなんだ、へぇ」
少し残念に思った。
実は護衛が『忍者の末裔』と聞いて、一馬に借りた忍者漫画を思い出しちょっとだけ期待していたのだ。
しかし全くアキはニコリともしない。
これじゃ不完全燃焼だ、もっとこう……女子と話していると実感できる、浮ついた楽しい雰囲気を味わえないものだろうか。
諦めの悪い俺は、更に質問を重ねた。かなり話題は目的から的外れな気もしないでは無かったが……。
「専用の制服とか無いのか?ほら、映画なんかで忍者が着ている真っ黒な衣装とか―――ああいうのを着て、闇に紛れて悪をやっつけたりするんだろ?」
冷ややかな視線に晒されて、我ながら少し幼い物言いをしてしまったと頬を熱くした。
いや、流し目にドキリとしたってワケでは無いぞ。護衛にいちいちトキめいたりするなんて、ある訳ないだろ?
「制服ですか?―――敢えて言えば、セーラー服が『制服』ですね」
「ん? どう言う事だ?」
「黒い衣装って結構目立ちますよ?その場所に居て不思議が無い衣装を着るのが一番なんです。私のような学生は学生服が一番目立ちませんから。昔は農民の格好をしていたみたいですよ。映画に出るような忍者服って昔でも相当目立ちますから」
「そ、そうか……」
シュンと肩を落とす俺に、アキは眉を下げた。
アキとの話題作りもそれほど上手く行かず、ほんのり憧れていた忍者のイメージも覆された。要領の良い一馬が今は羨ましかった。
「健吾さま? もしかして……忍術に興味をお持ちですか?」
「あ、ああ……」
と言うか、ただ単に女子と楽しいおしゃべりって言う設定に興味があっただけなんだけど……そんな事を言った後、アキの冷たい視線に晒されブリザードの中に置き去りにされたくない。
流れで頷くと、勘違いしたアキがコクリと頷き返した。
「じゃあ、今度私の作った忍び道具をお見せしますね?」
アキがそんな事を言い出すのは珍しい。
すごく見たい……! と言うほどの熱意も無かったのだが、俺は少しだけ当初の目的を忘れてワクワクしてしまったのだった。
と、言う訳で暫く経った日の夕方。アキに声を掛けられて夕食後、縁側から庭に出た。
庭師が常に維持している完成された日本庭園の豪勢な松の木々に囲まれ少し開けた場所、玉砂利の上に手招きされて。屋敷から洩れる灯と灯篭にともされた灯のみで仄暗い場所に二人切りと言う状況に、少しドキリとする。
「これが、私の作った忍び道具です」
後ろ手に隠していた物をパッと披露される。
アキの掌の上にあった物、それは―――線香花火だった。
「え?花火?」
「そうです。忍者が最も重用している忍び道具―――それは『火薬』です。本来は焙烙玉と言った今で言う焼夷弾みたいな物が主なのですが……現在の日本では法律で取り扱う火薬量に制限がありますから」
そう言ってアキは俺に一本手渡し一緒にその場にしゃがませた。点火口が長いライターで平べったい石に蝋燭を固定し、火をつけた。
「いいですか?じゃあ……一緒に点火しましょう」
二人同時に、線香花火に点火する。
ポッと火がともる瞬間強く光って、すぐに大人しくなる。ジジジ……と小さな音を発しながら、丸くて赤い火種が俺達が指で慎重に摘まんだ細くて頼りない紙製のこよりを―――ゆっくり呑み込んでいく。
俺の右隣、十センチも離れていない距離にある温もりを。
思わず意識してしまった時―――僅かに腕に力が入り、揺れが伝わって火種がポトリと落ちた。
「あら、お終いですね」
そう言ってこちらを見たその唇が―――少しだけ、ほんのりと弧を描いた。
その瞬間、ギュッと心臓が鷲掴みにされたように苦しくなる。
滅多に笑わない彼女の笑顔。
ずっと見ていたい―――そう思った矢先に、またいつもの無表情に戻ってしまった。
「さて、戻りますか」
そう言って、花火の残りと蝋燭を用意していた携帯用の灰皿に収め。
素っ気なく立ち上がった彼女と、もう少しだけこの時間を共有したくて―――俺はキョロキョロと言葉を探した。
「あ!あのさ……」
「はい」
真っすぐな瞳で、彼女が俺を見つめる。俺はその視線に耐えきれず、視線を外した。
「は……花火ってそう言えば自分で勝手に作ったら、駄目なんじゃない?」
捕まったりしないだろうか。火薬取締法とかなんとかに引っ掛からないのだろうか?
「十八歳未満は化学の実験で作る分には、少量であれば可能です。本来は学校で速やかに処分するべきなんですけど―――二本だけ持って帰って来ちゃいました」
そこで素朴な疑問が生まれる。
アキは常に僕の傍を離れていない筈なのに、いつ学校で実験をしたのだろう?
「実験って授業?そんなのあったかな?」
「―――化学部に所属しているんです」
「アキが?いつ作ったの?ずっと僕と一緒だったよね」
護衛だからアキが俺から離れる事なんかない。それこそ、トイレの時くらいしか。その時はこっそり代わりの護衛か従兄の一馬が俺を見守る事になっている。そんなのは本当に僅かな時間だった。
「―――と言うのは建前で」
「へ?」
「本当は……内緒です」
そう言って、アキはそれ以上言葉を継がずに誤魔化した。
何だかきっと聞いてはいけない部分なんだろう―――そう思ってそれ以上追及はしなかったが。
目元を細めたアキの表情に、またしても心臓が跳ねる。
今日は色々と―――気持ちが落ち着かない日だなぁ……。
ドキドキと高鳴る胸を抑えて、自分はどうしてしまったんだろう? とその時は訝しく思っていただけだった。
後で考えると、アキを本格的に意識しだしたのはこの時かもしれない。
何となく店先に飾られた線香花火を目にするといつも。
俺はこの時のしっとりと纏わり付く様な夜の湿気と、ふんわりとアキの顔に浮かんだ笑顔を―――思い出すのだった。
お読みいただき、有難うございました。