百円玉のイタズラ。
カラリ。
という音に、私――宮木葉月はイラリとした。
それは大学にある、一台の自動販売機の前の出来事。
唯一持っていた百円玉が、反応をしてくれないのです。
つり銭切れでお札は使えそうにありません。
カラリ。
当たり前ではあるけれど、私のイラつきにも反応してくれない自動販売機。
ふと背後に人影を感じ、私はその百円を握りしめ、そこを後にすることにする。
「ねえ、どれ買うの?」
後ろから声をかけられ振り返ると、一人の男性がいました。
「え?」
「お金入れたからさ、なんか買ってね」
そう言ってその場を後にしようとするのです。
「嘘、なんですか、それ。
待ってください!」
一方的すぎる男の後ろ姿に私は焦って、途切れ途切れに声をかけた。
「百円くらい気にしないでよ。
こういう時はカッコつけさせてくれても良いんじゃない?」
男はそんな風に言う。
そして何も言えなくなった私に、彼はもう一度口を開いた。
「それじゃ、名前教えてよ」
と。
「名前?葉月……宮木葉月です」
「そっか。バイバイ葉月ちゃん、」
男は私の名前を口にし、やっぱり去ろうとする。
「ま、待って。あなたの名前は?」
立ち止まった男はいたずらっぽい顔をして、
「……それを言っちゃあ“百円”の意味がない」
なんて言った。
そんな男にイラリ。
「そうですか。ご馳走さまです」
私は自動販売機のボタンを勢い良く押す。
ガタリと音がして、私はやっと一つの缶を手にしたのだった。
それから数日。
「また君か。
えーと……葉月ちゃん、だったかな」
今日もまた、私は自動販売機に嫌われていて、やっぱり男は通りかかる。
「忘れたら、また百円かかりますよ。
工藤聖二先生」
私は言ってやる。
「なんだ、名前リサーチしてきたの?」
「ええ。
先生の部屋から、この自動販売機が見えるんでしょう」
私が一つの窓を指差すと、先生はちょっぴり不機嫌そうな顔をした。
「君は運が悪いみたいだねえ、」
そう言って先生はポケットから百円玉を一枚取り出す。
「また、百円くれるんですか?」
「そうだなー……」
先生は少し何かを考えた後、私の顎をクイと上げる。
私はキスでもされるのかと思いました。
しかし先生は耳元に口を寄せ、
「そういう顔……そそられるね。
ご馳走さま」
なんて言って、その百円を自動販売機にチャラリと入れたのでした。
すんなりと認識される百円。
私は横に並ぶボタンではなく、お釣りのレバーをカタリとまわします。
「返す。もう、今日は飲み物いらなくなったから」
私はそう言って立ち去ろうとする先生を呼び止めました。
「ついさっきまで買おうとしていた人が……どういうことさ」
不信そうな顔でこちらを見る先生に私は言った。
「この百円が自動販売機に認識されたように……。
先生が宮木葉月を認識してくれたから」
と。
「認識……?」
「私の名前、覚えてくれた。
実は私、ここの卒業生で今は院生なんだ」
「……院生?わざわざ君はこの自動販売機に通っていたのか?」
院のある建物は、駅も異なる全く別の場所にある為、院生がここに来ることはまずないと言える。
「学部のときから一人暮しをしていて、今もこの近くに住んでいるから……」
私は一つ一つ説明をするけれど、先生は混乱しているように見える。
「私ね、先生の授業、抽選はずれて履修できなかったんだ」
「それじゃあ認識も何も……」
「ううん。私、先生とここで会ってるの。四年生になったばかりのときだったかな、ここでお財布から百円玉取り損ねて……転がしちゃって」
「ああ、あの時の……」
先生は数年前の出来事を思い出してくれたようでした。
「そう、拾ってくれたのが先生で。
人間って本当に一目惚れするんだってその時思ったの。
それから先生の授業を履修しようとしたんだけど遅かった。
だって、一年生のときに出会っていたら、抽選だって四回チャンスがあったはずでしょう」
それから偶然、反応しない百円玉を見つけた私は、そこへ通うようになった。
先生に認識してもらうために。
「だからもう、飲み物はいりません」
「やっぱり……」
「え?」
「やっぱり、同じ百円玉を使い回していたんだね。
自分は授業のない空き時間、よくあの部屋から外を眺めてて……。
自動販売機に嫌われてる子がいるなーとは思って見ていたんだ。
ただ、なんだか声をかけるきっかけもなくてね……」
どうやら先生は、私の存在には気づいていたらしかった。
「宮木葉月か……。
なかなか面白いね、」
先生は私の返した百円をもう一度私に握らせ、
「これあげるから、今度ご飯にでも行こうか」
なんて言う。
だから私は先生のスーツの襟をつかみ顔を寄せ、反対の手で胸ポケットにそれをスルリと入れ、
「これ返すから……キスしてよ」
なんて言ってみる。
驚いた顔をする先生に私はクスリと笑い、
「嘘よ、また会いに来るから」
と言ってクルリと背を向けた。
「もうイタズラはしないって……
約束だぞ」
そう言う先生に“わかった”と返そうとした振り向き様。
先生は私の唇をふさいだ。
「……こんなキスで良かった?」
先生の囁きになんだかゾクリ。
そう、先生は思っていたよりも意地悪で、ほんのちょっぴりエロティック。