OPENING#1
バタフライエフェクト。
ある場所での蝶の羽ばたきがそこから遠く離れた場所の天候に大きな影響を及ぼすことである。
宇宙の果てには地球と全く同じ原子、その構成で成り立つもう一つの地球が存在している。
二つの地球は同じ時間に同じ速度で誕生し、そこでは同じ生命が同じ場所で産まれ同じように進化していく。
ただし、それは神様の気まぐれによって引き起こされたほんの1ミリの羽ばたきを除いた場合である。
では話すとしよう。
遠く離れた場所で影響した大きな嵐に巻き込まれた一人の青年の、小さな物語をーーーーー。
「やったー!優勝おめでとう!やっぱ強いなあクロは・・・ーーーーー。」
屈託のない笑顔で、透き通るような声で、俺に話し掛ける華。
「お前が危なくなった時は守ってやるよ。」
笑顔で応える。
危なくなった時、って何だ...?
俺はあの時何を以ってそう言ったんだ...?
空手の優勝トロフィーの隣に立て掛けてある華の写真。
あの時と同じ笑顔で、そしていつまでも同じ笑顔だ。
「怒ってるか...?」
カーテンを締め切った薄暗い部屋で一人呟くように写真に語りかける。
「約束、守れなくて怒ってるよな。」
黒都直之。18歳。
身長は高い方。黒髪。
秀でた空手の才により輝かしい成績とともに青春を謳歌した高校生活が終わって春休みに突入した。
彼の部活を支えたのはマネージャー兼彼女の綾崎華。
パッツン。茶髪。
おっとりしている。
昔から学校のアイドル。
出会いは小学校の頃で、友達としてずっと仲良くしてきたが部活での交流を通してより深く関わるようになった。
そして友人という関係から恋人へ発展したきっかけは高1の時の黒都直之の一言だった。
そんな華が交通事故で亡くなって1ヶ月が経とうとしていた。
居眠りをしていたトラックが歩道に突っ込んだのだ。
華と俺は二人で歩いていた、はずだったのに。
死んだのは華だけだった。
二日後、病院のベッドで目を覚ました俺はまさに抜け殻の状態だったらしい。
無理もない。
一番ずっと一緒にいた彼女の、一番好きだった彼女の、命が途絶える瞬間を俺は一番近くで見たのだから。
粉々に割れた喫茶店の窓ガラスと共にに大量の紅血が飛散し、彼女の腕が、脚が、吹き飛んで行く姿を目撃したのだ。
空手で培ってきた己の動体視力を呪った。
そして彼女のーーー。
いや、思い出さないでおこう。
あれは極限までの恐怖に晒されたが為に見た幻覚なのだと祈ろう。
あの日以来俺はずっと外に出れないでいる。
いつでもどこでもちょっとしたミスや不注意で起こり得るただの事故で、簡単に人の命は消えるのだ。
(一歩でも踏み出したら鉄骨でも落ちてくるか...?)
世の不条理に苦笑を浮かべる。
最近の精神科医のカウンセラーによって退院するまでに至るが、まだ恐怖を完全に拭い去るとまではいかない。
彼女が死んで一ヶ月。
そろそろ意を決して外に出る時かもしれない。
上下共に黒のスウェット。
携帯と財布だけを持って重い玄関の扉を開けた。
(少し歩いたら帰ろう...。)
特に目的もなく、ただただ歩いているだけだったが、大通りを避けた結果辿り着いたのは地元の商店街だった。
巨大なアーケードの下は一ヶ月前と同じように大勢の人で賑わっている。
このような格好では大勢の前には出られまいと路地へ入る。
この商店街はメインストリートこそ華やかだが、一つ道を横に逸れると一転、ひしめき合う店に囲まれた道は狭く薄暗く、古びた小さな居酒屋が列挙していた。
恐らく長い付き合いの常連くらいしか訪れないだろう。
ところどころ表の店から伸びる排気口による悪臭に襲われながらも奥へと進んでいく。
すると見たことのない店に出会った。
外装は周りの雰囲気と調和せず、毒々しい色のカーテンが異彩を放っている。
いかにも怪しげな空気。
看板には「占」の文字。
(アニメとかでしか見たことなかったけど、やっぱ占い師ってこんな感じなのか。)
歩くスピードを緩め、中の様子を横目で確認するだけで通り過ぎようとした。
しかし中を見た時、一気に背筋が凍るのを感じた。
腰が曲がり、たくさんのシワをたくわえた小柄なお婆さんが小さなテーブルを前に小さな椅子に座っていた。
そのお婆さんが俺が店を通ることを知っていたかのように初めから此方を睨んでいたのだ。
(気味悪っ、今日はもう帰ろう。)
そう思い、早歩きで通り過ぎようとした時。
「お兄さん、彼女はいるよ。」
(・・・は!?)
絞り出したようなガラガラの声だったが確かにそう聴き取れた。
間違いなく先程の店の中から聴こえた声だ。
「彼女が待ってるよ。」
第二声が聴こえたのと同時に俺は店へ駆け戻った。
同じようにお婆さんが此方を見ている。
「婆さん、何で彼女のこと知ってんだ。」
そう問い掛けると。
「そりゃあ、占い師だからねぇ。」
意味分からねえ。
そんなことを言われて誰が信じるのか。
「彼女を救いたいかい?」
お婆さんは困惑する俺に構わず話を続ける。
「もし事故のことが大事になって町中に広まった噂を嗅ぎつけてそんなこと言ってんだったら不謹慎すぎるぞ、婆さん。」
俺は強い口調で言った。
「救いたいのか、救いたくないのか...。」
完全に逝っちゃってるなこの婆さん。
ただ、まあ少しくらい付き合ってみることにした。
「そりゃあ救いたいに決まってるだろ。」
とりあえず適当に流して帰ろう。
「だったら、この水晶を触りなさい。」
ああ、こうやって占いを勝手にして後で金を取るって手口か。
まあ金を使うアテも無いし、本当の占いだったら自分が今どんな状態か知りたいし、法外なほど高額だったら婆さん一人だし逃げればいいか。
そんなことを思いながら水晶に触ってみることにした。
「行っておいで。」
最後にお婆さんがそんなことを呟いたのが聴こえた気がした。
水晶を触ったと同時に俺の視界は一気にブラックアウトし、意識は遠のいていった。
「ねえ、起きてよ...」
声が聴こえる...。
誰だ...?
小学生の少年のような声だが。
「ねえねえ、起きて!」
声が段々大きくなってくる。
こんな声の知り合いなんていただろうか。
「どこから来たの?」
声が明瞭になり俺はハッキリと意識を取り戻した。
ただ目を開けるのが面倒だから寝たフリをしておこう。
「いや、起きてよ!!!」
少年が俺の顔を思いっきり引っ叩き、空気を突き抜ける爽快な音が響く。
(・・・なッ!!)
「何だよ!るっせえな!寝てるやつ無理矢理起こすと人によっては結構ヤバイってこと今のうちに覚えとけ!てかお前誰だ!?」
少年は俺の大声に驚いて後ろに仰け反る。
「・・・ああ!やっと起きた。僕はレイ・エルク。5級魔法使いだよ。よろしく。監視ついでに散歩してたら人が倒れてるんだもん、ビックリした。お酒でも飲み過ぎたの?」
しばらくして平静を取り戻した少年は笑顔を取り繕って自己紹介を始めた。
寝ている時は分からなかったがレイと名乗るその少年は金髪に青い目でどうも日本人ではなさそうだった。
しかし注目すべきは頭に深々と被っている鹿の角がつけられた帽子のようなもの。
「いや、未成年だから飲まない...っていうか、お前今魔法使いって言ったか?劇の役か何か?ここどこだよ。」
気が付くと辺りは森の中だった。
まだ浅い所なのか日光は差されているので明るかった。
「君、何ふざけてるの...?大丈夫?」
少年が苦笑いで応える。
「ここはアルファナの最西端、エイントシア区だよ。パルティカの第一支部があるとこ。分かるでしょ。」
(何言ってるんだこいつは...。)
「ん、まあ、とりあえず森から出ようぜ、レイ...だっけか。」
呆れるように俺は言った。
(こういうのばっかりだな今日。)
レイがそうだね、と明るく返して立ち上がった時。
目の前に3体の人...?いや生き物...?のようなものが立ってるのに気付いた。
砂漠でよく着るような布生地を肩の辺りの安全ピンで留めている。
頭部...のようなものが露出しているが、闇のように真っ黒、明らかに人間の頭部ではない。
目の位置に光が浮かんでいるだけである。
「おい、何だよコイツら...!!」
「スガワラだよ...。」
隣に立っているレイが俺の疑問に応えるように呟いた。
「はい?菅原...?知り合い...?」
それは確かに日本人の苗字である。
「対魔法使いの生物兵器だよ。」
(こいつ...。まだごっこ続ける気かよ...。)
ただ、あれはどう見ても人間ではないし、何かの役でもなさそうだ。
「まさか3体もスガワラに会っちゃうとはね...。取り敢えず君は下がってて...。」
レイがそう言い切るか、というところで謎の生物がすごいスピードで襲いかかって来た。
瞬間的に俺はヤバイと感じ、同時に隣にいるレイは俺が守らなくてはいけないと思った。
地面を力強く蹴る。
「ちょっ...!?」
レイの驚く声が聴こえた。
まず一体目、手を伸ばしてきたところを左に避け右手ストレートをぶつける。
次に二体目が右斜め後ろに迫っているのを感じたので、姿勢を低くして裏拳を入れる。
最後に三体目が正面に迫ってきたところを回し蹴り。
スガワラと呼ばれる生き物は全て倒れ、二点の光を失った頭部が消えて布生地だけが地面に残った。
「どうだ!俺の空手の実力っ!!」
最大のドヤ顔を決める。
レイが後ろで目を丸くしていた。
「き、君...。何級魔法使い...?」
顔を引き攣らしながら恐る恐る俺に問う。
今の一連で大体流れは掴めた。
信じられないが...。
『この世界は元にいた世界と違う!』
どうやらこの世界には魔法使いがいて、それと敵対関係にある存在がいて、それに対応して色々と組織を作ってるってワケだ。
(訳分からんけど占い師のババアに嵌められた...!!)
眉をひそめる。
「ねえ!君さ!エイントシアにいるってことはヴァイスだよね?ちょっとついてきて!!」
何やら興奮しながらレイが手を引く。
「おい、待て!まだ全然何も分からねえんだけど!」
森を抜けるように二人で駆けていく。
どうやらエライ目に遭ってしまったらしい。
ドタバタで本当に意味分からんけど、俺には引っかかることがあった。
ババアは確かに言った。
「彼女はいる」と。
今はその言葉の真意を確かめるためにもこの世界で生き続けるしかあるまい。