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密度  作者: 柚井 ユズル
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過去

紀子が母親の秘密を、父親の秘密を知ったのはまだ小学校に入ってすぐの頃だった。

その時まだ生きていた母親は、その日、紀子を連れて買い物に出かけた。幼い英嗣は家に残して、買い物に出かけた。

よく覚えていないけど、母はその日紀子に洋服を一着買って、自分に落ち着いた色合いの着物を仕立てた。その帰り道。人の賑わうデパートの食堂で食事をして帰ろうと紀子と手を繋いで歩いていた母の足が突然ピタリと止まった。目的地まではまだ程遠いのに、ピタリ、と。

「おかあさん?」

問いかけて見上げた母の顔は、一点を凝視して固まっていた。青褪めた顔に、妙にぎらぎらとした瞳が、幼心にも母が違う人間のようだと思った。

母の視線を追った先、人ごみの奥。そこには家であまり見かけない父親の姿があって。その父親は、知らない女と腕を組んで、人ごみの中、体を密着させるようにして歩いていた。父の顔には、家で見かける疲れたような倦んだような色合いはまったく見られず、楽しそうに、笑みを浮かべていた。

「おとうさんだ」

紀子は呟いて、走り出そうとする。その手を、母の手が留めた。

紀子の腕に手を伸ばして。幼い紀子のまだ柔らかい白い腕に爪を立てて。ぎゅ、と掴む。

「痛っ」

紀子は声を上げて立ち止まる。

「おかあさん、痛い……」

紀子が言っても、母親はまるで聞こえないように紀子の腕を掴み続ける。紀子の皮膚に、ぐいぐいと爪が食い込む。幼い柔らかい皮膚に、母の鋭い爪が埋まって行く。

「痛い、おかあさ……」

抗議の声は、母の無言に圧し消された。母に紀子の声は聞こえない。母はただ、父を凝視しているだけだ。まるで別人のような瞳で。ただ、紀子の腕に爪を食い込ませて。

父の姿が消えるまでそうしていた紀子の腕は、母が手を放した時には青紫の鬱血の痕と、滲んだ血が痛々しく残ってしまった。母は紀子に謝って、デパートでの食事にパフェをつけ、洋服をもう1着買ってくれた。まるで、それで全てが清算できるとでも言うように。


そんな過去の事を、紀子はぼんやりと考えていた。幼い頃に見た光景がどういうものだったのか、中学生になった今ではもうわかっている。手の中には父の愛人から紀子に宛てられた恨みの手紙。

(私たちのせいで、結婚できないですって?)

人の父親を奪っておいてよく言うものだ。もっとも、彼女と父の付き合いは母と出会う以前からのものだったらしいけれども。

(つまり、父さんが欲しかったのは、母さんでもわたしたちでもなくてこの家だったのね)

旧家で金のある、母の実家。その力と権力が、欲しかったのか。

(私の家族って、英嗣しかいないんだわ)

そう考えると、弟がとてもいとおしくなってくる。もう、自分に残されているのは英嗣だけなのだ。そう考えると、英嗣を失う事が、とても恐ろしい事のように思えてきた。

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