Start The [Ghastly] Farewell 2
カルフォルニアの日光で熱されていた外とは違い、どこか薄暗く涼しいリュミエール邸内のロビー。
そのロビーには2階へ続く階段が2つ円をを描くように配置され、中央にはエイリアス・クルセイドのシンボルである十字架が描かれた盾のオブジェが置かれていた。
レイはその台座に嘲笑混じりの視線を送っているロンバードに目もくれず、黙って階段を上って行く。
そしてベルベットの赤いカーペットを歩いた先にある扉の前にレイは立ち止まり、黒檀で作られた扉をノックする。
「入りなさい」
扉の向こうから聞こえるハスキーな女の声を確認したレイは、ドアノブをひねりヴァインの装飾が施された扉を開ける。
扉が開かれたその応接間にロンバードは3人の女の姿を認めた。
扉のすぐ傍で頭を下げて来客を迎え入れているレイと同じように、シャツ以外を黒で揃えたパンツスーツに身を包む晶・鴻上。
黒で統一した、スカートスーツスタイルに身を包み、ソファの傍らに立つエリザベータ・アレクサンドロフ。
そして白いパンツスーツと真紅のシャツに身を包み、パーソナルソファに腰を掛けているイヴァンジェリン・リュミエール。
ロンバードは先に応接間に入ったレイを押しのけて、エリザベータへと歩み寄り恭しい手つきでエリザベータの手を取る。
「おお、ミス・アレクサンドロフ、今日もお美しい」
「ごきげんよう、ミスター・ロンバード」
エリザベータは短く言葉を返して汗ばんでいるロンバードの手を払い、肩を竦めていたレイを腕を掴んで自身の傍らへと引き寄せる。
気持ちは分からなくない。
そう思ってしまったレイはエリザベータが望むままにそこに立ち、射抜くようなロンバードの視線を一身に受け続ける。
18歳にして政治家としてのキャリアをスタートさせた才女であり、国連のD.R.E.S.S.規制委員会の発足者の1人であり、D.R.E.S.S.の生みの親であるイヴァンジェリンと直接連絡を取り合うことが出来る数少ない人間の1人。
そんな美しきシンデレラガールであるエリザベータは、その肩書きと美貌によってあらゆる人間達の衆目に晒されていたのだ。
エリザベータ・アレクサンドロフを手中に収めれば、エイリアス・クルセイドとのパイプが生まれる。
そう言った思惑に晒されながらも踊らされる事なく、自身の選んだ道を歩み続けているエリザベータを突き放す事はレイには出来なかった。
「どうぞお掛け下さい、ミスター・ロンバード。たいしたもてなしは出来ないがお話だけは聞かせていただくよ」
「……初めまして、ドクター・リュミエール。お会い出来て光栄です」
「ええ、こちらこそ。ワシントンからは遠かっただろう? 皆も好きに掛けたまえよ」
ロンバードはそう提案してきたイヴァンジェリンの方へ向き直り、握手をしようと手を差し出すもイヴァンジェリンはそれを無視してエリザベータ達に座るよう声を掛ける。
それに従うようにエリザベータはレイの傍らから離れてソファに腰を掛け、ロンバードも苛立ちを誤魔化すようにソファに乱暴に腰を掛ける。
それを確認したレイと晶は、イヴァンジェリンとエリザベータの傍らに手を後ろに組んで立っていた。
戦闘の訓練を受けていないイヴァンジェリン達にとっては徒手空拳であっても十分な脅威であり、2人と同じく戦闘訓練を受けていない晶はハッタリにしかならないがそれでも牽制には十分である。
育ての親に殺されかけたせいで、誰もが敵に思えてしょうがないレイの過剰ともいえる防衛意識。
しかし3人は警戒するに越したことはないとそれを受け入れたのだ。
「しかし、ミス・アレクサンドロフがいらしているとは知りませんでしたよ」
「ええ、わたくしはプライベートでここに訪れていましたの。まあドクター・リュミエールに同席を求められてオフは台無しになってしまいましたが」
「すまないね、お嬢さん。まあ君にも関係ない話ではないだろう。なんせ国防軍の人間が”こんなちっぽけ”な民間軍事企業に依頼をしに来たのだからね」
エリザベータはそう言って、斜め前に座るロンバードへと視線をやる。
そしてロンバードは一瞬にして空気を換えたイヴァンジェリンの言葉に、居住まいを正し大きな咳払いをして口を開いた。
「単刀直入にお話しましょう。アメリカ国防軍所属のD.R.E.S.S.、ザナドゥ、助六、ジェロニモとそれらが率いるD.R.E.S.S.部隊が、テキサスで観測された超高度のジャミングを感知したポイントの調査に向かい、そして消息を絶ちました。そのポイントには以前、民間軍事企業H.E.A.T.が大量の戦力を派遣したという記録があるのですが、その全てが帰還していません」
その以前所属していた民間軍事企業の名前にレイの目の色が変わる。
あの時レイはエリア51でH.E.A.T.との総力戦を覚悟していたが、そこに居たのはレイの育ての親であったジョナサン・D・スミスとオブセッションという新型のD.R.E.S.S.だった。
ロンバードはそんな考え込んでしまっているレイの様子を余所に、イヴァンジェリンのピジョンブラッドの瞳を見つめて口を開いた。
「エイリアス・クルセイドにはそのポイントの調査、その原因の排除を依頼したいのです」
「……国防軍は自身らが手に負えない事案を、たかだか民間軍事企業に投げるのかい? ご存知の通りうちに所属している傭兵はたった1人だけ、国防軍や大手が複数の戦力を送り込んで全滅したような場所に大事な傭兵を送るわけがないだろうが」
すっかり目つきが剣呑なものに変わってしまったレイを横目に、イヴァンジェリンは社長として当然の言葉を返す。
イヴァンジェリンが知る限りH.E.A.T.にはレイが敵わなかった実力者がジョナサンを除いて最低2人が存在し、その2人が消息を絶ってしまっている以上イヴァンジェリンは迂闊にその依頼を受ける事は出来ないのだ。
「そうは仰いますが国防軍は主力の3機とその部隊を失い、下手に動くことは出来ないのですよ。それに嫉妬狂いの化け物殿――失敬、ミスター・ブルームスは、プロジェクト・ワールドオーダーの阻止をするために世界中を1人で転戦していたそうではないですか。これ以上ないほどに適任だと思いますが?」
「私は避けるべきリスクの話をしているのだよ、ミスター・ロンバード。私は大事な部下を国の捨て駒にさせるつもりはない、他の民間軍事企業に依頼したまえ」
ロンバードの物言いに不愉快そうな表情を浮かべたイヴァンジェリンはそう吐き捨てるように言うと、ロンバードにお引取り願うために傍らに立つレイを見上げようとする。
しかしロンバードは右手でタイをいじりながら、交渉は終わっていないとばかりに勝負に出る。
「ですが、ドクター・リュミエールは気になりませんか? D.R.E.S.S.実験部隊がアメリカに生まれた頃から活躍している、ザナドゥと助六がなぜ撃破されたのか――そして、開発コード"オブセッション"の残骸がどこへ消えたのか」
「その2つに何の関係がある? テキトウな事を言わないでもらいたいね」
取ってつけたような名前に、イヴァンジェリンは訝しげに色素のない柳眉をしかめる。
確かにあの時のイヴァンジェリンはレイを優先したために、オブセッションの残骸の有無すら確認しなかった。
その結果オブセッションの残骸はジョナサン・D・スミスの死体ごと消え、イヴァンジェリンはあらゆる情報網を利用して捜索を続けていた。
しかしそれらを無理矢理結び付けようとするロンバードに、イヴァンジェリンはお粗末なものを感じてしまっていた。
そんな失望を隠せないイヴァンジェリンの様子に気付いたのか、ロンバードは深いため息をつきながらやれやれとばかりに頭を振る。
「そうではありません。こちらの依頼を受けていただけるのであれば、その調査に国防軍が力を貸しましょう、ということです」
「……信用しかねるな、それに私は国と情報を共有したくはないのだよ」
「では報酬として用意させていただいた1000万ドルの他に、軍事衛星へのアクセスコードをお教えすると言ったのならどうでしょう? ドクター・リュミエールが"合法的"に衛星を使用する事が出来るようになり、我々は大事な戦力を奪ったその元凶の把握、あるいはその脅威の排除をしていただける。お互いにとって得だと思いますが?」
唯一アタックを避けていた軍事衛星という交渉材料に、イヴァンジェリンの目の色が変わる。
イヴァンジェリンのアブネゲーションの手が届く範囲は、あらゆる情報伝達が可能な地域。
そのためイヴァンジェリンであっても、把握出来ない部分が多く存在していた。
しかし軍事衛星を使用できるのであれば、地上の全てを総浚いにすることが出来る。
そう考えたイヴァンジェリンは、何かを求めるようにレイと晶の方へ視線をやる。
直接国に裏切られた訳ではないが、国防軍のスポンサーでもある資産家達に両親を殺された上に、軟禁されてオブセッション開発をさせられた過去。
その過去がイヴァンジェリンを躊躇させるのだ。
だがもしヘイト・スキャッターという粒子拡散砲が使えなくなっていたとしても、オブセッション自体がルードを遥かに越えるスペックを持ったD.R.E.S.S.だ。
その自ら生み出してしまった脅威をイヴァンジェリンは放置する事は出来ない。
そしてピジョンブラッドの瞳が向けられている事に気付いたレイは勝手にしろとばかりに肩を竦め、晶は請けるべきではないと首を横に振る。
多数決にもならない3竦み。
もしこの依頼で軍事衛星へのアクセス権を手に入れれば、ネットやデータベースがカバーしていない地域までオブセッションの捜査網を広げる事が出来る。
そう考えたイヴァンジェリンは戦場を知らない晶の考えよりも、戦場を知っているレイの考えを尊重して決断した。
「いいだろう。エイリアス・クルセイドは指定されたポイントの調査を引き受けよう。ただし、脅威の排除を請けるかはそれを確認してから決めさせてもらう。国防軍を含む他の勢力が排除対象への攻撃をしていても、我々はそれの援護は行わない」
「ドクター・リュミエールは、排除対象がD.R.E.S.S.であるとお考えですか?」
「可能性の話だよ、ミスター・ロンバード。私との取引に於いて使えるような軍事衛星を所持しながらも、その姿形すら把握出来ない兵器などD.R.E.S.S.以外に考えられないのだろう?」
白いスラックスを纏うすらりとした足を組み直しながら、イヴァンジェリンはつまらなそうに吐き捨てる。
あの頃のLumiere Military Industriesの復活に燃えていたイヴァンジェリンは、条件さえ整えれば1機で周辺の現代の情報機器を全て殺す事ことが出来るように作ったのだから。
望み薄だと判断していたのか下卑た笑みを浮かべるロンバードを無視して、イヴァンジェリンは晶の方へ視線をやる。
出来れば訪れないで欲しかった自身の出番に、晶は肩を竦めながら不承不承頷いた。
「アキラ、細かい条件を」
交渉相手は国防軍の仕官、報酬は1000万ドルと軍事衛星のアクセスコード、そして最新にして最強の兵器であるD.R.E.S.S.が複数消息を絶つほどの脅威が居るポイントの調査。
すっかりこちら側に染まってしまったと、深いため息をつきながら晶はその面倒ごとに取り掛かる事にした。