Dearest [Death] Dealer 5
レイ・ブルームスは傭兵、つまりは戦争のプロだ。
駆け抜けてきたいくつもの戦場は断末魔の復唱を奏で、そしてあらゆる可能性を硝煙の中に飲み込んだ。
榴弾から生まれた炎が、高速で飛び交う弾丸が、合金製の刃が、その全てがいくつもの装甲を削り、幾つ者命を奪った。
そんな戦場においても敵対者と相対し、そして撃墜してきたレイは鬱屈とした感情と疲労感を抱えていた。
――疲れた、マジでダルい
しかし少女はレイの隠されたその様子に気付く事もなく、緑色のリボンで飾ったウェービーな栗色の髪をなびかせながら楽しそうに、夕焼けに染められたコロナキの通りを歩いていく。
その後ろを歩くレイの両手にはパステルカラーのビニール袋や、ショップの名前が入った紙袋が提げられていた。
「荷物持たせてしまってすいません、ブルームスさん」
「構いませんよ。それよりも、楽しんでいただけているようで良かったです」
振り向きながらそう言うフィオナに、レイは瞬時に笑顔を作ってそう返す。
護衛を始めた3日目の深夜。
街の様子が変わったから出来るだけフィオナの傍に居て欲しい、とダミアンは突然レイにそう要請をした。
ダミアンもそういった事態を想定していたのか、レイに用意された学生証のハイスクールは単位制であり、どの時間にフィオナと遭遇してもおかしくはないようになっていた。
ダミアンの意思に従ったレイは、徒歩で下校するフィオナと偶然を装って遭遇した。
レイが「偶然ですね、一緒に帰りましょう」という帰宅を促す言葉を言おうとした次の瞬間、フィオナはレイの言葉を塗り潰すような大声で「ブルームスさん、寄り道しましょう!」と言った。
そしてその結果はあらゆるショップの袋として、レイの両手を縛り付けていた。
「寄り道なんて初め――あんまり出来ないんで、お父さんもお母さんもうるさいから」
言い掛けた言葉を別の言葉で潰し、前方へと向き直るフィオナの背中に小さな嘆息を漏らし、レイは込み入った事に巻き込んでくれるなと祈る。
あくまでレイはフィオナの護衛でしかなく、フィオナにもフリーデン家にも深入りする気は無いのだから。
「それに、ブルームスさんセンスいいから、見立ててもらうのすごく楽しいんです。でもごめんなさい、急にこんな事言い出して迷惑でしたよね?」
「構いませんよ。お恥ずかしい話ですが、未だに道が良く分からないのでフリーデンさんにこうしていろいろ連れて行っていただけるのはありがたいです」
嘘と真実を織り込んだ言葉を紡ぎながら、レイは自分よりも頭1つ分小さいフィオナの背中をぼんやりと眺める。
ただダミアン・フリーデンの娘として生まれてしまったせいでテロリストに狙われるその身柄はとても小さく、暴力に抗う事が出来ないであろう事をレイに改めて理解させた。
――あんまり外を歩き回らせるのは良くねえよな
レイの作戦目標はラスールから派遣されるD.R.E.S.S.を行使する部隊の殲滅とフィオナの護衛であり、こうして歩いている間に第3勢力の介入を許してしまえばまずい事になる。
そう判断したレイはフィオナへと言葉を投げ掛ける。
「そろそろ暗くなってきますし、そろそろ帰りましょうか」
「あと1軒だけダメですか? そこで終わりにしますから」
まるで次のバーへ連れて行こうとするジョナサンのようなフィオナの誘い文句に、レイは思わず苦笑してしまう。
――まあ、最悪タクシー呼べば問題ねえか
そう結論付けたレイはこちらの顔色を窺っているフィオナへ頷くことでそれを了承し、フィオナはそれに満面の笑みを浮かべて歩き出した。
軽く視線を動かせばレイの視界に、一般人に扮した護衛部隊の面々が入る。
その中の何かを訴えるような視線を向ける黒人の男に、レイは理解していると小さく頷いて返す。
――しかし過保護なのか何なのか、よくわかんねえな
パフェやパンケーキを注文するか悩みながらも服や靴を好き放題買える程度の小遣いを与えられ、護衛はフィオナの感情を一番に優先し、そしてフィオナの両親はそれの為にあらゆる力を行使している。
本当にフィオナの身柄の安全を考えるのであれば、ハイスクールまでフリーデン商会の車で送迎すればいい。
しかしそうしないのはフィオナがそれを望まず、ダミアンはフィオナの望みを叶えたいという望んでいるから。
――仲のよろしいこって
そうせせら笑う感情を取り繕った笑みに隠したレイが、フィオナに連れて来られた場所はアクセサリーショップだった。
明るい店内のガラスケースには様々なアクセサリーが飾られており、それを眺めるフィオナを視界に入れながらもレイは意識を入り口の警戒へと切り替える。
フィオナの目が無い以上、護衛部隊が襲撃者に対して対抗を出来る事をレイは理解しているが、それでも警戒しておくに越した事は無いのだ。
「ブルームスさん、これ可愛くないですか?」
そう言いながらフィオナが指を指したのは、ケースの中に飾られている銀色の小さな十字架だった。
小ぶりながらも凝った意匠のそれは、確かにシンプルながらも可愛らしいデザインをしていた。
「そうですね、きっとフリーデンさんに似合うと思いますよ」
「ですよね? すいません、これ見せてもらっていいですか?」
レイの好意的な意見を聞くなり、フィオナは値段を見ないまま店員にそう告げる。
――デザインがいいのは認めるけど、マジで買う気か?
浪費する事に躊躇いがあるのか無いのか分からないフィオナの様子にレイは苦笑を浮かべるも、そのシルバーのネックレスはガラスケースから取り出され、店員の手からフィオナに渡される。
小ぶりと感じていたそのネックレスは、それを飾るフィオナの小さな体躯にはちょうど良い大きさだとレイは評価を変える。
「どうですかね?」
「よくお似合いですよ。私の趣味はこんな感じですので、フリーデンさんの趣味に合うかは分かりませんが」
そう言いながらレイは自分の胸元に、革紐でぶら下げている銀の大きな十字架を指差す。
レイ自身はそれをとても気に入っているが、アネットはそれが気に入らなかったらしく会う度に難色を示す発言を繰り返していた。
「あたしが着けるには大きすぎますけど、ブルームスさんにはよく似合っていると思いますよ。私もこれ気に入ったので、買っちゃいますね」
「分かりました。私はタクシー呼んできますので、ちょっと待っててください」
店員としては間違っているのかもしれないが、余計な事を喋らずに黙々と仕事を忠実にこなす店員に胸中で感謝しながらレイは店を出る。
夕焼けに染まっていた通りは既に暗くなってしまっており、車のヘッドライトが行きかう大通りでレイはタクシーを探す。
しかしタイミングが悪かったのかタクシーはなかなか捕まらない。
――しくじったな
明確な門限は無いものの、結果的に1人娘を遅くまで連れ回していた自分をダミアンがどんな目で見るかを考えてしまったレイは思わずため息をもらしてしまう。
この失態をホロパイネンが見逃すとは思えず、最悪の場合レイの任務がここで打ち切られてしまう可能性があるのだ。
「タクシー捕まらないなら歩いて帰りませんか?」
――こいつ、マジで面倒くせえ
店で待っているように言ったフィオナが勝手に店を出て自分の隣に来てしまった事にレイは胸中で毒づくも、必死で張り付いた笑顔を保ち続ける。
こうしたレイを苛立たせるフィオナの行動1つ1つが、50万ドルの内訳に入っている以上しょうがないとレイは深呼吸して感情を落ち着かせる。
「こんな暗い道を女性に歩かせる訳にはいきませんよ。もう少しだけ待ってください」
そう言いながらレイはダミアンに与えられた携帯電話をポケットから取り出し、念の為記録しておいたタクシー会社の番号をコールしようとその時、運良く客を乗せていないタクシーが通りに入ってきた。
レイは携帯電話を持ったままの左手でタクシーを停めさせ、開かれた後部座席へフィオナを乗せた後に自分も乗り込む。
「えっと――」
「フリーデン商会へお願いします」
扉が閉まるなりレイは行き先を告げようとするも、住所も何も覚えていなかったレイの様子を察したのか、フィオナは我が家でもある商会の名前を出して車を出させる。
「ありがとうございます。住所くらい覚えないとダメですね」
「フリーデン商会って言えば大体何とかなりますよ。どういう意味でも、有名なんで」
走り出したタクシーの車内でフィオナは買ったばかりのネックレスを箱から出し、早速首へと着ける。対向車のヘッドライトに照らされた小さな十字架は、その小さなトップにキラキラとした光を湛えていた。
「十字架って点ではお揃いですね」
――そいつは良かったな
口をついてしまいそうになる言葉を圧し止め、レイは楽しそうにそういうフィオナへ曖昧な笑みを浮かべてその場をやり過ごす。
早い時期に傭兵としての活動を始めて自立していたレイは、ロクに学校に通っておらずこうした寄り道がフィオナのような学生にとってそんなに楽しい物なのか理解が出来なかった。
後見の立場にあったジョナサンは、レイに自分の家に住まわせ共に家族になろうと告げた。
だがジョナサンとアネットとという鬱陶しい存在と同じ空間で過ごすなどレイには考えられず、レイは15歳で傭兵となりスミス家を後にしたのだから。
「こんなに遅くまで付き合せてしまって、すいません」
「構いませんよ。フリーデンさん、今日謝ってばかりじゃないですか」
謝られっぱなしという状況に居心地の悪さを感じたレイは、手に持っていた袋をまとめてシートに置きながらそう返す。
疲労やストレスが貯まってしまったとしても、フィオナに1人で歩き回られる方がレイにとっては都合が悪いのだ。
しかしフィオナは申し訳なさそうな表情を浮かべる顔を俯かせ、滔々と語りだした。
「……実はあたし休日遊びに行ったりとか、こうやって寄り道したりとかあまり出来なかったんですよ。親が武器商人だと、皆避けちゃって」
物心ついた時からフィオナは1人だった。
幼少の頃は同年代の子供達は親にフィオナに近付かぬよう言い含められ、そしてその子供達は成長し自身の判断でフィオナを避けた。
クラスメイト達が避けるのは護衛が居るせいだ。
フィオナはそう考えたフィオナは友達欲しさから護衛を遠ざけ、クラスメイト達と再度交流も図るも結果は何も変わらず、フィオナは1つの事実に気付かされてしまった。
フィオナ・フリーデンはただ1人の人間である前に、世界有数の武器流通組織であるフリーデン商会の1人娘でしかないのだ、と。
だからこそフィオナは人を見るようになり、そして区別するようになった。
相手が自分を受け入れてくれるか、拒絶するかを。
「ブルームスさんが怖がらないで、避けないでくれたのに調子乗っちゃって。迷惑でしたよね」
レイ・ブルームスという時期外れの留学生は、フリーデン商会という組織とフィオナの生まれを理解した上でフィオナを避けたりしなかったどころか、フィオナのわがままに文句も言わずに付き合っていた。
休日には雑誌に載っているカフェで気になっていたメニューを注文し、放課後には街で買い物をして帰る。そんな何でもない事を誰かとしたくてたまらなかったのだ。
しかしふとした瞬間にフィオナは思うのだ。
勉強の為にギリシャに訪れた留学生を、こんな事に付き合せてしまっていいのだろうか
口では構わないと本人は言うが、フィオナにはレイがホームステイ先の人間のわがままに逆らえるような人間には思えず、1度その事を考え出してしまえばその思考は胸に広がる喜びを食い散らかしてフィオナの感情を掻き乱すのだ。
「構いません、私はそう言ったはずですよ。こんな機会でもなければ道もろくに分からない私は街を歩けませんし、フリーデンさんを放っておけないのも事実でしたので」
俯いたままのフィオナにレイは嘘と本心を混ぜ合わせた言葉を紡ぐ。
余計な事を聞かされてしまい、無理矢理フィオナ・フリーデンという人間に踏み込まされてしまった以上、エイリアスとダミアン・フリーデンに与えられた”レイ・ブルームス”をレイは演じなければならない。
「ありがとうございます。なんだか、ブルームスさんってお兄さんみたいです」
「確かに、父より兄のほうがずっといいですね」
レイの言葉に感情が落ち着いたのか、笑顔を浮かべ告げたフィオナの言葉にレイは皮肉めいた言葉を返す。
幼く見えたほうが良いとは思わないものの、以前のフィオナの言葉は「老けている」と言われているようでレイはなんとなく納得がいかなかったのだ。
「じゃあ、レイ兄さんって呼んでいいですか? レイ兄さんもフィオナって呼んでください」
もはや問い掛けではなくなってしまったフィオナの要請に、レイは思わず苦笑する。
多数の人間が作り上げたレイ・ブルームスが自分と剥離してい行くような感覚を確かに感じながら、レイは表情を取り繕った笑みに変えて口を開いた。
「……構いませんよ、フィオナ」
――もう少しだけ、遊びに付き合ってやるよ
言葉とは裏腹な感情を心に抱きながら、レイは少女を受け入れてやることにした。
50万ドルの報酬と引き換えに。