Dedicate [4] Blooms 4
BLOODのデータを回収し、やがて訪れた懇意にしている運送会社から車と治療用ナノマシンを受け取り、レイに処置を施したイヴァンジェリン。
自身も万全とは言えない体を無視してイヴァンジェリンは、グレームレイク基地から1番近い個人院に駆け込んだ。
医者を叩き起こしたイヴァンジェリンは、アブネゲーションで自身の口座から少ないはない金額を医者の口座に移してレイの治療をさせた。
ナノマシン技術が発達したとはいえ、それが完璧な物であるわけではないのだから。
しかし当局からの追っ手から逃れるようにイヴァンジェリンは、目を覚ます様子もない治療を受けたばかりのレイを車に乗せて逃亡を再開した。
顔を見せてしまった医者は2人の情報を売るだろう。
捕まってしまえばレイは殺されてしまうだろう。
そして今度こそ自身は耐え切れなくなってしまうだろう。
そんな考えがイヴァンジェリンにアクセルを踏ませ続けていた。
法定速度を越える車両を運転しながらも、イヴァンジェリンはアブネゲーションで声明を製作しながらとある人物へと連絡を取った。
その人物は最後までグリーンアイド・モンスターとされてしまったレイを庇う事もなく、様子見をしていたダミアン・フリーデンだった。
商品が倉庫ごと吹き飛び、部下数人が命を落とし、その挙句に娘まで被害が及びかけた。
それらを新たな脅威から守るために、文字通り何もしなかったダミアンをイヴァンジェリンは責める気はなかった。
だがレイに着せられた濡れ衣を晴らさなければならないイヴァンジェリンに、手段を選んでいられる余裕はない。
イヴァンジェリンはダミアンに国防軍や民間軍事企業による声明の隠蔽を妨害、そしてこれから設立する会社取引記録を偽造するように命じた。
どのデータベースにも存在しない、最後まで疑いを晴らせなかったレイ・ブルームスという男。
その男のD.R.E.S.S.が手配されていると知り、その男のバックに稀代の天才がついているという事実。
その事実を誰よりも理解させられたダミアンがこの命令を断る理由はないだろう、とイヴァンジェリンは確信していた。
イヴァンジェリンが再び世界の中心に戻る事を、ダミアンほど頭の回る人間が理解出来ないとは思えないのだから。
そして声明発表後、イヴァンジェリンはIDと一緒に同じ記録媒体にマップを入れていたカルフォルニア郊外に、そしてレイが戦いをやめて静かに暮らすことを、望んだ時の為に建てていた屋敷へと向かった。
しかし状況はレイを追い詰める方向へ確実に進んでおり、イヴァンジェリンはレイを守るための盾となる事を決めた。
傭兵や国防軍人は作戦の対象であれば人を殺しても罪には問われない。
しかしレイを自由に動かすために、イヴァンジェリンはこの世のあらゆる記録からレイの存在を消しており、レイをそのルールの外側に立たせてしまったのだ。
赤い視界でレイがロシアに行く前に設立した架空の会社の記録を改ざんをしながら、イヴァンジェリンは就職活動中の晶の携帯電話に、マップデータ、フライトのチケット、そしてメッセージを送りつけた。
その頃の晶は職と信用を自身の父による連続殺人によって失い、新たな職に就く事も出来ずに僅かに残った貯金で生き永らえていた。
そんな折に掛けられた不審な電話で、加工されたマシンボイスで告げられたのは、『レイ・ブルームスの身柄は預かった。死なせたくなければこれから送るポイントに、こちらが用意したチケットとIDを使用して指定のフライトで来い。もし到着が遅れたり、第3者の介入を許せばレイ・ブルームスの命の保障は出来ない』といったものだった。
その連絡を受けた晶は元々物が少ない私物を厳選して鞄に詰め込んで、急いで空港へ向かい指示通りのカルフォルニア行きのフライトで日本を発った。
そして辿り着いた屋敷で晶が出会ったのは傷ついたレイと、ニュースでしか見たことのないD.R.E.S.S.の生みの親であり、そしてレイに罪を犯させた張本人であるイヴァンジェリンその人だった。
イヴァンジェリンは晶にレイを守るには民間軍事企業の設立が必要であると説明し、捏造したデータなどの整理と会社としての体面を取り繕うように依頼した。
晶はその勝手とも思えるイヴァンジェリンの態度に激昂して手を上げてしまうも、いくつかの条件をつけてそれを了承することにした。
レイの濡れ衣を完全に晴らすこと。
レイと晶の安全を保障し、2人に報酬を支給すること。
そしていかなる状況であっても、レイと晶は自身の好きなタイミングでその組織から離れられるようにすること。
その条件をイヴァンジェリンは呑み、イヴァンジェリンと晶は未だ名無しの民間軍事企業の会社としての体裁を整えた。ダミアンが用意した新型兵器の実験とフィオナ・フリーデンの護衛という依頼の記録を作り、エリザベータが声明が事実であると公表した頃、レイはようやく目を覚ましたのだった。
――長い数ヶ月間だった
そう胸中で呟いたイヴァンジェリンは思わず苦笑を浮かべてしまう。
フィオナは両親と自身の立場に向き合う勇気を手に入れ、父の仕事の付き添いでアメリカに来てその間レイと晶が預かるという名目で屋敷に訪れた。
エリザベータはイヴァンジェリンのバックアップを受けて国連に作られる事になったD.R.E.S.S.の規制委員会の末席に名を連ねて、D.R.E.S.S.の規制ルールである"D.R.E.S.S.コード"を作り、イヴァンジェリンにD.R.E.S.S.を他者に使われないようなセキュリティシステムの製作依頼のために屋敷に訪れた。
晶はイヴァンジェリンに脅されて屋敷を訪れ、今ではイヴァンジェリンの会社の運営に欠かせない人物となっていた。
そしてその数ヶ月間でイヴァンジェリンは立場上は下であるはずの晶に、すっかり頭が上がらなくなっていたのだ。
10代の頃にはD.R.E.S.S.や超小型電力増幅回路の特許を取得していたイヴァンジェリン。
日の下で遊ぶ事も出来なかったか弱い女はただの人間では手に入れられない巨万の富と、ただの人間では理解出来ない独特な思考回路を有していたのだ。
たった数枚のピザを航空機で持って来させ、家具の全てをレイの好みに合わせて用意させ、挙句晶がカルフォルニアに来て3日目には晶の日本の自宅から全ての荷物を持って来させていた。
晶は社長令嬢だったとはいえあくまで一般庶民でしかなく、イヴァンジェリンの考えなど理解できるはずもないと自身がこの屋敷の舵取りをせざるをえないことを理解させられた。
そして晶は拒否を許さない心構えを持ちながら、パーソナルソファに腰を掛けた雇用主の肩に手を置いた。
「……社長、お話があります」
「ど、どうしたんだい、アキラ? 下着はちゃんと昨夜替えたし、洗濯物はかごに入れ――」
「そういうことを男が居る場所で言うんじゃありません! そんな事より、未成年にタバコとライターを与えるなんて何を考えてらっしゃるのですか!」
「い、いや、レイが欲しがっていたのだから――」
「欲しがったからって何でも与えていい理由にはなりません!」
2つ年下であるはずの部下の剣幕に怯える社長に、晶は深いため息をつきながらどこか疲れたように頭を振る。
世界を変えた天才を理解出来ると思ったことはないが、それでも理解を超え続けるイヴァンジェリンの思考に晶は頭を抱えたくなってしまう。
「いいですか? お酒とタバコは20歳から、もしそれまでに社長がレイ君にそれらを与えた場合、タコのカルパッチョを1週間食卓に毎日出します」
「で、デビルフィッシュはやめてくれ! 思い出すだけで身震いする!」
物分りの悪い教え子に物を教えるように人差し指を立てながら告げた晶の言葉に、イヴァンジェリンは震える肩を抱きながら思わず声を張り上げてしまう。
ピザとハンバーガーが交互に出る食卓に業を煮やした晶によって、リュミエール邸の食卓は大きな変化をもたらされた。
皮肉にも世界を変えた発明家が、たった1人の女に変えられた事実に皮肉めいた物を感じてしまう。
事実として食生活の改善はイヴァンジェリンとレイに良い影響を与えており、2人は文句などなかった。
しかしそれを不服に思ったレイは静止をかけるように手の平を晶に向ける。
「ちょっと待てよ、何で日本のルールに従わなきゃ――」
「トマト――その先の言葉を続けるなら、分かるわね?」
荒げそうになった言葉を遮った晶の言葉に、レイはこれ以上ないほどに顔を引きつらせてしまう。
日本で無理して弁当に入っていたトマトを食べていたことは既に晶にはバレており、レイはもう晶に逆らうことも出来ない。
「なんかアキラさんがお母さんで、イヴァンジェリンさんが頭の上がらないお父さんみたい」
「そう言うものではありませんわよ、ミス・フリーデン。それにしてもレイさんまだトマトがダメだったんですのね、わたくしのボルシチを召し上がっていただけるのはいつになるのでしょう」
「俺の予定じゃ一生ねえよ。それとフィオナ、さりげなくガキ扱いしてんじゃねえよ年下の癖に」
「1歳しか変わらないんでしょ? エリザベータさんにはそう言ってたんだから、別にいいじゃない」
「……リザ?」
「ギリシャでのレイさんの事を知りたかったんですの。まあレイさんとわたくしの時間が、どの時間よりも濃密だったって知れて良かったですわ」
咎めるような視線を送るレイに、エリザベータは誇るような笑みを浮かべる。
だがフィオナと晶は仮面を被っていたレイとの時間を長く過ごし、イヴァンジェリンにいたってはレイに男だと思われていたのは変えられない事実なのだ。
しかしそう理解していても、3人はそのエリザベータの牽制するような物言いに顔をしかめてしまう。
「……まあジェーブシュカとアキラにはお世話になったみたいだからね、感謝しているよ――ところで話は変わるんだが、この屋敷にルールを作ろうと思うんだ。私とアキラ、非戦闘員が最低でも2人は常に屋敷に居ることになるからね」
「賛成だ。博士だろうが誰だろうが、何度も助けに行く気はねえからな」
突然ともいえるイヴァンジェリンの提案に、レイは諸手を上げて賛成する。
レイが住んでいたロサンゼルスの安っぽいアパートはレイとイヴァンジェリンのつながりを探そうとしたH.E.A.T.の人間達によって荒らされ、その上スイッチ式の爆破装置などのトラップを仕掛けられている可能性があった。
そんな場所に帰れる訳がなく、帰る場所をなくしたレイはこの屋敷で生きていくことを選んだ。
そしてそんな素直ではないレイの言葉に晶が思わず微笑みを浮かべていると、レイの答えにイヴァンジェリンは満足げに芝居がかった手振りで両手を広げる。
「レイならそう言ってくれると思っていたよ――そうだな。まずは、屋敷の中で英語以外を喋ってはならない、だ。それで次はレイとアキラが許可を出した人間以外を屋敷に入れてはならない。それと――スリッパを持ち込んではならない、なんてどうかな、ジェーブシュカ?」
「……盗み聞きなんて人が悪いですわ、ドクター・リュミエール」
「なんのことかな?」
そう表面上は穏やかな言葉を応酬しながら2人は挑むような視線をぶつけ合う。
ロシアでエリザベータが行おうとしたハニートラップを知っているイヴァンジェリンにとっては、エリザベータはレイに諜報戦を挑んだ敵とも味方とも付かない存在であり、あの時の自身を「ださい」と恥じていたレイがそういうことを言うとは思えないエリザベータにとって、イヴァンジェリンは盗聴者でしかないのだ。
「……ねえ、レイ兄さん。なんか胸がモヤモヤする」
「……奇遇だな、俺は胃がキリキリするよ」
胸に手を当てて不可解な気持ちの悪さにフィオナは眉をしかめ、レイは両隣で今この瞬間に起こっている面倒ごとに呻くしかなかった。




